第19話 しあわせのカタチ
「ん〜、幸せなのです〜。」
私は今、幸せを噛み締めています。
とても甘くて、とても愛おしい。
どこまでも広がるようで、包み込まれて蕩けてしまうような感覚。
唇に触れる、うっとりとする温かな感触。
口に含んで、舌の上に絡み付いてくるその芳醇な香りと甘さに心奪われてしまいます。
「ハニートーストは最高なのですよ〜。」
聖華暦833年 夏 ヴァレンティノ大農園東部側の集落。
ヴァレンティノ大農園はフォーレンハイト侯爵家の領地の中で広い範囲にまたがる農耕地帯の事です。
この地域には大きな都市は無く、幾つもの農村が寄り合って農作物を耕作、収穫、出荷を行う組合を組織しています。
そして私は今、集落の一つにあるカフェで、特産品の蜂蜜を用いた絶品のハニートーストを食し、至福の時を満喫していました。
美味しい食べ物はこんなにも簡単に、人を幸せにしてくれる。
ああ、いつまでも味わっていたい…
ですが、食べ進めるうちに、残り少なくなるハニートーストを見る度に、少しづつ、寂しさを覚えるようになります。
最後の一口を味わって飲み込みます。
ああ、もう終わってしまいました。
至福の時から一転、胸にこみ上げて来た言いようの無い寂しさを、紅茶と一緒にお腹へ流し込みます。
とっても満足しました。
「ご馳走様なのですよ。と〜っても美味しかったのですよ。」
「はい、お粗末様。ほんとに美味しそうに食べてたねぇ。気に入ってくれたかい?」
とても人懐っこい笑顔を浮かべた恰幅の良いおばさんが、お皿を下げながら聞いてきました。
「美味しかったのです。また食べたいのですよ。」
「そぉかい、そぉかい。でもね、ここらの蜂蜜は春が旬なんだよ。採れたての蜂蜜を御馳走するから、またおいで。」
「これ以上に美味しいハニートーストが食べられるのです?今度は春に絶対来るのですよ。」
また新たな楽しみが出来ました。
食事を楽しんでいる間、タカティンは終始無言のままでした。
どうも私が食事に一喜一憂しているのを呆れているようなのです。
でも、この事を口に出して言っては来ません。
私の幸せに水を差さないように気を遣ってくれているのです。
「荷物も片付いているのです。食休みしたら出発するのですよ。次はどこへ行くのです?」
「次はここから南下して工業都市ヒヒカネに向かう。」
「了解なのですよ。」
おかわりした紅茶の香りを楽しみながら、表通りの人達の行動を観察していました。
この集落はヴァレンティノ大農園で収穫した農作物を集配する組合があり、農作物を運んで来る人や買付に来る人などで賑わっています。
その為、他の集落よりも発展していて、このカフェのように飲食店等がいくつかあります。
結局、滞在中に全部回ってしまいました。
どのお店も収穫したての特産品を使ったメニューが美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまいます。何度も幸せに浸っていました。
「あまり食べてばかりいると太ってしまうぞ。」
「これが所謂『幸せ太り』というやつなのですよ。」
「なにを馬鹿な事を言っているんだ…」
呆れ口調のお小言をスルーして紅茶を飲み干し、お会計を済ませた時でした。
表通りを、手を繋いで全力疾走する男女を見かけました。
どちらも十代後半といった風貌で、男性は至って平凡な格好ですが、腰に剣を帯びています。女性はこの辺では珍しい上品な外套を纏っていました。
どちらも必死になって走っていました。
少しだけ2人を目で追います。
少し遅れて軽装ながら武装をした男の人が4人、2人を追うように通りを駆け抜けて行きました。
この時はそれ程気にしていませんでした。
駐機場へ向かい、LEVに近いた時でした。
「待て、リヴル。」
「どうしたのです?」
「中に誰か乗っている。」
「?」
マーチヘアに誰かが入り込んでいると言うのです。
「タカティン、どうすれば良いのです?」
「まず人目を避けて、あの建物の陰へ移動しろ。」
「解ったのですよ。」
言われた通り、手近な建物の陰に隠れました。
「表紙の裏を開いて右上をダブルクリック、2秒後に左下をダブルクリック、また2秒後に左上をダブルクリックだ。」
言われるまま[書籍型記憶媒体]を開いて表紙の裏を触りました。
すると文字が明滅したかと思ったら、全く違う文字が出てきました。
「タカティン、これはどうなっているのです?」
「表紙の裏はタッチパネルになっている。ここから色々な機能の操作を行える。
リヴル、これは元々お前だったんだぞ。何故お前がそれを知らない?」
そんな機能が付いていたなんて、本当に知りませんでした。
「むぅ、今それはどうでもいいのです。それからどうするのです?」
「monitorをクリックして、LEVのコクピットを映すんだ。」
