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千年桜【3】

 

「それにしても坊ちゃんが安倍の息子だったなんて驚いたわぁ」

 父もまだ帰っていないのに男を勝手に屋敷に上げていいものかと茂則は迷った。しかし、男には有無を言わさぬ行動力があった。留守を預かる式神に断りを入れると、男は屋敷に上がりこんで、ちゃっかり夕食に舌鼓を打っている。

 成則は母に帰宅した旨を伝えた後、男と共に夕食を摂っていたのだが、(あつもの)の椀に手を伸ばしかけた時式神の気配がざわめいたのを感じて手を止めた。隣を見ると件の男も酒の入った杯を手にしながらも、しっかりと玄関に繋がる廊下に目をやっている。その姿に、成則は少し感心した。

「どうやら帰って来た見たいやな」

 杯に入った残りの酒をくいっと飲み干して男は言った。すると早足にこちらに向かってくる足音が聞こえる。そして間を置かず姿を現したのは、白い宿衣を着た茂則の父であった。その姿を捉えて、男が口を開く。

「久しぶりやな、清明。勝手に邪魔させてもらってるぞ」

 すると、男の姿を捉え、いつも眉一つ動かさない冷静な清明が、

「いったい何しに来た、遥華」

 と、あからさまに顔を顰めた。

 そのいつになく低い声に、やはり連れてくるべきではなかった、と茂則は後悔した。このように怒る父の姿を、久しく目にしていない。このままでは、男を連れて来た自分にまで責が及びそうだ。茂則はどう父に申し開きをしたものかと逃避を始めている。今すぐにでも遥華と呼ばれた男に、何もかも押し付けて、部屋を去ってしまいたかった。しかし、

「つれへんな、折角、時の流れの外からやってきたのに」

 と遥華の言った言葉に、茂則はそれを思い止まった。

「遥華!」

 成則の前でその話はするなと言いたげに清明は遥華を嗜めたが、もう遅い。茂則は確かに、その言葉を耳にしていた。そして、時の流れと聞いて、茂則が思い浮かべるのは、祖母の姿だ。茂則が隣に座す客人の男を見やれば、男はその身を寄せ、

「なんや清明、そんなの今更やないか。どうせ次代の守人はこの子なんやろ?」

 と、茂則を抱きすくめた。その腕の中で茂則が嗅いだのは微かに桜の香りだった。それは人を惑わす、甘い香りだ。ぼーっとする頭で目だけを動かし、茂則は遥華を見上げる。

「おばあ様のお友達?」

「せや、わいは静と同じ、時の神の配下や。これが証拠」

 そう言って遥華が髪を振ると、今まで黒かった髪が一瞬にして金に変わる。それは、この時代にはない色合いだった。祖母とは正反対の輝きでありながら、それはどこか似てる、と茂則はぼんやりと思う。

 いつしか遥華への不信感は消えていた。敬愛する祖母と同じ時の神の配下だという言葉が大きかったかもしれない。そしてまた、自分も時の神の配下となるのだという驕りがあったのかもしれない。

「成則、お前は部屋に戻っていなさい」と見るに見かねて、清明がたしなめるように腕を引いたが、心地よい思いに慕っていた成則には気にする必要などありはしなかった。瞼が重くてたまらない。茂則が意識の中で最後に聞いたのは、父の悲しそうな後悔の声だけだった。


 次に茂則が目を覚ましたのは、まだ夜更けのことであった。しかし、ばたばたと忙しなく行き交う足音が、何かよくない兆しを知らせていた。茂則は、自分が今どこに居るのか認識するのに暫しの時間を要したが、寝起きの頭で、遥華と共に父の帰りを待っていたのだと思い出す。どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。自室で寝っていたということは父が式神に運ばせたのだろう。だがそれにして、こんな時刻に、この騒ぎはどうしたことだろうか。

 成則は上着を羽織り(ぬり)(ごめ)から出ると、(つま)()から顔を覗かせた。外はやはり暗闇で、まだ日が昇る時刻ではない。(わた)殿(どの)東対(あずまつい)に駆けてゆく式神は手にした紙燭の光を頼りにしている。夜目が利く成則は光源も持たずに式神の後を追った。

 そして、東対(あずまつい)にむかうと、明かりの元には父の姿がある。しかし、どうも父の様子はおかしい。父の前には、以前も目にしたことがある宮中からの使者が、膝を折って居住まいを正している。茂則のいる場所からでは話の内容が聞こえないため、茂則は気配を殺し尚も近付いた。すると、ちょうど父の怒気を含んだ声が聞こえてくる。

