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別離【2】

 慶応三年弥生伊東甲子太郎は、新撰組のやり方と自分の考えとの相違から御陵衛士として、新撰組を離れることを画策した。伊東の申し入れを受け入れ、近藤らは伊東の脱隊を許可する。そして伊東は服部らはもちろん、平助までも連れて新撰組を去って行こうとしたのである。

「平助、お前は新撰組を裏切るというのか?」

 この友は今自分の前から去っていこうとしている。

 僅かに震える声で総司は平助に問うた。

「僕は裏切ったつもりなどありません。ただ、近藤先生にお逢いする前からお世話になっていた伊東先生が僕を必要としてくれている以上、その御気持ちに報いることが僕なりの武士道ですから」

(平助は騙されているんだよ。彼が本当に欲しているのは力ある者なのだから)

 そんな思いが頭を過ぎったが、それを言葉にすることはできなかった。その言葉を口にしてしまえば、平助の誇りを傷つけることになることを総司は理解していた。けれども、平助の行為もまた総司達新撰組の者達の誇りを傷つけているのと変わりない。だから総司は、平助にそのことに気付いて欲しかった。

「じゃあ、平助は、近藤先生の御恩には報いる必要はないっていうのか?」

「そうは言っていませんよ。ですが、伊東先生への御恩をお返しするのが先です」

 恋は盲目、言うなれば今の平助はそれに近いかもしれない。平助は自分が尊敬しまた自分を認めてくれた相手にどこまでも従順だ。近藤の元に居たときなら、それを平助の長所として快く思っていた総司だったが、その性格が今度は短所としてこの場面に現れたことを忌々しく思う。

 総司はその思いを隠そうともせずに、聞こえよがしに舌打ちをした。

「平助、君は新撰組に戻る気はないと言うんだね」

 その言葉には少々の嫌味が含まれていたが、答えたのはそんな嫌味などさして気にも留めない人物だった。

「その通りですよ」

 それは酷く粘着質な声だった。声のした方向に目を向けると、伊東本人が塀の影から姿を現した。

「こちらから出向こうと思っていたのに、君の方から態々出向いて来てくれるとは思いませんでしたよ」

 右肘を左手で支え、右手を顎に添えて伊東が笑う。喜びを表した笑みだったのだろうが、伊東の笑みはどこか無機質なもののように見えた。

「僕の方こそ、ちょうどあなたに会いに行こうと思っていたところです。探す手間が省けた」

 伊東は思いがけない言葉を聞いたと驚きに目を見開く。

「まさか、君の口からそのような言葉が聞けるなんて思いませんでしたよ。とうとう、幕府の犬を辞める決心がついたのですね」

 総司の目の前までやってきた伊東は「歓迎します」と手を差し出す。だが総司はその手を払い除けると、軽蔑の念を込めた視線で伊東を睨み付けた。

「何をふざけたことを。僕はあなたを始末しに来たんですよ」 

 総司がその言葉を口にした瞬間、伊東の隣で平助が息を呑む音が聞こえた。総司は少し心が痛んだが、腰の刀に手を掛けると、意識を伊東に集中させる。

「おやおや、私を斬る気ですか? 時の旅人のあなたが――」

(どうしてそのことを?)

 今度は総司が目を見開く番だった。

 その様子を見て、伊東は再び作り物的な笑みを浮かべる。

 ぞくりと悪寒が走って、総司はその寒気を振り払うかのように刀を引き抜き、それを伊東の首筋に向けた。

「血の気の多い方ですね」

 伊東は呆れたように溜め息を吐く。総司は黙れと刀の切っ先に力を込める。

 ここ数年のうちにすっかり手に馴染み体の一部と化した刀から、肉に刃が食い込む感触が伝わってきた。総司はその感触に、刃先を伝わる血の滴を思い描いた。だが、血は一滴も流れず、総司は思わず刀を引いた。伊東は、涼しげな顔でにたりと笑う。

「どうしました? 私を斬るのではなかったのですか?」

 伊東の挑発にかっとなって、総司は再び刀を振るった。だが刃先は肉を切る以前に伊東の腕によって軽々と止めらた。

 続いて、空いたほうの拳が総司の腹にめり込んだ。

 不覚なことに、その拍子に刀を持つ力が弱まり刀が手から離れる。

 それを見届けて伊東は体を離す。総司は体の支えを失って、その場に崩れるように膝をついた。

 ごほっ、ごほっ、ごほっ……。

 胸から何かが込み上げてくる。この感覚は前に何度も感じたことがあった。咳き込む度に口の中に血の味が滲む。

「苦しそうですね。そんなに苦しいのなら、早く永遠など捨ててしまえばいいのに……」

 上から見下ろして伊東が言う。総司は、きっと彼を睨み付けた。

 すると目に入ってきたものがあった。先ほど自分が切りつけた部分から、血ではなく白いものが見え隠れしている。

(骨……?)

