和田紗愛 編 7
「おめでとう、愛訝」
宿屋にある俺と紗愛の部屋。窓の外はもうすっかり暗くなっている。二人で備え付けのテーブルの脇にある椅子に座り、安っぽい小さなコップを握りしめてそれをぶつけ合う。そう、俺たちは乾杯をした。紗愛が酒場のマスターから貰ってきたという祝い酒を、一息に口へ流し込んだ俺はぐびぐびと喉を鳴らして「ぷはぁ!」と余韻に浸る。
「紗愛のおかげだよ、本当にありがとう」
「ううん。愛訝が頑張ったから。あたしは彼女としてほんの少し背中を押しただけ」
「そのほんの少しの気持ちが俺に勇気をくれたんだ」
「そう。それなら良かったわ。これでようやく愛訝も社会復帰できそうね」
「異世界で……だけどな」
「いいじゃない。ここで出来たんだもの、きっと向こうに戻っても同じように出来るようになるわ」
「うん。そうなるといいな」
「簡単に辞めたりしないでね?」
「もちろん、分かってるよ。店の人も良い人そうだったし、ここからだとちょっと遠いけど……ま、歩くのは運動になっていいかもな」
「そうね」
夕方は少しごたごたして、危うく折角のチャンスが泡となって消える寸前にまで陥ったりもしたけど、ちょっとした偶然によってそれも免れた。神様なんて信じてなかったけど、祈ってみるものだなとあの時は本気で思ってしまった。道具屋の看板娘だったあの娘とのやり取りはまたそのうち思い出すとして、今の俺はとある感情が欲望に支配されつつある為に、それを解放するか否かを悩んでいた。
「ねぇ、お店の人はどんな人なの? あたしはマスターから聞いただけだし、店主が古くからの友人だってことぐらいしか知らないんだけど」
「あー、うん。それがさ、何かその店主はいなくてさ」
「いない?」
「島の外……他国で商売もしてるからよく留守にするらしいんだけど、少し前に船に乗って出港したらしいんだよね」
「へぇ……。それじゃあ、お店はどうなってるの?」
「奥さんも亡くなってて、今は娘さんが一人で何とか頑張ってるみたい」
「………………」
「あの辺りは行けば分かるけどちょっと治安が悪そうっていうか、紗愛が通ってるような通りの雰囲気とはまるで違うんだよ。それで用心棒も兼ねてってことなら手伝いを頼んでもいいかなって考えたらしくて」
「………………」
「紗愛?」
「その娘さんって……若いの?」
「そ、そうだな。俺たちよりは年下だと思う……かな」
「そうなんだ……」
「でも、心配は要らない。その子は俺を見ても態度が変わらなかったし、俺に恋人がいることも既に話してある」
「別に心配なんてしてないけど?」
「…………うん」
「愛訝があたしのことをちゃんと想ってくれてるならそれでいい」
「もちろん! 俺の彼女は紗愛だけだし、紗愛の為に俺は頑張りたいんだ」
「……信じるわ」
そう頷いてくれた紗愛の表情は少し不安げで、いつも強気な紗愛がここまで沈んでいるのはやはり俺の恋愛体質のせいだろう。いつか俺が自分以外の女性を愛してしまうんじゃないかと、紗愛はそれが怖いんだと思う。それだけ俺のことを好いてくれているのは嬉しいんだけど、その不安は取り除いてあげたいと俺は思うわけで。だからこそ、俺は俺の欲望渦巻く感情を解放してしまいたくなる。
「なぁ……紗愛?」
「うん?」
「覚えてるか? こっちに来る前に話してたこと……」
「話?」
「紗愛の制服姿は見れないけどさ、努力して結果を出したらって話をしただろ?」
「……あー」
「俺、頑張っただろ? それに、紗愛のことを愛してるってことをちゃんと分かってほしいからさ」
「だから疑ってないってば」
「それは嬉しいけど……紗愛……」
「………………」
「ダメか?」
「…………ダメじゃない……けど」
「それじゃあ!」
「待って」
