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語り継ぐ者【2】

 その日もまた雨が降っていた。

 縁側で草木を打つ雨粒を見詰めていた総司は、湿気のため広がった髪を結い直して、空を見上げた。黒い雨雲が空を覆っている。朝から降り続いている雨は、一向に止む気配を見せない。

 今日は総司の率いる一番隊が市中見廻りの当番の日で、この雨の中午後から町にでなければならない億劫さから溜め息を吐く。雨は嫌いではないが、如何せんこう雨ばかり続くと気が滅入って仕方がない。その上、七月というと、気温が高くなるため異様に蒸し暑い。

 それがさらに気分を下落させるのだ。

 結い上げたことで少し風通しがよくなった首筋に浮かんでいた汗を拭って、総司は考えた。

(暑いし、今日の市中見廻りさぼりたいなぁ) 

 だが自分を呼ぶ隊員の声が聞こえて、その考えを振り払うように首を振る。

(いかん、いかん、そんなことしたら、土方さんになんて言われるか。それに、自分がここにいる本分を忘れてはいけない)

 総司は呼び声に、「今行く!」と返事を返し、羽織を手に立ち上がった。



 雨の所為もあって、いつもは賑わいをみせる京の大通りの人影は疎らだった。といっても、いつもより少ないというだけで、傘を差した者たちが着物の裾を汚さないように器用に行き交っている。そんな中を、雨が少し小降りになったことをいいことに、傘を差さずに歩く。いつもは颯爽と風を切ってなびく羽織が、今日は妙に重たい。

「隊長、雨がまた酷くならないうちに早く見廻り終わらせちゃいましょう」

 隊長である総司を除いて、一番隊の中で一、二の剣の腕を誇る男が後ろから呟きをもらす。総司も同じような思いだったので肯定の意を表そうとした。だがこういう日に限って仕事が増えるものだ。通りの片隅に佇む進の姿を見付けて、その言葉は飲み込まざるを得なくなった。何食わぬ顔をしているが、他の隊員も進の姿に気付いたらしい。総司は隊員たちに、自分は後から追いつくから通常の見廻りを続けるように指示を出すと、裏通りに消えた。

