第3話 騒がしい夜明け
それは、夜明け前に起こった。
「ぎゃああああぁぁああっ!?」
ギャアッ ギャアッ ギャアッ ――――
虫の音も寝静まっていた薄暗い森の中に、男の悲鳴と鳥たちの鳴き声が木霊する。
グッスリと安眠を貪っていたジンは不快そうに瞼を薄く開けると、周囲の様子を窺った。
「んー……なんだよぉ、もぉー……。まだ夜じゃんー……」
ぐずる幼子のように不満を口にすると、フードと毛布を目深に被って丸くなる。
そしてすぐに寝息を立て始めたが、それを許さない存在がいた。
「コラー! クソガキー! 呑気に寝てんじゃねー! 殺すぞっ!!」
脅し文句を浴びせられ、ジンは渋々といった様子でフードの隙間から声の主を見る。
彼の視線の先には、木の枝からロープで逆さ吊りにされている男がいた。
どうやら防犯トラップに掛かったらしい。
男は壮年で頬に傷を持ち、ボロボロのローブを身に纏い、身軽そうなシャツとズボンを履き、腰には短剣を携えている。どこからどう見ても盗賊のそれだった。
「……盗賊?」
「へへっ、察しがいいガキは嫌いじゃねぇぜ。俺様は誇り高き盗賊団【イリオス】のメンバーさ。ま、この辺は俺様たちの縄張りだし、もう捕まってるみてぇだし知ってるか」
ジンの寝床を仲間が用意した檻と勘違いしているのか、男は口角を上げて凄む。
仮にそうだとしても、仲間の獲物に不用意に近づいて吊るされている馬鹿だという自覚はないらしい。
「おら、殺されたくなかったらさっさと他の連中を呼んでくれよ。その可愛い声でよ」
この状況でも自身の優位を信じて疑わないのか、男は卑下た笑みを浮かべて脅す。
ジンの年頃なら、普通は恐れおののいておしっこを漏らしてしまうところだろう。
しかし冒険者として2年の経験を積み、さらに寝起きで不機嫌だった彼は違った。
「うるさいなぁ……。オレは捕まってないし、その罠もオレの罠。ていうか、腰の短剣は飾りなの?」
「あ? てめぇ、寝言もいい加減にしろよ?」
まだ勘違いしている男が指摘に逆ギレする。
ジンは溜息を吐き、ノソノソと毛布の隙間から腕を出すと、面倒くさそうに人差し指を上下に振り始めた。
そして心の中で呟く。
ーーーー【解除】。【フロアトラップ・泥沼】。【ツリートラップ・吊男】。以降繰り返し。
「……あん? ……なんだ?」
ジンの不可解な所作に男が訝しむように声を上げるなか、それは始まった。
「うおあっ!? 落ちっ……あばばばばっ!?」
男を吊っていたロープが消失したかと思えば、男が地面に落ちた瞬間に魔法陣が展開して泥沼が出現。
男の上半身が泥沼に沈んだかと思えば、再び現れたロープによって逆さ吊りにされる。
そしてまたロープが消失し、泥沼に沈み、吊られて、沈む。
傍から見れば拷問であり、実際男にとっては拷問だった。
「て、てめぇ、こんなことしてタダで済むと思って……ぶはっ、ふざけた真似してっぶぶぶぶぶっ……ぷはっ、ごろずぞぼぼぼぼ……」
しかし男は気丈に振る舞い、ジンに絶えず殺意を向けた。伊達や酔狂で盗賊をやっているわけではないらしい。なかなかの胆力である。
だが却ってジンの神経を逆撫でしたようで、彼は男に背を向けて丸くなった。
無論その間、拷問のような行為は続けられる。
「てめっ、いい加減にっ……マジでやめろっ……し、死ぬ……わ、悪かった……もう勘弁してください……」
結果、男は次第に大人しくなり、やがて何も言わなくなった。
ジンはその様子を一瞥すると、最後に泥沼の代わりに水攻めを行って男に泥を吐かせ、もう一度吊るす。
男が死んでないことを確認すると、清々とした表情で眠りについた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その後、朝日が昇った頃。
木々の隙間から差し込む陽光に照らされ、ジンはようやく目覚めを迎えた。
猫のように体を伸ばし、大きな欠伸をして、手の甲で寝ぼけ眼をこする。
檻のトラップを【解除】して立ち上がると、もう一度背筋を伸ばして目を細めた。
そして目の前の惨状に気づくと、初めて驚きの表情を浮かべる。
「うわっ、なんか罠にかかってるし……あ、そういえば、盗賊を捕まえる夢を見てたような?」
ジンはまだ少し夢現を彷徨っている様子だった。
一方、無邪気な拷問を受けた盗賊の男は、本当にジンが囚われの身ではないと悟り、眠れる獅子の目覚めに戦々恐々とするのだった。