ボクは妊娠できない
夜の街に、ボクは立っていた。
肌を撫でる夜風は少し冷たい。でも、ボクの心はそれ以上に冷えていた。
「……さて、今日も稼ぎますか」
薄く笑いながら、いつものように気怠げに髪をかき上げる。
美少女の体を持って生まれ変わった。最初は戸惑ったが、すぐに気づいた。この体は、男を魅了するためにあるのだと。
だから、利用することにした。
「ボクは妊娠できない」
そう嘘をつけば、男たちは警戒を解き、金を落とした。
事実、ボクは妊娠を操作できる。オフにしている限り、どれだけ抱かれようと妊娠することはない。だから、何の心配もなく体を売った。
それでよかった。そう思っていた。
……彼と出会うまでは。
***
「お前、本当にそれでいいのか?」
最初にそう言われた時、思わず笑いそうになった。
「なにが?」
「……こんなことしなくても、生きていけるだろ」
「へえ、ずいぶんと偉そうなこと言うんだな」
彼は、他の男たちとは違った。金を出そうともしないし、体目当てでもない。それどころか、ボクのことを心配してくる。
「ボクがどう生きようと、勝手でしょ?」
彼の視線が真っ直ぐすぎて、イライラした。
「お前、妊娠できないって言ってたけど……それ、本当なのか?」
ボクの心臓が跳ねた。
「本当だよ。だから、心配しないで」
嘘を、さらりと吐く。
それなのに——彼はボクを、まるで壊れもののように大切に扱った。
最初はうっとうしかった。だが、彼はただ甘い言葉を投げるだけの男とは違った。
寒い日には温かいコートを貸し、雨の日には傘を差し出し、食事をまともにとっていないと気づけば、彼は躊躇なく自分の食事を分け与えた。
「そんなことしなくていいってば」
「……お前のことが、放っておけないんだよ」
それが彼の口癖だった。
いつの間にか、彼といる時間が増えた。彼はボクに美味しいものを食べさせ、色んな場所に連れて行った。楽しそうに笑う彼の顔を見るたびに、胸の奥がずきりと痛んだ。
気づけば、夜の街に立つことはすっかりなくなっていた。
そして——ボクは、彼に抱かれたいと思うようになった。
ある夜、彼の部屋で二人きりになったとき、ボクはそっと彼に身を寄せた。
「ねえ……お願い」
「……やめろ」
「どうして?」
「お前は……本当にそれを望んでるのか?」
彼の瞳は揺れていた。それが、ボクには歯がゆかった。
「望んでるよ。ボク、あなたに抱かれたい」
彼は何度もためらった。それでも、ボクが「どうしても」と願うと、彼は静かに抱き寄せた。
「……なら、俺が教えてやる。本当の、愛され方を」
それから、体の関係を持つようになった。
ただ抱くだけの男たちとは違う。
彼は、ボクの体ではなく、心を抱こうとする人だった。
それが、怖かった。
***
彼と過ごす時間が増えるたびに、ボクの心は揺れていた。
これまで、男たちと過ごした夜に意味なんてなかった。ただの取引。ただの行為。ただの時間の消費。
なのに、彼は違った。
寄り添うように傍にいて、ボクの手を取る。
美味しいものを食べさせ、夜の街ではなく、陽の光の下に連れ出す。
何も求めず、ただ「ボク」という存在そのものを大切にしてくれた。
それが、怖かった。
なぜこんなにも、ボクを愛してくれるのか。
なぜ、ボクの嘘を見破ろうとしないのか。
「妊娠できない」と嘘をついた。
「愛なんていらない」と思っていた。
「利用するだけ」と割り切っていたはずだった。
それなのに。
彼がそっと撫でる髪の感触に、優しく名前を呼ぶ声に、抱きしめる腕のぬくもりに——心が軋んだ。
——ボクは、こんなにも愛されていい存在なのか?
信じられなかった。けれど。
「愛されたい」と、思ってしまった。
だから——決めた。
彼と一緒にいるとき、そっと妊娠機能をオンにした。
これで、彼はボクを繋ぎとめてくれるだろうか?
***
数週間後、検査薬の結果を見た瞬間、心が震えた。
「……本当に、できちゃった」
信じられなかった。
でも、確かに——ボクの中には、彼の子がいる。
彼に告げた時の反応を、ボクは今でも忘れない。
「……嘘、だろ」
「ううん、本当。ボク、妊娠したよ」
彼の目が大きく揺れた。
「お前、妊娠できないって——」
「嘘だった。……ずっと、嘘をついてた」
心臓が痛かった。でも、それでも、この瞬間を迎えたかった。
「……どうする?」
不安だった。拒絶されるかもしれない。罵倒されるかもしれない。
でも——彼は、ボクをそっと抱きしめた。
「お前が選んだことなら、俺はそれを受け止める」
その言葉に、ボクの心がほどけていくのを感じた。
「……ボク、もう嘘つかない」
初めて、本当のことを言えた気がした。
——こうして、ボクの人生は変わった。
お読みいただきありがとうございました。