守りたかったモノと守れなかったモノ【1】
「態々呼び出してすまんかったな」
京の祇園その中で最も格式高いと言われる妓楼の奥座敷で、遥華は進を出迎えた。
進は場所が場所だけにあまりいい顔はしなかったが、二人が敵対する組織に属している以上、このような場所になったことは仕方がないことだ。
格式高い妓楼と言うものは、新撰組の隊士達には到底手の出るものではなく、進の姿を見咎める者はいない。その上遊女達は、下手に客の私情を口外することが自分のためにならないとよく知っているため口が堅いのだ。
「いや、構わない。丁度、俺も話しておかなければならないことがあったからな」
そう言って進は遥華と向かい合うように腰を下ろした。タイミングよく遥華を囲むようにして寄り添っていった女の一人が、酌をしようと寄ってくるが、進はそれを手で制して酌を断ると遥華に目を向けた。遥華は少し名残惜しそうにしたものの、進に倣って、飲み干した杯に再び酒を注ごうとしている女を制し、女達皆に部屋から出て行くように指示を出した。
一分も経たないうちに、むせ返るような香の香りを残して遊女達は部屋を出て行った。
それを確認して、進が口を開く。
「遥華、新撰組に居た伊東甲子太郎という男を覚えているか?」
「ああ、この間会ったばかりや。わいがあんさんを呼び出したのは他でもない、その男についてなんやけどな。どうやら、グットタイミングやったみたいやな」
進は、遥華の返答に驚きの声をあげる。
「お前、奴に会ったのか!」
「せや、高台寺でな」
「そうか、それなら話は早い。それで、奴のついてどう思った?」
「伊東甲子太郎……というより、奴の皮を被った時の彷徨い人のことか? せやな、人の皮を被り、人に紛れ込むなんて事例聞いたことあらへんな」
「俺も、総司の話を聞いた時、悪い冗談ならよいのにと思ったくらいだ。しかし、俺も実際奴に会っている。あの身のこなしは確かに彷徨い人のものだった。どうして、そのような能力を持った者が現れたのか……お前はどう見る?」
「これはわいの憶測でしかないんやが、総司が池田屋で禁を犯したために、歴史に歪みが生じた。その歪みを調整する力が悪い形で働いたんやろう」
遥華は遊女達が残していった銚子から杯に自ら酒を注ぎ直すと、その水面にふーっと息を吹きかけて見せた。
酒の表面に波紋が生じて消える。
「皮肉なことだが、歴史上本来脱走するはずのなかった山南とか言う副長はんの脱走も、新撰組から離別しるはずのなかった伊東や藤堂が去ったことも、皆歴史が歪みを直そうとしているがため……それをきっかけにその彷徨い人は力を得た」
「なるほど、ではこれ以上あのような彷徨い人の出現を危惧する必要はないのだな」
「わいも歴史の歪みがどれほど大きいかはわからへんから、断言できへんけどな、おそらく大丈夫やろ」
その言葉に進が僅かに安堵の表情を見せた。だが遥華は重苦しい雰囲気を取り払うことなく話を続けた。
「だが、安心するのはまだ早い! わいが仕入れた情報では、伊東は近藤の暗殺を企てているようや」
「近藤さんの?」
(総司には絶対に聞かせられない内容だな)
「伊東は近藤さえ居なくなれば、総司が生きる意味を失くして、永遠を差し出すと考えたんやろう」
それは突拍子もない考えのように聞こえたが、その実的を射ていて、進はまた厄介な事になりそうだと頭を抱えたくなった。
進むが遥華から仕入れた情報を手に土方のもとを訪れると、そこには先客が居た。近藤、土方の命により間者として伊東の動きを探っていた斉藤一であった。
「おう、山崎良いところに来たな。ちょうど斉藤に報告を受けていたところだ」
土方が斉藤に目を向けると、斉藤は進に向けて軽く会釈をした。進も会釈を返して、斉藤の隣に土方と向かい合う形で腰を下ろす。それを見て取って、土方が話を始める。
「斉藤の話によると、伊東は近藤さんの暗殺計画を立てているようだ」
進は土方の言葉に、存じていますと頷いた。
土方は今しがた斉藤から得たばかりの情報だったので、まさか進が知っているとは思っていなかったのか、僅かな驚きの色がみてとれた。だが、立場上すぐにそれを引っ込め話を続ける。
「事のあらましはこうだ。強風の日を選んで新撰組屯所を焼き討ち、その混乱のなかで幹部らを討ち取り、その上で伊東が新撰組局長に就任し、組織ごと尊王集団に変えてしまおうということらしい」
「して、こちらはどう動くおつもりですか?」
「もちろん、このまま伊東を野放しにしておくつもりはないさ。これを機に、伊東一派を一掃する」
進が問うと、土方はにっと清々しいまでの笑いを浮かべた。その顔にはやっと邪魔者を片付けられるという喜びが表れている。
「まあ、ともかくだ。この件は近藤さんに報告し次第、追って連絡する。それまで、他の隊士には絶対に口外するなよ。とくに、総司には、な」
総司の病のことを知った土方は、進と同じ懸念を抱いたのだろう。だから総司には絶対伝えるなと強く釘をさしたのだ。