どちらか1人と言われたら ~異世界転移で選ばれるのは~
「どちらかお一人でいいのです。どちらかの方に、この国の王子と結婚をしてもらい、この国を救っていただきたいのです」
どちらでもいいなら、1人だけを連れてくれば良かったのでは…?
目の前の状況の何もかもに付いていけず、呆然と立ちすくんだ。
この異世界らしき場所に連れて来られたのは、私だけではない。もう1人、同世代の女の子も一緒だった。
同じエレベーターにたまたま偶然乗り合わせて、エレベーターが止まった階でたまたま偶然一緒に降り、降りた先が異世界だった。
わけが分からない。
それでも恐怖を感じなかったのは、目の前で語る男の口調が優しげだった事と、一緒に降りた女の子がこの状況を喜んでいる様子を見せていたからだと思う。
あまりに周りが落ち着いていると、驚くほうが間違っている気がしてしまい、この非常事態を騒げなかったのだ。
とはいえ騒がなかったからといって、この状況が理解できているわけではない。
どうして私達がここに連れて来られたのか、先ほど言っていた王子との結婚とは何か、この国を救うとはどういうことか、説明してもらおうと口を開いた。
「あの―」
「私が王子様と結婚します!私がこの国を救います!」
被せるように、もう1人の女の子が勢いよく立候補した。
「えっ?」
「私が結婚するわ!異世界転移、ずっと夢だったの!ね、いいでしょう?」
「あの、どういう事―」
「王子様と結婚するのは私よ!あなたは黙ってて!」
「少し話を―」
「私、元の世界で読者モデルをしてました!わりと有名だったんですよ。人前にたつのも慣れてます!」
――聞いちゃいない。こういうタイプの子、苦手なんだよね…
そう思って、会話を諦めて口をつぐんだ。
私は王子様との結婚を夢見たことはない。平穏を愛する平凡な人間なのだ。
黙った私に、異世界の男が聞く。
「貴方はそれでいいのですか?」
「はい。私は構いませんが…私は元の場所へ返してもらえますか?お願いします」
そう言って頭を下げた。
必要なのは1人だけなら、別に帰ったところで問題はないだろう。むしろ帰りたい。
「とても申し訳ないのですが、戻る事は出来ないのです。出来る限りお力になりますから、どうぞこちらの世界を受け入れてください」
――マジか。
名前も知らない、王子様と結婚する予定の女の子は、どこかへ連れて行かれた。おそらく王子様に会いに行ったのだろう。
あまりにもめちゃくちゃな状況だったが、非現実すぎてかえって冷静な自分がいた。
王子様と結婚して、どう世界を救うのかは、結局分からなかったが、分かったところでそれは私の仕事ではない。彼女が引き受けた仕事だ。
私は毎日に少し疲れていた。
朝早く起きて満員電車に乗り、通勤時間のかかる職場へ向かい、仕事に忙殺されるような時間を過ごしたあと、また時間をかけて家に帰る。
家に着く頃には、食欲も消えてしまうほど疲れ果てていた。
アレもコレもソレも、面倒な仕事を押し付けてくる仕事先の人々に嫌気も差していた。
この世界の仕事が夢のある栄誉な仕事だったとしても、これ以上の責任を押し付けられたくなかったのだ。
なので名前も知らない彼女が、私を押しのけて奪うように王子様との結婚の権利をもぎ取っても、何の感情も湧かなかった。
ただ気になる点はある。王子様が顔を見せなかったことだ。
「どうかされましたか?」
考え込んでいると、男に話しかけられた。彼はまだこの部屋に残っていた。
「あ、いえ…ただ少し気になる事があって」
「どんな事が?」
「王子様自身がこちらに来られなかった事です。自分が結婚する事になる相手が、どんな人なのか気にならないのかなって。確かに私は何も出来ないけど、それは会わなくちゃ分からない事ですよね?…うーん。積極的な子に資質があると見るのかもしれませんが、自分の事が自分の知らないところで進む事に不安は感じないのかなって」
考えながら話していたら、独り言のようになってしまい、恥ずかしくなって笑って誤魔化す事にした。
「いえ、なんでもないです。気にしないでください。お二人が幸せになるといいですね」
しょせんは他人事だ。お幸せに、ってとこかな。
なんだか可笑しくなってふふふと笑った。
「――気にならないはず無いですよ。とても気になったから見に来ていました。国を共に救ってくれる女性ですからね、選ばれた女性だから、こちらの世界へ呼ばれるのです。
こちらの世界の言葉に、『良いものには、良くないものも付いてくる』ということわざがあります。
まぁ所詮ことわざと言えばそうなんですけどね。色々と見極めなくてはいけない事もあります」
そう言って男がにっこりと笑った。
良くないもの?……私のこと?