 その考えが思い浮かぶや否や、無機質な笑みを浮かべた者の正体を察して、総司は地に落ちた刀に慌てて手を伸ばした。けれども、その行動を予想していたとばかり、伊東の足が総司の手を踏みつける。

 総司は、ぐっ痛みを堪えて唇を噛み締めた。唇が切れしまったが、先ほど吐いた血のせいで、どちらの血の味かわからない。

「伊東先生、それ以上は御止め下さい」

 血を吐いた総司の姿に驚いて今まで黙っていることしかできなかった平助だったが、さすがに苦しむ総司の姿に耐えられなくなったのか、総司を背に庇い伊東の前に立ちはだかった。伊東は総司の腕から足を離し、平助を忌々しげに睨み付ける。

「そこをお退きなさい。そして、あなたは黙って、私が永遠を手に入れる瞬間を見届ければいいんです」

「いいえ、退きません!」

 平助は大きく手を広げて、ふるふると首を振った。だが、伊東は、平助の言うことを聞く気などさらさらなかった。

「退けと言っているんです!」

 伊東は、左右に大きく広げられたうちの片腕を掴み、そのままそれを手前に引いて平助の体を払い除けた。突然のことに足の踏ん張りがきかなかった平助は、前のめりに倒れる。伊東は平助を一瞥することもなく、総司が拾おうとした刀を代わりに拾い上げると、その切っ先を総司へと向けた。

「さあ、大人しくあなたのその力を私に渡しなさい」

 そう言い終わるや否や、伊東はその刀を振り上げた。刀が空を切る音がして、総司は思わず目を瞑る。今まで数多くの人を切ってきた総司だったが、斬られる事がこんなに怖いとは思っても見なかった。

 しかし、カキンッと金属がぶつかりあう音がして、いつまで経っても襲ってこない衝撃に、総司はゆっくりと目を開けた。

 総司の目に最初に飛び込んできたのは、刀が再び地に落ちる光景だった。次いで自分を庇うように立った黒い背中を見上げる。

 始めは平助が再び庇ってくれたのかとも思った。だが、見覚えがある背中は見間違うはずもない。

「進、くん……」

 のどに血が絡み掠れた声で総司はその名を呼んだ。

「遅くなって悪かったな」

「邪魔が入ってしまったようですね」

 進の背に隠れて、総司には伊東の姿は窺い知ることはできなかったが、悔しそうに伊東が履き捨てた台詞が届く。

「今回は、引かせてもらいましょうか。ですが、私は諦めたわけではありませんよ。平助!」

「はい!」

 伊東の呼び掛けに平助が立ち上がる。平助は踵を返した伊東の背と総司たちを交互に見た後、ぺこりと頭を下げ、伊東の後を追い去っていった。

 それを見届けた後、進が振り返って尋ねる。

「大丈夫か?」

「……一応は、ね。でも危なかった。彼の目的は、時の旅人の力だったようだから」

「時の旅人の? 人がなぜ時の旅人のことを知っていたというんだ?」

 進は伊東が去った方向に目を向ける。

「彼は人じゃないよ。あれは、人の皮を被ってはいるけど、中身は確かに彷徨い人だった」

 進は総司の言葉が信じられないとでもいうように、勢いよく総司を振り返った。過去何十年、何百年と彷徨い人達と対峙してきた進だったが、人の皮を被った彷徨い人など出会ったことなどない。進は総司の質の悪い冗談だと思いたかった。しかしここは冗談をいうような場面ではない。確証あってのことだと進も理解していた。だから進はことの次第を聞こうと口を開きかけた。

