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バーニー・クイン医師

「伯父様」


 診察は、クイン伯爵家の屋敷のエントランスの横の部屋で行っている。もともと居間であったらしい部屋に、執務机と椅子、長椅子と簡易ベッド、本棚と薬棚が設置されている。


 居間を待合室がわりにしているけれど、完全予約制なので待つということじたいない。


 扉をノックすると、返事が返ってきたので診察室に入った。


 伯父のバーニー・クインは、開いたままの窓から外を眺めていたらしい。


 彼は、窓は開けたままにしてこちらに向き直った。


「二人がまた何か言ったようだね」


 伯父は、身振りで長椅子を勧めてくれた。


「ええ。でも、慣れていますから」


 両肩をすくめつつおどけたように言うと、彼はクスクスと笑った。


 丸メガネの知的な顔立ちである。背はそんなに高くはないけれど、健康に留意しているのかそこそこ筋肉がついている。

 金髪はさっぱり刈っていて、左耳にピアスをしている。


 クイン伯爵家に婿養子に入るまでは、女性との関係や金銭貸し借りでのトラブルがあったというような噂をきいたことがある。


「ユイ、きみはいつも明るいな。癒されるよ」

「いまのは褒め言葉ととっていいのでしょうか?」

「もちろん」


 彼は、ローテーブルをはさんだ向かいの長椅子に座って足を組んだ。


 いつものように他愛ない冗談を言い合う。


「それで、その後調子はどうだい?気持ちは落ち着いたかな」

「ええ、そうですね。なんとか、大丈夫だと思います」

「気持ちはわかるよ。いくらでも協力はするから、遠慮なく言ってくれ。薬は、飲み続けた方がいい。今日の分は、あとで渡すから」


 ほんとうは、薬を飲んではいない。だけど、飲んだふりをしている。


 もともと薬じたいが好きではない。

 じつは、子どもの頃に錠剤を飲んだときのこと。薬が喉のあたりでぴったりくっついてしまい、水を飲めども飲めどもまったく取れることがなかった。ずいぶんと苦しい思いをしてしまい、それがさらに薬を苦手としてしまった。


 早い話が、トラウマである。以降、薬、といっても錠剤だけれども、それは出来るだけ避けている。


 ただのわがままである。しかし、とくに熱が出ているわけでも咳や頭痛や腹痛に悩まされているわけでもない。吐き気や嘔吐もおさまっている。


 飲まなくっても大丈夫。そう思って飲んでいない。


 なにより、どうせ飲んだってよくはならないことがわかっている。延命出来る、というわけでもない。


「わかりました」


 一応、了承しておいた。


「ところで、夫のことなのですが……。最近、あまり気分がすぐれないようなのです」


 慎重にアントニーのことをきりだしてみた。


 伯父の診察がどうのこうのというつもりはない。ただ、アントニーはほんとうに気分がすぐれないようだ。わたしに何か出来ることがあれば、アドバイスが欲しい。そう思って尋ねてみたのである。


 だけど、伯父はそうは取らなかったようだ。


 伯父は医師という職業柄か、あるいは妻子の影響か、猜疑心が強くて頑固で偏屈なところがある。


 言葉と表現を選ばないと、不快な思いをさせて臍を曲げてしまう。


「その、夫はどういう病なのでしょうか?」


 恐る恐る核心をついてみた。


 アントニー本人に尋ねてもはぐらかされてしまう。それだったら、アントニーを診ている伯父に尋ねた方が早いかもしれない。


「出来れば、彼の為になることをしたいのです。なにせ、わたしには残された時間はあまりありません。ですから、自分に出来ることをしたいのです。一応、わたしは彼の妻ですので」


 わたしに残された時間はかぎられている。


 余命一年。


 ついこの前、伯父から告げられた衝撃的な宣告。


 だけど、それ以前に離縁されるまでの時間はもうわずか。


 一年あれば、アントニーを元気にしてあげられるかもしれない。


 だけど、来月ならばとてもではないけれど無理である。


 だからこそ、最大限の努力をしたい。


 藁にもすがる思いである。


「ユイ。悪いが、医師には患者との間に守秘義務があってね。たとえ妻であっても教えるわけにはいかないのだ。もちろん、当人の許可があれば別だがね。しかし、そういうことを尋ねてくるということは、アントニーはきみに何も言っていないのだろう?」

「はい。教えてくれません」


 落胆しつつうなずくと、伯父の知的な顔がパッと明るくなった気がした。一瞬のことである。


 明るく、というのはおかしいかしら?ホッとしたような、と表現した方がいいかしら。


 とにかく、いまのこの会話には似つかわしくない表情ものだった。


 その表情が気になった。警鐘を鳴らしたといっていいかもしれない。


 結局、何も得ることなくクイン伯爵家を後にした。


 伯父から渡された大量の薬は、いったん庭の茂みに隠しておいてあとから取りに行った。


 それらは、前回の分とまとめてクローゼットの奥に隠そうと思った。


 離縁されて一人で暮らすようになり、いよいよ具合が悪くなったときに必要になるかもしれない。


 そのときには、伯父に診てもらうどころか闇医者にすら診てもらうお金がないでしょうから。


 クローゼットの奥の方、ずっと着用していない衣服の下にすべりこませようとした。が、念のため各一錠ずつ手許に置いておこうと思いなおした。


 それ以外の薬は、衣服の下にすべりこませておいた。


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