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忘れられない、たった一つの願いごと  作者:
最終章:想いの果てに

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女の子と狐Ⅱ

『まぁたお前かぁ』

 突然女の怪訝そうな声がした。



『しかも、あたいの願いを聞いてやる代わりに、お前の頼みを聞けだって? 図々しいにもほどがあるっ』

 聞き覚えのある声と抑揚のある喋りが反響した。その声の主が誰であるかは姿を見ずとも分かってしまう。蛇女のオキョウさんだ。ということは、ここは宿の浴場内――。

 


 深い森の霧のように白い湯気が立ち込めていた。そこに薄っすらととぐろを巻く大蛇と子供のばあちゃんが向かい合って浮かび上がる。



 首をもたげた先端にある頭は、蛇ではなく人間の女の顔。その女の口からは二つに割れた赤い舌を出したり引っ込めたりしている。



 長い胴体と同じように長い黒い髪をゆらゆらと揺らめかせ、ギラっと光る鋭い目が、今にも襲い掛かりそうな勢いでばあちゃんの顔を見据えていた。身の毛がよだつほどの怖ろしさは、私が初めて目にした姿と同じだ。



 けれどばあちゃんはというと、そんなオキョウさんを前にしてもまるで動じず、閑談しに来てるとでもいった様子だ。



 それは、ばあちゃんが浴場内にもかかわらず着物を着ているという違和感を少なからず無くした。別に湯に浸かりに来たわけではなく、オキョウさんに話があって来たからだ。



 そう思って、この間、泉の洞窟で見つけた体鱗を持ち主であるオキョウさんに渡そうと浴場を訪れた自分と重ねた。そういえばあの時、オキョウさんが独り言のように言っていた。



〈昔、お前のように耳を傾ける人間の娘がいたよ……お前よりまだ幼い、年と背丈も半分ほどの娘だ――〉

 オキョウさんの記憶はおぼろげだったけど、その人間の娘というのはばあちゃんのことを言っていたに違いないと私は思った。



『はっ、命知らずもいいところだ。あたいを前にしながら物怖じしないところだけは褒めてやってもいいが、お前のような小娘に一体何が出来るっていうんだい?』

 冷ややかに笑う(いつにも増して)ぞんざいな言い方は、私がよく知っているオキョウさんであって、妙に安心感を覚えた。



『で? お前の頼みとは何なんだい? 話のついでだ、一応聞いといてやる。無論あたいはお前の頼みを聞くつもりはないがな?』

 ばあちゃんは『うん』と一度頷いてから口を開いた。



『――……多恵さんと父さんが一緒にならないようにしたいの。蛇女さんなら、なにか出来るんじゃないかと思って……』



『このあたいがかい? 確かにあたいの怖ろしいさをもってすれば、二人を引き剥がすくらい容易いが――……ははぁ』と何か気付いたようにオキョウさんは言った。



『もしかしてお前、あの女に父親を取られたくないんだな?』と、したり顔で言う。

『だがそれは致し方がないことだ。そもそもその話はここの女将が決めたことだろう? 子供のお前が口出しできる簡単な話じゃない。諦めるんだな?』

 オキョウさんは物わかりのいいように淡々と言って話を済ませようとする。でもどうやらオキョウさんの考えとばあちゃんの思っていることは違うらしい。



『そうじゃないの。多恵さんが母さんになるのは別に嫌じゃないの。ただ……』

 ばあちゃんは言い淀む。



『なに? 嫌じゃないだと?』とオキョウさんは少し驚いたように訊く。

『お前はあの女から酷い仕打ちを受けているんじゃないのか?』

 それには私も同感だった。多恵さんがばあちゃんを座敷牢に閉じ込める様子を、兼光さんを通して私もこの目で見ていた。



 当然その先が気になる私だったけど、ばあちゃんが答える前に、湯気がまた霧のように濃くなって視界が霞んだ。



 また突然場所が変わって、今度は楽しそうな笑い声が聞こえてきた。振り返って見ると、琥珀さんがお腹を抱えながら畳の上で笑い転げている。



 私たちはまた琥珀さんの家に戻ってきていて、さっきと同じ立ち位置でその様子を見ることになった。



『あっはははっ蛇女の方から願い下げされたって? こりゃ傑作だっ』

 床の上でひっくり返っている琥珀さんを、ばあちゃんは怫然とした目で見ていた。



 話の内容から、今居るのはどうやら、ばあちゃんが蛇女のオキョウさんと話を終えた後に琥珀さんの元に訪れた別の日のようだ。



『あの女、少し前じゃ例え人を騙して操ってでも成し遂げると言っていたのにっ。まさかこんな小さな子と取り交わすことになるとは思いもしなかったんだろうな?』



『私じゃ無理だって』

 そう言ってばあちゃんは頬を膨らませる。



『そうだなそうだな。蛇女の言う通りだ。ヒナにはまだ早い。もし成就してしまったら、あの女の面目が立たないだろう』

 こんなに愉快に話している琥珀さんは初めて見た。それに琥珀さんがばあちゃんのことを〝ヒナ〟って呼んだのを私は聞き逃さなかった。



 琥珀さんは最初、私に自分の名前なんかないって言ってたけど、この時ばあちゃんには自分のことを何て呼ばせていたんだろう。と笑い転げる琥珀さんを目にしながら私は気になっていた。



