和田紗愛 編 9
「どう愛訝? 美味しい?」
「ああ、美味しいよ」
「そ、良かった」
イザードパレスにある酒場。ずっと避けていたこの店にようやく訪れ、俺はマスターに逃げ出したことを謝罪することができた。お前なんかいなくても問題ねぇと言われてしまったが、それはマスターの優しさだったんじゃないかと今では思えている。以前、紗愛からはいつでも戻ってきていいという伝言も聞かされていたが、今は町外れの道具屋での仕事が決まり、それも軌道に乗り始めていた為にマスターはそういう風に言うことで俺にここでの未練を断ち切れるようにしてくれたんだろう。
テーブルに並べられた紗愛の手料理を掻き込みながら、熱くなっていた胸の奥の感情が落ち着いていくのを感じていた。俺はいろんなものを飲み込んでいく。弱かった自分と決別するために。気持ちが上向きになると、この場の騒がしい雰囲気にも自然と慣れてきた。酒を飲み上機嫌になった客たちは顔を赤らめて楽しそうに団欒している。探検家たちのダンジョン攻略の反省会や愚痴や不満も聞こえてくる。
「くっそぉ! あと一歩だったのによ!」
「あそこはやっぱりもっと慎重に進むべきだったな」
「お前が先走るからだぞ」
「ああ!? お前だって追いかけてきてたじゃねぇか!」
「やめなさいよ! そんな言い合いに意味はないわ!」
「……罠避け役をケチッたせいだろうな」
「仕方ないさ。彼らの取り分は高く付く」
「でも、宝を持ち帰れなかったら損しかないじゃない?」
「心配すんなって! 次はきっちり突破してやっからよ!」
「お前な……」
彼らはダンジョン攻略に失敗したようだ。一人の暴走で全て台無しにされるっていうのは別にダンジョンに限らず起こりうることだ。なんでそんな奴を仲間にしておくのかと疑問に思ってしまうわけだが、彼らにも複雑な事情があるんだろう。それよりも気になる言葉があった。確か、以前には港の商人も同じ言葉を口にしていたな。
「罠避け役って何だ?」
「……あたし、知ってるわよ?」
「え、マジで?」
「ええ。ここで働いてたらよく耳にする言葉だしね。ええっと……罠避け役っていうのはダンジョン内にある罠部屋と呼ばれる空間に一人で立ち入って罠を突破……もしくはそれを解除して、入り口で待っている探検家たちに宝箱の場所まで案内する人のことよ」
「あーそうか。そういうのを仕事にする人もいるのか」
「危険は大きいけど、その分だけ取り分も多くて儲かるって話よ」
「なるほどな。でも、一人で突破できるなら宝も一人占めできるってことだろ? なんで独占しないんだ? 慈善事業か何かか?」
「違うわよ。忘れたの? ダンジョンには魔物が出るのよ? 罠を一人で抜けられても魔物は一人では倒せない。だから協力するの。罠避け役を必要とする人は経験の浅い探検家だったり、他国から出稼ぎに来た観光客だったりだからダンジョン内の道案内も兼ねてるって話。罠避け役の人はそれだけ場数も多いから取り分も多くなるみたい」
「つまりは観光に来た他国の探検家から搾取する仕組みになってるわけか」
「まぁそういうことになるわね。でも、命はお金になんて代えられないし、あたしは悪いことだとは思わないわ」
「そうだな。死んだら何にもならないもんな」
ダンジョンはゲームみたいには進めない。小さなミス一つで命を落とす危険があるから慎重にならざるを得ないし、一定の間隔で地形が変化するからマッピングは意味を成さない。まぁ案内できる程度みたいだからそこまで大きな変化ではないのかもしれないが。ただやはり慣れない者ほど時間はかかるのだろう。勇たちも三週間かけてようやく一つってレベルだったからな。それも練習用ダンジョンだったということだ。
俺と紗愛がダンジョンに挑むことにはならないだろうが、元の世界へ戻る為に一度は足を踏み入れることになる。その時に紗愛を守れる程度には知識が必要かもな。今のところ優先順位は低いが。酒場にも足を踏み入れることができるようになったわけだし、これからは探検家に話を聞くこともできるだろう。慌てる必要はない。
