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幸福度ランキング世界一の国、日本!

作者: 0515get
掲載日:2026/01/26

第一章 ようこそ日本へ


世界が憧れる国、日本にようやく辿り着いた。


ロンドン・ヒースロー空港から二十時間。

エコノミーの中央四席の真ん中。

両隣の乗客の汗ばんだ肩と密着したまま過ごす、最悪の空の旅だった。

機内食にアイスがついていたことだけが、かろうじて救いと言える。


そんな地獄のフライトを経て、僕が降り立ったのは――日本。


日本はこの十年、国民の幸福度ランキングで一位を取り続けている国だ。

僕はイギリスの大学で日本の社会学を専攻している。

この国を自分の目で見て、感じて、吸収する。言葉だけではない「感覚」を持ち帰りたい。

それが、僕なりのフィールドワークだ。


羽田空港の到着ゲートでは、既にガイドさんが待っていてくれた。

見るからに穏やかそうな男性だ。この方がこれから僕の調査を全面的に支えてくれる。

「初めまして。ガイドの田中と申します」

深々と頭を下げる。

「よろしくお願いします。僕はアレックスと申します」

聞いていた年齢は五十代だったが、実際は三十代後半にしか見えない。

白いシャツにベージュのパンツというシンプルな服装。

でも、よく見ると、ベルトや靴は上質そうな革でさりげなく洗練されている。日本語でいうイケオジだ。

僕はというと、くたくたのパーカーに色褪せたジーンズ。

日本人からしたらダサいかもしれないが、イギリスの大学ではオシャレをしてる学生なんてほぼいない。皆こんなものだ。


「お疲れでしょうから、まずは家に荷物を置きましょうか。体調が良さそうなら、そのあと少し観光でも」

車に乗り込むと、田中さんはハンドルに軽く手を添えただけだった。

日本では自動運転が一般化しているが、形式上は手を離してはいけないらしい。

「アレックスさんは日本語お上手ですね。発音も日本人ネイティブですよ」

「僕、三世なんです。祖父とは家で日本語で話していて」

「なるほど。それでですか」

田中さんの“運転”で、彼の家へ向かう。

今日と明日、田中さんのお宅でホームステイをする予定だ。


――ここから、僕の日本が始まる。




第二章 合理的日本人の家


田中さんのお宅はマンションの三階。

部屋は物が少なく整理整頓されていて、決して広くはないがスッキリしている。

リビングにはテーブルと白いソファ、白いカーテン。物どころか色も少ない。


「綺麗なお部屋ですね」

「ありがとうございます。掃除がしやすいよう、なるべく物を置かないようにしているんです。私も妻も、片付けや掃除が苦手でして。日本はこういった部屋がわりと主流ですね。あ、でも災害用の備蓄食料は多めに置いてあります。災害の備えは小中高とカリキュラムに組み込まれているんですよ」

「さすが、世界のロジカルジャパンですね」


田中さんに案内された客人用の部屋には、白いシーツのベッド、折りたたみ式のデスクと椅子、白色のソファだけが置かれていた。カーテンもやっぱり白色。

清潔だけど、過ごしやすいだろうけど……うっすら独房の気配がする。

何か一枚、ポスターでも貼って色を足さないと気が滅入りそうだ。


「少し休まれますか? それとも観光に行きますか?」

田中さんは気遣わしげに尋ねてくれた。

「実は僕、飛行機で酔ってしまってて。今日は部屋でゆっくりしようかと思います」

「長旅でしたもんね、私も酔いやすいのでよく分かりますよ。薬など必要な物があれば何でも言って下さいね。冷蔵庫の飲み物や食べ物も遠慮なくどうぞ。妻がもうすぐ帰って来ますので、夕飯は七時頃になると思います。アレックスさんは嫌いな食べ物やアレルギーはありますか?」

