語り継ぐ者【1】
雨の降り出しそうな空を縁側で眺めていた総司は、門を抜けやってきた人影を見つけ声をあげた。
「す、す、む、くーん。おかえり!」
進は一週間ほど前から、攘夷浪士が出入りしていると思わしき宿の張り込みのため屯所を留守にしていた。その進が帰ってきたものだから、総司は縁側から腰を上げ、進の背に背後から勢いよく飛びついた。
近頃、総司は山南の死を振り払うように殊更明るく振舞うことが多くなっている。それでも進は変わることなく、総司を怒鳴りつけるのが常だった。しかし今日は進の反応が返ってこない。
「どうしたの、進くん」
総司は訝しく思って後ろから回した腕を解いた。
進は黙って微動だにしない。
「ねぇ、どうしたのさ?」
「……が居た……」
進の眼前に回り込んでその顔を覗き込んだ総司に、進はぼそりと何かを呟いた。だが、それはあまりにも小さな呟きだったため、総司には聞き取ることができなかった。
「ごめん、進君もう一度言ってくれる?」
総司は進に耳を近づける。進は意を決したように再び言葉を搾り出した。
「遥華がいたんだ」
それが音になった瞬間、時が止まったかのように二人は黙り込んだ。
屯所の道場のほうから聞こえる竹刀のだけが唯一、時の流れを表している。
二人にとってその名はあまりのも馴染み深く、それでいて計り知れない重さを思っている。
二人がこうして出会う切欠を作りだした人物であると同時に、遥華は謎多き人物である。けれど彼がこの時代にいる意図はかならずどこかにあるのだろう。
しばらく、そうして黙り込んでいたが、先に時を動かしたのは進だった。
「偵察に行った宿屋に、攘夷浪士たちと共に遥華が居たんだ」
進が話し出したことに感化されて、総司も呪縛から解かれたように喋り出す。
「どうして遥華が!時の案内人である遥華がいるなんて……まさか!」
そこまで口にして、総司は、時の案内人である遥華がむこうにいる理由に思い至ってはっとした。
(遥華がむこうにいる理由なんて一つしかないではないか)
「おそらくそのまさかだろう。むこうにも、時の旅人がいるんだ」
知りたくもない真実を知ってしまった。
頬を雨粒が打つ。
朝方から嫌な予感がしていたが、とうとう降り出したようだ。嵐になる予感がして、総司は雨の冷たさに身震いをした。
時の案内人は、久方ぶりに降り立った地で、先程まで物陰に隠れこちらを窺っていた気配がなくなったことに気づいて目を細めた。
こちらが気付いたのだから、おそらくシゲも気付いたことだろう。
人の出会いは戯曲を織り成す――――――。
これから彼らはどんな戯曲を見せてくれるのだろうか。
遥華は窓辺に腰掛けて、いつの時代の歌かわからない鼻歌を雨音に合わせて口ずさんだ。
「遥華、今日は随分と機嫌がいいな」
その鼻歌につられ、居合わせた男は刀の手入れをする手をとめる。
歳の頃は、二十歳といったところだろうか。髪は髷を作ることはせずに後ろ手で一括りにされている。金の髪の遥華と並べば、人々はどこか外国の商人の護衛と判断しただろう。だがここへ来た目的を考えれば、目立つことは得策ではないことはわかりきっている。遥華は、普段はその金髪を隠しているため、騒がれることは避けられた。
だが遥華は今、その長い金髪を惜しげもなく晒している。こうして無防備になるのは彼の気分がとてもよい時だと男は理解していた。
「そんなに機嫌がええかな?」
「ああ、いつもより断然よく見える」
出会って間もないこの案内人は、わからないことだらけだったが、男には機嫌が良いということだけは断言できる。
「何か良い事でもあったのか?」
男の問い掛けに、遥華はもったいぶったように唇に弧を描く。
「時が来ればわかるよ」
そう言って、遥華は通りに目を戻してしまった。