「でも、やっぱり生きていく上ではお金も必要よね!」
「ん? まぁそうだけど。だからと言って彼らのようにケチッてたらそのうち本当に……」
視線を先ほどの探検家たちへと向けた。すると、席に着いたままこちらを見た紅一点の女性探検家と目が合った。俺は聞かれてしまったと思い咄嗟に口を塞いだ。ここで揉めるわけにはいかない。幸い、彼女の仲間である男たちは気付いていないようだ。俺は何とか誤魔化そうと思考を巡らせたが何も思い付かない。その女性は笑っていた。俺に向かって微笑みかけてきたんだ。
「愛訝、どうしたの?」
「いや、俺の声……大きかった? 聞かれたかも。悪口だと思われてないといいけど」
「………………」
紗愛も探検家たちを見た。相変わらず男たちは気付かないが女性だけはこちらを見続けている。まだ微笑んでいる女性に少し恐怖してしまい、俺は紗愛に見えない角度で微笑み返してしまう。たぶん苦笑いになっていたとは思うが。すると、紗愛が睨みを利かせたのか女性がそっぽを向いてくれた。そして、ほっと安堵する間もなく紗愛が振り返ってこう言った。
「大丈夫、聞こえてないわ」
「そうなのか?」
「まったく。こっちに来てもこれだけは変わらないのね。嫌になっちゃうわ」
「ん……? あ…………」
そうか。そういうことか。久しぶりすぎて自分でも忘れていた。俺にはあれがあったんだったな。この世界に来たときに得た特別な力とやらは未だに不明だが、俺は生まれつき特殊能力のような性質を持っていた。それがあれだ。何故か女性に好かれてしまうというものだ。端から見れば羨ましがられる力だけど、実際に体験してみれば分かる……この力はオンオフの切り替えが出来ないから意外と怖いものなんだ。
一方的に好意を抱かれる。名前を知らない人でも、たとえ初対面であったとしても、一度そうなってしまったら簡単にはその好意を取り消すことはできない。これまでに恋人の関係になった女性が俺を嫌いになって別れたことは一度もないからだ。進路の都合で会えなくなって自然消滅していくのが最も無難な別れ方で、俺から別れを告げても泣き叫んで懇願する女性もいた。そのくらい難しい問題なんだ。
この異世界でもそれが起こりうることは知っていたはずだった。以前にもああやって見つめてくる女性はいたからな。しかし、最近はそういうこともなく穏やかな生活が続いていたからか忘れてしまっていたんだ。それは紗愛も同じで、現恋人である紗愛にとっては脅威でしかないそれがこの異世界でも続いていた。それを知った嫉妬深い彼女が腹を立てているのはもう間違いなくて。
「……紗愛、そろそろ帰らないか?」
「………………はぁ。そうね、でも待って。愛訝に渡さないといけないものがあるの」
「俺に?」
「ええ。ちょっと待ってて」
そう言い残して紗愛は店の奥にある事務所的な部屋へと移動していった。俺は一人で紗愛の戻りを待つ。その間、さっきの探検家たちの方は一度も見なかった。気にはなったが意識したらダメだと思ったからだ。代わりに店内を見回す。まだ騒がしいが先程までの盛り上がりは収まっていた。マスターも他の常連客たちと一緒になって楽しそうに酒を呑んでいる。
「おまたせ」
「ああ、おかえり。それで? 俺に渡すものって?」
「うん。愛訝がここへ来る前にね、愛訝の雇い主さんが先に顔を見せに来たの」
「メ……店主代理が?」
「そう。あんまり言いたくはないけど、可愛らしい子だったわ。あたしも少し話をしたけど、確かに頼りなさそうで守ってあげたくなる子だった。話し方が独特でおっとりしたような……男の人が好きそうなタイプよね」
「そ、そうか?」
「愛訝はよくやってくれてるって褒めてたわ。覚えもいいし気が利くし、何よりも商品に興味を持ってくれたことが嬉しいって喜んでもいたわ」