目の前の和かな男を怪しみたくはないが、会話の流れ的にそれは私を疑った言葉じゃないだろうか。
王子様に選ばれなかった者、つまりは不要な者だ。
なんだか不穏な方向に進んでいる気がする。これは無害アピールをしたほうが良いかもしれない。
「あの、この世界で私に出来ることはないですか?」
「貴方は巻き込まれただけの被害者です。どうぞ何も気にされず、お好きな事を探しながらゆっくり過ごしてください」
ニートを勧められてしまった。
…働かなくても楽に暮らしていけるのは安心だけど、なにもせず自堕落な生活をし続けて、何も出来ない人になるのも怖い。
それに『良くないもの』の話を聞きながら、『巻き込まれただけの被害者』という言葉を鵜呑みにするのも危険だ。穏やかそうな目の前の男の様子をそのまま信じる事は出来ない。
そんな純粋な考えを持てるほど若くはない。
それよりも第一に、何かしていないと不安にかられそうで怖いのだ。
「お気持ちは嬉しいのですが、私自身のためにも自立したいのです。この世界で私に出来ることを探す機会をもらえませんか?」
そう頼むと、私の様子を静かに見ていた目の前の男が口を開いた。
「やはり貴女でしたね」
「え?」
「貴女のような方をお待ちしておりました。どんな状況にも冷静に対応できる聡明さ。他人の意見を尊重する寛大さ。前向きな思想。…貴女がこの国の王妃となるにふさわしい人だ」
そう言って目の前の男が、私の前でひざまずく。
「私はこの国の王子です。どうか私と結婚してください」
「はい?」
戸惑いしかない。いやいや。あなたが王子って。
それにさっきの女の子はどうしたの?
話が急展開過ぎてついていけない。
この今の状況は、どこに終着地点があるのだろう。
「あの…先ほどの女性が王子様と結婚されるんですよね?彼女はどこへ連れて行かれたのですか?」
そう尋ねると、目の前の王子を名乗る男が答えた。
「彼女は元の世界に帰っていただきました」
「え!さっきは戻れないって言われてましたよね…?」
驚愕するしかない。
「この世界に『選ばれて呼ばれた者』だけは戻れないのです。貴女は最初に見た時から、元の世界を全く引っ張っていなかった。元いた場所に未練を残さず、こちらへ安心して来れるように、この国の女神が真の呼び人に祝福を与えるのです」
女神様の祝福。
私のくたびれた元の世界の日常が、女神様の祝福と言うのか。
そしそうなら――あの世界には資質を持った者が多くいるだろう。元の世界での年間行方不明者は、何万人もいるとネットの記事で見たことがある。
もう疲れた、もう嫌だと、元の世界を嘆いている人は、こういう世界に望まれているからなんだろうか…
いなくなった者達が、このように望まれた世界に繋がっているのならば、異世界への転移も悪いことばかりではないのかもしれない。
また考え込んでしまった私に、目の前の男が心配そうに声をかけた。
「不安ですか?……当たり前ですよね。貴女の意思でこちらへ来たのではないのですから。
ただ私は、貴女が安心してここで暮らせるよう、心を尽くす事を誓います。気に病む事があるなら、どうかその思いを打ち明けてくれませんか」
そう優しく微笑む男を見て、こんな風に私の思いを尊重してくれる世界ならば、この世界に望まれて良かったかもと思い始める。
私にとっても悪くない未来に繋がるかも、と前向きに捉えることにした。
こうして私の異世界転移の物語が始まっていった。
*********
「ちょっと!どういう事よ!なんで私が帰らないといけないわけ?」
これから王子様に会わせてくれるんじゃなかったの?
どうしてこの部屋に王子様がいないの?
なんで元の世界に帰る準備なんてされてるのよ。
信じられない思いで、目の前のフードを被った男達を睨む。
「よく見てよ!私の方が、さっきの子より可愛いでしょう?私、読者モデルだってしてるのよ!
私が使うコスメも、私が着る服も、私が持ってるってだけで、たくさんの子が真似してすごく売れ出すんだから!アナタ達、節穴すぎない?無能すぎて笑えないわ!」
私の声を無視して黙々と準備をしていく男達を見ながら、諦める事が出来ずに叫ぶ事しか出来ない。
私はずっと異世界に憧れていた。
特別に授かった能力や、私だけを愛する王子様や、私の魅力に落ちていく特別な男達。これに憧れない女の子はいないだろう。
非現実な世界だと分かってはいても、憧れずにいられなかった。
少しでも私を見て欲しくて読者モデルになって、そこそこ有名にはなったけど。所詮読者モデルだ。
名前を聞いただけで、皆が私を認識するような存在ではない。SNSにあげるのも、とっておきの1枚を作りあげてからだ。
元の世界では、苦労なく全てを手に入れる純粋なヒロインにはなれない。諦め切れない。
「このまま私を返すなら、アンタ達みんな呪ってやるから!!こんな無能な世界なんて滅びてしまえばいいのよ!……私を返さないで!ちゃんと私を見てよ!」
涙で前がよく見えない。メイクが崩れてしまう。綺麗な私で王子様に会いたいのに。
王子様に会ったら素敵な恋をするつもりだった。この世界を救う為に一生懸命頑張るつもりだった。この世界の人達を大切にするつもりだったのに…!!
涙が溢れて止まらない。
読者モデルでも満足しようと思っていた。
例え読者モデルでも、普通の女の子とは違う。私の方が可愛いし、私の方が上だ。
だけど本当に異世界があると、王子様と結婚できる道もあると知ってしまったら。
元の世界へ戻っても未練だけが残る未来が見えている。読者モデルでは満足なんて出来るはずがない。
私はきっとこの世界を忘れられない。ずっとこの世界に囚われてしまう。
恐怖で身体が震える。
「お願い!私を――」
シュッ。
「女を元の世界に戻すことに成功しました」
「最後に呪詛を吐くとは、やはり国に古くから伝わる言葉は本当だったか。『良くないもの』は無事排除できたようだ」
「本当に良かったですね」
フードの男達はもう1人の女の帰還に安堵した。
女が最初から『良くないもの』であったわけではなく、『良くないもの』にしてしまった事に、男達が気づく事はない。
女神の祝福という、呼ばれた者のみが幸せになれる世界。
――完璧ではない世界は残酷だ。
こうして元の世界に戻された女の、異世界転移の物語は終わった。