「好き嫌いはありません。アレルギーも大丈夫です」


「そうですか、いや、うちの妻は料理好きでしてね、味噌汁なんかも作るんですよ。それが美味しくて」

味噌汁ってそんなに手料理自慢するほど大変なものなのかな? という疑問は飲み込む。

「あ、すみません。お疲れのところ。自分の家だと思ってゆっくり寛いでくださいね」

田中さんが部屋を出たあと、僕はぐるぐる回る頭を枕に押しつけた。

せっかくの日本。観光に行きたかったな。




第三章 味噌汁でええんです。


田中さんに呼ばれリビングへ行くと、食卓には肉じゃがとご飯、そして味噌汁が湯気を立てて並んでいた。

田中さんの奥さんは優しく「お口に合えばいいんですが」と微笑んだ。

「アレックスさん、この味噌汁は材料を切って鍋で煮るところから作っているんですよ」

田中さんは嬉しそうにヘラヘラと笑う。

この人、さっきから味噌汁のことばっかりだなーーという疑問は飲み込む。


「味噌汁も勿論美味しそうですが、この肉じゃがも美味しそうですね」

「あ、その肉じゃがはオートクックで作ったものです」

田中さんは肉じゃがにはさして思い入れがないのか、単調に答えた。

「オートクック?」

「ほら、あれです」

指さされた先には、炊飯器のような機械が置かれていた。

「自動圧力鍋です。材料と調味料を入れてボタンを押せば、あとは放っておくだけで勝手に料理が完成するんです。今の日本じゃ、オートクックがない家の方が珍しいくらいじゃないですかね」

田中さんはなんてこと無いふうに話すが、イギリス人の僕にとってはかなり独特だ。


「昔は手料理で愛情を測るなんてナンセンスな時代もありましたが、オートクックが普及してからは、日本人は料理に伴う義務や責任、そして感情労働から解放されたんですよ。仮に料理が失敗しても、責任はオートクックですからね」

そう言って少し誇らしげに付け足す。

「まぁ、うちの妻は料理好きなので、この前はスティックサラダなんかも作ってくれましたよ」

田中さんは満足気に微笑む。

「えっと……それは……素晴らしいですね。でもオートクックも野菜は切らないとですよね?」

「あぁ、スーパーに行けば専用のセットが売っていますよ。材料を切る必要も、調味料を量る必要もありません。オートクックが主流になってからは日本人の家事が四割減ったとも言われていますね」


なるほど。基本的に料理をする習慣がないのか、日本は。

だから田中さんは味噌汁やスティックサラダが手の込んだ料理だと思っているんだ。

まぁ、僕のMumも料理は滅多にしないけど。

イギリスは冷凍ミールがバリエーションも多くて美味しい。それで不足を感じたことはない。

僕は湯気の上がる味噌汁をすする。

じんわり芯から暖かい。

うん。味噌汁はやっぱり特別な手料理なんだ。




第四章 システマチック✕ペット


翌日、体調を整えた僕はさっそくフィールドワークに取り組んだ。

まず田中さんと僕が向かったのは特定生物保護施設。

日本のペット界は、かなり整備されていると世界でも話題なのだ。

観光施設ではないため、事前に調査目的のアポイントを取ってもらっている。

ここでは闘犬や噛みつき亀など、人に危害を加える可能性のある生物が保護されており、飼いきれなくなった個体や事故を起こしたペットが主に収容されている。

日本ではこうした特定種の飼育は免許制で、飼育税と担保金を納める必要がある。

その資金はこの施設の運営に充てられているらしい。非常にシステマチックだ。


「数は多くないですがピットブルや土佐犬もいます。魚類ではアロワナなどの大型の外来魚類ですね」

施設職員の方の説明は淡々としていた。

施設は清潔で、犬達が運動できる十分な広さもある。

毛艶からも大切にされていることは分かる。

(だけど、なんだかうっすらとした独房感がある)


続いて、日本のペット事情についても教えてくれた。

「日本ではペットオークションは法的に禁止されています。なので血統書付きの犬や猫はブリーダーからの直接譲渡となります。飼育環境の確認もありますし、ある程度成長してからの引き渡しなので、しつけも済んでいます。そのため、飼育放棄はほとんどありません。あとは、保健所の保護犬や保護猫の里親になる方も多いですね」


「では、日本の保健所での殺処分はゼロなんですか?」

「勿論、殺処分はありますよ。犬猫合わせて年間百匹から三百匹ほど。薬を使った安楽死が主流です。昔はガス殺もありましたが、処分する数が減るほど、より苦痛を取り除く方法を選択できます。まぁ、もっとも、殺処分ゼロなんて現実的には難しいものです」

