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犠牲【1】

 攘夷集団として結成された新撰組は、八月十八日の政変後、幕府に命じられて市中見廻りを主な任務にするなど、攘夷という本旨を見失いつつあった。

 それは攘夷の志篤かった山南にとっては心の痛むところである。そのため山南はある計画を胸の内に抱くまでになっていた。山南はその思いを誰にも相談できぬまま日々を過ごすことになる。

 そして、季節は流れ、冬も終わりに近付いた頃。

 いつぞや成則が持ってきた手紙の通り、みつが京を訪れたのは、藤堂の勧誘による伊藤甲子太郎の入隊で慌しく過ぎた年越しから一息吐いた元治二年如月――そんな冬の晴れ間のことだった。

 初めは自分が禁を犯したことを聞きつけてやってきたものとばかり思っていた総司は、いつものように接するみつの姿に、それまでにない安堵を感じた。久方ぶりの姉弟水入らずの日々は総司の日々募る心労を癒すには良薬であったのだ。総司はこの時期にみつが訪問してくれたことを有難く思った。

 そんな折、

「明日、御墓参りに付き合って頂戴」 

 とみつがその言葉を口にしたのは、京に来てから三日が過ぎた頃のことだった。

 夕暮れ時の京の街を連れ立って歩きながら、みつは事も無げに言ったのだ。総司は寒さに身を震わせながら、唐突なみつの願いに鸚鵡返しに問い返す。

「墓参り?」

「ええ、そうよ」

 みつの表情は寒さのせいなのか酷く強張って見える。総司はどう答えたものか考えあぐねて、さらに質問を返すことにした。

「でも、それなら姉上一人の方が……御墓と言うからには姉上の大切な人のでしょう? 僕なんかが行っていいの?」

 総司の問いに対してみつは何かにか迷っているようであった。それでも彼女は、「一人で行くのが辛いの」とぽつりと呟きをもらした。いつもは決して弱音を晒さないみつが、今日は何だか弱弱しく見える。総司はそっとみつの手をとった。

「奈都さん……」

 思わずみつの真名を呼べば、みつの手に力がこもる。その手が震えているのを感じとって、総司はその手を握り返す。

「わかった。一緒にいこう」

 その言葉に微笑んだみつの顔が、総司にはとても儚げに見えた。


 その翌日。

 羅生門跡から南にまっすぐ進むと、淀川が桂川と加茂川に分岐している地点に行き当たる。その分岐点からさほど遠くない、旅人が休憩をとる小さな峠茶屋が二人の待ち合わせ場所だった。店先に備え付けられた椅子に腰かけ茶を啜っていたみつは、現れた人影に声を上げた。

「遅かったわね、総ちゃん」

「待たせてごめんなさい。出掛けに土方さんに一つ遣いを頼まれてしまって……」

 どこか拗ねたように総司が言うと、みつは総司と土方の押し問答が想像できたのか苦笑を浮かべる。

「それなら仕方がないわね」

「でも、姉上をこんなに待たせてしまって……」

「いいのよ、京に不慣れな訳でもないのだから。それよりも、謝る時間があるなら、早く目的地に向かいましょう」

 話を切り上げてたみつは小銭を湯飲みと共に盆の上に置き立ち上がる。

 勘定を済ませ、二人は並んで歩きだした。  

 葉が落ち、乾いた木枯らしに打ち震える木々が山の斜面に身を寄せ合っている。道行く景色は変わり映えがなく、総司には今自分達がどのあたりにいるのかよくわからなかった。

 しかしどのくらい歩いただろうか。

 総司が疲れを感じるより早く、みつの足が止まった。

「姉上?」

 総司が声を発すると同時に、みつは振り返った。

「これを登れば目的地よ」

 みつが指差す先にはひっそりと山の頂に続くであろう石段がある。落葉樹の多い山々にあって、そこだけはその石段を隠すように、背の高い木と背の低い木が入り組んでいる。総司は、思わずごくりと喉を鳴らした。その石段の数に眩暈を覚えたわけではない。この山を包む神聖な雰囲気に圧倒されたのだ。

「さあ、行きましょう」

 思わず身を引いた総司の手を取り、みつが石段に足を掛けた。一歩――。促されるまま総司も石段に足を掛ける。

 すると――景色ががらりと変わった。

 驚きに視線を忙しなく動かせば、先ほどまで自分達がいたはず石段の登り口が遥か下に見える。

(この石段、もしかして……)

 総司は、この石段に覚えがあった。

 だから、この山の頂上に在るはずのものも知っている。だがもしその予測があっているなら、この先に在るはずのものは墓などではないはずだ。総司は、自分の前を行くみつの背中を見詰めた。

(奈都さんはいったい何がしたいのだろう)

 そう思った瞬間みつが振り返った。

「もうすぐ山頂よ」

 みつの言葉と共に視界が開ける。そこには天を覆うように大きく枝を伸ばした桜の木が立っていた。

 自分の予測は正しかったのだと総司は確信する。

「やっぱり、千年桜……」

 その呟きを聞いて、みつは自嘲気味に笑った。

「知っていたのね、総ちゃん」

 どうやら、みつは総司がこの桜の存在を知っているとは思っていなかったようだ。

「知っていたもなにも、御墓参りに行くつもりじゃなかったのですか?」

「総ちゃんは、何か勘違いしているようだけれど、この桜そのものが私が言っていた御墓なのよ」

「この千年桜が?」

「ええ。総ちゃんは千年桜が旅人の記憶を糧として花を咲かせることは知っているでしょ?そして、この桜は記憶を差し出した旅人の墓そのもの……」

「じゃあ、姉上の大切な人は時の旅人だったの?」

「そう、この桜の下に眠る、私が愛した人は時の旅人だった」

「え、でも、どうして、その人は桜に記憶を差し出したっていうの。二人で楽しく旅をしてたんじゃないの?」

 みつは一度目を伏せたが、顔をあげると葉のない桜の枝先を見詰めた。

「彼と出会った時、私はまだ旅人ではなかった。それどころか、私には親の決めた結婚相手がいた。それでも、私と彼は惹かれずにはいられなかった。だけど、結婚の日取りが決まった日、彼は言ったの、自分は身を引くと。私はてっきり彼は反対してくれるものだとばかり思っていた。私は泣き、彼を罵った。そこで彼は懸命に笑顔を作って言った。お幸せに。僕は君をこれ以上悲しませないように、君の中から消えるからと。そして彼は記憶を差し出した。でもね、私は彼を忘れなくなかった。だから、私もまた旅人となったの」

 話しながらみつの頬を涙が伝う。総司は何も言わずみつの背に腕を回した。みつの悲しみも分かるが、記憶を差し出した旅人の男の気持ちも分かる。

 大切な者を守るため、自らを犠牲にしたその男の気持ちは、総司が抱いている思いときっと同じだ。

「ありがとう。もう、落ち着いたわ」

 暫く泣いた後、みつは涙を拭い顔を上げた。






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