しるべを辿ってⅠ
またたらふく食べてまた眠ってしまっては元も子もないので、お腹が少し満たされたところで私はご馳走様をした。
私は食べ終わった茶碗を湯呑み代わりに、琥珀さんが用意して置いてあった急須のお茶を自分で注ぐ。そのそばで珀さんは胡座をかいて、ゴロゴロと音を立てながら何かの薬草をすり潰していた。さっき隣の部屋で私が膝を打った、鉄の重たそうな薬研を使ってだ。
「さっきから何の薬草をすり潰してるんですか?」
「乾燥させたゲンノショウコや黄柏などの樹皮だよ」と教えてくれるけど、名前を聞いたところでそれが何なのか私にはさっぱり分からない。
「へぇ」と流そうとすると、
「君の家で作ってる墨玉の原料にもなってるはずだけど、知らないのかい?」とまた皮肉めいた言い方をされる。
「……すみませんね、薬屋の子なのに何も知らなくて」 何も言い返すことが出来なくて私はふて腐れる。
「さっきの本の話、まだ気にしてるのかい?」
そう聞かれて、お面の内側からクスッと笑った声が聞こえてきた。
「気にしてなんかないですっ!」
私はムキになって言う。また何か言ってくるものと思って構えたけど、琥珀さんは黙々と薬草をすり潰していた。
すると突然琥珀さんは手を止めて、すり潰した薬草を一度白い紙の上に移した。そしてその紙を持って、湯気が上がった鉄急須の中にさーっと粉々になった薬草を投入すると、空になった私の茶碗に注いでくれた。
「ほらっ飲むといい。弱った腹だけじゃない。疲れた体にもよく効くよ」
言われてみれば確かに疲れていた。食べただけではお腹が膨れるばかりで、疲労までは回復されない。温泉街に来てから墨玉をあまり飲んでいなかったせいかもしれない。と並々と茶碗に注がれた飲み薬を上から覗く。
「うぅ、苦そう……」
うちの家では体に何かあればとにかく墨玉を飲む習慣があった。私も小さい頃からお腹が弱かったし、普段から墨玉を頼りにしていた。でもあの苦さはいつになっても慣れない。だから毎回水で一気に流し込んで飲んでいた。
それをじいちゃんは水で飲まずにボリボリとおやつ感覚で食べるから、その時ばかりはじいちゃんが、動物の骨を容易く噛み砕く山爺という妖怪に私は見えた。毎度見ているだけで口の中が苦くなるし、私には絶対に真似できない。
「君のじいさんとこの薬も苦いだろう。アレに比べたらマシだよ」
マシと言っても苦いことには変わりない。私は逡巡してから、鼻をつまんで一気にグイッと飲み干した。
「っ苦ーいっ」
鼻をつまんで飲んでも、後から苦味がじわじわとやってくる。うぇーっと私は顔を歪ませた。さっきまで美味しく食べていたこづゆの味なんかどこかへ行ってしまって、口の中のもの全部を奪って苦味が支配する。でも懐かしい苦さだった。じいちゃんの作る墨玉を溶かして飲んだみたい。むしろ同じ味? と思ってすぐに、私は「あっ! 墨玉!」と思い立って声を上げた。
「墨玉がどうした?」
「じいちゃんの薬がどうしたら盗られなくなるか教えてくれるって話です! でも……」
そういえば墨玉はもう大丈夫になったんだった。家に神主さんが来てくれたからって母さんが電話で言っていた。その神主さんは琥珀さんかもしれないと私は考えていたわけだけど……。母さんの説明は曖昧過ぎて結局よく分からないままになっていた。
「あぁ、その話か」
琥珀さんは気だるく言った。そして、
「その前に話しておきたいことがある」と前置きすると、「君、外の木が、家族と訪れた寺で見た御神木と似ていると言ってたね?」と突然訊いてきた。それに私は小さく頷く。
「奥に小さな石の家があったのが見えただろう?」
「祠……ですね?」
「ああ、僕は彼らを屋敷神と言っている」
「やしき神……?」
彼ら? まるで生き物を指す言い方に私は違和感を覚えた。
「あのうちの一つが君が訪れた寺と繫がっているんだ。といっても今は入口が塞がっているけどね? みんな気紛れな神様なのさ。あの時も何とか頼みこんで開けてもらった」
琥珀さんはやれやれというように一息つく。
まるで祠ひとつひとつが意志を持ったような言い方だ。祠って神様を祀る建物だよね? そんな神様とやり取りできる琥珀さんて何者なんだろう。仮に化け狐だったとして、ただの化け狐ではなさそうだ。と思う。
