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電子の歌姫 #1

私は歌う。


愛する事を知った、喜びを。

翻弄する運命への、怒りを。

願っても届かない、哀しみを。

貴方と過ごした、楽しさを。


それら全てとの出会いに、精一杯の感謝を込めて君に伝えたい。


今日も私は歌い続けるよ。



聖華暦818年3月20日 アルカディア帝国皇帝直轄領 鉱山街ジェムへと続く山林


「はぁ、はぁ、はぁ……」


私は、林の木々を縫う様に走り続けた。

もう少しで街に辿り着く。


目深に被ったフードを小雨が濡らしている。

頬に当たる水滴を気にも留めずに、ひたすらに走り続けた。


後方からは、数人の男達の声。

待て、止まれ、と叫びながら、私を追いかけて来る。


私は、追われていた。

理由は解らない。


私は旅芸人の一座で歌を歌っていた、いわゆる歌手だった。

一座はそんなに有名でも無く、街から街へと渡り歩いて、曲芸や演劇なんかを披露して、日銭を稼ぐ毎日だった。


私は1年前より以前の記憶が無い。

気が付いた時にはその一座に拾われていた。


私はなんにも出来なかったけれど、歌だけは上手くて、一座の歌手として一緒に旅に同行させてもらう事になった。


そうすれば、いずれ私を知ってる人に巡り会えるかも知れなかったから。

一座のみんなはとても優しく、私を気遣ってくれた。


名前も思い出せなかったから、一座の座長が私に『ニケー』と名前を付けてくれた。


ニケーというのは、古い古い神話に出て来る歌の上手な天使の名前だという。


私なんかには過ぎた名前だと思う。

でも、私はこの名前が好き。

だって、私は歌う事が好きだから。


彼らと一緒に旅をして1年が過ぎた。

帝国の街々を回ったけれど、まだ私の事を知っている人には出会っていない。

でも、今はこのままでも良いと思ってる。


みんなは私を家族だと言ってくれた。

私もみんなを家族だと思っている。

私の記憶が戻らなくても、この日々が続くのなら、そう悪いことじゃ無い。


そう思っていた。

本当に、そう思っていたのに………。


もう明後日には、鉱山街ジェムに到着するという時だった。

街へと続く街道で、私達の一座は襲われた。


傭兵風の男達に私達は取り囲まれて、そして、どういうわけか男達は『私』を差し出せと座長に迫った。


座長も一度は断ったけど、みんなの生命には換えられなかったから。

私も、それは分かっていたから。


私は、彼らに引き渡された。

座長のすまなそうな顔、顔を伏せて私を見ないようにするみんな。


とても悲しかった。

こんな形で優しい彼らとの別れがやって来るなんて、思ってもみなかった。


それから、私は彼らに連れて行かれた。

山道をひたすらに歩いた。


私には必ず見張りが一人つけられて、四六時中監視された。


なにかされるわけでは無かったけれど、いつ、どうなるか判らない不安が付き纏っていた。


彼らに捕まって3日目、私が大人しくしている事に気がゆんだのか、見張りが少しの間、私から離れた。


私は思い切って、この隙を見て逃げ出した。

必死に、ただ必死になって走った。


行く当てなんて無い。


もう帰る場所も無い。


それでも彼らについて行く事は出来ない。


訳がわからない。

私はいったい誰?

どうして私は追われているの?


