和田紗愛 編 6
今日は、異世界での俺の仕事先が決まるかもしれない日だ。紗愛が持ち帰ってくれた話を聞いてみると、その店は町の人にも有名な道具屋であり、一風変わったような商品を取り扱っているらしい。町の外れにある為に客足はそう多くはないとのことだが、変わったものに興味を抱く人ってのも一定数はいるらしく、細々ではあるが営業しているとのことだ。
道具屋。探検家たちにとっては武器や防具の他にもダンジョン攻略の助けになる物がある。傷口に塗り込むと軽度の怪我なら時間はかかるが治すことのできる傷薬だとか、薄暗いダンジョン内を闇雲に歩く羽目にならないよう辺りを照らせる松明だとか、そういう便利なアイテムを販売している店が道具屋だ。
最初に面接をしてくれた防具屋の店主が言っていた……品数が豊富で特別な技術を必要としない物を扱う店っていうのはまさしく道具屋のことだったのかもしれないな。武器や防具の材料となる素材だって道具屋でなら調達できるかもしれないし、学べることは多いように思う。まだ採用が確定したわけじゃないけど、俺の心は高鳴り期待に胸が膨らんでいくのを感じていた。
紗愛には感謝してるし、それから……紗愛にこの話を伝えてくれた人物にも深く感謝したい。それは紗愛が働いている、俺も僅かだけど世話になった酒場のマスターだ。俺が辞めてからも紗愛に状況を聞いたりしてて、常連客などに俺のことを売り込んでもくれていたらしい。俺は不甲斐ない自分の能力にがっかりして逃げるように辞めてしまったわけだけど、それに蓋をして心を隠すように辞めさせられたのだと思い込むようにしていたんだ。
だけど実際には、いつでも戻ってきていいと伝えてくれと紗愛はマスターに言われていたと俺に告げた。それを俺に伝えなかったのは、俺がちゃんとこの異世界で自立するためだったのだとも言われた。そして、その頑張りが実ったからこそこうして仕事の話が舞い込んできたんじゃないかとも。本当にその通りだと思うよ。道具屋で俺が何を得られて、何ができるのかはやっぱりまだ分からないけど、必死にもがいて足掻いてやれるだけのことはやってみようと思う。
いろいろと上手くいったら、また酒場へと足を運んでマスターにもお礼を言いに行きたいと思ってる。だからこそ、今日は予定している顔合わせで失敗しないようにしたい。緊張はするだろうな。上手く話せないかもしれない。それでも真面目に働く意思があることだけは伝えたい。気合いだけは十分だ……だけど、その前に。
「この辺りは久しぶりだな。ま、敢えて近付かないようにしてたんだけどな」
昼が過ぎた頃に、俺が訪れたのは町の中心部だ。各通りが集うこの地点は広場のようになっていて、その南側に建っているのは深き祈りと囁かれる祝詞によって姿なき信なる者に膝を折り、拝み奉ることを目的とされるもの……教会。アメムガリミス教会に俺は再びやってきたんだ。
この教会では信仰する神が定められていて、それ以外の神を信じる者たちは立ち入ることを禁じられている。しかし、この教会を管理する神父の一人がその壁を乗り越えんとして人々に自らの思想を語り、寄り添おうとしている。その為、彼を支持する他信者たちは教会の外に集まっては自らの神に祈りを捧げ、その信仰心を確かめ合うようになったという。
「神様……か。俺に信じる神なんていないけど、今日だけは祈りたい気分だな。頼むよ、今日の夕方に人と会う約束があるんだ。ほんの少しでいいから俺に勇気ってやつを与えてくれよ」
なんとも偉そうな願い方だと自分でも思う。それでも形だけはきちんと取り繕ったように片膝を突き、両手を合わせて額に当て、目を瞑って懇願するように祈りを捧げた。神様からの返事はない。当然か。だけど、心なしか胸にのし掛かっていた重圧が和らいだような気がした。
「ん?」
目を開いた時、足元に何かが落ちていることに気がついた。それを拾い上げて眺める。どこかで見たような気がするもの。金色の金具に水色の装飾が付いたもの。その形はまるで……。ふと、視線に気付いて顔を上げた。その先は教会の扉の前だ。そこに一人の神父が立っていて、俺と目が合うとそっと静かに会釈をしてみせた。