「宮中に動く白骨が現れただと!」

 父は、そう言って手にしていた扇をぴしゃりと閉じた。それに使者はびくりと肩を震わせ、その使者を気の毒に思ったのか、父の隣に立った遥華が代わりに言葉を続ける。

「要約すれば、その怪異の正体をつきとめ、退治しろってことやな」

「はい、その通りです」

 震える声で使者が答えると、遥華は父を振り返った。茂則のいる場所から確認できたその表情は、いつになく険しい。

「と、言うことらしいで、清明」

「帝には承知したと伝えてくれ」

 使者は二人に畏まったふうに頭を下げると、急ぎ宮中へ帰っていった。それを見送りながら、

「まさか、宮中にまで彷徨い人が現れるとは……」

 と父が呟きをもらす。その呟きに茂則の肩が震わせた。彷徨い人は祖母が戦おうとしている相手だったからだ。

「わいも、今回はいつもより彷徨い人は多いとは思うとったが、流石にこれは予想外や」

「ああ」

 式神が差し出した烏帽子を受け取り、靴を履く父を目で追えば、すでに表には式神により馬の準備がなされている。

「千年桜の元に向かう。留守は頼んだぞ、遥華!」

「気つけてな」

「無論だ。行ってくる」

 言葉と共に式神がいってらっしゃいませと頭を下げる。父が手綱を握ると馬が嘶いて駆け出した。風のようだと喩えるにふさわしい速さで、あっという間に蹄の音が遠退いていく。

 その一部始終を柱の影から眺めていた成則は、内心の焦りを抑えきれずにいた。父が慌てて千年桜に向かったことからも、祖母に危険が迫っていることが予測されたからだ。成則は遥華に気付かれないように部屋の戻ると、闇に紛れる色合いの衣装を見繕い、父の後を追う支度を整えた。だが、いざ部屋から出ようとしたところで、

「どこ行く気や、成則」

 と、それは遥華に阻まれた。

「言わなくたってわかってるだろ!」

 焦る気持ちから、茂則の口調は自然と荒くなった。

「そんなこと言われても、わいが清明から留守を預かっている以上あんさんを行かせる訳にはいかん」

「そんなこと知るもんか。僕はおばあさまを助けに行くんだ!」

「行ったところであんさんに何が……って、痛っ!」

 成則の動きを阻もうと肩に置いていた手を噛まれ、遥華は慌ててそれを引っ込めた。その隙をついて成則が駆け出す。遥華は慌ててもう片方の手で成則の衣の裾を掴もうとしたが、茂則には捕まる気などありはしなかった。風よりも早く、光よりも早く――そう意識した瞬間、茂則が次に目にしたのは、遥華の姿ではなく、見慣れた見慣れた山の裾野と山の頂へと続く石段であった。なぜ自分が一瞬にして目的地に辿りついたのか理解するのに、茂則は暫し時間を要したが、冷静になってみると何のことはない自身の血の覚醒の結果である。儀式のために張られた結界のせいで、山頂に降り立てなかったことが忌々しかったが、それでも、茂則は石段には呪が施してあることを知っている。その呪は空間を繋げるものだから、それを発動させれば、そう時間を要さずに頂へと辿り着くことができるだろう。茂則は、石段の両脇に置かれた石灯籠に刻まれた紋を指でなぞった。すると、灯篭の中で光が灯り、等間隔に置かれた灯篭に次々と光が灯っていく。それが山の頂まで、光の列をなしたことを確認して、茂則は石段に足を踏み入れた。すると

、木々に囲まれた狭い石段の続いていたはずの視界が開けて、成則は自身が山頂に至ったのだと認識する。しかし茂則の眼前を覆っているのは、桜の艶やかな薄紅色ではなく、冷やかな白だった。それは、どう見ても人骨である。桜の枝が届く範囲を残して、血の通う肉を持たない彷徨い人達がひしめき立っている。その白の中で懸命に祖母の姿を探した成則は、桜の下で揺れる銀髪に気付いた。

「おばあさま!」 

 成則は有らんばかりの声で祖母を呼んだ。しかし、その声は彷徨い人たちが顎を打ち鳴らす乾いた音によって掻き消された。一斉に、顎を打ち鳴らす姿に、まるで彼らは歓喜しているようだと成則は思った。

 同時にそのことに恐怖も覚える。その恐怖に呼応するように彷徨い人のその無機質な音が、一際大きくなった。

(どうしたことだろうか)

 茂則が様子を窺うと、どうやら祖母の様子がおかしい。祖母の手には、きらりと光るものが目にすることができた。目を凝らしてみてみると、それは成則がお守りにと祖母に渡した小刀だった。祖母は、その小刀を自らの胸に向けて構えているのだ。それを認識して、

「おばあさま!」

 茂則は再度声をあげた。だがやはり、その声は祖母へと届かない。にもかかわらず、成則の耳にはその音が鮮明に届いた。祖母の胸に小刀が刺さる音が――。

(あああああああああああああああああああ)

 その音を耳にした瞬間、茂則の喉の奥から、声にならない叫びが沸き起こってきた。白かった視界が赤に染まって、祖母の体がゆっくりと崩れおちていくのが見える。それが地につくのを見届けないうちに、その体を白い軍勢が覆い隠していく。だが彼らの体は、祖母の体に触れた瞬間、砂と化し飛び散った。その現象はまるで波のように辺りに伝わり、あれだけ居た彷徨い人の姿は跡形もなく崩れ落ちていく。後には、涙にくれる成則ともう笑い掛けてくれることがない祖母の亡骸が残されていた。




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