でも今はもうそんな事はどうでもいい。

ひたすらに走って、門番の静止を振り切って街の門を潜った。


男達ももうすぐ追いついて来そう。

通りをひた走り、躓いた。


「はあ、はあ。」


振り向くと、男達の姿がちらりと見えた。


「お嬢さん、大丈夫かね?」


目の前の露店の店主が、倒れた私を助け起こそうと寄って来た。

私は店主の袖を掴んで。


「助けて、ください。」


藁にもすがる思いで、そう言っていた。



ドカドカと複数の足音が近づいて来る。


「おい、アンタ。この辺で緑色の服を着た銀髪の娘を見なかったか?」


男達が、店主に私の事を聞いている。

私は、店主が座る椅子の前に並べられた本の山、その下の台のさらに下に隠れていた。

すぐそばに男達の気配を感じ、息を殺して身を潜める。


「あぁ、見たよ。」


「本当か? どこにいる!」


店主の一言に、息が詰まりそうになった。

私は店主の方をそっと見上げた。

店主の表情は逆光でよく判らない。


「さっき本を見に来ていた子供達の中に確かに銀髪で緑の服を着た女の子はいたな。おそらく7、8歳くらいだ。」


「ぜんっぜん、ちげーよ! クソ、あっちを探すぞ!」


ドタドタと足音を立てて、男達は行ってしまったようだ。


「さて、もう大丈夫そうだ。」


私はもう一度、台の下からゆっくりと店主を見上げました。

今度は店主も私の方を見ているから、彼の穏やかな表情が見えた。


「あ、ありが…とう、ありがとうございます。あの……どうして、私を助けてくれたんですか? 見ず知らずの赤の他人の、私を。」


助けてくれた事には感謝していた。

けれど、それ以上に疑問が湧いた。


「なに、どうやら君は、私の同族の様だったからね。」


「それはどういう…? 私の事を、知っているの?」


彼は人差し指を立てて、はやる私の言葉を止めた。


「ふむ、詳しい話は後にしよう。私はタカティン・モーントシュタインだ。」


彼が自己紹介をしたので、私も名乗りました。


「私はニケー。私、1年前より前の記憶が無くて。旅芸人の一座と一緒に自分が誰なのかを探してて。何か、なにか知ってるのなら教えて。私はいったい誰なの?」


「落ち着きなさい。すまないが君とは今日初めて出会ったばかりだ。だからまだ君の事はよく知らないのだよ。」


「そう…ですか…。すみません、取り乱してしまって。」


焦り過ぎた。

いったい私は、なにを期待していたのだろう。

今日、それもつい今し方知り合ったばかりの人に。


「さて、もう少しだけ我慢してもらえるかな。この後、私の宿に案内するから、そこで隠れていると良い。」


「待って、それでは貴方に迷惑がかかってしまう。」


「もうすでに乗りかかった船だ。せめて彼等がどこかへ行くまでは付き合おう。」


どうして?

なんのメリットも無いはずなのに。

なにか企んでいるの?


けれども、今の私にはどうする事も出来ず、結局は彼の言葉に甘えてしまった。



私はタカティンさんが露店をたたんでから、彼の宿に連れて行ってもらった。


宿の部屋に入って、まずは彼自身の身の上を私に話してくれました。

彼は行商人で、三国やカナド地方も周って、本を売り歩いてる。

一箇所に留まらずにずっと旅を続けている。

言ってみれば、私と同じで根無草。


でも、彼は自分が誰なのかを知っている。

それだけが、今の私との大きな違い。


「昼間の奴ら、随分としつこく探し回っていたな。流石に陽が落ちて一旦は諦めたようだが。」


「本当に、ありがとうございます。私、大したお礼も出来ないのに。」


彼は、私を真っ直ぐに見つめた。

私は、なんだか落ち着かずに視線を逸らす。


「さて、まずは食事を済ませてしまおう。話はそれからだな。済まないが今日は部屋で食べるから簡単なものしか無い。」


「あの、私も何か…。」


「君は待っていたまえ。すぐに出来るからね。まずは下でお湯をもらって来る。」


彼はそう言うと、荷物からポットを取り出して部屋を出て行きました。


部屋に私一人になって、外の喧騒以外は聞こえてこない。

……どうしてこうなっしまったのだろう?


どうして彼らは私を追っているの?


どうして彼は私を助けてくれたの?


どうして私の記憶は失われてるの?


何も判らない。

私の失われた過去が関係しているのか、そうでは無いのか、それすらも判らない。


私はこれからどうしたら良いの?

誰でもいい、教えて。


私はいったい誰なの?



「待たせたね。」


お湯をもらって来た後は、タカティンさんは手際よくテーブルにお皿を出し、黒パンとチーズ、ハムを荷物の中から取り出して、ささっと切り分けてお皿に並べました。


それからカップに何かの粉を入れてお湯を注いだ。

すぐに良い香りが立ち昇り、それがコーヒーだとわかった。


「ではいただこう。」


「…いただきます。」


食事は簡素で味気ないものだった。

食事を終えてお皿を片付けて、私達は改めてテーブルを挟んだ。


「さて、では話を整理しよう。まず、君は自分が誰であるのか、記憶が無いのだったね。」


「……はい、私は、今から1年より前の事が分からないの。気が付いた時には、旅芸人の一座に拾われていて。」


「その時、君はどんな格好だったね。」


「格好?」


質問の意味がよくわからなかった。


「よく思い出して欲しい。」


「ええと…、みんなとは違った、ぴっちりとして伸び縮みのする、変わった服……でした。」


「どこで拾われたのかね。」


「フォーレンハイト領の第一都市デルドロの近く。北側で。」


「なるほど。」


タカティンさんは少し考え込む。

しばらくの沈黙。


「あの、タカティンさん……。」


不安に耐え切れず声を上げかけて、彼の言葉がそれを遮った。


「とりあえず、今の時点で判った事だけを言っておくとしよう。」


再び、彼は私の眼を真っ直ぐに見つめた。

今度は、眼を逸らす事が出来ない。


「君は、[人]では無い。」


いったいなにを言われたのか、理解出来なかった。

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