「彼らを守る代わりに僕はここにいさせてもらっているんだけど、最近それが割に合わないと感じるんだよねぇ」
いきなり愚痴りだした。なんか畑の世話をする代わりに空いてる部屋に住まわせてもらってる人とかいるけど、そんな感じに聞こえる。神様相手にそんなことぼやいてたらバチが当たるんじゃないのかな。いろいろと心配になる。
「お寺に通じる扉……つまりあの住職はやっぱり琥珀さんだったわけですね?」
私は話を戻して訊ねると、狐のお面を付けた青年を今一度見た。
「あの住職だけじゃない。君んとこの店にも一度邪魔したことがあるんだけど……」
そう言って頭の横をガシガシとかく。
「私の家に?」
考えるけど、琥珀さんが私の家を訪ねてきたなんて、思い当たる節がない。
「君と家族があの寺を訪れる前さ。それで君のじいさんの機嫌をすっかり悪くさせてしまったわけだけど……」と気まずそうに言う。
じいちゃんの機嫌? いつだろう? 私はそう遠くない記憶を手繰った。
じいちゃんが珍しく他人を怒った時があった。あれは確か、じいちゃんをボケた老人みたいに言って怒らせたからだ。その人が帰ったあとも、じいちゃんがあのまっぽが、と怒っていた。そう、まっぽ――
「――……えっ!? あの警官も?」
私は驚いて声を上げた。確か見た感じまだ若くて、赴任したばかりなのか村ではあまり見ない顔だった。
どんな顔だったか思い出そうとするけど、お寺の住職の時と同じで、その時の様子は鮮明に思い出せても、警官の顔だけモヤがかかって思い出せなかった。でも待って、と私はなる。
そもそも私たち家族が狐の石像があるお寺に行くことになったのって、風松堂の宗一郎さんがじいちゃんを心配して様子を見に店にやって来て、そこに突然警官が現れたと思ったら、あれよあれよと話が進んであの寺に行くことになったからだ。なんならそのお寺の行き方まで教えてくれた。
「あの時からもう私たちを騙そうとしていたんですか?」
私は問い詰めるように訊いた。
「いやだなぁ、騙すだなんて」
とぼけるように言う。ここまできたら、薬を盗った犯人だって疑わしい。私は狐のお面に向かってじとっとした視線を送った。
気付いた琥珀さんは、
「何でそんな目で見る?」と警戒するように少しだけのけ反った。
「君、何か僕のこと勘違いしてないかい?」
「だって、私たち家族をそそのかしたようなもんじゃないですか。薬を盗んだのだって、本当は琥珀さんなんじゃないですか?」
「全部僕が仕組んだって言いたいのかい?」
琥珀さんはため息をついて言った。
「そう思いたいならそれでいいさ。君たち家族をあの寺に誘い込んだのも、君を村から誘い出したのもこの僕なんだから」
自白したかと思いきや、まるで私が悪いみたいな投げやりな言い方に少し呆れた。でもその後琥珀さんが続けた言葉に私ははたとなる。
「とにもかくにも、君を導くのが僕の役目だ」
「私を導く……?」
ついさっきもどこかで聞いた言葉。ここへ来るときに迷い込んでしまった、心を写すとかいう洞窟でだ。
私をここへ導いたのは自分だって……。確か中にいた者たちに向かって琥珀さんは言っていた。あの時は気が動転していて何を言っていたかなんて気にも留めなかった。琥珀さんは自分の役目だって言うけど、そんなこと私は知らないし頼んでない。それに役目って聞くと、琥珀さんが考えたとかじゃなくて、誰かに頼まれたとか、話し合いの末決めたような言い方に聞こえる。
「それってどういうことですか?」
「そのままの意味さ」と琥珀さんはこともなげに言う。
「僕は君をここへ招くことが目的だった」
「じゃあ、蔵の薬が盗まれたのは?」
「薬のことは僕も予期しないことだった。ただ僕は君を村から連れ出すことに利用させてもらっただけさ。そのおかげでことが運びやすくなったのは事実だ。君のじいさんは気の毒だったと思うよ。でも 盗まれた薬はちゃんと元通りになるから安心しな?」
「元通り……じゃあ私が何もしなくても解決できたってことですか?」
「ああ、そういうことになるね?」
琥珀さんに悪気はないのは分かってる。分かってはいるけど――
そんな簡単に言われては困ると思った。薬が毎日盗られて、じいちゃんは憔悴しきっていた。寝込んで病気になってもおかしくない状況だった。それを気の毒だったで片付けようなんて軽率にもほどがある。
