第31話の1 カンナヅキ祭 前日
聖華暦83X年 10月9日
「着いたのです〜。カミナの里なのですよ〜。」
「こら、大声で叫ぶな。街の者が驚くだろう。」
独特の木造建築が軒を連ねる街の入口で、待ち兼ねたようにリヴルが大声を上げる。
今、私達はカミナの里へとやって来ていた。
今回の目的は、以前に間に合わなかった『カンナヅキ祭』を観て回る事である。
一風変わった祭だという事で、私も楽しみにしているが、リヴルが特に楽しみにしている。
道中も早くしろ、間に合わないと煩いと言ったらなかった程だ。
「落ち着けリヴル。祭は明日だ。
先ずは宿を取って、祭の準備を観て回ろう。」
今にも走り出しそうなリヴルの襟を掴んで、そう言い聞かせる。
「むぅ、判っているのですよ。いくら楽しみでも、見境無く飛び出したりはしないのですよ。」
やや不服そうにリヴルが抗議をする。
手を離すとすぐに何処かへ行ってしまいそうで、素直に信じてやれない。
ともあれ、やはり祭の前日という事もあるのだろう、以前に来た時よりも、明らかに人の数が増えている。
観光客が随分と多いようだ。
まあ、今の我々も、その観光客の一部なのだが。
*
「はい、一部屋空いてます。
お客さん、運が良いですよ。祭の時期はすぐに部屋が埋まってしまいますからね。」
以前に宿泊した事のある旅館、殆どの部屋は埋まっていたが、辛うじて一室確保する事が出来た。
「それではお部屋へご案内致します。」
女性スタッフから案内されたのは2階の角部屋で、通りを一望出来る。
部屋へ入るなり、リヴルが早速窓から身を乗り出して、街を眺めている。
「タカティン、出店がいっぱい出ているのですよ。
まだ準備中なのが残念なのです。」
「だから祭の本番は明日だ。まずは荷物を解くのを手伝え。」
「判ったのですよ。」
何をしていても、好奇心を抑えられないリヴルは、ずっとウキウキと楽しそうだ。
焦らなくても、祭は逃げたりはしない。
そう思いつつも、荷物を解く手の動きが、自然と早くなる。
私自身も楽しみでしょうがないのだ。
「お二人とも仲がよろしいんですね。今日は観光ですか?」
はしゃぐリヴルを微笑ましく観ていたスタッフが話かけてくる。
「そうなのです。お祭りを観に来たのですよ。」
「まぁ、そうですか。明日の『カンナヅキ祭』には出店もたくさん開きますから賑やかですよ。
楽しんでいらして下さい。」
「はいなのです。」
楽しげなリヴルに釣られたか、スタッフは終始ニコニコとしている。
そんな彼女がこちらに向き直り、
「お二人はご兄妹ですか?」
と聞いて来た。
見た目ではリヴルは10代半ば、今の私の身体は20代後半くらいだ。親子というにはやや無理がある。
確率的に歳の離れた兄妹と判じたのだろう。
そして自身の判断が正しかったかを確認する為に、あえて質問をして来た、といったところだな。
「兄妹です。」
「恋人なのです。」
同時に答え、すぐさまリヴルの頬っぺたをつねった。
「痛い、痛いのです!」
「お前は、その質の悪い冗談を止めろと言っているだろう?」
「ごめんなのです、離してなのです!」
一瞬、呆気に取られたスタッフに謝意を示す。
「申し訳ない、この子はこういう悪戯をするところがあって。」
「あ、いいえ、そうですか、やっぱりご兄弟でしたか、アハハ…」
この反応………
このスタッフ、今のやり取りで絶対に兄弟では無いと判断したな。
「あ、それでは、ごゆっくりとお寛ぎください。」
気を取り直したスタッフは、畳に丁寧に手をついてお辞儀をすると、襖を閉めて出て行った。
頬をさするリヴルを一瞥してため息を吐く。
リヴルは頬をつねられた事が不服なのか、口を尖らせていた。
*
ひとまず落ち着いてから、私達は街へと繰り出した。
旅館を出る時に、先程の女性スタッフが微妙な笑みで送り出してくれたのが引っ掛かったが、もう気にすまい……
「タカティン、タカティン、いっぱい出店があるのですよ。
明日が楽しみなのですよ。」
「ふむ、そうだな……
大半は飲食のようだが見慣れない屋台が多い。
興味深いな。」
リヴルがハッと何かに気が付いたらしい。
「甘味処があるのですよ。
なにか食べたいのです。」
訴えかけるように見つめて来た。
全く、コイツは……
「わかった、わかった。食べ過ぎるんじゃないぞ。」
「やったのです。」
リヴルは嬉しそうに店へと入って行き、一瞬遅れて私も暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ、こちらの席へどうぞ。」
一見すると店の中は満席のようだったが、店員に案内されて、空いていた奥のテーブルに腰を下ろした。
「お品書きをどうぞ。」
メニューを渡され、中を確認する。
餡蜜、善哉、白玉……
カナド地方の一部で食べられるスイーツが並ぶ。
「むぅ、どれにしようか迷ってしまうのですよ。」
確かに、あまり見慣れないものばかりなので、どれを頼めば良いか、判断に迷うところではある。
「すいません、お勧めはありますか?」
こういう場合は店員に聞くのが一番良い。
「お勧めですか?
