第17話 友達
誰かが私の前に立っています。
背格好は少年のようですが、逆光になっているのか、顔は影が出来ていて、よく判りません。
「はじめまして、君はリヴルって言うんだね。僕は…」
ふっ、と目が覚めました。
夢を観ていたようなのです。
頬が濡れています。泣いていたのでしょうか…
なんだかとても懐かしく、知っているはずなのに、どんなに思い出そうとしても判らない、そんなもどかしい感覚。
気分が落ち込みます。
「おはよう、リヴル。珍しく静かな目覚めだな。」
声のする方へ目を向けると、声の主は枕元の[本]でした。
「…タカティン、おはようなのですよ。」
「どうした、具合が悪いのか?もう少し眠っていても良いのだぞ?」
「夢を観たのです。大丈夫なのですよ。」
努めて明るく返事をしました。
「そうか…具合が悪いわけではないのだな。」
「そうなのです。さあ、今日も素晴らしい一日の始まりなのですよ。」
気鬱な雰囲気を追っ払う為、精一杯元気に声を出しました。
…ちなみに夜明けとほぼ同時でした…
聖華暦833年 早春 帝国領ドードルダール市
宿の部屋で軽めの朝食を取ったあと、露店の準備をする為に、私に割振られた区画へ移動します。
ドドールダール市はダンゲルマイヤー侯爵家の領地にある農業地帯を統括管理する為の都市として建設され、魔獣禍から領民と農地を守る必要性から、帝国軍の基地が置かれています。
そして、この場所は(あらかじめタカティンに言われた通り)役人のおじさんに(少し上目遣いで見つめる様な)笑顔でお願いしたら、街の中央広場の見晴らしの良い一画を割り振ってくれたのです。
中央広場ともなると人通りも多く、いろんな[人]がお客さんとして来てくれます。
この街に滞在して一週間になりますが、周りの露店の店主さん達や、広場に買い物に来るお客さん達と、すっかり顔見知りになりました。
お喋りをしたり、[本]を買ってもらったり、お昼ご飯を一緒に食べたりと、皆さんとても親切で仲良くしてくれます。
「タカティン、またリンゴを頂いたのです。」
「ふむ、リヴルは[人]付き合いが上手いな。来る者来る者、良い笑顔で帰って行く。とても興味深い。」
「んっふっふ、リヴルには商売の才能があるのですよ。」
「商売の才能と言うより、世渡り上手と言うべきだな。肝心の[本]は、あまり売れていないからな。」
「むぅ…」
痛い所をついて来ました。タカティンは意地悪なのです。
気を取り直して、改めて広場を見渡します。
ここは実に様々な人達で賑わっています。
大きな荷物を背負った行商人、供を従えた身なりの良い御婦人、傭兵さん、学生服の少女達、買出しをする母子、軍服の若い士官、昼間からお酒を飲んでいるおじさん達、艶やかな服装と化粧をした女性、巡回中の兵隊さん…
その中で、愉しげに買物をする若い三人組が目に留まりました。
友達どうしなのでしょうか、巫山戯あったり、笑ったり、とても楽しそうです。
不意に今朝の夢を思い出しました。
あの子は一体誰なのだろう?
私はあの子を知っている…知っていた筈なのです。
けれども、顔も、名前も思い出せない。
ポッカリと開いた、大きな穴のよう…
記憶の欠落…
私がまだ[本]だった頃、アクシデントがあり、記憶の4割を欠損してしまったようなのです。
私自身がどの様なアクシデントに見舞われたのか覚えていないので、何故そうなったのかは、まるで判りません。
タカティンと出会ったのも、その後なのです。
LCEの身体を貰った時に、破損していた記憶が幾らか修復されてはいたのですが、元々インストールされていたであろう知識が修復されただけで、後天的な経験に基づく記憶は修復されませんでした。
なんだか、もどかしい…
「リヴル、どうした、表情が沈んでいるぞ?どこか具合が悪いのか?」
タカティンの心配そうな声に気が付き、はっとしました。
また気鬱な雰囲気になってしまっていたのです。
「タカティン、大丈夫なのですよ。そうではなくて、今朝の夢を思い出していたのです。」
「夢、か…」
一言呟いて、タカティンは黙り込んでしまいます。
沈黙…なにか言って欲しい…このままではその事ばかり考えて、ますます気鬱になってしまいます。
「私はアンドロイドだ…だった、と言うべきか。機械仕掛けのAIである私は夢を観た事は一度も無い。今では眠る事も無い。だから、夢がどの様なモノかは、学術論文としての知識しか持ち合わせていない。お前が夢で苦しんでいても、的確に助言をしてやる事は出来ないだろう。」
「タカティン…」
「だが、嫌な事は他人に話す事で気持ちが軽くなる事は学術的にも立証されている。私で良ければ聞いてやろう。お前の観る夢にも興味があるしな。」
私の事を心配しているのか、はたまた好奇心なのか…おそらく半々なのだと思うのですが、心配してくれているのは確かな事です。それだけで、少し気持ちが軽くなったようです。
「タカティン、リヴルには友達がいたのです。
いつ、どこで会ったのか、どんな人だったのか、すっかり忘れているのです…。
でも、とてもとても大切な友達だったのは憶えているのですよ。」
「寂しいのか?」
「顔も名前も覚えていないのが、少し寂しくて、悲しいのですよ…」
「すぐに思い出そうとしなくても良い。無理に探し出そうとしなくても良い。
出会いがあれば別れもある。寂しいと感じる事も、悲しいと感じる事も、お前の心の一部だ。その気持ちは大切にしろ。
その友達も、生きていれば、何処かでまた会える可能性だってある。焦る事も気に病む事も無いんだ。気長に付き合っていけば良い。」
「うん…心配してくれて、ありがとうなのですよ。」
少し気持ちが楽になり、自然と笑みがこぼれました。
「リヴルには笑顔がよく似合っている。」
不思議と、とても嬉しい気分になりました。
「タカティン、お世辞を言ってもなにも出ないのですよ。」
「もう大丈夫なようだな。店仕舞いまでまだ3時間ある。観察の続きをするとしよう。」
タカティンの言った通り、あれこれ考えても答えは出ません。いつか再びあの子と出会える事を願って、この気持ちを大切にしていこう。
私はそう強く想うのでした。