冷たい語り口とは裏腹に、職員の眼差しには暖かい優しさがあった。

効率と人間味が交差していた。




第五章 アンチトレンド


保護施設を出たあと、僕は田中さんと東京の街を観光することにした。

どこも混雑していて賑やかなのに、建物も道も清潔。ゴミ一つ落ちていない。


道行く東京の人々はとにかく色の少ない服を好んでいるように見える。黒、白、グレー、ベージュ、紺。それでも不思議と野暮っぽさはなく洗練されていた。

そのことを田中さんに伝えると「ああ、海外の方にはそう見えるんですね」と意外そうに微笑んだ。


「日本のファッションの主流はアンチトレンドなんです。流行を追うよりも定番で質の良いものを長く大切に着る」

「じゃあ、衣服にはお金を掛けているんですね。日本経済の本では日本のGDPは伸びない代わりに安定しているとの記載がありましたが」

「いや、皆メンテナンスしながら着るので、実はそんなにお金を掛けていないと思いますよ。ユーズドショップも多いですし」

田中さんは腰元に視線を落とした。

「ちなみに、このベルトは祖父から譲り受けたものです」

彼のシックな雰囲気によく馴染んでいる。

「それ、素敵だなと思ってました」

「ありがとうございます」

田中さんは、はにかんで頭をかいている。


「イギリスでも利益を福祉などへの寄付に回すユーズドのチャリティーショップが数多くありますよ」

「それは素晴らしい取り組みですね。イギリスは社会貢献活動が活発なイメージがあります。日本も見習わないとですね」

「へへへ」

僕はチャリティーショップのボランティアでも何でもない。

それなのに、なぜか自分が褒められた気がして少しだけ嬉しくなった。




第六章 消耗しないこと


今日は福祉施設の見学だ。

僕は田中さんの案内で、郊外にある介護施設を訪れた。

ガラス張りの建物は日差しをよく通し、明るい。

いわゆる「施設」という言葉から想像していた重苦しさは、拍子抜けするほど感じられなかった。


中に入ると、空気はさらに澄んでいた。

無機質なほど清潔で、廊下に余計な音がない。

利用者も介護士たちも、どこか静かな膜をまとっているように見える。

忙しなく動いてはいるが、焦りや苛立ちといった感情が表に出ていない。


案内役の施設スタッフに、僕は率直な感想を口にした。

「利用者と介護士のあいだに、緊張がないですね。お互いに余裕がある、というか」

職員たちの声は穏やかだが、必要以上の愛想はない。

感情を乗せないことが、ここではマナーのようだった。


「そうですね。確かに高齢社会の日本では、介護の現場は大変な仕事です。ただ、ここでは感情労働を発生させないため、提供するサービスの上限をあらかじめ決めています」

スタッフは淡々と説明を続ける。

「それ以上の感情労働を求められた場合は、対応可能な別施設へ移っていただくことになります。もちろん、精神疾患や重度の認知症をお持ちの方には、専門施設でロボットによる十分な対応が行われています」

感情労働、か。

日本は攻撃欲求から労働者を守る法律が整備されている国として、世界的にも知られている。

「一人ひとりの介護士が無理なく働ける環境を整えれば、結果として利用者の満足度も上がります。合理化の先にある、優しい社会システムです」

スタッフの表情は変わらない。

笑みはないけど、冷たさもない。

「もちろん、介護士の身体的負担を減らすために、配膳ロボットや移乗支援ロボットも配置しています。浴室も全自動式です」


「あれ? 若い人も、いるんですね」

僕は思わず口に出した。

十代半ばに見える男女が数人、利用者のそばで作業をしている。

制服は大人と同じで、動きにも迷いがない。

「ああ、デュアルシステムを採用しているんですよ」

スタッフは歩きながら説明してくれた。

「日本では十三歳から、基礎的なプロファイルが作られます。学力、集中力、身体特性、ストレス耐性などですね。座学が苦手で、大学に進学する予定がない子は、希望すれば早い段階から職業体験ができるんです」

「十三歳から……少し早すぎる気もしますが」

僕自身、大学生になってもなお、自分の将来像がはっきりとは見えていない。

「そうですね。かなり早い段階で教育方針を決めているとは思います。でも大丈夫です。向いている職業は、プロファイルと専門家のカウンセリングで慎重に決めます。無理のある仕事に就かせないのが目的ですから」