やはり甘味のお勧めはなんと言っても『チョコレート』ですね。」
店員は屈託の無い笑顔でそう答えた。
ん?メニューには載っていないようだが?
「良いですよね、チョコレート。あの艶のある上品な甘味、ほのかな苦味。ああ、大人の味わい……」
うっとりとした目で店員はそう言った。
んんん?
「この街では滅多に手に入らないので、チョコレートは高級品なんですよ。」
ああ、そういう事か……
おそらく、この街で、この店のようなスイーツは日常に溶け込んでいて、ごく当たり前になってしまっているのだろう。
それ故に、たまにしか入手出来ない外からの物の方が珍しくて良い物だと判じているのだ。
実に興味深い。
「ああ、いや、そうでは無くて、この店のお勧めは?」
ああ、しまった、という顔で店員は居住いを正す。
「あ、これは失礼しました。
そうですね。善哉が良いかと。」
「では、それを二人分で。」
「かしこまりました。しばらくお待ちください。」
*
街の散策を終え、旅館へと戻った私達は豪華な夕食を食べた。
新鮮な海鮮料理にリヴルは終始ご満悦で、それは美味しそうに出てきた料理を平らげてしまった。
私の分も一部持っていった程だ。
「ふぅ、お腹いっぱいなのです。満足なのですよ。」
リヴルは畳の上で大の字になって寝転がり、寛いでいる。
「こら、リヴル、食べてすぐに横になるのは行儀が悪いぞ。」
「むぅ、わかっているのですよ〜。でも、もう動けないのですよ〜。」
そう言って、一歩も動こうとはしない。
「全く、横になるなら先に風呂に入るんだ。」
風呂と聞いてか、
「この旅館のお風呂は、温泉ですごく大きいと聞いているのです。そっちも楽しみなのですよ。」
リヴルはむっくりと起き上がった。
「なら行くぞ。」
「はいなのです。」
洗面用具を用意して、私達は部屋を出て浴場へと向かった。
「リヴル、男女で脱衣所は別れている。先に上がったら、真っ直ぐ部屋に戻るんだぞ。」
「は〜いなのですよ。」
リヴルは生返事をして『女湯』と書かれた脱衣所へ入っていった。
私も『男湯』と書かれた脱衣所へと入る。
脱衣所にはすでに幾人かの先客がおり、温泉を楽しんでいるらしい。
空いている籠に衣服を脱ぎ入れ、洗面用具を持って浴場へと足を踏み入れた。
そこは以前来た時と変わらず、カナド様式の『露天風呂』である。
大小さまざまな岩を敷き詰めた岩風呂は風情があり、湯船を満たす温泉は濛々と湯気を上げている。
アンドロイドの私には、温泉の効能というのはあまり意味がない……事もないのだ。
頭の中身は電脳であるが、身体の方は生身の肉体だ。
酷使すれば疲労もする。
湯船にゆったりと浸かり、身体ステータスをチェックしながら疲労を癒す。
その傍ら、温泉に入っている人達の観察も怠らない。
大半は観光客や行商人であろう。
それに冒険者や傭兵も。彼等は一般人とは違うため、観ればすぐに判る。
「これが噂に聞く『ゴクラクジョウド』ってやつか・・・」
私のすぐ近くで湯船に浸かっている男が声を漏らす。
とても気持ちが良い事を、その声色が物語っている。
男の風体は、歳の頃は40前後、無精髭を生やしている。
体はガッチリしており、古傷がいくらか伺える。
おそらくは冒険者か傭兵であろう。
「『極楽浄土』とは、古風な言い回しをご存知なのですね。」
少し興味が湧き、話しかけた。
「あ?ああ、知り合いからの受け売りでね。気持ちが良い時に使うんだとか。」
「そうですね。『極楽浄土』というのは旧人類の、特に『日本語』と呼ばれる種類の言葉で、所謂『天国』のような場所、またはそのような状態を意味する言葉です。」
「なるほど、つまりは今この時にぴったりと言うわけだな。」
差し出がましかったですね、と私は男に謝意を示したが、私の言葉に得心した男はニッカリと笑い、教えてくれてありがとよ、と返した。
その後、男は立ち上がり、それじゃあお先、と言って脱衣所へと消えていった。
それから暫し、他の客達の観察を行った後、私も温泉から上がり、部屋へと戻ったのである。
ちなみにリヴルは先に部屋へと戻っており、遅いと怒られたのである………





