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忘れられない、たった一つの願いごと  作者:
最終章:想いの果てに

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弔いⅣ

 人込みをかき分けながら私は走った。もしかしたら琥珀さんともう会えないかもしれない。そんなことが頭を過ぎり、焦る気持ちに急き立てられた。



 もうすぐ私は自分の本当の居場所に帰らなきゃならない。でももしこのまま帰ってしまったら、ここにいるみんなと同じように、胸につかえるこの想いがなんだったのかすら忘れてしまうような気がした。



 時折人の流れに押し流されそうになりながら、行き交う人たちの隙間を縫うように進んで行った。



 途中向こう側に渡れる橋に差し掛かって曲がろうとした。その時だった――



 下駄の底が石畳の溝に挟まってしまい、その拍子に下駄から足が抜けてしまった。私の体は前のめりになり、そのまま地面に向かって倒れていく。



 転ぶ! と思って目を思い切り瞑った。でもいくら待っても地面にぶつかる衝撃がやってこない。不思議に思ってゆっくり瞼を押し上げると、黒い浴衣の袖が私の体をしっかりと支えてくれているのが目に入った。



 息を飲んで顔を上げると、狐のお面が私を見下ろしていた。夜空に浮かぶ満月の光がそのお面を怪しく照らした。



 私はこの時、初めて琥珀さんと出会った日のことを思い返していた。泉の洞窟で、オキョウさんの体鱗を見つけ拾おうとした時だ。岩の上で足を滑らせ、泉の中に落ちそうになった私を、寸でで琥珀さんの手が助けてくれた。



 それだけじゃない。私がもう駄目だと思った時、誰かに助けてほしいと願った時、いつだって必ず琥珀さんは現れた。そして今だってそうだ――



「君は本当に危なっかしい子だね? おかげで僕は、今日も君から目が離せやしない」

 琥珀さんは、私の体をやや持ち上げるように支えて小言を言った。



「どうして琥珀さんがここに? 山に帰ったんじゃ……?」

 私はまだ夢の中にいるみたいに呟いた。雲外鏡さんが琥珀さんが山に戻って行くと言ったのを聞いたから、思い立って琥珀さんの後を追いかけようとしたのに、琥珀さんはまだ温泉街の中にいて、しかもまた助けられてしまって、私はただ呆然と琥珀さんを見上げた。



「山? 何を寝ぼけたことを言っているんだ? まだ祭りは終わってないじゃないか」

 琥珀さんは別に山に帰ろうとなんかしていなくて、雲外鏡さんはわざと私に嘘を言っていたのだとようやく気付いた。



 琥珀さんは私の手を橋の手すりに置いて立たせると、地面に転がっていた下駄を拾ってきて私の前にしゃがんだ。そしてそっと足先からゆっくりと下駄にはめてくれる。



 ふいに琥珀さんの腰元に私の目が留まった。さっき子供たちと戯れていた琥珀さんを見掛けたとき、帯の横に何やら棒のようなものを差していると思ったけど、それが木刀だと今分かった。トシ兄も持っていたその木刀が何だか懐かしくて、下駄を履かせてもらっている間ずっと視線を置いていた。



「歩けるかい?」と下から覗き込むように気遣われて、私は我に返るように狐のお面に視線を移す。

「大丈夫です。ありがとうございます」



 私が答えると、「じゃあ行こうか」と両手で膝をついて立ち上がった。

「え? 行くってどこに……?」と私が尋ね終える前に、「ついておいで」と橋の上を歩き出す。私は慌てて琥珀さんの背中に付いて行った。



 琥珀さんは橋を渡り終えると、今度は屋台が並ぶ通りを山の方に向かって歩き出した。



 急に人通りの多い道に出て、私はまた人の流れに押し流されそうになる。前を行く琥珀さんの足は速くて、あっと言う間に人込みに紛れていった。このままでは見失ってしまうと思って私は駆け出した。



 すると突然、目の前にスッと手のひらが差し出されたから、私は驚いて咄嗟に足を止めた。前を見ると琥珀さんが振り返って遅れる私を待ってくれていた。



「また転ぶと危ない」

 琥珀さんはそう言って、更に手を前に出してくる。躊躇っていると、琥珀さんがサッと私の手を掴み、自分の方へ引っ張って隣に並ばせた。そして人込みを気にせずに、手を繋いだままどんどん進んで行く。



「別に兼光と張り合ってるわけじゃないからね」

 前を向きながら強がりみたいなことを言う琥珀さんに、「兼光さんは紳士的だし、琥珀さんとは似ても似つきませんよ」と私はわざと憎まれ口をたたく。



「あーそうかい。僕は雑で悪かったな?」と投げやりに言って不満そうに言うけど、琥珀さんは私の手をきつく握ったまま放さなかった。



 温泉街の真ん中を流れ行く浅瀬の川はいつ見ても緩やかだ。でも山に近づくにつれ水の深さは増し、流れもそれに比例して勢いが増していた。それは道を歩いていても、微かに下から聞こえてくる水の流れる音で分かることだった。



 聞こえてくる音からして恐らくまだそんなに深くない場所で、琥珀さんは石階段を見つけるや否や私の手を離して軽やかにその階段を下りて行った。そこは川のそばまで下りられる石段だった。



 琥珀さんは途中まで下りたところで私を振り返ると、「おいで」とまた手を差し伸べてくる。



 私は誘われるまま石段を数段下りて琥珀さんの近くまで行くと、再び手を取った。二人で下まで下りると、街の喧騒は遠のいて、少し流れが勢いづいた川の音だけが急に大きくなって聞こえる。でも耳を傾ければ、いつでも温泉街の賑やかな音を聞くことが出来た。



