17話『疑念と香水の夜会』
また招待状が届いたのは、王宮からルシアンの手紙が届いて数日後のことだった。
花の香を染み込ませた高級紙に金の縁取り、差出人の名は伯爵令嬢のものだったが、私は分かった。
これは――リリーだ。
リリーの息のかかった令嬢の取り巻きはたくさんいる。
誰もが養女である私を支持せず、正当な血統のリリーに媚びへつらいでいる。
これは社交界の有力貴族たちを集めた“私的夜会”。
表向きは、精霊信仰の祈りと舞踏を重んじた“敬虔な令嬢の会”とのことだった。
だがその真意は――“姉を吊し上げ”、社交界の中心から排除するための場だと私は直感した。
「行ってみるかしら……」
このままじっとしていても時間が無駄に過ぎゆくだけ。
なら、リリーの挑発に乗っかるしかないのね。
***
夜会は、アーデルハイト公爵家の別邸――“月花の間”で開催された。
まるで香の迷宮のように練り込まれた空間。
控えめな照明と、舞うような衣擦れの音。
そして、甘く、どこか酩酊を誘う香水の香りが漂っていた。
「お姉さま、ようこそお越しくださいました」
純白のドレスに身を包んだリリーが、まるで聖女のように両手を広げて迎え入れる。
やはり、裏の主催者はリリー。
その微笑の奥に、私は毒を見る。
とっくに化けの皮は剥がれているというのに、どうしてここまで白々しい行動をとれるのか。長年一緒に暮らしてきたが、リリーの奥底が見えない。
そして――今日、この場所には必ず何かが“仕掛けられている”。
「ご丁寧にありがとう。こんなにも芳しい香りに満ちた会だなんて、思わず夢心地になりそうだわ」
「ふふ、それは嬉しいお言葉です。今宵のテーマは“癒しと精霊の導き”。皆様に、日々の憂いを忘れていただければと思いまして」
リリーに合わせて私も白々しくそう返す。
リリーの周囲には、貴族令嬢たちと使用人たちが控えていた。
その中に、私は見覚えのある顔を見つける。
それは――ベル。前世で私を陥れたリリーの侍女。
そして彼女の指先には、見慣れない形をした小瓶があった。
「その香り……新しいものかしら?」
「ええ、最近王都で流行している“夢香”という香水ですの。精霊信仰の儀式にも使われるのだとか」
夢香。名前だけは聞いたことがある。
精霊の加護を高めるとされる香草と、僅かに“催眠効果”のある南方植物を混ぜたもの。
魔導士の間では、軽い幻覚や暗示作用に用いられることもあると――
ルミアンの手紙を思い出す。
「……あなた、まさかこれ」
「え?」
「いえ、なんでもないわ」
私は笑った。
リリーはもしかしてこの会場を“香り”で支配しようと?
この会に参加した令嬢たちを、緩やかに酔わせ、“善なる存在=リリー”“気難しく偏屈な姉=アメリア”という図式を、無意識に刷り込む気なんじゃないだろうか。
直接的な攻撃ではなく、“香り”という無意識の媒体による印象操作――しかもただの香水ではない。魔術の込められた香水。
今のリリーは、なにか恐ろしい“悪の術”を使い始めている。
何かが起きるとわかっていながら、私はそれが起きるまで静観するしかないことが歯がゆい。
***
「皆さま、今宵はどうか、静かな心で祈りを捧げましょう」
リリーの声が響く。
会場の灯が落ち、月明かりと蝋燭の光だけが漂う。
その中で、私はゆっくりと立ち上がった。
いちかばちかだわ。
「お祈りの前に、ひとつだけ――」
ざわめきが起きる。
リリーが振り返り、笑顔を貼りつけたまま私を見る。
「……お姉さま?」
「この香りについて、少しだけ話をさせていただければと思って」
私はベルからすっと小瓶をとりあげると、手にしたそれを掲げた。
「“夢香”という香水。確かに癒しの効果はあるとされているものもあるわ。でも、精霊の力などではない。
みたところこれは“忌々しい術”によって調合されたものであり、王都では使用制限が検討されているものと類似しています」
空気が張り詰める。
「何を仰って……」
「誤解しないで、リリー。私は、あなたが皆の心を癒したいと考えたことを否定するつもりはないの。
でも、それを“知らないまま”用いることは、無知と同じ。
そして、意図的に用いたなら――それは“罪”です」
「……っ」
リリーの笑顔が、ほんの僅かに崩れた。
私はそこを見逃さなかった。
貴族たちの間には、ひそひそとした会話が生まれていた。
「香りに、そんな効果が……?」
「まさか、私たちを操作しようとしていたの?」
「でも、アメリア様が嘘をおっしゃってるようには見えないわ」
なんと言われようと私は何もせず、ただ静かに微笑んでいた。
たとえこれが本物だろうとなかろうと、私がこういってしまえば、この後には何もできなくなる。
何かおこらなくても、私が気の狂った令嬢だとか悪姉だとかいわれようとも、一向にかまわない。
ただ、このままリリーの計画は行動にうつせないはずだ。
「お姉さまったら、戯言は……」
「いいわ、では使って見て?」
どういう魔力があるのか、どのように会場が変化するのか。見てみないとその正体はわからない。
けれど、私にそれを見極めるだけの力も、収める力もない。
これは、賭けだった。
「場の空気もおかしくなってしまいましたし、今日はこれでお開きにいたします」
リリーは私を陥れることもなく、会を締めた。
帰路の馬車の中、私はネックレスに触れた。
『よく止めた。香りの導きは、精霊にも干渉しづらい』
「彼女の行いは度をすぎているわ」
『そなたはどうする?』
「毎回私が“止める”しかないのね」
私はもう、あの子の“被害者”ではない。
立場を守る姉でもなく、沈黙する令嬢でもない。
これは、時を戻ってきた私の戦いだ。
すべてを終わらせるための。