俺は立ち上がって彼の元へと向かう。彼も俺を教会へと招き入れて奥の部屋へと案内してくれる。俺はこの教会の信仰する神なんて知りもしないけど拒まれることはない。それは、元の世界からこの世界へと渡った際に、彼らの神の加護を受けているからだと以前に説明を受けている。
「どうぞ、お入りください。ただいまお飲み物をご用意致しますので」
そう言って部屋を出たのはキヤス・ニポフ神父だ。この国を治めるアイヴイザード王家からの命令で異世界召喚を行い、俺たちをこの世界に招いた者。なんてことをしてくれたんだと言いたくなる気持ちもあるが、あの人を責めても意味はない。それに、勇が異世界召喚を求める声に応えてしまったのも原因だ。ま、俺と紗愛は完全に巻き込まれただけなんだが。
キヤス神父が部屋に戻ってきた。前回と同じようにコーヒーカップの乗ったトレーを持って。俺たちは向かい合うようにして椅子に座り、言葉を交わす前にカップを手に取りそれを口元へと運んだ。正直、普段からコーヒーなんて飲まないから味の善し悪しなんて分からないけど、香りは良いし、以前に紗愛も美味しいと言っていたからな。
「うん、美味しいよ」
「ありがとうございます」
「………………」
「ズズズ……んん、会心の出来ですね」
「……本当にコーヒーが好きなんだな」
「ん?」
「どうした?」
「いえ、あなた方の世界ではこれをコーヒーとお呼びになるのだなと思いまして」
「…………こっちでは違うのか?」
「はい。こちらではホーキと」
「ホウキ? それじゃあ掃除道具はなんて呼ぶんだ?」
「そちらは箒ですね。ホーキと箒……発音がやや異なります」
「あー。雨と飴、雲と蜘蛛、橋と箸……みたいなことか?」
「橋とハシ……は分かりかねますが、そういうものだと思って頂いて構いません」
「箸は分からないか。そういえば、ここでの食事は基本的に洋食スタイルだもんな」
「ヨウショク?」
「あー……気にしないでくれ」
ホーキはコーヒーで間違いない。飲み慣れてなくてもそれだけは分かる。この世界に来て言葉の違いを意識したことはなかったけど、もしかしたら他にもこういうのはあるかもしれないな。ただ、言語の違いだったりはなさそうだ。普通に話せてるし通じるなら別にどうだっていいけど、もし言葉が通じない世界だったら今よりもっと大変だっただろうな。
「さて、ここに御出なさった理由はやはり?」
「ああ。そろそろ札の準備は出来てるかと思ってな」
「すぐにご用意しましょう」
「頼む」
キヤス神父は再び席を立って部屋にある机の引き出しから札を一枚取り出した。そこに描かれた魔法陣に触れないようにテーブルの上に置き、俺の前に差し出す。俺は頷き、それに手を乗せる。これで真っ白な裏側の面に変化があれば俺は魔法の適性があるということだ。果たして……。ゆっくりと札を捲る。
「…………そうか」
「残念ながら、魔法の適性はありませんでしたね」
「みたいだな」
念のために部屋の照明に翳してみるが何も浮かび上がってはいない。俺は魔法ではない力を得ているということになるが、この札ではそこまでは調べることができないらしい。とりあえず、これで用件は済んだわけだけど、まだ約束の時間には早い。もう少しだけ神父と話をしていくとするか。
「勇たちはどうしてる?」
「はい。無事に王との面会が叶い、今はダンジョンへと赴く準備をしているはずですね」
「らしいな。町でもちょっと噂になってたよ」
「そうでしたか」
「勇と武忠の力については?」
「依然はっきりとはしないままですが、城にいる司祭の話ですと共に強化系と呼ばれる類いの力だということまでは判明しております」
「強化系?」
「はい。身体的強化、または精神的強化、他にも武具を強化する力などがありますがどれに該当するかは未だ不明であり、その力を発現させる方法もまだ判明してはおりません」