「まぁ……な。ダンジョン攻略に役立つものが多いからな。いい道具があれば勇たちにも勧められるだろ? そうなったら売り上げにも貢献できるってだけだよ」
「ふーん。あの子に気に入られたいとかって考えてないわけね?」
「ないない。あくまでも店主代理と従業員の関係だよ。それに、たとえ紗愛がいなくてもこれ以上の関係にはらないんじゃないか?」
「なんで?」
「だって俺は彼女の用心棒も兼ねてるんだ。彼女に言い寄ってくる男は多い。それを追い返すのも仕事の内なのにさ、そんな俺が彼女を好きになったら本末転倒だろ?」
「あはは、それもそうね」
何とか乗り越えられた。嫉妬心に駆られた紗愛の追及は長時間に及ぶことがある。それをこんなに早く切り抜けられたのは一年以上も恋人の関係を続けてきた成果なんだろうな。危うく店主代理の名前を言いかけたが、それを口に出したら最後……今夜は寝かせてもらえなかっただろうな。やらしい意味ではなく、朝まで説教されていたことだろうからだ。
「……それで? 店主代理はなんでこの店に? 確か酒は呑まないって言ってたと思うけど」
「あーうん。愛訝に渡しそびれたものがあったからって届けてくれたのよ」
「俺に?」
「ええ」
「何を?」
「愛訝、お仕事頑張ってたもんね。町外れまで距離があるのに毎朝ちゃんと起きてたし、最初のうちは夕方に帰ってきてもクタクタですぐに寝ちゃってたこともあったわ」
「まぁ慣れるまではな」
「一生懸命にやってたからあっという間に時間も過ぎていった。あたしは誰よりも傍で愛訝を見てきたからこの日を迎えられたのは本当に嬉しいの」
「………………」
「はい。おめでとう、愛訝」
紗愛が目の前のテーブルにそれを置いた。それはガチャンと少し重たい音が鳴り、カタカタと少し形を変えた。動物の皮か何かで作られたもので、正方形のものの角を集めてその先端に同じ材質の紐を縫い合わせてあるもの。そう、それは皮製の袋と呼べるものだった。しかし、紗愛が渡してくれたのはその中身だ。店主代理が俺に渡しそびれたもの。それは焦げた茶色で楕円形をした銅板。所謂、硬貨というものだ。
「これは……」
「お給金よ。お父さんに許可を取っていないからあまり多くは出せなくて申し訳ないけどって言っていたけど、これが愛訝にとってこの世界で初めて稼いだお金よ」
「俺の……金」
「良かったわね」
「…………紗愛」
「ん?」
「これは紗愛が持っていってくれ」
「え? なんで?」
「俺は紗愛のおかげでこうして生きていられてる。紗愛がいなければ俺はこの世界に来る前から死んでいた。だから、これからは少しずつだけど紗愛に返していく。それが俺にできる唯一の……」
「ダメよ」
「え……? なんで?」
「愛訝は恩を返したいだとかって考えてるのかもしれないけど、あたしは愛訝に返して欲しいなんて思ったことないわよ。あたしが好きでそうしてるんだもの。もちろん、愛訝には自立してほしいと思っていたわ。そしてそれができる人だとも思ってた」
「でも、こんなに時間がかかった」
「そうね。愛訝は愛訝にしか分からない苦労をしてきた。それはきっと無駄にはならないわ。その時の気持ちを知っているからこそ、もう簡単には足を止めないでしょ?」
「まぁ……そうかもな」
「これまでのことはこれからのことに役立てていくの。お金だってそう。ここまで頑張って働いてきた分をこれから先の人生に使っていくの。使っていけるのよ」
「俺の未来は……紗愛と一緒に」
「うん。それでもあたしの為に使いたいって言ってくれるのなら、あの時の約束を果たしましょ?」
「約束?」
「デート……するんでしょ?」
「あ…………」
「まさか、忘れてたの?」
「いや、そんなことはないけど……いいのか?」
「うん。愛訝はやっぱりあたしが好きになった人だもの。嘘なんてつかないわよ」
「紗愛……」