父さんもあの手この手と思案して、母さんは不安で夜も眠れなかった。私もなんとかしたくて一大決心してひとりでここへやって来たのに。
目の前にいながら顔も見せないこのお面の青年にただ振り回されただけなのか。所詮、妖が気紛れに起こしたことのようにも思える。どちらにせよなんだか私は煮え切らない。
「何のためにですか? どうして私なんですか?」
「どうしてかって? だって君は、さくさんの視えているものがあるだろう?」
その問いかけに、私はハッとなる。
私にしか視えないものがある。私にしか聞こえない声がある。でもそんな私は、まわりから変わり者と見なされた。そんなこと、家族はもちろん誰にも知られたくない。知られるわけにはいかないから、これ以上何も起こらないように、私はただじっと息を潜めて耐えるだけ。
「それを、君は悪いことだと思っている。違うかい?」
琥珀さんに核心を突くように訊かれた。まるで私にこれまでの自分と向き合えと言われている気がした。
変わり者がいたら、悪く思われるのは当然だ。そうずっと思ってきた。そしてこの先もずっと続いていくんだろうと。
「あのままでいたら、君は益々ひとりぼっちになっていた」
「…………」
そんなの自分が一番分かってる。だから私はもう……とっくに諦めてる。今更輪に加わろうなんて思わない。私はずっと鬼だから。鬼はみんなが静まるのをひたすら待つんだ。その時まで、声を出すことも、振り向くことすら許されない。
「――トシ兄がもうダメだってなった時、代わりに自分が消えればいいのにって思った。大好きなばあちゃんまでいなくなって、私の話を聞いてくれる人はもうどこにもいない……私はとっくにひとりぼっちなんです……」
「本当にそうかな?」
「え?」
「君の味方は案外近くにいるかもしれないよ?」
「それって……私のことを心配してる人がいるってことですか?」
誰が――?
「それって……もしかして琥珀さんですか?」
「…………」
琥珀さんは何も言わない。代わりに狐のお面が黙ったまま私を見つめていた。改めて見るお面がこれまでにないほど異様に見えた。
「とにかく薬は元通りになる。だから心配はいらない。もし今帰りたいというなら、僕が屋敷神に頼んで君をここから送り出すことも可能だが……」
琥珀さんは急に話を戻す。けれどそれに私は遠ざけられたように感じた。
「……その場合ちょっとばかし時間を要する。さっきも言ったが、なにしろ彼らは気紛れもいいところで、時間の概念を持ち合わせていない……」
そう言って琥珀さんは肩を竦めて見せる。
「それを言ったら僕もそうかな?」
おどける琥珀さんに私ははっきりとした口調で言った。
「私、まだ帰りません」
「帰らない?」
「私はここでまだやり残したことがあるんです」
「君が? 君がまだここに居たいなら、それはそれで構わないけど……一体何をやり残したというんだい?」
「琥珀さん言ってましたよね? あの温泉街を訪れる者はみんな、心に何かを残してるって。宿で働く者も例外じゃないって。私が今泊ってる白虎家にもいるんです」
「そんなの無視すればいい」
琥珀さんは信じられないほど冷たい言葉を言い放った。
私は絶句する。
「じゃあ白虎家にいる者たちの未練はどうなるんですか……? 私が帰ったら誰がみんなの心に残した想いを聞いてあげるんですか?」
知ってしまった以上、見捨てるようなことは私は出来なかった。
「未練? あぁ、蛇女の件が上手くいったから手応えを感じたのか。確かにあれは君だから出来たことだと思うよ。僕も感心した」
琥珀さんは話を別の方向へ持っていって誤魔化そうとする。
「そうじゃなくてっ」
私は流されまいと大きく首を振ってみせた。
「オキョウさんだけじゃない。(牡丹ちゃんや兼光さんだって)理由も分からず後悔したり、誰を待ってるかも思い出せずに今でも待ち続けているんですよ?」
「いいんだよ、君がそこまでしなくても」
「――え?」
「そうやって未練に寄り添って生きていく。それが彼ら妖の宿命なのさ。思い出せているのは君がいる間だけで、君が見えなくなったらそのうち何に囚われていたかなんて忘れてしまう。そもそも君がどうこう出来る話じゃない」