monitorをクリックすると画面へと切り替り、内部カメラの映像を映し出しました。
コクピットの中では2人の男女があれこれと弄りながら途方にくれていました。先程見かけた2人のようです。
「泥棒か?どうやら操作の仕方が解らないようだな。まぁ、当然だが…」
「リヴルには2人が泥棒には見えないのですよ。あの2人とお話しできないです?」
「ふむ…それなら左下のマイクのアイコンをクリックしてみろ。コクピット内と無線が繋がる筈だ。」
「このマークを触れば良いのです?」
マークを触ると、[書籍型記憶媒体]から2人の会話が聞こえて来ました。
『くそっくそっくそっ、コイツいったいどうなってるんだ?どうすれば動いてくれるんだよ!』
『ねぇ、やっぱり辞めましょう…こんな事、逃げる事なんて出来ないよ。それに貴方も危険よ。』
『なに言ってるんだ!このままじゃ、君が…あんな奴と無理矢理…』
「あのーお取り込み中、失礼するのですよ。」
『『わぁあアァァァ!!!』』
スピーカーを通じて話しかけると、突如中から声が聞こえた事に対して2人は驚き、腰を抜かして動かなくなってしまいました。
「あ、驚かせてごめんなさいなのです。」
*
「2人はどうして私の…狩装兵に乗り込んだのです?」
落ち着いてから2人をLEVから降ろし、人目に付かない場所で話を聞く事にしました。
狩装兵というのはカナド人が造って扱っている機兵の事です。三国で使われている機兵とは異なり、科学技術を使っている部分がある為、LEVである事を隠す為に擬装しているのです。
狩装兵なら、入国する際に関所で登録証を発行してもらえば、疑われる事はありません。
話を切り出したのは女性の方からでした。
「私達、逃げて来たの。」
「彼女はここの領主に仕える下級貴族の娘で、結婚することが決まっているんだ…だけど、その相手があんな女誑しのいい加減な奴だなんて、彼女が可哀想過ぎる!」
「でも、もう良いの…貴方が一緒に逃げようって言ってくれて…それだけで、私…」
女性は男性を真っ直ぐ見つめ、一筋の涙を流しました。
このまま放っておく事なんて出来ません。
「判ったのですよ。リヴルも逃げるお手伝いをするのですよ。」
「なにを言っているんだ?オマエは⁈」
タカティンが素っ頓狂な声を上げるのを無視して、私は2人に協力する事を決めました。
*
「よし、怪しいものは無いな。通って良し。」
「急に検問なんて、なにかあったのです?」
「いやなに、二人連れの盗人が出たらしくて、領内を脱出しないように調べてるんだ。おっと、次が支えてるんだ。行った行った。」
「ご苦労様なのですよ。」
何食わぬ顔で検問を通り抜け、半日は移動しました。もうすぐ分かれ道に差し掛かります。
「…リヴル、もう良いだろう。ここで2人を貨物から出すんだ。」
「了解なのですよ。」
LEVを止め、手持ち式コンテナをそっと地面に置きました。そしてコンテナの隠し引出しを開けます。
「プハァ、息が詰まるかと思った。」
「でも、ほんとに領地を脱出出来るなんて、夢みたい。」
中から這い出して来た2人は背伸びをすると周囲を見渡し、自分達の状況を確認しています。
私もLEVから降りました。
「ありがとう、本当にありがとう。なんてお礼を言えば良いか…この事は一生恩に着ます。」
「私からも御礼を申します。本当にありがとうございます。」
「良いのですよ。それより2人はこれからどうするのです?」
「これから北に向かって、適当な街で仕事を探すよ。彼女を守っていかないといけないからな。」
「私も何か働ける所を探すつもり。彼にばかり甘えていられないもの。」
私にそう答えてから、2人はギュッと手を繋ぎ互いに見つめ合います。
その顔にはこれからの苦労など眼中に無いかのように、幸せそうな笑みが浮かんでいます。
「それではここでお別れなのです。お元気でなのですよ。」
「貴女も。」
私達はお互い、手を振って分かれ道を別々に進んで行きました。
「全く、お前と言い、マーチヘアと言い、危ない事をしおって…」
「だって見捨てておけなかったのですよ。マーチヘアだって同じ事考えたから、あの時に中へ匿ったのですよ。」
あの時、なぜLEVに2人が乗っていたかと言うと、追われている2人を見兼ねたマーチヘアが判断して、コクピットハッチを開き、2人を招き入れて匿ったからなのでした。
「コイツも段々とオマエに似て来たな…全く、頼むから目立つ事はしないでくれよ。私はなんの助けにもならないんだからな。」
「心配かけてごめんなのですよ。」
「あの2人、これから本当に苦労する事になるぞ。」
「でも、きっと大丈夫なのです。2人は幸せになれるのですよ。」
「相変わらず楽観し過ぎだ。だが、まぁ、危ない橋を渡らせられたんだ。幸せになってもらわんとな。」
タカティンも2人の行末を心配しているようでした。
聖華の三女神様、どうかあの2人に幸あらん事を…