 しばらく裏通りで待っていると、示し合わせたかのように進がやってくる。

「総司、お前仮にも病人なら傘ぐらい差してきたらどうだ」

 羽織の藍色が雨に濡れて濃くなっている。その羽織が雨具代わりになって、服はあまり濡れていないのだが、進は手にしていた傘に総司を招き入れた。

「大丈夫だって。第一、もしもの時に傘なんて邪魔になるだけだし……」

「人の忠告は素直に受け取っておくものだぞ」

 シゲくんは心配性だなぁ、と苦笑を浮かべた総司の頭を成則が小突く。

「ところで、監察方のシゲくんがわざわざ市中見廻りを待っていたなんて、何かあった?」

 小突かれた箇所を擦りながら総司が尋ねた。進は肯定を表すように頷く。

「三条通りから程近い丹寅という料亭に攘夷浪士が集まっているようだ。任せていいか?」

「了解。でも、その料亭って池田屋のとき、土方さんたちが出向いた宿の離れでしょ? 案外灯台下暗しってことかな」

「そうかもしれないな」

 総司の言葉にその考えを察したのか、成則は眉を寄せる。

「遥華の連れの旅人に会えるかな?」

 旅人としての仲間に会えることを喜んでいるのか、それとも、その旅人と戦うことを臨むところだと意気込んでいるのか、総司の表情はどちらとも判断しかねた。

「じゃあ、俺は戻って奴らの動きを張っているから、お前は隊を率いて、早めに来いよ。言っておくが、無茶はするな」

「わかってるよ。じゃあ丹寅でね」

 落ち合う場所を確認するようにもう一度口にして、そのまま先に行かせた隊員の後を追うため、総司は通りに消えた。



「御用改めである!」

 隊の一部を裏口に回らせた総司は、大きく息を吸うと、料亭の入口で大声を上げた。

 その声を聞きつけた料亭の責任者らしき男が、慌てた様子で奥から出てくる。彼は進路を塞ぐようにしてその場に膝を折り、丁寧に一礼をした。

「これは、これは、新撰組の皆様。今日はどういった御用件で?」

「こちらに不逞浪士どもが寄り集まって、何やら相談事をしていると聞き及んだんですよ。あがらせてもらいますよ、主人!」

 主人が嫌な顔をするのも構わず、自分の後ろに控えた数名の隊員に合図を出す。彼らを従えて総司はどかどかと宿に足を踏み入れた。

 昼時は過ぎている上、一番客が入る夕刻にはまだ早い。総司は迷うことなく唯一気配が窺える部屋に足を向けた。

 部屋の中の気配を確認して、すっと腰から愛刀を引き抜く。数は四、五と言ったところだろうか。逸る気持ち落ち着かせるため深呼吸をして襖に手を掛けた。

「浪士ども、新撰組だ、神妙に致せ!」

 襖を勢いよく開けたと同時にきらりと刀が翻った。同時に、キーンッという金属音が響く。そのまま斬りかかってきた相手の力を利用して、流れるような最小限の動きでその刀を退け、懐に飛び込んだ総司は、相手をいとも容易く斬り倒した。

 ぐっ、と苦しそうに呻いて倒れていく相手を後目に、総司は部屋の中にまじまじと目をやった。二、三人の男達が抜き身の刀を手に睨み付けてきていた。だが、座布団の数からすると男たちの人数が少な過ぎる。

 おそらく、この男達は足止め役で、残りは裏口に向かったのだろうと目星をつける。もしかしたら、この男達が足止めを買って出るほどの重要人物が居るのかもしれない、と部屋に残っていた浪士を瞬く間に斬り倒した総司は、後片付けを従ってきた隊士に任せ裏口へと急いだ。


 辿りついた裏口では、もう既に戦闘が始まっていた。刀のぶつかり合う音がどんよりとした湿気を帯びた空気の中にいたく鮮明に響いている。

 ちょうど刀を交えていた浪士を斬り伏せた隊士が、総司に気付き声を上げた。

「隊長、ここは任せて追って下さい!」

 声につられて目をやると、ちょうど浪士が三条の方の大通りへと繋がる小さな通りに姿を消そうとしている。まだ日が暮れていない今の時刻、闇に乗じて逃げることは無理でも、人波に乗じて逃げることは容易い。いくら雨で普段より人通りが少ないとはいえ厄介だ。総司はその言葉に従いその後を追った。

 追ってくる総司に気付いたのか五人ほどいた浪士は十字路で三方に別れ、散り散りに逃げる。総司はチッと舌打ちをした。相手も馬鹿ではないらしい。

 総司は少しでも多くの浪士を捕えようと、人数の多い道を選ぶ。

 多少の人数が多かったところで総司は負ける気などしなかった。

「待て!」

 総司の声に浪士の一人が足を止める。

「先に行け!」

 二人居たうちの年配の浪士が、二十歳くらいの若い浪士を庇うように立ち塞がり声を上げた。歳若い浪士は、その年配浪士を心配そうに見詰めたが、その声に促されるまま駆けて行った。

「お手合わせ願う」

 すっと腰に差した刀を鞘から抜き、道を塞ぐように立ち塞がった浪士は刀を構えた。

(仮にも一番隊隊長である自分に勝負を挑むなど、面白いではないか)

 ふっと笑って総司も同じように刀を構える。

「いざ、勝負!」

 気合を入れるような一喝の下、刀が交差する。勝負は一瞬のうちについた。浪士は多少なりとも剣の腕に自信があったにか、はたまた、こんな若造に負けはしないと思ったのかもしれないが、天才と呼ばれる総司にとってはたいしたことない相手だったのだ。だが例え勝負が一瞬のうちについたとしても、先の浪士を逃がすのには十分な時間だった。もう、先ほどの浪士は大通りまで行き着いただろうと思いつつ、刀に付いた血を払うと、総司は駄目もとで浪士を追おうとした。