飛びかかろうとする勢いの俺を紗愛が手のひらを向けて静止させる。数ヶ月もご無沙汰で、こんな状況になっても同棲を続けている俺たち。紗愛にだってそういう欲はあるはずだし、それを理性で抑えているんだろうけど……俺はそれがもう決壊寸前で。紗愛みたいなできた女は他にいない。自分の恋人を愛したいと思うのは男にとっても女にとっても自然なことのはずだ。
「…………何?」
「もう少しだけ待って」
「これ以上待てない」
「愛訝はまだスタート地点に立っただけ。酒場の仕事を続けていたらあたしだって愛訝のことを信用できたけど、今ご褒美を与えて、すぐにまた辞められちゃったらあたし……愛訝のこと嫌いになっちゃうかもしれないから」
「辞めないって」
「そんなの、分からないじゃない!」
「………………」
まぁそうだよな。俺は今の今まで紗愛に頼りきった生活をしてきたんだ。簡単には受け入れられないんだろう。我慢してるのは俺だけじゃない。それをすれば俺の気持ちを自分に繋ぎ止めることができるって紗愛だって分かってるはずだ。でもそれをしても俺が変わらないなら紗愛は俺を手放してでも変化を与えようってことなんだろう。俺にはまだ彼女が抱かれてもいいと思えるだけの信用度が足りないんだ。
「……愛訝が頑張って働いて、その給金を頂いたらまたデートに行こう? この異世界には遊園地もないし、娯楽施設だってないかもしれないけど、あたしが愛訝に伝えたかったことは覚えてるでしょ?」
「ああ。自分で働いた金で紗愛とデートをする。それが何よりも価値のあることだってことだろ?」
「うん。だから、それまではお預け。ちゃんと愛訝が仕事を続けられるって自信を持っていられるようになったら……その時は」
「いい?」
「うん……」
「分かった。それまでは我慢する。だから紗愛も俺を見捨てないでくれよ?」
「当然でしょ。あたしが愛訝を好きになったんだもん。こんな世界に付いて来ちゃうほど愛訝のことが好きなんだから」
「紗愛……」
その言葉だけで頑張れると思ってしまった。単純すぎるかもしれないけど、俺はこれまでその単純なことにすら気付けないでいたからな。好きな人の為なら頑張れる。向こうにいた頃とは違う。周囲の視線だってそうだ。誰も俺を蔑みの目で見ることはない。スーツを着ているサラリーマンもいなければ、朝の通勤ラッシュもないからな。
もちろん、俺の勝手な思い込みだったりする面もあったことは承知してるけど、やっぱり生きやすい世界っていうのはあるのかもしれないな。年下の女の子に雇われることにはなったけど、おっさんにこき使われるよりは断然良いしな。改めて、ここから始めていこうと思う。紗愛と二人で……この異世界生活を。
――数日後の朝、俺と紗愛は港へと訪れていた。念願のデート……ではない。さすがにまだ早すぎる。仕事に対しての緊張感も薄れてきて何とかやっていけそうだなと思い始めていた時に、噂話が俺たちの耳に飛び込んで来たんだ。王様が雇った探検家たちが遂にダンジョンに潜る……ってな。そうだ。勇たち勇の者の初陣。それを見送る為に俺たちはここへやって来たんだ。
今朝は少し肌寒く、港に吹く潮風がそれを後押しするように体温を奪っていく。それに反して辺りは騒がしく白いテントや荷車で商いをしている人たちは以前よりも忙しそうだ。それも当然なんだろう。やけに人が多い。船の積み荷を運搬している作業員、入国してきた人たちとそれを出迎える人たち、そして、俺たちと同じように噂話を聞き付けて勇の者を一目見ようと集まった野次馬たち。歓声も一際大きく、その熱気もなかなかに凄まじいものがある。
「紗愛、離れるなよ。はぐれたら合流は難しそうだ」
「分かってるわ。愛訝もあたしのことちゃんと気に掛けててよね」
「ああ、ほら!」
俺は紗愛の手を取ろうと腕を伸ばしたが、紗愛はその腕にしがみ付いて胸を押し当てる。それに驚かされつつも、弾力のあるその柔らかな感触を楽しみながら人混みを掻き分けていく。そして船着き場が見えてくると、危険だから規制されているのか鎧のようなものを着込んだ集団によって進路が塞がれていた。なんだ? あれも探検家なのか? そんな風に思ったがどうにもそんな様子ではない。
