21話『ルシアンの告白未遂』
春の王宮は、いつも以上にざわついていた。
「次期王妃候補が間もなく発表されるらしい」
「第一王子の側近がリリー嬢と接触している」
「彼女の善行と信仰心は、民衆にも広く知られているから……」
そんな声が、宮廷のあちこちで囁かれ始めていた。
そして、そのどれもが――リリーを讃えるものであり、当然私の名はそこにはなかった。
いい。
そうあるべきだ。
私は、王妃になるつもりなど、最初からなかった。
けれど。
私が“彼”にとって、ただの“過去の処刑囚”で終わるなら――
それは、やはり少しだけ、心は痛むのだ。
***
「王宮より、アメリア・ローズウッド嬢を招きたいとのことです」
その知らせが届いたのは、数日後だった。
差出人は、第一王子ルシアン。
形式は“王政顧問としての意見聴取”という名目だったが、私には――分かっていた。
彼は私に言いたいことがあるのだ。
***
王宮の中庭に着いた私を待っていたのは、以前とはまるで違う表情のルシアンだった。
凛々しさの奥に、迷いが混ざっていた。
「アメリア嬢。来てくれて、ありがとう。来てくれないのか心配だったよ」
「私は王宮の命には逆らいませんから」
そう言って少し笑うと、彼も苦笑を浮かべた。
「……君は本当に、変わったね」
「いいえ。戻っただけです。ありのままの自分に」
その言葉に、彼は目を伏せた。
「ミカエル・エインズワースに縁談の申し入れをしたと聞いた」
「ええ、ローズウッド家の次期当主としては今後のことも考えなければなりませんので」
私の声は静かだった。
回帰前の光景が目に浮かぶ。
裁判の場で、彼が署名した罪状書。
私の命を終わらせることになった、あの一筆。
そして何より、それを“当然の義務”として受け止めた、彼の横顔。
ルシアンはゆっくりと私に向き直った。
「どうしても伝えておきたかったことがある」
「なんでしょう?」
「君は、誰よりもまっすぐで、強くて――」
その瞬間。
私の時が止まる。
「“そうやって、また、私を讃えるだけですか?”」
「“今度は、選ぶと言ってくれるのですか?”」
そんな言葉が喉まで出かかった。
でも、それを飲み込んだのは――私の“恐れ”だった。
今、この言葉を口にすれば、きっと彼は“応える”だろう。
おそらく前世の罪を贖うために、私を選ぶ。
でも、それは“愛”ではない。
“贖罪”や“責任感”
それならば――
「ルシアン様、それ以上はお言葉になさらないで」
私の言葉に、彼の肩がわずかに震えた。
「……君は、誰よりも遠くへ行ってしまった気がする」
「ええ。そうかもしれません。私は今、私自身の道を歩いています」
しばしの沈黙。
やがて、彼は小さく首を振った。
「君の進む道が、どこへ繋がっていても――僕は、その背中を見守る覚悟がある」
「それならば、見届けてくださいませ」
私たちは、そこで言葉を閉ざした。
彼が告げようとした何かは、宙に浮いたまま、静かに消えていった。
***
帰りの馬車の中、私はネックレスを指で転がした。
『いいのか?』
「……聞きたくなかったの」
『その慎重さが、そなたをここまで導いた』
「でも……少しだけ、心が痛かったわ」
ネックレスは黙って、胸の上でそっと光った。
*L*
「お姉さまが王子から呼び出された?」
新しく雇った侍女のミアからそう報告を受け、私は唇を噛み締めた。
幼かった頃。
この家の愛情はすべて自分のものだった。
父の笑顔も、母の腕も、屋敷の中で交わされる優しい言葉も──みんな私のためにあった。
姉は、ただの“引き取られた子”。
血が繋がっていないその姉は、使用人のように控えめで、父に名前を呼ばれることさえ滅多になかった。
幼いながら私は優位性に安堵していた。
それなのに──。
「……アメリア。おまえは本当に、よくできた子だな」
何の気なしに言った父の言葉だった。
けれど、その瞬間、私の中に冷たい水が流れ込むような感覚が走った。
それは――誇らしげに屋敷の帳簿を整理して見せていた姉に向けた、初めての「嫉妬」だった。
(なんで……?)
私は父の袖を掴んだ。
「ねえ、お父様。リリーも、頑張ってるのに。どうして姉様のことは褒めるの?」
父は困ったように微笑み、頭を撫でた。
「アメリアは……あの年で、家のことを考えてくれている。おまえも、見習うといい」
“見習え”と言われたのは、初めてだった。
(私は実の娘なのに)
(お姉様なんか、ただの“もらいもの”なのに)
その日から、私は姉を見るたびに、胸の奥がずきずきと痛んだ。
小さな違和感が、少しずつ積もり、やがて確かな「憎しみ」へと変わっていく。
姉の聡明さに嫌悪感が増す。私に気を使うその姿にさえ。
全部、自分のものだったはずなのに──なぜ、奪われる?
なぜ、あんな女に……?
「どうしてルシアン様が」
そして、王子まで。あの女のほうが、私よりも王妃にふさわしいと思っているの?
私は母のもとへ向かった。
母の書斎は、朝の光が斜めに差し込む静かな空間だった。
壁際の書棚には、歴代当主の記録や、王都からの書簡が整然と並ぶ。
「お母様、お願いがあって参りましたの」
私は、両手を前に組み、少し首を傾けて可憐に微笑んだ。
――それは自然に身につけた仕草だ。
母は筆を止め、こちらに身体を向けた。
「……言ってごらんなさい」
「王室からの打診がありました。ローズウッド家の名に恥じぬよう、務めを果たす覚悟はあります」
一瞬の静寂が走る。
その願いが“少女の夢”ではなく、“娘の野心”であることを、母は察しているかのように、まっすぐに私を見た。
「アメリアと――何かあったの?」
私の頬がぴくりと動いた。
「……アメリアお姉さま? 特には。でも……お姉さまは、もう王室に関わらないって決められたと伺っています」
「ええ。そうね……あの子は、自ら身を引いた」
「だからこそ、わたくしが。アメリアお姉さまの代わりに、ローズウッド家の名を背負って、王妃としてこの家を支えます」
母は、机の上の銀のペーパーウェイトに視線を落とす。
「……リリー。あなたにその覚悟はあるのね?」
「はい。すべてを賭ける覚悟です」
母はゆっくりと立ち上がると、窓辺に歩み寄り、王都の方向に目をやる。
「ならば、当主としてではなく――母として、最後の助言をしましょう」
「……?」
「あなたの手で、姉を傷つけるようなことがあれば――私は爵位を返上します」
私の顔がこわばる。
何故?お母様はなぜあの女の肩を持つの?
……まぁ、いいわ。
私はいつもの無邪気な顔に戻す。
「ふふっ。ご心配なく、お母様。わたくし、お姉さまのことも、家のことも、心から大切に思っていますわ」
母は何も言わなかった。
いいのよ。お母様がむかしからずっと変わらず私達姉妹を公平に扱ってきたことなど、
わかっていた事だわ。
実子の私を特別扱いしないようにとして、結果お姉様に肩入れしていることに気がついていない。
「ミア。これを」
私は侍女を呼びつけた。
「これは……」




