第16話興味深い、この世界
私が目を醒したのは、シリンダーの中だったのです。
身体の感覚を確認するように、ゆっくりと起き上がりました。
「…冷たいのです…」
何百年かぶりに物に触れる感触。
初めて触れるシリンダーの縁は硬く、冷たく、小さく身震いをしたのです。
久しぶりの感覚。『感じる』事が出来る。
少し嬉しくなりました。
見渡した部屋の中は広くて、暗くて、モニターや非常灯から発せられる僅かな光だけが、薄ぼんやりと輪郭を表しているだけでした。
誰も…いない…?
ここには、私一人しかいない。
どうして?
身体を慣らすように、ゆっくりとシリンダーから這い出して立ち上がって、床のひんやりとした冷たく硬い感触を確かめます。
身体のマッチングは問題ないようなのです。
頭を巡らし、部屋の中を見回します。
あの人は何処に?
居る筈の人影を探しました。
………?
部屋の中には居ないのでしょうか?
急に心細くなり、呼びかけてみました。
「…タカティン?タカティン、どこなのです?」
呼びかけてみたものの返事は無く、ここには自分しか居ないという事を確認できただけでした。
「リヴルはもう起きたのですよ。
タカティン、何処にいるのです?返事して欲しいのですよ。」
寂しい、心細い、そんな感情が湧き上がり、やがて悲しさでいっぱいになりました。
暗くて、冷たくて、心細くて、寂しくて、悲しくて、哀しくて…
「…タカティン、何処なのです?リヴルはここなのですよ?タカティン、何処にいるのです?
リヴルはここに居るのですよ?ねえ、タカティン…」
呼べども呼べども、私の声が響くばかりで一向に反応がありません。
いつの間にか、目から水…『涙』が零れ落ち、溢れ出ていました。
「意地悪しないで出てきて欲しいのです。お願いなのですよ。……リヴルは嫌なのです、寂しいのは嫌なのです。……お願いなのです、もう一人は嫌なのですよーーー‼︎」
溢れ出した感情が口を突いて飛び出してしまいました。
足の力が抜け、その場にへたり込んでしまったのです。
ふと、タカティンも目覚めた時は一人だったという話を聞いた事を思い出しました。タカティンもこんな感情を抱いたのでしょうか?
それを考えたら、また寂しくて悲しく、涙が溢れ出てしまいました。
そして堪らず床に顔を埋めてしまったのです。
……ル、リ…ル、泣くんじゃない、リヴル。
ハッと顔を上げて辺りを見回します。けれども、誰も見当たらない。
寂しさの余り、幻聴が聞こえたのでしょうか?
可笑しなものなのです。科学によって創り出された存在、[LCE]として造られた私が、感情の昂りで幻聴が聴こえるなんて…
この時はそう思ったのです。
『リヴル、泣くな。私はここに居る。』
確かに聴こえました。
「タカティン、何処なのです?姿を見せて欲しいのです。」
『落ち着け、リヴル。せっかくの美人が台無しだぞ。…すまない、後で話すが理由があって、身体を失ってしまったのだ。
今は施設のネットワーク内でデータだけの存在なのだ。この研究棟はネットワークのセキュリティが厳重だったのでな、ネットワークの移動に手間取ってしまった。』
声はモニターのスピーカーから聞こえて来ました。
「そうだったのです?タカティンが居なくなってしまったと思って心配したのですよ。」
『すまなかったな。』
タカティンの声を聴いて、ひどく安堵しました。
ちゃんと側に居てくれたんだ…その事がとてもとても嬉しかったのです。
『それにリヴルの記憶の移動が完了するまで20時間程あったのでな、その間にこの施設の事を調べていたのだ。色々と判った事があるぞ。』
…あれ?あれれ?今のは聞き捨てなりませんでした。
私が寂しさの余り泣いていた時に、この人は自身の好奇心を満たしていたと言うのです。
急に腹立たしくなってきました。
『さて、リヴル。すまないが、そこのアンドロイド素体に記憶を移動させたいのだが、手伝ってくれるか?
ハッキング防止の為に、ネットワークから直接データの移動が出来なくなっていて、手入力しか受け付けないのだ。』
「…判ったのです。リヴルはどうすれば良いのです?」
この時、小さな悪戯心が働いてしまいました。
『では私の言う通りに端末を操作して………』
*
聖華暦831年 元旦
私達は施設で見つけた第4期LEVを駆り、北上していました。目的地はミカゲの里。そこはアンドロイドの秘密組織[ソキウス]の本拠地となっています。そこで、今後の為に態勢を整えようというのです。
「タカティンはひどいのです。あんまりなのです。リヴルをほったらかして、好きにしていたのです。リヴルは怒っているのですよ。」
「だからすまないと言っているだろう。いつまで怒っているつもりだ?」
移動を開始してから小一時間、私は怒りを吐き出し続けていました。
でも本当はそこまで怒ってはいませんでした。
ただ許せなかったのです。
私の為に無茶をして、身体を失ってしまったタカティンの事を…
ただ許せなかったのです。
タカティンにそこまでの無茶をさせてしまった、無力な自分を…
「…ところでリヴル、私はアンドロイド素体に、と言ったんだが?
どうして[書籍型記憶媒体]に私の記憶を移したのか、説明してくれるのだろうな?]
そう、あの時、私は悪戯心を働かせ、タカティンの記憶を[書籍型記憶媒体]へと移してしまったのです。
何故そうしてしまったのか?
端的に言えば、怖かったのです。
タカティンは死にかけた。身体が死んで、データだけの存在になった。厳密な生物の死とは決定的に違う。違うけれども死にかけたのです。
身体を持てば、また無茶をするかもしれない。
そうしたら…私の前から居なくなる事が怖かった。
ずっと側に居て、離れないようにしたかったのだと思うのです。
「タカティンは、リヴルが今までどんな気持ちで過ごしてきたのか、そうやって理解するのです。そして反省するのです。」
「なるほど、自分で動けないというのは不便なものだな。あぁ、あともう一つ、どうしてお前は私を尻に敷いているのだ?」
「シートの高さが合ってないから仕方ないのですよ。」
「シートの高さを調整すれば済む事だろう?
それよりも私が言いたい事はただ一つ…本は大切に扱え!何度も、何度も言ってきただろぅがっ!」
「ふーん、タカティンに言われなくても分かっているのですよー。」
タカティンのお小言をスルーして、ツンケンと返しました。今更引くに引けなくなっていたのは秘密です。
暫く無言のまま、気不味い空気が流れいるのを感じていました。
こんなつもりでは無かった筈なのに…
「ところでリヴル、これからどうしたい?」
不意にタカティンから聞いてきました。
どうして良いか、解らなくなっていた為、少しだけ嬉しくなりました。
「…タカティン、リヴルは強くなりたいのです。それから、リヴルは知りたいのです。もっと[人]の事を、もっともっと[世界]の事を…」
「そうか…ならば、行こうじゃないか。
この[世界]は、まだまだ知らない事だらけだ。何年かかっても全てを知りようもない。
200年、この[世界]を観てきた私が言うのだから間違いないぞ。」
「判ったのですよ。いっぱい、いっぱい観て回るのですよ。」
私は知りたいのです、[人]の事を…
度し難く、不可解で興味深い、この[世界]の事を…





