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失った場所

 夕焼けのように紅くすべてを包んでいくのは炎だった。

 目前に広がる木造の長屋を伝い、炎が走っていく。崖を背にして立つ屋敷の正面に、扇状にして広がる城下町が燃えている。

 あちこちから子供の泣き声が響き、肉の焼け焦げる嫌な臭いが鼻についた。

 蒼矢そうやは、走りながらその臭いに思わず眉を寄せる。その背後では彼を呼び止める声があがっている。

「若様!」

 しかし蒼矢は、足を止めようとはしない。その声が蒼矢を屋敷から連れ出した家臣の声だとわかっていたからだ。跡継ぎを無事に逃がすという家臣の役目もわからないでもないが、蒼矢にとってはこの場を離れること以上に大切なことがあった。彼は屋敷に残してきた両親のことが気がかりでならなかったのだ。

 蒼矢は伸びてきた腕に反発し、目の前に広がる炎の中に飛び込んだ。

 瞬間、辺りを包む熱と煙が、蒼矢の退路を断った。尚も蒼矢を呼ぶ声が炎の壁を越え聞こえたが、彼には戻る気などなかった。次第に増す熱に息苦しさを覚えながらも蒼矢は進む。

 するといつのまにか熱さは不思議と感じなくなっている。その頃になると、蒼矢の全神経は屋敷へと向いていた。

 蒼矢は屋敷に残った父と母の元に行きたい一心で、炎の中を懸命に走った。

 そしてやっと辿り着いたのは、屋敷の大広間であった。父が家臣たちとの会議に使う、板張りの間だ。普段ならそこに敷かれているのは、人数分の薫り高いイグサで編まれた座布団なのだが、この日ばかりは違っていた。

 広間の最も上座、いつも父が座っている場所に赤い水たまりが出来ている。

 蒼矢は一瞬、炎の照り返しかとも思った。

 けれど、そうでないことはすぐに知れた。板の間を濡らすのは、水ではない――血だ。ゆらゆらと炎の光を反射して、それはまるで生きているようであった。そのことに恐怖を感じ、目を逸らそうとした蒼矢は、視界の端を掠めた光景に思わず動きを止めた。

「嘘……そんな……」

 その血だまりの中に、蒼矢の両親の身体である。蒼矢は煤を帯びた板張りの床にへたり込んだ。彼を逃がした後、二人はやむなく自決したのだろう。事実を受け入れたくなくて、蒼矢は床を這えずり、二人に傍らまで身を進めるた。

 血がべっとりと衣に纏わりつく。しかし蒼矢は気にしなかった。その血の温かみを逃がすまいとして、そのまま母の胸にすり寄った。

 僅かにぬくもりを残す母の身体は、もうすでに鼓動を刻んではいなかった。

 それを目の当たりにして、蒼矢は瞼の裏が熱くなるのを感じた。

「……あっ、ああっ……」

 蒼矢は母の胸に縋るように泣いた。流した涙が頬に負った火傷に沁みたが、火傷の痛み以上に蒼矢の心は痛んだ。

「二人は、僕が生き残れば御家再興は可能だと言ったよね。でも、そこに父様と母様が居なければ、それは僕にとって無意味なものなんだ……」

 たかだか六歳の蒼矢にとって、父こそが世界、母こそが光。だからこそ、今、両親の死に蒼矢は悲嘆にくれた。世界の崩壊をただ受け入れることしかできない自身の無力に憤りを感じている。

「僕にもっと力があれば、父様と母様を守れただろうか」

 と、蒼矢は嗚咽を噛み殺すように唇を噛んだ。込み上げてくる後悔の念である。けれども、その後悔も無意味なものなのかもしれない。世界が崩壊し光を失った今、結局、蒼矢は世界と共に滅びる道しか選び得ない。

 その決心の基、蒼矢は懐に仕舞っていた短刀を構えた。

「父様、母様、今行くからね……」

 父と母の顔を思い浮かべ、蒼矢はゆっくりと瞼を閉じた。次に瞼を上げた時、目の前には自分を抱きしめてくれる父と母の姿があることを切に願って――しかし蒼矢は、その刀を走らせた瞬間の事を覚えていない。

(僕は本当に死んだのだろうか?)