「下がれ! これより先は許可の無い者を通すことはできない!」
やはり探検家ではなさそうだ。相手は野次馬たちだとしても、あんなに偉そうな態度がまかり通るはずがない。町の人たちもそれに反発することなく従っていることから、あの鎧の集団はそれなりの地位や権力を持っている……もしくは彼らを従える人物があの態度を認めさせるだけの力を持っているかだ。
答えは簡単だ。彼らの鎧は色から形から全てが統一されている。つまりはどこかの組織に組み込まれている存在であり、それは間違いなくこの国を治めている者の力が関与している。つまりはアイヴイザード……王家に仕える兵士たちだということだ。絶対王政。この国で暮らしていく以上は誰も王の命令には逆らえないんだろうな。
しかし……。
「見つけた。行こう、紗愛」
「え? でも……」
「きっと大丈夫だから」
俺たちは人混みを抜けて兵士たちの前へと出た。向こうは当然のように手に持った槍のようなものを構えて道を塞ぐ。そして鋭い眼球で睨み付けてくる。なんとも威圧的な警備体制だな。この国ではこれが普通なのかもしれない。だけど、異世界から来た俺たちにしてみれば横暴な態度であると感じてしまうわけで。
俺は目の前にいる兵士の槍へと手を伸ばして掴むと、邪魔だと言わんばかりにそれを押し退けようとした。その行為に兵士はムッとした様子で俺の方へと体重をかけて押し返そうとする。その瞬間に俺はスッと力を抜いて体を翻した。すると、その兵士は体勢を崩し前屈みになって地面に手を付いた。辺りは騒然とする。それに気づいた周りの兵士たちが俺を取り押さえようと集まってくる。
「待ってください! その人は僕たちの知り合いです!」
俺を組伏せようとする兵士たちを若い男の声が静止させる。兵士たちの後方、船着き場の方から数人の男女がやってくる。服装が学生服から派手な衣服へと変わっていて見違えてしまいそうなほど探検家らしくなっている。彼らの登場によって俺は兵士たちから解放された。掴まれてヨレヨレになった服を叩いて直し、紗愛の手を引いて野次馬の中から引っ張りだした。
「愛訝さん、紗愛さん!」
「よう、勇。もう少し早く気づいて欲しかったけどな」
「久しぶりに会って第一声がそれっスか」
「それが俺なんだよ、武忠」
「はははは、お久しぶりです。元気そうで何よりですね」
「まぁな。だが、俺たちよりもお前たちだ。まだこっちに来て一ヶ月も経ってないってのに……いけるのか?」
「はい。その為の訓練も行ってきましたし、他の探検家の人たちも同行してくれます。まずはダンジョンの雰囲気に慣れるところから始めていくつもりです」
「そうか。ま、無理はするなよ? この世界はゲームじゃないんだ。失敗したからってやり直しはできない。全員もれなく残機は無しなんだからな?」
「肝に銘じています」
「舞の炎と美菜の治癒もあるし問題ないっスよ!」
「……使えるようになったのか?」
俺は美菜に確認を取る。しかし、美菜は俯いてゆっくりと首を横に振った。まぁそうだろうな。あれだけ悩んでたんだ、それをたかが数日のうちに習得できるとは到底思えない。だが、隣にいる舞の反応は少し違った。胸の前で手のひらを上に向け、それをじっと眺めている。確か火を灯すくらいのことはできるんだったな。コツは掴んでいるんだろう。あとは実戦経験を積んでいけば……か。
「舞ちゃん、美菜ちゃんも、その服……可愛いわね?」
「……そう、ですか? ありがとうございます。お城の方が用意してくださったものでローブ……というものみたいです」
「そうなんだ。あたしなんて町で買える一番安いものだから一緒にいるのが恥ずかしくなるわね」
「そんなことは……」
「そう思うなら町で待っていれば良かったんじゃないですか? こんな所までわざわざ来て……見送りのつもりですか?」
「……舞ちゃん?」
なんだ?