なんでそんな風に言えるんだろう。琥珀さんは薄情だと思う。自分も同じ妖なのに、どこかみんなを軽視してるところがある。山の上から見下げてる。現に今だって温泉街のみんなを山の上から見下ろして高みの見物をしている。それにずっと私は引っ掛かっていた。
「琥珀さんにはないんですか? 琥珀さんにも、心に残しているものは……」
「――ないよ、そんなものは」
「どうして? じゃあなんで私はここにいるんですか?」
「君もとんだ分からず屋だね。また同じ話をする気かい? だからさっきも言ったけど……」
「分からず屋なのは琥珀さんの方です!」
私は琥珀さんの言葉を遮って言った。
「何だって?」と驚いた様子で言う琥珀さんの表情はお面のせいで当然分からない。きっと何だコイツって顔してるに違いない。でも……
私は一瞬怯むも、ここまで言ったらもう止まることが出来なかった。
「だって私をあの温泉街に呼んだのは琥珀さんなんですよね? 店に来た警官も、お寺の住職も、私に自分を捜させたのも」
どれもこれも私を村から連れ出すためにやったこと。私が一時でも、辛い現実から逃れられるように。冗談やいい加減なことを言って茶化すけど、本当は情のある優しい人。それは何度も私を助けてくれたから思うことだった。
「薬は元通りになるのに、わざわざ神主さんの振りして私の家まで行ったのだって、私がもう少しここに居られるようにするためですよね……?」
すると琥珀さんは「神主? なんだそれ?」と首を捻った。
「この前、琥珀さんちから宿に戻った日の夜、家に電話したら母さんがそう話していたんです。神主さんが来てくれたから薬のことは取り敢えず大丈夫だって。私がその神主を捜し出して向かわせたようなことも言ってました。最初私、母さんが何を言ってるのか分からなくて……」
私はあの日、母さんと電話で話した内容を思い返しながら琥珀さんに説明した。
家に来た神主は法衣を身に纏っていたそうだけど、日は落ち雨も降っていたせいか、母さんのその人に対する記憶と説明が曖昧だったこと。もしかしてその神主が人ではなかったとしたら、視えない母さんたちがそうなってしまうのも無理はないのかもしれないことも。最後に蔵で祈祷とお祓いをして帰ったことなど。
今考えてもおかしな話だと思いながら私は覚えてること全部を伝えた。琥珀さんは黙ったままだった。私はそのまま続ける。
「でも母さん安心してたし、何よりじいちゃんの薬が守られたんだから良かったと思って……。母さんたちが、せっかくだからこのまま宿でお世話になればいいって言ってくれて(私も宿で気になってることがあったから残ることにしたけど)…………その神主さんは琥珀さんじゃないんですか?」
「……」
琥珀さんは顎に手を添えて考え込んでいた。
「違うんですか?」
私はもう一度訊いた。するとようやく琥珀さんが口を開く。
「悪いけどそれは僕じゃない」
「え……?」
「僕が君の家族の前に仮の姿を見せたのは、警官の振りして君の店に行ったのと、あの寺に君たち家族が来た二度だけだ。あの饅頭を君が口にしてくれさえすれば僕は良かったんだ。あとは時の流れに委ねるだけで僕は何もしない」
琥珀さんは本当に知らないようだった。
「じゃあ、誰が?」
「ふむ……。君、僕に他に何か隠してることはないかい? 君がここに来る途中に、あの洞窟の者たちに目を付けられるようなことを考えていたのは確かだ。君はあの洞窟の前で一体何を考えていた? そういえば、さっき僕が湯に浸かってる時何か言いかけていたね? あの時僕に何をきこうとした?」
琥珀さんは畳みかけるように私に訊く。琥珀さんですら知らない何かが裏で動いているのだろうか。
「えっと――……」
私は慌てずにさっき自分が何を言おうとしたのかを思い出す。
「だから、白虎家は昔火事が起きたことがあったんですか? って……」
「――火事? それを誰から聞いた? 蛇女か? 小娘か? それともあの狩衣の男か?」
琥珀さんはいつになく急いて私に訊ねる。
「いえ、誰からも。見たんです。私が今泊まってる部屋で」
「見ただって?」
私の言ってる言葉の意味が分からないのか、琥珀さんは驚いたように訊いた。




