プロローグ
空は、あまりに晴れていた。
処刑台の上から見下ろす王都は、春の陽光に包まれている。絹のように澄んだ青空に、白い鳥が二羽、舞っていた。何の縁もない赤の他人たちが、その下でアメリア・ローズウッドの死を待っている。
民衆に身を潜めていた リリー・ローズウッドは、静かに口角を上げていた。
白いグローブの中で、彼女の指先が震えていた。歓喜に。支配に。勝利に。
「“真実”なんて、語られる者が決めるものよ」
遠くで鳴る鐘の音は、処刑の時刻を告げるものだった。
「——国家転覆、および王家への反逆の罪により、アメリア・ローズウッドの処刑を執行する」
死刑宣告を読み上げるルシアン国王の声が遠くに聞こえる。
アメリアの視界は霞んでいた。人々の顔がぼんやりとした輪郭になって、誰が誰だか区別もつかない。ただ、その中で声はひときわよく通る。
「……かわいそうに。昔はあんなに優しかった令嬢だったのに」
「妹に嫉妬して、心を病んだんだろう」
「まあ、血が繋がっていなかったんだし……ねえ」
「それにしたって母親まで毒殺するなんて」
「王室にはいれないからと、国家をおとしいれようとするなんて馬鹿げたことを」
「逆恨みも甚だしい」
「あんな悪女が王妃にならなくて良かった」
罪人は、語られる時に人格を剥奪される。わたしがどれだけ懸命に生きたかなんて、もう誰の記憶にも残らない。
——アメリア・ローズウッド。
侯爵家の養女。父は逝去。義母が育ての母だ。
子宝に恵まれないと引き取られて数年してから、リリーが産まれた。
だから義妹リリーとも両親とも血縁がない。
私は養女であるため、愛される努力をした。
貴族のマナーを学び、文学、歴史、言語、乗馬、舞踏。どんな場でも恥をかかないように、日々自分を磨いた。
それでも、母だけは違った。
最後までわたしを娘と呼び、庇ってくれた。
「おまえは、わたしの宝だよ」
優しく微笑んで、ネックレスを手渡してくれた。
「これは、あなたが本当に道に迷ったときに、力になってくれるはずだから」
そんな優しい母は、死んでもういない。
ある日、王城の政務室に“証拠”が持ち込まれた。
金色の飾り縁がついた木箱。宰相の手によって王の前に差し出される。
「……これが、アメリア・ローズウッドによる反乱計画の証です」
王は眉ひとつ動かさずにそれを受け取り、封を解いた。
中にあったのは、一通の手紙と、その複写が三枚。──文面にはこうあった。
《同志たちへ。
王政の欺瞞はもはや限界にある。
我らが新たな秩序を築く時が来た。
“ローズウッド”の名の下に、民の真なる自由を……》
署名は、アメリアの筆跡だった。
──偽造された筆跡。だが、それを疑う者はいない。
「先の南部貴族の暴動も、裏にローズウッド家の名があったと」
「教会より通報もございました。“神罰を恐れぬ女”として告発を受けております」
「すでに民衆の耳にも入り、王都では“悪女アメリア”の名が広がっております」
わたしは濡れ衣を着せられ、地下牢に落とされた。
証人は皆、金と偽証で塗り固められていた。
王宮からも弁明の機会は与えられず、全てが“仕組まれていた”と気づいたときには、もう何もかも手遅れだった。
識別出来ないほどの多くの見物人の中に、私の姿を見て微笑む顔のリリーだけが何故かはっきりと見えた。
処刑台の階段を上がる足取りは、意外にも軽かった。
もはや恐怖よりも、虚無がわたしを支配していた。
「神よ」
見上げた空に、返事はなかった。
処刑人が、静かに刃を上げ振り落とす。
その瞬間だった。
——キィン……
空気が、振動した。
いや、空気じゃない。時間そのものが、音を立てた。
胸元で、母からもらったネックレスが、淡い蒼白色の光を放ち始める。
まばゆい。けれど、なぜか目を逸らせなかった。
《聞こえますか、アメリア・ローズウッド》
《そなたは、選ばれた者——時の境界に立つ魂》
誰?
頭の奥で、鈴の音のような女声が響いた。
《そなたに、一度だけ、運命を巻き戻す力を授けよう》
《これは祈りと契約に基づく奇跡——意志ある者にのみ許される、選択の権利》
「まって……あなた、誰なの……?」
返答はなかった。
《問いましょう。そなたは——このまま死を選ぶか、それとも……》
《一度だけ、“あの日”に戻り、違う選択をするか?》
選ぶ。選び直せる。
でも、それは一度きり。もう戻れないかもしれない。
震える声で、わたしは言った。
「……やり直したい」
「わたしは……この運命を、生き直したい!」
すると、優しく、深く、すべてを包むような声が降ってきた。
《その意志、確かに受け取った》
《精霊リュミエールの名のもとに、契約を執行する》
——時間が、逆流した。
視界が闇に包まれ、わたしは意識を手放す。
*
目を覚ましたのは、柔らかな羽毛枕の上だった。
カーテンから差し込む日差し。ほのかに香るラベンダーの香り。
懐かしさが胸を刺す。
「……嘘……でしょ……?」
鏡を見た。
そこには、2年前の自分がいた。
まだ幼さの残る少女の顔。あの処刑時の悲壮な面影など、どこにもない。
手元には、あのネックレス。まるで何もなかったように、胸元で輝いている。
頭の中には、全ての記憶が残っている。
母が死んだ日も、リリーが嘘の涙で塗りたくった瞬間も、ルシアンの苦しそうな表情も。
地下牢で、リリーが言った真実も。
「お母様は私が殺したのよ」
お母様は病魔におかされたと思っていた。それが、リリーがやった?
「お姉さま、知ってる?月白草って。冥土の土産に教えてあげるわ。お母様の枕元に添えておいた夢香の袋があったでしょう?私が送ったもの」
「リリー、何をいっているの?」
「だってお母様はお姉さま贔屓で使えないんですもの」
私はあの時悔いた。何故、気づけなかったのだと。
私はもう、同じ過ちは繰り返さない
“演じてやる”わ。たとえ悪女と呼ばれようとも。無知な令嬢なんて、もういらない
何をしてもどうせ悪女と呼ばれるのだから。
ドアの向こうから、聞き覚えのある足音。
「お姉様? 起きてますか?」
リリー。
私を陥れた女。
わたしの笑顔が、ゆっくりと歪む。