「私たちは戦うことを選んだ。でも、あなたたちは逃げ出したじゃないですか。それなのにまだ上から目線で話をするんですか? いい加減、迷惑です!」
「………………」
「舞!」
「私は嫌なのよ! なんで勇がへりくだって話さないといけないの?」
「だって愛訝さんたちは年上だし、目上の人には礼儀として……」
「でも、この人たちは逃げたでしょ? 嫌なことは私たちに押し付けて、自分たちは安全な町で待ってるだけ。そんな人たちに勇がなんでペコペコしないといけないの?」
「別にペコペコなんてしてないだろ」
「オレも舞の気持ちは分かるぜ。なんだかんだ偉そうなんだよな。戦えねぇならむしろそっちが頭を下げるべきだろ。年上だろうが弱ぇ奴の立場はこの世界じゃ下なんだよ!!」
「おい、武忠!」
「ホントのことだろ!!」
ま、いつかはこうなるだろうとは思っていたけどな。予想よりもずっと早くて驚かされた。分かっていたことにいちいち腹を立てたりはしない。何を言われても俺の最優先事項は紗愛の身の安全だ。それを守れるなら何を言われても何をされても苦にもならない。そのはずなのに……。
「ちょっと、あんたたち! 好き勝手に吠えるんじゃないわよ!」
待て待て。何で紗愛が食って掛かるんだよ。そんなことをしたら俺たちが戦いから逃れた理由を問いただされる。俺は完璧な紗愛の印象を守りたいんだ。だからこうやって好き勝手に言わせてる。それを紗愛自身が崩そうとするなんて。
「愛訝は逃げたんじゃない。あたしたちは巻き込まれただけ。巻き込んだあんたたちが責任を果たすのは当然のことじゃない! それにね、愛訝が弱い? ふざけんじゃないわよ! あんたたちが束になっても愛訝には勝てないわよ! 愛訝はね……!」
「紗愛! ちょっと落ち着けよ!」
「離してよ、まだ言い足りないわ! こんなんじゃ収まりがつかないもの!」
「もう十分だって!」
俺は紗愛を羽交い締めにして静止させる。何だって紗愛はこんなにも熱くなってるんだ? いつもはもっと冷静なはずだ。取り乱すのなんて俺が何か失態をした時くらいだ。いや、俺……だからか? 俺のことだから紗愛は怒ってるのか? 舞が勇のことを想うのと同じように、紗愛も俺のことを想ってのことなんだ。嬉しいけどさ……。ただ、今じゃなくていいんだ。
「面白ぇじゃねぇか。アンタがオレより強いかどうか……試してやろうか?」
「よせ、武忠」
「舞もどうしたの? いつもと違うよ?」
「別に私はいつも通りだし。間違ってるって言うことは悪いことなの?」
「そういうことじゃ……なくて」
「舞の言うとおりだぜ。そっちが正しいって言うんなら逃げたホントの理由を言ってみろよ。どうせ怖かったってだけだろ? 何が巻き込まれただ。ボーッと突っ立ってたからだろ」
「もういいだろ! 舞も武忠もいい加減にしろ! 僕たちは喧嘩するために港へ来てるんじゃない! 気に入らないなら先に乗船していろ!」
勇が怒鳴った。それはきっと珍しいことなんだろう。他の三人が動揺しているのが伺える。中でも舞のショックは大きかったのか今にも泣き出してしまいそうなほど目に涙を浮かべている。武忠はムッとしていたが、舞が船の方へと振り返って歩きだすとそれに付き添っていった。そして、何故か美菜は同じように怒られた気持ちになったのか俯いてしまっている。いや、この子はいつもそうだったか。
「すみません。せっかく見送りに来てくれたのにこんな風になってしまって」
「……いや、それはいい。でも何でだ? 勇は何で俺たちに肩入れしてくれるんだ?」
「それは……。信じたいからです」
「信じる? 俺たちを?」
「はい」
「どういう意味だ?」
「根拠はありません。ただそう思ったんです。愛訝さんは僕たちには見えないものを感じ取っていて、それを探る為に敢えてそうしてるんじゃないかって。近すぎると見えないものもありますよね? だからわざと遠ざかっている。違いますか?」
「……まぁな」
「僕にはお二人を巻き込んでしまった責任もありますし。それに、美菜も信じられると言っていました。僕はその直感を信じたいんです」
「………………」
そういうことか。信じているのは俺たちではなく美菜なんだな。でもそれは都合が良い。美菜さえ信じさせていれば勇もそれに乗っかってくる。舞は勇には反発しないし、武忠は舞の意見に賛同する。まだまだ高校生だな。自分の意思よりも相手に合わせることを選択する。
美菜は一歩下がった位置から話を聞いている。少し気まずそうにしているがその場を離れようとはしない。彼女が俺たちを信じられると思う理由も知りたいが、それはまた聞き出す機会もあるだろう。とりあえずはこの場の収拾だな。本当は王家のことや城での話を聞いておきたかったんだけどな。仕方ない。
「イサムくん、何を騒いでるの? そろそろ出発するわよ?」
船着き場の方から声がした。そちらに視線を向けると青いローブを着た女性がゆっくりと歩いて来ていた。あれは確か、この世界へ来た日に怪我人を魔法で治療していた女性探検家だ。同行するのはこの人か。もしかしたらその仲間たちも一緒か?