「なるほど。女子二人が援護や支援など補助に長ける力を得たことを考えると、男子二人が直接的な戦闘に長ける力を得たとなれば納得がいくな。神様はちゃんとバランスは考えてくれているようだ」
「そうですね」
強化系とはつまりバッファーとかっていうやつのことか? 自己バフとか全体バフとかって言葉を聞いたことはあるが、おそらく勇と武忠はそういう力を得たんだろう。ダンジョン攻略では確かに優位に立てる能力だ。レベルやステータスパラメーターのようなものが存在するのかはわからないが、仮にそういうもので管理されているのならレベルが上がるほど数値に掛かる倍率の恩恵も大きくなっていくはずだ。
「強化系なんて呼び方をするものがあるのなら、その反対……弱体系の力も存在するのか?」
「はい。魔物の力を封じ込めるものであったり、相手を操り同士討ちをさせたりするような力もあるとされています」
「また妙な言い回しをするんだな?」
「申し訳ございません。私自身がその力をこの目で見たことがありませんもので」
「いや、いいさ。あなたの嘘をつかないという姿勢は信用に値する」
「ありがとうございます」
「あいつらの力が強化系であったなら、俺と紗愛……どちらかの力は弱体系である可能性が高いかもしれないな」
バフに対してのデバフ。デバッファーも戦いを有利にするための大きな力だ。そしてそれは相手が強ければ強いほどに効果を発揮する。俺がその力を得ているのだとすれば、いずれ勇たちから協力要請があるかもしれないな。しかし、戦うなら俺は近い間合いの方が得意だ。そうなると俺自身の強さは変えられないわけだ。出来れば弱体系の力は紗愛に……でも、紗愛をダンジョンへは連れていけない。
「……数字が見えるとのことでしたが、その後はどうですか?」
「最近は意識して見ないようにしているみたいで、そういう話もあまりしなくなってるな」
「そうですか。城にいる司祭であれば各能力についても詳しいのですが……」
「城に行くつもりはない」
「………………」
「悪いな、せっかく召喚されたのに力になってやれなくて」
「いえ。貴殿方の意思は尊重します」
キヤス神父は確かに信用できる人物だ。しかし、王の命令には背けない存在でもある。こういう人物が土壇場で裏切る可能性もなくはない。ギリギリのラインで線引きはしっかりとしておく必要がある。疑うことは悪いことではないはずだ。しかし、疑い過ぎるのはあまり心地の良いことではない。自分たちの身を守る為という言い訳があるから納得はできるが、できることならば関係は良好のままでありたいな。
「さて、それじゃあ俺はそろそろ……」
「分かりました」
「こっちが一方的に質問するだけだったな」
「それは構いませんよ」
「ようやく町での生活にも慣れてきたところなんだ。あなたにも協力すると言っておきながら、まだ何も出来てはいないことは謝っておく」
「そんなことはありませんよ。ここしばらくの間に礼拝へと参られる方々は増えています。どなたも酒場で話を聞いてきたと仰っておられたものですので、きっと貴殿方のご厚意の賜物であったものと理解しております」
「…………そうか。それなら良かったよ」
俺は何もしていない。するつもりもなかった。酒場ということは紗愛か? 俺は必要ないと思っていたが、紗愛には何か思うことがあったのか。まぁ恩を売るという行為自体は悪くない。それに……今の俺には神様に祈りたくなる人の気持ちっていうのも多少は理解できるしな。
俺は残っていたコーヒーを……いや、ホーキを全て飲み干してから立ち上がる。キヤス神父に改めて礼を言ってから部屋の扉へと歩いていく。時間的にもちょうどいいだろう。少し早いくらいだけど三十分前行動って言葉もあるしな。そう思いながらドアノブに手を伸ばす。すると、触れる前にドアノブが回り、扉が自動的に開いていった。
「おっと……」
「あ……」