 川の前には私たちの他にも数人いて、ちょうど川に火を灯した灯篭を浮かべるところだった。



「燈籠流し……?」



「そうだ。死んでいった魂を弔う。この祭り本来の目的でもある」



「死んでいった……魂……」

 私は呟きながら、自分も向き合わないといけないと思った。兼光さんに言われたからじゃない。牡丹ちゃんに背中を押されたからじゃない。ひた隠しにしていたこの想いから逃げてばかりじゃ、村に帰っても私はずっと変われないままだ。



「琥珀さん、私……私ね? ずっと琥珀さんに訊きたかったことがあるの……」

 そこまで言って、その先の言葉がなかなか続かなかった。



「なんだい?」



 言わなきゃと思って何度も言おうとするけど、喉をつっかえて出てきてくれない。

「言いたくないことを無理に言う必要はない。でも、桃自身が心に決めたことなら、僕はいくらでも待つよ」

 その言葉を聞いて安心した私は、胸に手を当ててゆっくりと深呼吸をした。そしてずっと訊きたかったことを、ひと思いに言った。



「琥珀さんは、もしかしてトシ兄なの……?」



 桃って呼ばれたあの時からずっと心のどこかで思っていた。もしかしたら琥珀さんはトシ兄なんじゃないかって。だから私に分からないように、狐のお面を顔に付けて現れたんじゃないかって。そう思ってずっと考えないようにしていた。



 琥珀さんは私の知ってるトシ兄とは違う。似ても似つかない。トシ兄はわざとあんな風にふざけたことを言ったりしないし、適当なことを言って人を困らせたり、誤魔化したりもしない。そもそも琥珀さんは人ならざるもの。それは鏡に映ったばあちゃんの記憶を見て確信していた――



 それなのに、もう一度琥珀さんの家へ行くことになったあの日、私の心はまた揺らいだ。家族で行った旅行先で、トシ兄とお揃いで買った岩手の民芸品。本棚に並んだトシ兄が好きだった作家の本。馴染み深い懐かしいものが目に飛び込む度に、忘れようとしていた私の心をギュッと絞め付けた。どうしてもそのお面の裏を覗こうとする度に、トシ兄の面影を追ってしまう自分がいた。



 琥珀さんは狐のお面で真っ直ぐと私を見て言った。

「僕は――……君の兄さん、トシじゃないよ」



 私はやっぱりと少し残念に思う。同時にほっとしている自分がいることに気付いて、やっと胸の奥につかえていたものが取れるのを感じた。

 琥珀さんは静かに口を開いた。



「君はこの間、僕にも心に残したものはないかと聞いたことがあったね?」



「はい……?」

 あの時は確か、そんなものはないと琥珀さんははっきりと答えていた。突然どうしてそんな話をするのか分からなくて私は不思議に思う。



「今でも僕にそんな想いがあると思うかい?」

 その問いに、私は今思っていることを素直に口にする。



「――鏡の中で見た琥珀さんは、ばあちゃんにすごく優しくて、まるで面倒見のあるお兄ちゃんみたいだった。琥珀さんも、兼光さんや牡丹ちゃんのように、ばあちゃんが突然ここを去っていくことになって悲しかったんじゃないんですか? だから……」



「だから僕にもヒナに対して心残りがあると?」

 琥珀さんは私の言葉を遮った。

「確かにヒナがいなくなって僕は寂しかった。でも、僕に未練はないと言ったことに嘘はないよ。なぜ僕が、君のおばあさん、ヒナを目に掛けていたかというと、それは……そう強く願う者がいたからだ」



「強く願うもの……?」



「それが、ヒナの母親だった。彼女は自分が死ぬ前に、まだ小さい娘のヒナのことをすごく案じていた。ヒナの母親もまた、人ならざるものが視える人間だった。彼女はヒナの前にも子を宿していたが、死産だった。男の子だったようだ。その子がもし元気に産まれていたなら、兄としてヒナを守ってくれただろう。その想いがヒナを案じる想いと一緒に彼女の中に残されていた」

 そうか、と私は思った。鏡の中で、ばあちゃんが琥珀さんのことをお兄ちゃんと呼んでいた場面があった。あれには、ばあちゃんのお母さんの想いが関係していたんだ。琥珀さんは少しの間沈黙して続けた。



「僕は……死んでいく者の声が聞こえてしまうんだ。人が残していく最後の言葉を耳にしてしまったら、見て見ぬ振りは出来ない……」

 一度言葉を区切ると、「ようするに僕は、人間をほっとけないのさ」とすごく困ったように言った。まるでどうしようもないというように。



「ここ九十九温泉街は、封印とか結界とかそんなややこしいもので出来てるわけじゃない。そりゃあ、僕の力をちょっとは加えてはいるけどね? ここは、誰かの想いが集まってつくられた世界なんだ。それも強い想いによって。ちょうど君が、みんなの為にここを残して欲しいと僕に願った想いと同じように。誰かの為を想う気持ちの前では、たとえ優れた幻術であっても太刀打ちできない。人の想いというのは儚くて、それでいて揺るぎない。桃、君もそうは思わないかい?」



 優しい声で問われ、私はふと思った。大事な誰かがいなくなる時、残された側と去っていく側、どちらも同じだけ強い想いが心に刻まれる。でもすぐに別の疑問が頭をもたげた。



「じゃあ私は? そもそも私はどうしてここに来ることになったんですか? 私は誰かの想いとは関係なく、琥珀さんによってここへ導かれたんですよね?」

 私は問い質すと、琥珀さんはお面の下で小さく息を吐いて言った。

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