「いえ、なんでもありません。すぐに乗船します」
「ええ。初陣で緊張してるかもしれないけど、安心して。私たちがいれば王家のダンジョンだって攻略できるわ」
「……王家のダンジョン?」
「あら? そちらはお友達?」
「あ、えっと……」
「まぁそんなところだ。王家のダンジョンは特別な許可がなければ入れないって話だったな」
「愛訝、知ってるの?」
「ああ。ま、そんなに詳しくはないけどな」
「王家のダンジョンとは、アイヴイザードが代々引き継いできた王家の宝が眠るダンジョンのことよ。その数は七つ。本来ならば王家の者とその側近くらいしか踏み入ることはできないということだけど、ダンジョンに魔物が巣食うようになってからはずっと放置されていたのよ」
何も知らない紗愛に向かってその探検家の女性は説明してくれた。そしてその言葉に俺も耳を傾けていた。この人からならばもう少し情報を引き出せるんじゃないかと思ったからだ。
「全てのダンジョンは繋がっているのか?」
「……いいえ。そんな話は聞いたこともないわ。どうしてそう思ったのかしら?」
「いや、なんとなく。でも王家のダンジョンとやらに入るということは、そのどれかに魔物を生み出す存在がいるってことだな?」
「魔王……だったわね」
「あら、そこまで知っているのね? あなたたち何者? 探検家の中にも魔王の存在を知る者は少ないのに」
「俺たちは勇の知り合いだ。そのくらい知ってるさ。それで? 魔王を倒す理由はなんだ?」
「愛訝さんそれは……」
「いいだろ、それくらい教えてくれても。魔物の出現を停止させて安全を確保する為か? しかし、それをするとダンジョンの観光資源としての価値は下がるんじゃないか?」
「そうね。表向きにはそういう風に捉えられているでしょうね。だからこそこれだけの人が集まってくるの。賛成派も反対派もいるわ。だけど、誰もアイヴイザードには逆らえない。彼らの本当の目的はそこに眠る財宝そのものだと思うわ」
「財宝……か。勇たちはもちろん、あなたにも報酬は出るんだろ?」
「ええ。でもそれは金銭で支払われるのでしょうね。財宝を譲り受けられるとは考えてないわ。それだけアイヴイザードは財宝というものに執着してるもの」
「そうか……」
目の前に不安そうな勇と美菜の顔が見える。俺たちが異世界者だということは伏せられていて、魔王の背後にあるという最大の財宝は扉だ。その扉を取り戻したら開く権利を得られるというのが勇たちがダンジョンに挑む理由だ。しかし、それもアイヴイザードが手に入れようとしているならば……俺たち異世界者の存在は彼らにとっていずれは邪魔になるということだ。
「勇」
「……はい」
「今はやれることをやれ。お前たちの不安を解消する方法は俺が探りを入れてみる」
「しかし……」
「信じてくれるんだろ? 美菜もいいな?」
「はい……」
「分かりました。よろしくお願いします」
「ああ。それから勇、ゲームなら魔王がいるのは最後に入るダンジョンと相場は決まっている。だけどこれはゲームじゃない。いきなり当たりを引く可能性もある。十分に気をつけろよ?」
「はい!」
「あなたたち、友達というには対等な感じには見えないわね? むしろ兄弟だとか兄弟子と言う方がしっくりくるわ」
「そうか? ま、なんでもいいさ」
「アイガ……と言ったわね。あなた面白いわ。不思議な感じがするもの。どう? 戻ったら一緒に食事でも」
「俺と? 悪いけど最愛の恋人がいてな。そんなことをしたら怒鳴られるだけじゃ済まない」
「そう……残念だわ。私の名前はルータ・ヲーブよ、せめて仲良くしましょ?」
「そうだな。探検家の知り合いがいると俺も助かるしな。友達としてなら……いいよな、紗愛?」
「え? ああ……うん」
紗愛は空返事をした。それが珍しくて俺も面を食らってしまう。ただ紗愛はじっとルータを見ていて目を逸らそうとはしなかった。ルータ自身も何? と言いたげな顔で首を傾けながら紗愛を見ていたが船の方から誰かに呼ばれたことでこちらに軽く手を振って去っていった。
「愛訝さん、それじゃあ僕たちもそろそろ」
「ああ、気をつけてな。それから舞と武忠に伝えてくれ、俺たちはもう見送りには来ないからと。その代わり、俺たちを残して先に逝かないでくれよとも」