 しかし、総司の予測は思わぬ形で破られた。

 少し進んだ先で、先ほどの浪士が白い物体に進路を塞がれて立ち往生していたのだ。総司は、しめたとばかりに浪士に斬りかかろうとした。だが、

 カタッカタッカタッカタッカタッカタッカタッ――――――――――――

 と一斉に白い物体が乾いた音を上げる。その音を聞いた瞬間、その障害物の正体に気付いて、総司はさっと青ざめた。自然と足は一歩、二歩と抗体を始めている。

 音をあげたその白い物体は、何体もの白骨だった。そして、その白骨の正体を、時の旅人である総司は誰よりも理解している。

 時の彷徨い人―――

 永遠を求め、時を彷徨う彼らは、時の旅人を喰らう存在。いわば時の旅人の天敵なのだ。

 カタッカタッカタッカタッカタッカタッカタッ―――――――――――― 

 再び、時の彷徨い人が一斉に顎を打ち鳴らす。

 彼らは歓喜しているようだと総司は思った。だが彼らはいつまでも自分に襲いかかる気配がない。その事実に総司は首を傾げる。

(これではまるで、奴らの狙いはあの浪士のようではないか)

 そして傍と気が付いた。

(彼こそが遥華の連れの旅人なのか?)

「くそっ!」

 白骨に囲まれることで今まで体を強張らせ、身動き一つ取らなかった浪士が、意を決したように彷徨い人に斬りかかった。それが始まりの合図だったかのように、対する彷徨い人がわっと浪士に向けて襲い掛かる。浪士の黒い髪が見る見るうちに白の中に埋もれていくのが見えた。しかし、その黒がすべて埋まってしまう前に、自分の横をもう一つの黒が通り過ぎた。何だ――とその正体を確認する暇もなく、その影は彷徨い人を手にした刀で斬り倒すと、その中に埋もれていた浪士を引きずり出す。それと同時に、影の主の顔が窺い知れた。

「シゲくん、なぜ助けるのさ!そいつは攘夷()浪士()じゃないか!」

 掴んでいた浪士の襟首を離し刀を鞘に収める進の姿に総司が声を上げる。声にした方に成則が顔を向けた。その傍らで同じように浪士も顔を上げている。

 助けられた浪士は総司の声に我に返り、やっと自分が新撰組の者に助けられたのだと理解できたらしい。

 不審の目を横に立つ成則に向けていた。

「助けるも何も、彷徨い人を静めるのが俺の仕事の一つでもあるからな」

 成則は白い砂と化した彷徨い人を忌々しそうに見詰め、小さな砂山を成していたそれを蹴り崩した。総司はその行為に、成則は彷徨い人に祖母を殺されたも同然だったのだと思い出して謝罪する。

「ごめん。無神経なこと言っちゃったかも」

「いや、気にするな。お前が言ったことも一理ある」

 成則はそう言うと、先ほどから声一つ発しない浪士へと目をやった。自然と視線がぶつかり合う。さらに総司の視線も横から受けて、浪士はまるで日差しを受けて熱くなった岩盤に足をのせた瞬間のように、肌に突き刺さる視線に耐えられず、反射的に視線を逸らした。

「ねえ、シゲくん、本当にこいつ、時の旅人なの?」 

 その浪士の余りにも情けない態度を目に、総司が顔を顰めた。対する男は、単なる新撰組の隊士だと思っていた相手が、時の旅人のことを知っていることに目を丸くしている。

「彷徨い人に狙われるのは時を渡る力を持つ者だけだ。まず間違いないだろう。それに、遥華が居たこともこれで辻褄が合う」

 遥華という名を出した瞬間、今まで目を丸くして固まっていた浪士の肩が僅かに震えたのを二人は確かに見て取った。それは、遥華のことを知っていると言っているも同然の行為である。総司は進と顔を見合わせると二人同時に溜め息を吐いた。

