弔いⅤ
「さて、僕の正体が分かって、この温泉街の種明かしも出来たことだし、じゃあ今度は君の想いについて話そうか?」
急に話を切り出されて、私はピクリと身を震わせた。自分の心の中を覗かれるのは私にとって何より不安で怖ろしいことだった。相手が近しい人であればあるほど。
それが何かに似てる気がすると思ったら、誰かに心ないことを言われた時と同じだった。何を言われるのかと想像したら、そばで太鼓をドンと鳴らされたみたいに激しく鼓動する。
「桃? 君は、君の兄さん、トシに対してずっと引きずっている想いがあるんじゃないのかい?」
琥珀さんは私を問い質した。その瞬間、私は地面に叩き付けられたような衝撃を覚える。琥珀さんは知ってる。知っててそれを私の口から聞こうとしてるのが分かった。
私は自分の太腿の付け根ら辺を、浴衣の生地ごとギュッと握って、逡巡したあと、訥々と答えた。
「私は、私はトシ兄がいなくなる前……トシ兄に対して、酷いことを言った……」
「――君はトシに、何を言ったんだい?」
「――……どうして、トシ兄は知ってて知らない振りでいるのっ? て。トシ兄はもうすぐ死ぬから、いなくなるから、辛くてもこれからずっとここにいなきゃならない私のことなんてどうでもいいと思ってるんでしょ? って……」
私はあの時、病室のベットで横になるトシ兄に、望まない死を迎えようとしていたトシ兄に向かって、言い放ったんだ。
「そんなこと、そんなこと全然思ってないし、言うつもりじゃなかったのに……――トシ兄じゃなくて、私が消えていなくなれば良かった…………今でもそう思ってる……」
最後の方は嗚咽で言葉になっていなかった。ぐしゃぐしゃに歪ませた顔の上に、涙がとめどなく流れる。
「心にもないことを言ってしまったのは……君が、トシ兄を好きだったから?」
「私、トシ兄のこと、好きだった。でも……」
「でも、それが兄妹としての気持ちか分からなかった。仮にそうだったとして、それが悪いことで、恥ずかしいことだと思っていた……」
琥珀さんは私の気持ちをなぞるように言った。
自分が気持ち悪かった。だからトシ兄がいなくなった時、心のどこかでほっとする自分がいた。これで隠せる。もうこれからは自分のこの想いがどういうものなのか探らなくて済むんだ。知らないままでいいんだって安心した。
「怖かった……。自分が自分で怖ろしかった。すごく……」
鏡の中で貞治さんと多恵さんの様子を見た時、多恵さんが自分と重なって見えた。でもあの時多恵さんを見ても、多恵さんが貞治さんを想う気持ちが、自分がトシ兄に抱く気持ちと同じかどうかなんて分からなかった。
「トシにもまわりにも、自分にすら後ろめたいと感じていた。その気持ちが、君をあんな風に言わせたんだ」
今自分はどんな顔をしてるだろう。多分どの感情にも当てはまらない、めちゃくちゃな表情をしてるに決まっていた。少なくとも心の中がそうだった。
「人は時として、自分の気持ちを隠すために全く反対のことをしてみせる。君は悪くない。あの時も今も、君を責める者は誰もいない」
「そんなことない。母さんだってそう。トシ兄じゃなくて私がいなくなればいいと思ってる」
「それは違う」
琥珀さんはすかさず私の言葉を制した。
「桃。君の母親は言っていたよ。君が殻に閉じこもるようになったのは、自分の心を打ち明ける存在がいなくなったからだと。そしてその存在は自分ではないと」
言っていた? 不可解な言葉に私は顔を上げた。いつ? 一体どこで?