女の子の声。そして開いた扉の前に立っていたのは、白いローブに身を包んだ女の子が一人。華奢な体に黒い髪を伸ばし、驚いたようにこちらを見上げる。目と目が合って俺は気付いた。その女の子が美菜だということに。
「美菜?」
「愛訝さん」
「一人か? どうしたんだ?」
「あ……えっと……」
「彼女のその力は破魔救済。神が邪悪や穢れを祓う力に酷似しています。故に、神に祈りを捧げることでその力の覚醒を促せるのではないかという、彼女自身の希望により、時折こうして礼拝に訪れているのですよ」
「そうだったのか」
「あの……お久しぶりです」
「ああ。ま、そう堅い挨拶をするほどの日にちは経ってないだろうけどな」
「はい……」
相変わらず大人しい子だな。人見知りってやつなのかもしれない。勇たちとは普通に話してたからな。相手が俺だから萎縮してるって感じでもない。俺はそんなに厳つい顔をしているわけでもないしな。
「……お帰り、ですか?」
「ん? ああ、用事は済んだからな」
「そう……ですか」
「…………キヤス神父、悪いけどもう少しだけこの部屋を借りていいか?」
「はい、構いませんよ。私はそろそろ戻らねばなりませんが」
「ありがとう。美菜、せっかくだから少し話さないか? 勇たちの様子とかを聞かせてほしい」
「あ……はい!」
少し声色が変わったような気がした。嬉しいのか? 勇たちの話をするのが? 俺の目から見て、彼女たちの関係はやや複雑だ。高校生なんてそういうものなのかもしれないけど、ダンジョン攻略なんてことを共にする内にそれがどう変化していくのかっていうのはちょっと興味がある。面白半分だけどな。中でも美菜はただ一人だけそれに気づいていない。彼女が気付くのが先か、それとも他の誰かが動くのか……青春ってやつだな。
キヤス神父が部屋を出て、代わりに美菜が入ってきた。美菜に椅子に座るように促してから、自分はキヤス神父が座っていた席に着いた。コーヒーカップならぬ、ホーキカップが置いたままになっているが中身はどちらも空っぽだ。替えはもう出てこないだろうし、そっとテーブルの端に移してから話を聞いてみることにした。
「どう? 異世界生活は」
「えっと……。まだあまり慣れなくて」
「だよな、俺もだ」
「愛訝さんも?」
「そう。紗愛はもうすっかり馴染んでるけどな」
「紗愛さんは今日どちらに?」
「酒場」
「酒場?」
「居酒屋みたいな所かな。そこでバイトみたいなことをして稼いでる」
「あ……そうなんですね」
「俺たちは無一文だったからな。正直、めちゃくちゃ厳しいよ」
「………………」
「そっちは? 城で寝泊まりしてるのか?」
「いえ。町の南にある宿を王様が手配してくださって。わたしたちはそこで」
「さぞ、広くて綺麗で立派な宿なんだろうな。俺とは生活水準がまるで違いそうだ」
「そんなことは……」
「ま、それはいいとして。みんなの様子は? もうすぐダンジョンに挑むって聞いたけど」
「……はい。みんな稽古に励んでいます。でも、元々みんな運動が得意だから心配はなさそうです。わたし以外は……」
「美菜は帰宅部だったのか?」
「はい」
「そうか。でも、運動部だったからといって魔物と戦うのはまた別の話じゃないか?」
「そうですね。勇くんもそう言っていました。でも、勇くんは剣道部だったし、武忠くんは空手部、舞は弓道部だったので……」
「心得があったというわけか。武忠があんな調子だったのも頷ける……が、部活動と実戦を同じに考えるのは良くないな」
「はい……」
空手部か。武忠はきっと武器を扱わずに自分の拳で戦う道を選ぶんだろうな。そういう性格なのはだいたい読める。そして勇は剣道部。剣を扱うという意味では俺と同じだ。ただ、俺のは型に嵌まらない我流に近い流派だ。もちろん師と呼べる人はいるわけだけど。それから、舞は弓道部か。弓を持つつもりなのだろうか。折角の魔法適性……炎熱操作だったか? それを使わないのは勿体ないが、まだ上手く操れてはいないのかもしれないな。