利用者の車椅子を押す少年は、動きに無駄がなく、表情も落ち着いている。

やらされている、という印象は受けなかった。


口を開けている僕の様子を見て、田中さんが補足するように噛み砕いてくれた。

「アレックスさん、日本は誰でも大学に進学できるわけじゃなくて、資格が必要なんですよ。中学三年間で良い成績を収めると、大学進学コースの高校に進めます。そこで大学入学資格を取る仕組みになっているんです。それ以外にも専門学校コース、就職コースがあって、この二つを選択した生徒は現場を体験して、試して、自分に合う環境をじっくり考えることができるんです」

施設のスタッフが横から口を挟む。

「外国の方には堅苦しく感じるかもしれませんが、その代わりですね、日本では貧しい家庭の子でも、プロファイルで評価されれば、奨学金なしで大学に進学できます。勉強が好きなのに家庭の事情で学びを諦める、ということはありません。奨学金を受ける場合でも利子は一切付きませんし、社会貢献度によっては返済が免除されるんです」


田中さんは、誇るでもなく自然な調子で続けた。

「まあ、日本は学歴社会でもありませんから。大学に行かなくても、皆が公平にキャリアを積めます。他者視点を優先して将来を選択することはありません」

「……さすが日本の教育制度。その、すごく……効率重視ですね」

「ええ。この国では『向いていることをやる』のが、いちばん効率がいいと考えられていますから。そこに優劣はありません」

効率。合理性。公平性。 それらはすべて、一本の線で結ばれているように感じられた。

「労働を苦にした自殺も、かなり減りました」

スタッフは、まるで交通事故の統計を読み上げるような調子で言った。

その声には、感情的な抑揚はない。

けれど、不思議と慈愛のようなものが混じっていた。


ーー施設を出ると、空はよく晴れていた。

完璧に設計された社会。 完璧に守られた人間。

すごい国だ。 そう思う気持ちに、嘘はなかった。

ただ、なぜか少しだけ、息が詰まるような感覚もある。 そして同時に、奇妙なほど暖かい感情も胸に残っていた。

優しさを感情ではなく構造に埋め込む。

それは冷たい発想のようでいて、人を追い詰めない、救いのあるシステムなのかもしれない。




第七章 日本の温泉、最高。


今日は温泉宿に泊まることになっている。

駅まで田中さんに車で送ってもらい、東京から電車で二時間。

都市部を離れるにつれ、窓の外に風情のある景色が広がっていく。


宿は木造でヴィンテージだけど、隅々まで手入れが行き届いていた。

玄関に足を踏み入れた瞬間、空気が切り替わる。

「いらっしゃいませ」

女将さんと仲居さんが揃って三つ指をつく。

一瞬、自分が貴族にでもなったような錯覚を覚えた。

案内役の仲居さんは設備や温泉のことを丁寧に説明し、最後にもう一度、深く頭を下げて部屋を出ていった。


部屋で一息ついたころ、田中さんから電話が入る。

「アレックスさん、日本の温泉宿はいかがですか?」

「……田中さん。効率重視の国だと思ってましたけど、これどう見ても感情労働ですよ」

電話の向こうで、田中さんが笑う。

「確かにそう見えますね。でも、それは“サービスが労働内容に組み込まれている”だけですよ」

「組み込まれている?」

「はい。サービス料として、ちゃんと料金に含まれていますから」

「ああ、そういう」

「それから、朝風呂はぜひ入ってくださいね。日本の宿の醍醐味です」

電話を切り、ふと仲居さんの感情の揺れのない職人のような笑顔を思い出した。


ーー 翌朝。

宿を発つ前、僕は仲居さんにお礼を述べた。

食事も、温泉も、すべてが素晴らしかったと。

すると彼女は一瞬、表情を崩し、顔をくしゃっとさせて笑った。

「ありがとうございます。またどうぞお越しくださいませ」

深く下げられた頭を見ながら、

僕は少しだけ、胸の奥が温かくなるのを感じていた。



第八章 雑日 


東京に戻り、田中さんと待ち合わせをした僕は自分の見ている光景が現実だと受け入れらなかった。

「よー! アレックス、宿はどーだった?」

「……」

悪夢なら早く覚めてくれ。

「あれ? アレックス? アレた〜ん?」

目の前に立っているのは、一昨日までは洗練された服装に身をつつみ、細やかな気遣いまでできる愛妻家の紳士、田中さん……だった"なにか"。

田中さんだったそれは、今俺の目の前でピンク色のワンピースを着ていた。

しかもサイズが小さ過ぎて背中のホックが全開だ。

(田中さん、意外と背中の毛が濃いんだな)

