14話『微笑の毒と孤立』
“あの夜会の一件”は、確かに効果をもたらした。
リリーの寄付先である修道院の不正献金問題は、王宮内でも小さな騒ぎとなり、関係者の調査が始まった。
証拠として彼女を断罪できるには程遠いものだったが、周囲の空気が微かに変わり始めていたのは間違いない。
リリーの仮面はまだ剥がれていない。
けれど、仮面の“輪郭”は明らかに綻び、
その奥に潜む“本当の顔”が、少しずつ透けて見えていた。
私は、あと一歩。
そう思っていた――けれど、それは甘かった。
***
「アメリアお嬢様は、最近ご機嫌がすぐれないご様子で……」
「ちょっとしたことで侍女を叱責なさって……」
「“自室に毒草を隠していた”という話まで……」
それは、風のように屋敷中に流れ出した“ささやき”。
誰かが明確に口にしたわけではない。
けれど、どこかの誰かが“そう思っているらしい”という噂は、いつの間にか事実に化ける。
私は屋敷の中で、静かに“孤立”し始めていた。
侍女のクララは変わらずそばにいてくれたが、
彼女が用意した紅茶が他の使用人によって「毒が混ざっていたかもしれない」と言われる始末。
「……使用人の間に、誰か“指示を出している者”がいるわ」
私はクララにそう伝えた。
「リリー様……ですね」
「ええ。でも、それを表立って責めることはできない。いまはまだ、証拠がない」
“悪女”の噂。
それはリリーにとって最も手軽で、最も効果的な武器だった。
優しき妹がいて、姉が冷酷に振る舞っていれば――誰が悪に見えるか。
その構図を、彼女は完璧に使いこなしている。
***
ある日の午後。
クララが少し遅れて紅茶を持ってきた。
「すみません、お嬢様……茶葉の在庫が倉庫に紛れていて……」
「大丈夫よ、ありがとう」
私は受け取ったティーカップを、机にそっと置いた。
けれどその瞬間、ドアの前にいた若い使用人たちがひそひそと囁き、去っていくのが見えた。
――“毒を盛った瞬間を見た”と思わせたいのね。
不快な寒気が背筋を這う。
「クララ、明日からしばらく姿を見せないで」
「……え?」
「あなたを守るためよ。いまのうちに実家へ帰って。命令よ」
「でも……!」
私は首を振った。
「あなたまで巻き込まれたら、それこそリリーの思う壺よ」
クララは唇を噛み、深く一礼した。
「……必ず、戻ってまいります」
彼女の背が遠ざかるのを、私は見届けた。
そして、ひとり残った部屋の中で、ティーカップを見下ろした。
“毒”など入っていない。だが、彼女たちはそう“信じる”だろう。
私が、このままクララを側に置いておけば、侍女まで毒を盛る“悪女”であると。
***
夜。
私は母の部屋を訪ねた。
「……お母様、私のこと、疑っていませんか?」
突然の問いに、母は小さく目を見開いた。
「アメリアを?」
「噂は、きっと耳に入っているはずです。……リリーと私、どちらが“本当の顔”か、見分けがつかないのではありませんか?」
母はしばらく黙っていた。
やがて、ベッドの上からゆっくりと言った。
「人はね、他人の信じたものを信じるの。でも、私は自分の目で見たものしか信じない」
「……」
「あなたは変わったわ。でも、それは“悪くなった”のではなく、“強くなった”のだと私は思ってる。だから、私はあなたのことを、信じてる」
その言葉に、私は初めて――涙がこぼれそうになった。
誰もが私を“悪女”と呼ぶ中で、
たった一人でも信じてくれる人がいることが、どれほどの救いになるのかを私は知った。
***
部屋に戻った私は、ネックレスに触れた。
リュミエールの声が、静かに響いた。
『孤独は、そなたの中の“真の意志”を試す』
「試練、というわけね」
『ああ。信じられる者を失ったとき、そなたはなお選び続けられるか?』
「……選ぶわ。私はもう大切なものを守ると決めたから」
その瞬間、ネックレスがわずかに熱を帯びた。
リリーは、私の周囲を削ろうとしている。
けれど、私は私のままで立ち続ける。
――たとえたった1人孤立したとしても。