「それで美菜は居心地が悪くてここに?」
「え?」
「ははは! 冗談だよ。でも、神に祈りを捧げて魔法は上達するのか?」
「それは……」
美菜の表情が曇る。思ってる以上に上手くはいっていないようだ。しかし俺に魔法適性はない。助言もしてやれないし気持ちを共有してやることもできない。せめて、話くらいは聞いてやるとするか。
「話してみろよ。何にも言ってやれないとは思うけど、話せば楽になることもあるだろ?」
「……はい。実は、わたしはまだ自分の魔法を見たこともなくて。舞は既に火を灯すくらいのことはできてるのに、自分の力をどうすれば使えるのか……まだ分からなくて」
「力の使い方か。何か条件があるのかもな。光の魔法なんて普通の女の子には想像もしにくいものだしな。火や水、風なんかは生活で目にしたり感じたりすることはあるけど、光なんて照明くらいなものだろ? 魔を祓うだとか他者を癒すだとか……そういうのは専門家じゃないとちょっと厳しいよな」
「……はい」
「美菜の力は相手がいること前提の魔法なんじゃないか? 魔物がいないと祓えないし、誰かが怪我でもしてないと癒せない。つまり、まだその条件を満たしていないだけ。使うべき時が来たら自然と使えるようになる……そんな気がするな」
「………………」
考え込む美菜。この子はこの子なりに勇たちの力になりたいと思っているんだろう。運動部でもないから戦いに参加することはできない。だから何としてでも魔法を扱えるようになりたいんだろう。健気だなと思うよ。
「……ありがとうございます。少し、気が楽になりました」
「ああ、良かったな。それに……」
「……?」
「それにな、あんまり気にしなくていいと思うぞ。他の奴らも美菜にそんな重荷を背負わせてまでダンジョンへ連れていこうとはしないはずだしな。無理なら無理でいい。良くないのは黙っていること。ちゃんとみんなに話せばいい。そして一番大事なのは足を止めないことだ」
「はい……。愛訝さんはやっぱり優しい人ですね。わたしの話を聞いてくれるだけじゃなくて、ちゃんと手を差し伸べてくれて……。そういう所に紗愛さんも惹かれたのでしょうか?」
「…………そう見えるか?」
「はい」
「そんなことは全然ないよ。俺は偉そうにしてるだけで本当は…………」
「……愛訝さん?」
「美菜」
「……はい?」
「俺はこの異世界に来てから何もしていない。紗愛が探してくれた宿で寝て過ごし、紗愛が働いてるのに俺はまだ仕事を決められないでいる。美菜たちの前ではあんなに威張り散らしていたのに、紗愛の前では頭が上がらないダメダメな彼氏で。そんな俺だけど、紗愛はずっと応援してくれてて。それに応えようと俺も頑張ることにした。足掻いてもがいて、やれることをただやっていたら結果が向こうからやって来たんだ。今日さ、この後に雇ってもいいと言ってくれた人と会う約束があるんだ」
「………………」
「驚いたか?」
「えっと……はい。愛訝さんでも苦労しているんですね」
「ああ、だから美菜も一人で考えすぎないでいい。相談できることは誰かに話してしまえ。勇たちに言いづらいならまた俺が聞いてやる」
「はい!」
「その代わり……俺のカッコ悪い話はみんなには黙っててくれよ?」
「……分かりました。でも、わたしはカッコ悪いとは思いません。だってわたしは……知っていますから」
「ん?」
「あ……いえ。頑張ってくださいね! わたしも微力ながら応援していますから!」
「ありがとう」
どうして美菜にそんな話をしてしまったのか。安心させるため? この子に対してそこまでする義理もないというのに。そんなのは勇の役割だ。むしろ、この子がここまで悩んでるのに気づいてないのか? 行動を共にしていて誰よりも美菜の様子を伺っているだろう男子がそれに気づけないというのは少し問題なんじゃないだろうか。ま、それも俺には関係ないことだけどな。
「さて、それじゃあ俺はそろそろ行こうと思うけど?」
「はい……あ、愛訝さん」
「ん?」
「………………」