僕は現実逃避をするように、どうでもいい情報を拾う。


「んも〜。事前に知ってただろ? 今日は雑日だって。アレたんさ、それに合わせて来日したっつってたじゃんよ〜。こ〜なるのは承知済みだろ〜?」

「た、田中さん、あの、あの、僕、あの、雑日は一種のパフォーマンスだと思っていたんです」

日本では合理主義社会の休息日として政府が年に二度『雑日』という祝日を設けている。

確かに映像や書籍でも雑日には日本人が気が狂ったように雑に振る舞うと紹介されていた。

だけど……だけど! それは普段合理主義の権化で一部の外国人から嫌われている日本人が披露する演技、いわばパフォーマンスだと、そう思っていた。

まさかリアルの日本の現状がここまでだなんて、海の向こうにいた僕は知らなかったんだ。


「そうそう、アレたんよ、大事なことな。今日は敬語なしだぞ、お互いに」

「いや、あの、田中さんは僕より年上ですし、礼儀としてそれは……」

「だ〜か〜ら〜雑日なんだって。今日は全員タメ口か変な言葉縛り。法律でそう定められてっから」

「えっと、分かりました。あ、すみません、分かったよ」

「いいねぇ。アレたん、じゃあ脱いじゃおっか」

「何言ってんだよあんた! キモッ!」

「おい、勘違いすんなよ、俺は妻一筋だしその気はない。ほれ、あれ見てみろ」

町中ではパンイチの男性が大勢「安心して下さい! 履いてますよ!」と言いながら行脚している。

その向こうでは全身段ボールに身を包んだ女性がひたすら街路樹に頭突きをしていた。

そして、俺と田中さんの間を「もーとーこぉー!!!」と叫びながら全身黒タイツを着て乳首の上に金色の☆シールを貼った"何か"が通り抜ける。

「わ、わ、わ」

「な、アレたん、普通の恰好してるのお前だけだぞ」

「わ、わ、わ、わ……」

「ん? アレたん? どした?」


「Why Japanese people!!! ロジカルシンキングで走りきった先になんで変態が待ってるんだよ! オカシイダロ! ガチのジャパニーズヘンタイじゃねーかよ!」

「おぉ、迫力スゲーな」

「ハァッハァッ。すみません取り乱して、ちょっと急に、あの、色々なことが起こって、なんか、処理しきれなくて。ハァッハァッ。本当、大きな声を、出して、申し訳ありませんでした」