 だがその時、辺りが慌ただしくなったのに気付いて口を噤まざるを得なかった。土方が、永倉と原田を連れてやってきたのだ。

「総司!」

 呼びかけに応え、総司は三人を安心させようと微笑んだ。それを見て永倉と原田は表情を和らげたが、土方は状況説明を求めようと険しい表情のまま進を見た。

「山崎、伊東の野郎は?」

 冷静に状況把握を試みる土方に流石だなと思いつつ、進は伊東が去った路地を指差す。

「平助と共にあちらの路地に。あくまで、御陵衛士として新撰組を離れた者達なので、脱走とも判断できず、取り逃がしましたが……」

 不都合だったのでしたら申し訳ありません、と進は最後に軽く頭を下げる。

「いや、それでよかったんだ。ご苦労だったな、山崎」

 進に頭を上げさせて土方が労う。進はお役にたててなによりですともう一度頭を下げた。土方はそこで確認すべき事柄を確認し終えたようで、進から総司へと意識を移した。

「悪かったな、総司。伊東が永倉や斉藤に目をつけているのはわかってたんだが、斉藤という餌を与えた以上、お前にまで手を出してくるとは予想外だった」

 総司に寄り添うように腰を屈めていた永倉が、自分の名が出たことに驚いた表情を見せたが、土方が気にしていない様子だった。

「いいえ、土方さんは悪くありませんよ。悪いのはあんな奴に遅れをとった僕の無力ですから」

 総司はそう言って儚げに笑った。土方達三人はその表情に思わず固まったが、すぐに原だが「お前の剣の腕で無力っていやぁ、他の剣客達はいったいなんだってんだよ」と声を上げて笑い、総司の背をばしばしと叩く。その様子に、永倉は苦笑を浮かべ、土方は「総司らしい……」と呟きをもらし、総司に手を差し出した。だが、その遣り取りを少し離れて見ていた進だけは険しい表情を浮かべたままだ。ただ一人、進の表情が見えていた総司は、そちらに一瞬視線をやったが、永倉によって原田の平手から解放され、促されるまま土方の手を取ろうとする。けれども先ほど感じた胸の内からむかむかと込み上げてくる嫌な衝動に、差し出し掛けた手を止めた。くっ……。と、その衝動を飲み込むように咽喉を鳴らす。

(気付かれてはいけない)

 総司は耐えようとした。

 しかし胸を突いた痛みに、気が付けば胸に手をやっていた。

「どうしたんだ、総司?」

 様子が急変したことで、再び心配そうに土方が問い掛けてくる。けれど痛みで言葉を音にできない。

「おい、総司……」

 見兼ねて、土方が総司の肩に手を添えた。その拍子に一際強い衝動が込み上げてきて、総司は我慢できずに前屈みに体を折った。

 ごほっ! 

 口元を覆うようにやった手の指の隙間から、受け止め切れなかった血が滴り落ちる。血を失い過ぎたせいか、総司は眩暈を覚えた。

(とうとうやってしまった。土方さん達に知られてしまった……)

 総司は、土方達がどんな顔をしているのか見るのが怖くて、顔を上げられないまま、地に落ちた血痕を見詰めた。

「総司」

 一際低い声が頭から降ってくる。怒っている、そう感じて総司は肩を震わせた。

「これはどういうことだ。なぜ黙っていた」

 言い訳を探すも良い言い訳が見付からない。そのことがただでさえ良くない気分をさらに下落させた。対する土方は、いつまでも口を開こうとしない総司に痺れを切らして、総司の体調もお構い無しに、総司の胸倉を掴む。首元を絞められる形となり、総司は自然と顔を上げざるを得なくなった。顔を上げると、土方の顔がすぐ近くにある。普段、弱みを見せたがらない土方の性格を考えると、見たこともない今にも泣き出しそうな表情だ。

「おい、土方、止せ。怒りをぶつけるだけじゃ、どうにもならないだろ」

 暫くそのまま顔を突き合わせていたが、原田が止めに入る。いつもは粗雑な原田だが、野生の勘とも言える危機回避能力で気まずい雰囲気を和らげてくれた。土方は、原田の言葉に、今の自分の姿がただの八つ当たりにしか見えないことに気付いたのだろう。舌打ちをして「わるかった」と手を離す。総司は着物の胸元を直しながら、軽く咳きをした。今度は血を吐きはしなかったが、心配した永倉が背中を擦ってくれた。それで気分が少し落ち着いたが、それでも顔色は良くないらしく、咳きが収まり礼を述べても、永倉は背を擦る手を止めなかった。

「どうやら、話は休息の後にするしかなさそうだな」

 そう言って土方が溜め息を吐いた。

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