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まだ見ぬ子へ

 マークからカーリーの伝言を受け取った。


「診療所に来て欲しい」、と言っているらしい。


 さっそく、マークに馬車で送ってもらうことにした。


 街の大通りを進む馬車の車内から、街の様子をぼーっと眺めている。


 正直なところ、アントニーの行動や心理が理解出来ない。


 彼はいったい、どうしてしまったのかしら?


 二日前に執務室であったことは、いまだにショックからさめきれていない。


 口づけ以上のことはなかった。あの大雨の夜のようなことはなかった。


 あのとき、わたしは動揺していた。だけど、心のどこかで彼を求めていたのかもしれない。口づけされたとき、拒否をしようと思えば出来たはず。一瞬のことだったけど、彼を押しのけるなりひっぱたたくなりして拒否は出来た。


 だけど、わたしはそれをしなかった。さらには、その後に彼を責めたり非難したりもしなかった。


 あろうことか、心のどこかで口づけ以上のことを求めてしまった。


 彼を欲していたのである。


 あの夜のときとまったくおなじように。


 しかし、先日はそれ以上のことがなかった。正直、落胆というか肩透かしを食らったというか、そういう感情があったことも確かだった。


 アントニーは、それ以降もかわらずやさしく接してくれている。


 読書をしたり街の市場に買い物に行ったりした。


 執務室で口づけをされるまでは、彼とのひとときがしあわせだった。このままこのときが続いてくれればいい。心からそう願っていた。


 でも、あれ以降はつらくて仕方がない。


 アントニーを愛している。心から愛し、欲している。たとえ彼に愛されていなくっても、側にいさせてほしい。ただ側にいさせてくれるだけでいい。


 情けないけれども、この命が尽きるまでいっしょにいて欲しい。なにより、わたしの中に宿っている命を認め、育ててほしい。


 心からそう願うようになっていた。


 そうよ。わたしはともかく、わたしたちの子どもに罪はない。屋敷から放り出されてから、わたしがどうにか生活出来て運が尽きなければ、この小さな小さな命を絶やさずにすむかもしれない。


 街の景色から腹部へと視線を移した。


 馬車は、ガタガタと振動をさせつつ石畳を走り続けている。


 胎児もこの振動に驚いているのかしら。


 両手で腹部をさすってみた。


 子宮に宿る命……。


 自分のことしかかんがえていなかった。自分の気持ちや将来しか。


 いまさらながら、命の重みを感じている。


 わたしの、ではなくわたしの中に宿っている命の。


 ハッとした。


 わたしったら、なんて女なの。いま、わたしがしなければならないのは、わたし自身の将来さきをどうにかすることじゃない。


 アントニーとわたしの、わたしたちの子どもの将来さきをどうにかしなければならないのである。


「ごめんね」


 腹部を両手でやさしくなでつつ謝っていた。


 涙が頬を伝う。


「ごめんね」


 もう一度謝っていた。


 あなたのことをかんがえてあげなかったこと。あなたのことをお父さんに伝えられていないこと。そして、いっしょにいてあげられないこと。


 だけど、ぜったいに産んでみせるわ。あなたを産むまで、どんな境遇になろうとがんばるから。


 あなたをこの世に送り出してお父さんに会わせるまで、どんなことをしてでも生き抜いてみせる。


 馬車のガタガタという音が、嗚咽を消してくれる。


 カーリーの診療所に到着するまで、腹部をなでつつ赤ちゃんに語りかけていた。



 カーリーは、紅茶を淹れて待っていてくれた。

 わたしの為に、急患以外は休診してくれたらしい。


「もしも急患が入ったらごめんなさい」

「謝らないで、カーリー。わたしの方こそ時間を割いてもらってごめんなさい」


 この前同様、おたがいローテーブルをはさんで長椅子に座った。


「それと、時間がかかってしまって……」

「そのこともいいのよ。ほんとうに感謝しているわ」


 彼女は、ティーポットからカップに紅茶を注いでくれた。


 お皿には「アーチャーの休憩所」の一番人気のクッキーであるチョコレートクッキーがのっている。


 朝食をあれだけたくさん食べたのに、もうお腹がすいているの?


 そういえば、懐妊しているとわかってから体調がよくなった気がする。


 すくなくとも、懐妊初期によくある症状はふっ飛んでしまった。


 アントニーではないけれど、わたしもまた彼といることで肉体的にも精神的にもラクになったのね。


「病は気から」というけれど、まさしくその通りだわ。


「ユイ、二人分の栄養が必要よ」


 よほど物欲しそうな表情でチョコレートクッキーを見つめていたのね。カーリーがやわらかい笑みとともに勧めてくれた。



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