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犠牲【2】

 みつが泣き止み、二人で桜の木の下で今は亡き旅人たちへ祈りを捧げた後、二人は連れ立って山を下りた。

 そして京の街まであとわずかというところで、街道を行きかう人の中に見慣れた姿を見つけて、総司は首を傾げた。

「山南さん?」

 山南はここ最近隊長が優れずに、部屋に篭ることが多くなっている。そのため外に出掛ける山南の姿を見たのは本当に数日ぶりだ。しかしそれは良いことのはずなのに、違和感が拭えない。山南の隣に旅装のような荷物を抱えた見慣れない女が寄り添っていることが総司の違和感を増幅させた。

「何してるの、総ちゃん。早くしないと置いていくわよ」

 だがその違和感の正体を掴む前に、急かすようにみつの声が掛かる。総司は違和感を振り払うように頭を振ってみつに従った。

 それから甘味処で休息をとり、みつと別れて総司が屯所に帰りついたのは、昼を少し過ぎた頃だった。いつもなら昼食の後の昼の稽古や、午後の見廻り準備が始まっている時間である。しかし、今日はどこか静かだった。

「総司、お前帰っていたのか!」

 総司が首を傾げながら屯所の中を進んで行くと、対面から近藤が慌てた様子でやって来た。局長という座についてから常に落ち着いた振る舞いを心掛けていた近藤のあまりの慌てように、事の内容は分からないまでも、その深刻さだけは察することができる。

「近藤先生、落ち着いて下さい。僕の留守中に、いったい何があったんですか?」

 近藤はゆっくりと息を吸いそれを吐き出した後、手にした紙を総司に差し出した。総司はそれを受け取り、目を落とす。

『私はいやしくも総長の職にあるのに、その意志が隊に反映されないのは、土方歳三らのためだ』 

 そう取れる内容が、几帳面で丁寧な字で綴られていた。これを書いたのは文面からいって山南さんだ。このような手紙を残す意味を悟って、総司は血の気が引くのを感じた。

(街道で見かけた山南さんの姿旅装に近くなかっただろうか)

 すなわちこれは山南の新撰組からの脱走を意味している。

(どうして山南さんが脱走なんて……)

 総司が未来で見てきた歴史では、近藤が拘束された後、試衛館時代からの仲間も含め函館に渡った新撰組はそこで皆で最期を迎える筈だった。総司は池田屋ではその歴史を変えるために禁まで犯したのだ。それなのに、こんな所でそれが無駄になるというのか――。

「っく……」

 感情が高ぶった総司は、奥歯をぐっと噛み締め、その感情の波をやり過ごそうとした。しかしそれは無駄なことだった。握りしめられた手の中で、ぐしゃりと置き手紙が握り潰される。

「総司?」

 近藤が訝しそうになを呼んだが、総司は黙って踵を返した。

「おいっ! 総司、どこへ行くんだ。山南さんを連れ戻すつもりなら、止めておけ。あの人にはあの人なりの思うところがあってのことだろうから」

 山南の急な脱走には動揺の色を浮かべていた近藤だったが、山南の脱走自体には肯定的なようだ。

 その思いを感じとって、総司は思わず足を止めた。

 近藤の言葉には、どこか喜びの色も窺える。近藤は近藤で、部屋に篭りなにやら思い悩んでいた山南のことを案じていたのだろう。思い悩んだ末に山南が出した答えが脱走なら、近藤はそれを受け入れるつもりだ。

「近藤先生、でも……」

 どちらが山南にとって最適なのか――それは総司にもわからない。

 だからか総司の中にも一瞬の迷いが生まれた。

 追うべきか。追わざるべきか。

 そんな中、総司の迷いを振り払うように、助け船を出す声が響く。

「行かせてやれよ、近藤さん」

「歳っ!」

 近藤の後ろから姿を現したのは土方だった。彼の名が書かれていたために、近藤は土方にその文を見せていなかったのだろう。彼が現れたことへの驚きが顔にありありと浮かんでいる。

 土方の後ろに永倉や原田がいることから、土方は二人からことの次第を聞き及んでやって来たのだろう。

「どうしてそんなことが言えるんだ、歳。連れ戻したところで、法度がある。脱走者に待つのは死だけなんだぞ」

 局中法度。それは一.士道に背きまじきこと、二.局を脱するを許さず、三.勝手に金策いたすべからず、四.勝手に訴訟取り扱うべからず、五.私の闘争を許さず、という隊内での禁令五か条のことであり、背きし者には切腹を申しつけるものである。

「だからって追いもしなかったら、他の隊士に示すがつかないだろう? 局長達は、馴染みの山南の脱走を見逃したのかって、隊士達に不満が広がる」

 それは尤もな事だ。隊内の規律を守るために定めた法度を幹部自ら破ることは、隊の規律の崩壊に繋がる。逆に言えば、幹部自ら率先して法度を守れば、その分隊内の規律意識は堅いものになる。

 近藤は土方の言葉に唇を噛んだ。

 土方の考えは正論で、返す言葉が見つからず、自らの気持ちとの折り合いがなかなかつかないのだろう。

 それ以上近藤が言葉を口にしないことを確認して、土方は一つ大きく溜め息をついて総司に目を向けた。

「総司、お前に山南の追跡の命を申し渡す」

 そこで一旦言葉を区切り、土方は総司の耳元に顔を寄せた。

「でも、いいか、総司。万一、もし万が一でも日が暮れるまでに山南に追いつけなかったら帰って来ても構わない」

 万が一と含みを持たせた言い方に、総司は頷いた。

 山南に戻る意思がないのなら、見逃しても構わない、土方は暗にそう言いたいのだろう。鬼と呼ばれながらも、土方が不器用な優しさを持ち合わせていることを総司は知っている。

 総司は「大丈夫ですよ、近藤先生」と心配する近藤に言葉を残し、厩へと急いだ。





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