「旅人さん、あなたの名は?」

 浪士はなぜ名を聞いたのか分からなかったが、いくら新撰組といっても助けてもらった手前無碍にもできず、渋々ながら名を口にする。

「修平」

「そう、修平、遅ればせながらご挨拶。僕は時の旅人、蒼矢。この時代では、沖田総司と名乗っている」

「沖田?まさか、新撰組一番隊隊長の!」

 沖田と聞いたとたん修平の顔が青ざめる。予想した通りの反応に、総司は「僕も有名になったもんだね」と苦笑を浮かべた。その隣でどうしたらこの場でそんな台詞が言えるのかと進が呆れ顔をする。だが、修平の方には余裕は無かった。

「なぜ新撰組に時の旅人が居るんだよ!」

「僕らにしてみたら、その言葉そっくりそのまま君に返したいんだけど」

 いつのまにか自分が時の旅人だと認める形になってしまった修平は、二の句もつげないで言葉を詰まらせた。

 それをいいことに総司が言葉を続ける。

「別に本来他の旅人がどこで何をしようが構わないのだけど、僕らの場合敵対する勢力についているでしょ? それって所謂不毛な争いじゃないのかな。時の旅人は、時の流れの外を生きるために不老不死なわけだし……。だからさぁ、この時代から手を引いてくれない?」

 鋭い眼光に射抜かれて、修平は喉元に刀の切っ先を突きつけられたような感覚を味わった。だが自分もこの時代を気に入っている以上、はいそうですかと引き下がりたくはない。

「いいえ、引きたくありません。それに、仮にも時の旅人なら、あなたはご存知のはずでしょう? この先新撰組が辿る末路も……」

「馬鹿! それは禁句だ!」

 進の怒声が聞こえるのが早いか、最後まで言い切らないうちにぶわっと風が起こる。総司が修平に真剣を向けている。修平が進の言葉に反応して思わず身を引かなければ、腕を一本持っていかれていただろう。

「言っておくけど、新撰組は滅びないよ。僕が守ってみせるんだから」

「歴史を変えることは、掟破りですよ」

「そんなの知ったことか。だから、そのためにも君は邪魔なんだよ。手を引かないと言うのなら、手を引かざるを得なくするまで」

「止めておけ、総司」

「シゲくんは黙ってて」

 総司は、進の制止も聞かずに刀を構え直す。修平はそれを見てとって、彷徨い人との交戦時に折れてしまった刀を捨て、隠し持っていた小刀に手を掛けた。

 たが息苦しいまでの緊張感に包まれていた空気は、刀を交える直前に緊張から困惑へと変化した。

 総司の体が怪我を負った訳でもなく傾いてきたのだ。

 修平は思わず手を伸ばしその体を支えた。

 瞬間、ごほっ――と総司が咳き込んで、服に生温かいものが染み込んでくる。何が起こったか確認する前に、進が修平の腕から総司の体を預かった。重みが感じられなくなって、修平はやっと思考が追いついたてきた。口元を血に濡らす総司の姿を見て、顔色を変える。

「蒼矢さん、あなたもしかして……」

 時の旅人は本来病気などしない筈なのにと考えて、修平は一つの結論に至っていた。

 だがその予測を確かめる前に、総司が震える手で振るった刀が頬をかする。考え事をしていて油断していたため、ぱらりと頬に掛かっていた髪が舞って微かな熱と痛みが修平の頬を侵した。

「総司、止せ! そんな体で……」

 横から進が総司の刀を持つ手を押さえつけて、刀を納めさせようとする。しかし、総司はそれに大人しく従いはしなかった。

「止さないよ。彼が僕の敵である以上、新撰組を守るため、少しでも不安要素は減らしておきたいと思うのは当たり前じゃないか」

 どんどんと血の気の失せていく青白い顔で、総司は進を睨み付けている。

「シゲくん、離して」

 だが進は腕の力を緩めなかった。そして総司に言葉を返すより先に、修平に向かって叫ぶ。

「早く行け! 今のうちに!」

 進の行動の真意は分からなかったが、修平はぺこりと頭を下げると、言われた通りに踵を返した。後方で何やら言い争う声が聞こえたが振り返ることはしなかった。

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