「どうした?」
「また、ここに来てくれますか?」
「…………そうだな。落ち着いたらまた来る予定だよ。いつとは明言できないけどな」
「分かりました……」
「ダンジョン攻略、期待してる。だけど、何度でも言うぞ……無理はするなよ?」
「……はい」
俺は立ち上がって扉へと向かう。部屋を出る際に美菜の方を振り返ったが目が合うことはなかった。彼女は俺の背中に向けて深々と頭を下げていたからだ。そんなに感謝されるようなことはしていないと思うが、俺は自分が彼女に言ったことの責任は果たさなければならないと感じた。足を止めないで進んでいこう。着実に次の一歩を踏み締めるんだ。
――教会を出ると少し日が暮れはじめていた。約束の時間に間に合うだろうか? ま、店の場所も大体は把握してるしな。慌てずに行けばいい。第一印象は大事だからな、だらだらと汗をかいていたり息を切らしながらなんていうのは格好がつかない。三十分前行動はできなくなったが、五分前行動なら十分に可能だろう。
通りを逸れて町外れの方へと向かう。枝分かれした道を何本か進むと町の雰囲気ががらりと変わる。通りの賑わった感じではなく、寂れた……とまではいかないが石が崩れた建物や中には廃墟化したような建物もある。見かける人たちはどこか貧しそうな装いにやつれたような顔で気力を失ったように瓦礫に背を預けて座っている。所謂、貧困街というやつだろうか? こんなところに本当に店なんてあるのか? そんな不安を抱えながらも奥へと進んでいく。
すると、少し広まった通りに出た。さっきまでの雰囲気よりは幾分かマシになった町並みの中に何件か店を開いている建物が見えてきた。行き交う人は少ないけど、全く誰もいないってことはない。きっとこの辺りの店は知る人ぞ知る……みたいな、そういう風な感じなんだろうと思う。そして、俺は目的地へと到着した。
やはり周りと同じような石造りで三階建て。正面には補強された両開きの木の扉。二階と三階は住宅になっているのだろう。その部屋ごとに小さな小窓が付いているみたいだ。扉に近づくと傍に開店中と書かれた掛け札があった。それを確認してからゆっくりと深呼吸をし、俺は店内へと足を踏み入れた。
「………………」
店内は至るところに陳列棚が設置されていて見たこともないような道具が並べられている。電気のないこの世界では照明も蝋燭が主流のようで宿屋の部屋もそうだった。しかし、この店内では蝋燭ではなく白く発光する輪っか状の道具が、四方の壁をぐるりと囲むように少し高い位置に設置されている。そして、この店内は異様なまでに静かだった。客はおろか、カウンターの方を見てみても店主すら不在のようだ。店を間違ったってことはないよな?
「すみません! 誰もいないんですか?」
そのまましばらく待ってみたがやはり人の気配はない。もう約束の時間になっているはずだ。何かあったのか? だとしたら急用ができたんだろう。開いた店を放りだして行くくらいだ。余程のことだろう。防犯とかもなさそうだし、こんなの泥棒に入ってくれと言っているようなものだ。店主が留守だと知られれば強盗なんか大喜びで駆け込んでくるぞ。なんてことを考えていると……。
バタン! と背後から扉を勢いよく開く音がした。本当に強盗が押し入って来たのか!? 俺は慌てて振り返る。しかし、それは強盗ではなかった。たった一人だ。泥棒でもない。正面から大きな音を立てて侵入してくる大胆な泥棒なんて聞いたこともないからだ。そこに立っているのは息を切らし、肩を上下させて、胸に手を当てて呼吸を整えようとしている女性の姿。
うるみ色の髪は短く、どこか物足りなさを感じる。衣服は一般的だけど俺のように地味ではなく華やかな色合いをしていてその上からエプロンをしている。ぱっちりと開かれた目が俺を捉える。少し驚いたような表情をしながらも彼女は息を吸い込んで申し訳なさそうにこう告げた。
「ごめんなさぁい。この店はしばらくの間……休業することになりましたぁ」