「君と、君の家族が僕がいる寺に訪れた時だ」
それを聞いて、家族で狐の石像があるお寺に訪れた時のことを思い出した。
薬が盗られるばかりでどうしようもなくなったじいちゃんたちは、最後の頼みの綱といってみんなであるお寺に行った。そこにいた住職(その人は琥珀さんだったわけだけど)と話を終えたあと、父さんと母さんだけが呼び止められて、私とじいちゃんは先に参拝をしに向かった。ふと向こうで話をしている父さんたちを私は見た。その時母さんは泣いていた――
「トシ兄は幼い頃から患っていた病でその短い生涯を閉じ、そのあと君のおばあさん、ヒナが亡くなった。桃は大好きだった二人を立て続けに失うことになった。ヒナの死は寿命でもあったから避けられないとして、トシが亡くなったのは自分のせいだと君の母親は責めていたよ」
「そんな、病気になったのは母さんのせいじゃない」
「ああ、もちろんそうさ。でも母親というのはそもそもそういうものだよ。例え自分が悪くなくても考えてしまうんだ。自分がもっと強い体に産んであげていれば、もっと長く生きられた。普通の人生を歩ませてあげられた。いつだって子供の幸せを願うのが母嫌だ。そして君のことも。君からトシを奪った形になったと思って、心を痛めていた。母親の目からみても、君はトシを慕っていたから」
あの時泣いていた理由に、そんな思いが含まれていたなんて、母さんの心を私は初めて知った。琥珀さんから聞かなかったらずっと知らないままだった。
「君に言う。君をここへ来られるようにしたのは僕だけど、そもそもそう願ったのは君の兄さん、トシなんだよ」
「え?」
私は弾かれたように顔を上げた。
「トシ兄が? どうして?」
「もちろん君を想ってのことさ。ヒナの母親が亡くなる前にヒナのためにと強く願った想いと同じようにね」
「トシ兄が? 私のため? あんな酷いこと言ったのに……?」
「トシは気付いていた。君にまわりには視えないものが視えていることを。決して知らない振りをしていたわけじゃない。しかし自分にそれらを視ることは叶わない。生きてるうちは桃と同じ景色を見ることはない。分かっていたからこそ何も言えなかった」
「自分が亡くなる少し前、思いがけず君に言葉をぶつけられた。そしてトシは自分が死ぬ前にあることを強く願うことになる。桃が自由でいられる場所があるなら連れて行ってあげたいと」
いつだったか自分も望んだことがあるその想いに、聞いていて私は胸が熱くなる。
「人間とかそうじゃないとか関係なく、二つが交わる世界に。そして桃はその場所で、いろんなものを見て、触れて、感じて、心行くまで楽しむんだと。その想いが君をここへ導いた」
「トシ兄が……? 私そんなこと全然知らなかった……」
そもそも今回のことはばあちゃんが私を導いてくれたものだと考えていた。ここはばあちゃんが小さい頃にいた温泉街。私が泊まってるのもばあちゃんがいた宿で、泊ってる部屋だってばあちゃんが使っていた部屋だ。鏡に映った記憶もばあちゃんのもの。でも違った。全部トシ兄が願ったからだったんだ――
すると私に、ふとある記憶がよみがえってくる。
〈――桃、桃は、ばあちゃんから子供の頃にいたっていうい温泉街の話を聞いたことあるか?〉
〈うん、名前くらいなら。たしか……この間家族で旅行に行った時にトシ兄が買ってた木刀と同じ――……〉
〈それは白虎刀。ばあちゃんがいたのは白虎宿家だよ〉
〈そうそう、それ! でもばあちゃんに訊いても、その頃のことあまり話したがらないんだよね? なんでだろ?〉
〈俺はどんなところか聞いたぞ?〉
〈うそ!? ズルい! 何でトシ兄ばっかり!〉
〈ズルいって言われてもなぁ。何でって……兄ちゃんだから、かな?〉
〈どんなところなんだろう? 私も行ってみたいなぁ〉
〈よしっじゃあ俺が桃をその温泉街に連れてってやるよ〉
〈本当? 絶対だよ? トシ兄〉
〈うん、約束する――〉
あの頃のトシ兄は、私の自慢の兄で、まわりの男子と比べものにならないくらい紳士で、間違いなく私の光だった。最後にあんな言葉を投げつけてしまって、恨まれても当然たと思っていた。それなのに、トシ兄は自分が終わるその瞬間まで、こんなどうしようもない妹の、私のことを考えてくれていたんだ。
「君がトシにどんな想いを寄せていたかは僕は知らない。それはトシにも言えることだ。でも君たち兄妹に恥じるものは何もない。君のその想い、引きずるくらいならいっそ忘れずに胸に留めておけばいいさ。それから、はい。これ」
琥珀さんは、既に火が灯された一つの灯篭を私の前に差し出してきた。見るとそこには、揺らめく灯りに照らされながら〝清河歳〟と書かれた文字が。
「君が送り出すんだ。トシのために」
私は頷いて琥珀さんの手からその灯篭を受け取ると、ゆっくりと川のそばに向かって歩きだした。
既に川の上にはたくさんの灯篭が浮かんで闇を静かに照らしていた。私はトシ兄の名前が入った灯篭をそっと水の上に浮かべると、軽く押してあげながら手を放した。既に浮かんでいたみんなの元へゆっくりと進みながら流れていった。
集まったり散らばったりする灯りは、一つ一つがまるで魂が宿った花のようで、水の上で次々と花弁を開かせて広がっていく。ゆらゆらと揺れる水面に温かい灯りを落としながら、一つも欠けることなくみんな同じ方向に流れていく。
「妖も、人間と同じことするんですね?」
「人も妖も想いはみな同じ」
見ると琥珀さんも、いつの間にか灯篭を手にしていた。私の隣でしゃがむと、それを川の水に浮かべ、そっと押して手を離した。
その灯篭の表面には薄らと〝雛子〟という文字が浮かんで見えた。ばあちゃんの名前だった。それがゆっくりと自分から離れていくのを、狐のお面が黙って見つめていた。
私がふと振り返ると、いつからいたのか、牡丹ちゃんと兼光さん、雲外鏡さんの姿があった。その後ろに見守るようにしてオキョウさんとテツノスケさんの姿も。私は安心したようにまた川の方に視線を移す。
水面に映った動かない月の上を、幾つもの光が流ていく。みんなが迷わないように、誰もが在るべき場所に帰るために。最後の灯火が見えなくなるまで、私たちはずっと川の上を眺めていた。
私も、私を待っている場所に帰らないと。
この夜が、九十九温泉街で過ごす私の最後の夏になった――