「分かりました。必ず、四人で戻って来ます」
「……紗愛さん、大丈夫ですか?」
「え? あ、大丈夫よ。美菜ちゃんも無事に帰ってきてね」
「はい!」
そのまま俺と紗愛は二人を見送った。高校生たちを乗せた船は汽笛を鳴らして合図をすると、他の島に向かって出港していった。日帰りなんていうことはないだろう。キャンプ場もあるとかって話だし、ダンジョンに潜るのは明日なんだろうな。そんなことを考えていると、紗愛が俺の手を引いた。
「ねぇ愛訝……覚えてる?」
「何を?」
「あのルータって人のこと」
「最初に魔法を見た時の人だろ?」
「うん。その時にあたし言ったわよね?」
「何を?」
「あの人のは見えなかったって」
「見えなかった? ああ、もしかして紗愛にだけ見える数字の話?」
「そう。あの時は確かに見えなかったの。ここに勇くんたちを呼びに来た時もまだ見えてなかった。でも、あの人が愛訝を見た瞬間に見えたのよ『53』って」
「俺を見た瞬間に?」
「そう。しかも、話してるうちにその数字がどんどん大きくなっていった。最終的に船に戻っていく頃には『82』くらいまでは見えてた。もしかしたらまだ変化していたかも」
「……数字は変動する。しかもそれは増加するもの。数字以外にはやっぱり何も見えなかった?」
「うん。何なんだろう……いったい」
「まだ分からないな。舞や美菜のは?」
「舞ちゃんのは変わってなかったけど、美菜ちゃんのは会った時には前回の『76』から『79』まで増えてたわ」
「今回は途中で増えなかった?」
「うん」
美菜とルータ。どうして二人だけが増えたんだ? 紗愛の力は何を表しているんだ? カウントダウンしているなら何かが起きるのも予測しやすいけど、増えているのならその上限が分からないと検討も付かない。それに……ルータは見えていなかったのに見えるようになった。しかもそれがまるで俺を認識した瞬間だったと紗愛は言った。
変動のタイミングは俺との接触なのか? 舞の数値に変化がなかったのは教会で別れてから会ってなかったからか? 逆に美菜は教会で一度だけ会ってる。そして美菜とルータは俺に対してそうマイナスなイメージが無いように思える。つまりこれはもしかして? いや、しかし……それだと舞の態度的には減少していないのはおかしいか。うーん……。
「やっぱりまだ分からないな。でも、もうしばらくすれば分かるようになる気がする。気味が悪いかもしれないけど、もう少しだけ我慢してくれ」
「大丈夫……。普段は意識しないようにしてるし。でも、町の人の中にも数字が見えるようになってきている人が増えてきている気がするのよね。自分でも何か分からないのに不安になるのよ。胸が締め付けられるような……寂しい気持ちに」
「寂しい……か。極力は紗愛の傍に居るようにするよ。仕事が終わった後は真っ直ぐ宿に戻るし、俺が紗愛を一人にはしないから」
「うん。ありがと、愛訝」
勇の者たち。探検家ルータ。アイヴイザード王家。魔王と魔物。七つのダンジョン。紗愛の力。そして、未だに輪郭すら見えない俺の力……。まだまだ謎は多いけど前に進んでる気はする。戦いじゃない所で俺には俺の役目がある。本当はただのんびりと帰る日を待てれば良かったんだけどな。そういうわけにもいかなさそうだ。
とりあえずは紗愛の不安を取り除いてやりたい。魔王やダンジョンのことは後回しで、ルータから王家の話をもう少し聞き出したいな。俺の力が諜報に長けたものなら良いのにと思う。今は彼女の無事を神様に祈ることくらいしかできない。勇たちが戻ってくるのは早くて数日か? それまではとにかく仕事をこなしておくしかない。そして、紗愛との時間も大事にしよう。
――俺と紗愛は帰路に着いた。元の世界へ戻る為に俺たちができることは少ない。だけど、何もしないわけにはいかないからな。また美菜と話をするためにも、近いうちに教会へと足を運ぼうとそう思った。しかし、それはその後……なかなか叶う日は訪れなかった。何故ならば、勇たちを乗せて出港した船が次にこの島へと戻ってくることになったのは、それから三週間も後のことになるからだ。そして、俺たちは悲報を耳にする。ダンジョンに潜った者の中に一人……帰らぬ者がいたことを。