僕は肩を上下させているが、田中さんは涼しい顔を崩さない。

「いや、いいよいいよ全然いいよ。今日は雑日だから。謝る事なんて一つもないよ」


「で、でも、こんな日でも時間はキッチリ守るんですね、田中さん。さすがです。やっぱり電車が一分でも遅延すればホームにアナウンスが流れる国の方ですね」

「いや、遅刻はしてないけど時間通りには来てないよ」

田中さんは淡々と話す。

「え?」

「二時間前に来てたんだ」

「二時間前に!? ここに!?」

「うん」

「その服で?」

「うん」

「Crazy通りこしてScaryだよ! まじでなにしてんの!?」


「さっきから大きな声を出してどうした? 情緒大丈夫か?」

「オマエダヨオカシーノ! ダミュー!」

僕は涙目になり震えているが田中さんはやれやれと肩をすくめる。

「おいおい、落ち着けって。とりあえず公園行こう。ベンチに座って深呼吸すりゃ、多少はマシになる」

「いや、カフェに行こう。僕はカフェラテが飲みたい気分なんだ」

僕は一刻も早く落ち着ける場所に行きたかった。

逃げないと、ここから。

悪夢から覚めるんだ。

「別にいいけどさ」

田中さんは気のない調子で言う。

「今日はカフェラテ頼んだら、オレンジジュースが出てくるかもしれないし、カフェの中もしっちゃかめっちゃかだと思うぞ。それでも?」

「……」

アレックスは数秒沈黙したあと、向きを変えた。

「公園にしよう。自販機があるだろ。自販機なら、押したものがちゃんと出てくる」

「当たり前だろ。自販機なんだから。押したら出るに決まってる」

田中さんは呆れたように鼻で笑う。

ピンクのワンピースをホック全開で着てるクセに、僕を、鼻で。

その瞬間、自分の中の線が切れた。

「Fu◯k you asshole!  お前ら日本人の“当たり前”はな、こっちにとっちゃ全然当たり前じゃねーんだよ!」

中指を立てて叫び散らかす僕を田中さんは「いいね〜」と言いながら公園まで引っ張っていった。


芝生の整った公園では妙齢の女性が生卵を頭で割り、男性が洗濯機の中に収まっている以外は、穏やかな光景が広がっている。

ベンチに座る僕に田中さんは自販機で買ったカフェラテを手渡しすと、そっと横に座る。

「逆に疲れないか? 皆、必死に無理して馬鹿をやってるように見えるぞ。まだ肌寒いのに無理して裸になったりしてさ」

僕は疲れて敬語が話せなくなっていた。

決して雑日を意識しているからではない。

「まぁ、正直、俺もこの薄い生地のワンピース1枚だとちょびっと寒い」

「じゃあやめとけよ! 普通にしとけよ!」

カフェラテを吹きながら、それでも僕はツッコミを止めれない。タスケテ。


「でも、今日ぐらいなんだよ。俺達が『雑』をやれるのは。アレたん、お前も知ってるだろ? 普段、俺達日本人がどれほど効率重視に、合理的に動いているのか。まるで将棋みたいに先の先まで見越して計算して動く駒。感情を排除した社会、それが日本社会だ。だからさ、今日だけなんだよ……。今日発散しないと次は半年後なんだよ……」

田中さんは少し悲しそうな顔で目を伏せた。


「病院とかインフラ系はどうしてるんですか? さすがに雑な仕事できないでしょ?」

「代替雑日があるから、交代制で取るようになってるんだ。俺達日本人はずらし雑って呼んでる。その日は今日よりもっとカオスだぞ。雑日を雑に過ごせなかった者達の怨念がこもってるからな」

怨念がこもった代替雑日。

考えただけで頭痛であたまがいたい。


「……効率重視な社会は色々とストレスが溜まるんですね」

「まぁ、感情重視の社会でも溜まるだろうさ。いや、感情重視なんてもっと酷いことになるかもしれないな。現に今の日本社会で、救われている人は多い。実際、自殺者は年々大幅に減っていってる。淡白に見えるかもしれないが、人間の優しさっていうのはさ、曖昧に定義するよりも、ここから先は駄目なゾーンだとハッキリ線引きすることで維持できるもんなんだ。関係は薄くなるが、フェアになる。そうすれば消耗もしないし、命を燃やさなくて済む」


田中さんはいつも僕に気遣いを絶やさなかった。日本に来てからずっと誠実に優しく接してくれた。

「田中さん、あなたは既に十分にやさ……」

「あっーー!」

「ど、どうしました? 田中さん?」

「しまつたー!!しまつたよー!」

「え? え?」

「んあーー!」

田中さんはメタルバンドのごとく頭を上下に振り出した。こわい。

「Hey! What’s up!」

「真面目に話しちゃったー!」

「……。いや、いいじゃん。別に」

「あー最悪だ! マジで最悪! 今日こそ完璧な雑にしようと思ったのに!」

「完璧な雑ってなんだよ。完璧を求める時点で雑じゃないよ」

僕は呆れて、呆れ過ぎて悲しくなった。

「お、確かにそうだな。もぉ〜お〜じゃあ〜今のはノーカンね♡」

田中さんから汚い投げキッスが飛んでくる。

とっさに顔を背け、吐き気を我慢する。


幸福度ランキング一位の国、日本。

優しさを感情じゃなく、構造に埋め込む社会。

人も物も消耗しない、効率的でシステマチックな社会。

こんな社会……僕達外国人ではとてもじゃないが真似できないぞ。

理屈では理解できる。だけど、だけど心が全然追いつかない。

現地にきた僕だからこそ、今、ハッキリと言える。


日本人は心の底から、性根からーー


Crazyな民族なんだ!!!


項垂れ、腕時計を見る。

まだ朝の十時。ランチの時間にもなってないのに、既にこの疲労感。

僕は今日一日、無事に乗り越えることはできるのか?


ー 完 ー

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