15話『不信と献身の境界線』
孤立――それは想像以上に静かな毒だった。
挨拶の声が小さくなる。
視線が合えば逸らされる。
侍女たちの間に漂う“見えない合図”は、私をまるで疫病のように遠ざけた。
クララを実家に帰してからというもの、私の周囲には確かな“空白”ができていた。
食事は遅れ、準備は雑になり、誰も責任を負わない。
わずかな時間の中で、私は名実ともに“疑われる悪女”へと仕立て上げられていった。
だが、私はそれを受け入れた。
必要なのは“潔白”ではない。“力”だ。
仕方がないので厨房で一人紅茶を入れていると、若い侍女が誤って入って来た。
「そんなに怯えなくても何もしないわよ」
私はそう微笑むと、作業台の脇の椅子に腰掛けた。
「よかったら一緒にどう?頂き物の焼き菓子もあるのよ?」
侍女は最初は疑いの眼差しを向けていたが、家主を拒否することも出来ず、私の正面に腰掛けた。
「新しく仕入れた紅茶なの。街で人気だそうよ」
その侍女は恐る恐るカップに口をつけた。
「美味しい!」
「でしょう?毒なんて入ってないわよ」
私がそう笑うと、侍女は申し訳無さそうに笑った。
この家で、私は“誰の手も借りずに立ち続けられる存在”であることを見せる。
そう、このときには決めていた。
けれど――
「お嬢様、少しよろしいですか?」
その声が、閉ざされた私の世界を叩いた。
現れたのは、かつてリリーの取り巻きとして知られていた伯爵家の令嬢――ミレーヌ・ヴァレンタインだった。
薔薇色のドレスに包まれた彼女は、どこか探るような眼差しで私を見つめていた。
「今さら“味方”を装うおつもり?」
「いいえ。私はあなたを味方だとも敵だとも思っていません。ただ――“確かめたい”だけですわ」
彼女が差し出したのは、一枚の紙。
そこには、ローズウッド家の使用人名簿と、それに付け加えられた“秘密の契約金”の記録があった。
見覚えのある名前の横に記された金額。
そのいくつかは、明らかに“リリー”の部屋を出入りする者たちだった。
「これ……どこで?」
「言えません。でも、王宮の一部ではすでに“リリー様の内政干渉”を疑う動きがありますの」
「……なぜ、私に渡すの?」
「王家はまだ“誰が後継ぎの支えに相応しいか”を見極めている最中。今のリリー様は、“白すぎて逆に嘘っぽい”と評されている。
でも、あなたは違う。“傷つきながらも進む者”として、印象を持たれつつあります」
私は目を細めた。
ああ、そうか。回帰前もきっと、リリーは同じように疑われていたのだ。
だからこそ私が脅威だった。だから陥れ、私を悪に見せる事で王家の信頼を得たのだ。
「あなたは、王宮の“伝声管”なのね」
「ふふ、解釈はお任せします。ですが、そろそろ“悪女の仮面”を使いこなしていただきたいと思いまして」
彼女はそう言って立ち去った。
残されたのは、一枚の紙と――新たな手札。
***
夜。
私は母の部屋の前で足を止めた。
ドア越しに、穏やかな寝息が聞こえる。
母だけは、私を信じてくれた。
それが、たったひとつ残された“誇り”だった。
でもこの先は、きっと――彼女さえ巻き込んでしまう。
ネックレスを握りしめる。
『そなたは、進む覚悟を問われている』
「進むしかないのよ。たとえ、もう戻れなくても」
***
翌朝。
私は、使用人たち全員を食堂に集めた。
「本日をもって、侍女制度を一時解体します。各人は配属を外れ、屋敷の管理業務を再編成。すべての指揮系統を、私の下に置くことにしました」
ざわめきが広がる。
「従わない者は、即時解雇。……けれど、これは罰ではありません。“私の元で働く”という選択を、皆さん自身に任せたいのです」
沈黙の中、一人の若い侍女が顔を上げた。
「……私は、アメリアお嬢様の紅茶が、いちばん美味しかったと思っています」
その声に続くように、数人が静かに頷いた。
私は微笑んだ。
私は悪女でも、鬼でもいい。
でも、今ここに“選んでくれる者”がいる限り――私は進める。