 オキョウさんの頼みとは、もちろん洞窟の泉に落ちている自分の体鱗を拾ってきてもらうことだろう。分かってはいたけど、この時から琥珀さんはオキョウさんのかねてからのの願いを知っていたんだ。



 確かに私が行ったあの泉の洞窟は、この頃まだ小さいばあちゃんにとっては危険すぎる。少し大きい今の私ですら危ない目に遭ったほどだ。



 でもそれよりも琥珀さんは別の意味で笑っているように思えた。オキョウさんの願いには自分の想い人が絡んでいる。そう、テツノスケさんだ。二人は身分が違うため、どの道結ばれない運命にあった。それを琥珀さんは、子供のばあちゃんが知るにはまだ早いと言って笑っているようだった。



 ひとしきり笑って息苦しくなったのか、今度は咳き込んで、そのままゴホゴホ言いながら琥珀さんは奥の部屋に引っ込んでしまう。直ぐに何かを手によろめきながら戻ってきた。

『笑って悪かった。ほら、これをやるから許してくれよ』

 差し出した手には赤い手鞠が。それを見て私は(あっ)となった。隣から(あの手鞠は……)と呟く声が聞こえて、兼光さんも気付いたようだった。



『いいの?』差し出された物を見て直ぐにばあちゃんの膨れた頬が引っ込む。

『ああ、もちろん』

 ばあちゃんは嬉しそうに受け取って遊び出した。



 赤い手鞠が弾む――

 ばあちゃんが座敷牢で遊んでいた手鞠は、やっぱり琥珀さんから貰ったものだったんだ。だから琥珀さんの家にも同じものがあったんだ。



『それで? 蛇女の願いと引き替えに、一体自分は何を頼むつもりだったんだい?』

 ばあちゃんの機嫌も直り一段落したところで琥珀さんが切り出した。ばあちゃんは逡巡してから口を開く。



『――……父さんと家族になっても多恵さんは幸せにならない。それならいっそなくしちゃえばいいと思ったの』



『――つまり……二人の縁談をなかったことにしたいと? 気持ちは分からないでもないが……』

 琥珀さんは困ったように頭の後ろをかいた。

 オキョウさんが言ったように、大人たちで決めたことを子供の言い分で思い留まるなんてことははっきり言ってあり得ない。それは昔も今も変わらない。



『でもまたどうしてだ? 父親ではなくあの女の幸せを案ずるとは』

 琥珀さんの問いに、私はついさっき感じたばかりのある違和感を思い出す。ばあちゃんが、自分を座敷牢に閉じ込めた多恵さんのことを別に嫌ってはいないという違和感だ。



『多恵さんにはきっと他に想っている人がいるから』



『本人が言っていたのか?』

 その質問に、ばあちゃんは緩く首を振った。



『父さんが言ってた。多恵さんがヒナたちと家族になることは、宿屋の為でしかないって……』

 琥珀さんは狐のお面が傾かせて、溜息をつきながら腕組みした。



 視界がまた揺らめいて霞み、次の場所へ移ろうとする途中で、僅かな隙をつかれたように琥珀さんとばあちゃんの会話する様子が自分の頭の中に流れてきた。



 琥珀さんとばあちゃんが並んでどこかに腰を掛けている様子が私の目に映る。



『あやかしが当たり前に居た時代があったんでしょう? その頃みたいに、またみんなが同じ場所で生きることって出来ないのかな?』

 何気ないばあちゃんの問いが、いつだったか抱いたことのある自分の思いと重なった。



『……ないだろうな。一度隔たれるともう元には戻れない。それどころか、いずれ僕たちの方が形を失くしてしまうだろう』

 琥珀さんは静かに言った。



『でも夢見るだけならいいよね? ねえお兄ちゃん……?』

 そう言ってばあちゃんが狐のお面を覗き込んだ。



 お兄ちゃん……?

 ばあちゃんが琥珀さんに向かって呼んだ言葉が、耳元で何度もこだまして離れなかった。

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