 痛みはもちろん、血の温かさや手にした刀の感触も全く感じはしなかった。だが、蒼矢の傍らには確かに熱を持った存在がある。蒼矢が望んだとおり、両親の姿があるのかもしれない。けれどもその希望が違っていた時の恐怖を思い、蒼矢は瞼を開けることを戸惑った。

 そんな蒼矢の葛藤を余所に、

「泣いてる子がいる思うて来てみれば、まったく、死んでなんになるというんや」

 と聞きなれない声が耳元で聞こえる。そこで、ようやく蒼矢はゆっくり瞼を上げた。

 目に入ってきたのは金色の髪に同じ色の瞳を持った十六、七だろう青年の姿である。その見たことのない髪色に蒼矢は、仏の化身が自分を迎えに来たのか、と錯覚をおこしそうになった。

 けれど彼が手にあるのは自分が手にしていたはずの刀である。その刀には血は付いていない。蒼矢は首筋に触れたが、手に纏わりつく嫌な感触は存在しなかった。そして、目の前には冷たくなりつつある両親の亡骸がなおも横たわっている。

 ここは死後の世界ではなく、そして、青年も仏の化身などではない。そう結論付けて、蒼矢はいつでも応戦できるように態勢を整え、男を探るような目で見詰めた。

 男は蒼矢のあまり友好的とはいえない態度に眉を顰める。

 だが諦めたように溜め息を吐き、人好きの良い笑顔を浮かべた。

「そんなに怖い顔せんどいてぇな。わいは、あんさんの敵やないんやで」

 と男は言う。

 しかし男の手には、いまだ蒼矢の刀が握られたままである。だから蒼矢は、その言葉を鵜呑みにできなかった。その事に気付いたのか男は蒼矢と刀を順に見詰め、

「あんさんが自害せんようにちょいと預からせてもろたんよ」

 と刀を畳の上に丁寧に下ろし、肩を竦めてみせる。そんな男の動作を蒼矢はあっけらかんと見詰めた。

「お前はいったい何者だ」

 男に対する警戒心は、先ほどの男の行動で些か和らいでいたが、彼の正体や目的といったものが見えてこない。

「わいは、あんさんを迎えに来た案内人やで」

「案内人?」

「せや、導き手にして、時の案内人。名を遥華(はるか)

「……導くというのは、あの世へ?」

 蒼矢の口からでた物騒な言葉に、遥華は力いっぱい首を横に振った。

「ちゃう、ちゃう。まだ若いのにそんなこと言うもんやないで……。わいの仕事は、時の旅の案内をすること」

「時の旅が何なのか知らないけど、僕はここで死ぬつもりだから、案内してもらう必要なんてないよ」

 蒼矢は唇を尖らせてそっぽを向いたが、男は諦めていないようだ。蒼矢の顔にそっと手を伸ばす。父と母以外に、初めて触れられたその感触に、警戒心を忘れ蒼矢は男の行動を享受した。男はそのまま蒼矢の頬をその手で包み、自分と向き合わせる。

「あんさんの両親は、あんさんが共に死することを望んでいたと思うんか?」

 遥華の言い分に蒼矢は、言葉を詰まらせた。蒼矢とてわかっている。両親が自分が共に死ぬことを望んでいないことくらい。そうでなければ、配下の者たちに自分のことを託したりはしなかっただろう。

「あんさんは、何かを守る力が欲しいんやろ? だったら、まず、両親の思いを守り通してみぃ。生きて、旅に出てみぃ。世界は、ここだけやないのやから」

 遥かは蒼矢の両頬から手を離すと、すっとその手を眼前に差し出した。蒼矢は冷たくなった両親の亡骸と遥華の手を交互に見比べる。

 少しの迷いがあった。けれども、恐る恐るといった感じで、結局は遥華の手を取った。

「ようこそ、蒼矢。今日から、時の旅人の仲間入りや」

 

 時を駆け永遠を生きる者。それが、時の旅人という存在――。

*文章に多少修正は加えていますが、五年以上前の作品です。

 古い作品ではありますが、ご意見ご感想残していただけると嬉しいです。



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