「近い内に休みを合わせてどこかへお出かけしましょ。とは言ってもこの町にデートスポットがあるのかどうかも怪しいけどね」
「はは! 確かに。当日までにちょっと調べておくとするよ」
「それじゃあ愛訝に任せるわね。楽しみだわ」
「俺もだよ」
デート。それは待ちに待った紗愛との特別な時間になるだろう。その日は何もかもを忘れてただ楽しく過ごせればなと思う。ま、ここじゃ他に話す話題もないからそれは難しいかもしれないけどな。イザードパレスには遊戯施設もなければ娯楽施設もない。運動施設だってないし、商業施設と呼べそうな場所がギリギリ存在する程度だ。その限られた空間でどのくらい紗愛を楽しめさせてあげられることができるのか。
いや、場所や時間が問題じゃないんだったな。二人がどれだけ同じ瞬間を共有できるかだ。そうだよ。紗愛といてつまらないはずがないんだ。彼女が興味を持つような場所を訪れ、彼女が笑っていられるような時間を作っていく。そうやって紗愛が幸せだと感じてくれれば俺も同じように幸せを感じられるはずだ。失敗もするかもしれない。だけど、そんなこと気にならないくらい笑顔の絶えない日にしよう。それが俺と紗愛の異世界デートなんだ。
――二週間後、その日はすぐに訪れた。俺たちは同じ宿の同じ部屋で寝泊まりしているわけだが、先に準備を済ませた俺は一人で部屋を出て待ち合わせ場所へと向かう。そこは何の変哲もない町の通りだ。しかし、俺たちにとっては始まりの場所ともいえる。そう。勇の者と呼ばれる俺たち異世界者がこの世界へと招かれ降り立った場所。今日のデートはここから始まる。
大通りで道幅は広い。その端にある街灯の下に立って周囲を見渡す。石造りの店が立ち並び列を形成している。大きな岩を四角く切り取り、中をくり貫いたかのような繋ぎ目すら見えない建物ほど立派なんだそうだ。この国には四季もなく気温も年中さほど変わらず快適だから空調機器は必要ない。まぁ、機械すらないからたとえ必要であったとしても用意できないだろうけど。
石畳の路面は緩やかな傾斜になっていて、中央ほど高くなっている。俺の立つ街灯の前には側溝があり、雨が降るとそこに流れ込み港の方へと運ばれていくようになっているようだ。この世界に来てから雨が降った日もあったが、比較的その日数は少ないような気がした。それも俺たちのいた世界とは環境が違うからだろうか。
そんな通りを朝から多くの人が行き交っている。その人たちの多くはサラリーマンではない。誰かに雇われているわけではなく自らの行動によって利益を得ている自営業者……ダンジョンと呼ばれる財宝の眠る迷宮に挑む探検家たちだ。まるで仮装のような衣装に身を包み、剣や槍、斧や弓のような武器を持って複数人でチームを作って町の外や港へと向かっていく。
「この風景もすっかり見慣れてきたな」
そりゃあそうだろうな。この世界へ来てもう三ヶ月程度は経過している。覚えることも調べることも多くてまだまだ全てを理解したわけじゃないけど、それでも衣食住は確保し、働き口も見つけたことで異世界生活においての不便さは感じなくなっている。満たされてきた生活の中で未だに物足りなさを感じていたもの……それを今日、俺は手にすることになるだろう。
「愛訝、お待たせ」
俺の名前を呼ぶ声に反応して振り返ると、そこには赤みのある茶髪を肩まで伸ばし、鋭い眼光は落ち着き少し丸みを帯びた瞳をした小顔美人が立っていた。今日はいつもの安物の衣服ではなく、この日の為に用意してくれたというドレス風の衣服を着てきてくれた。ほとんどお目にかかることのできない紗愛のスカート姿だ。スラッと伸びる脚線美を視線でなぞってしまうのは仕方のないことだろう。
「紗愛……綺麗だよ」
「ありがと」
そっと差し伸べた右手に紗愛の左手が乗せられる。それを優しく握って俺たちの異世界デートは開始された。ヒールの高い靴で足首を痛めないようにゆっくりと歩幅を合わせて歩いていく。最初に向かうのは町の西側にある商業施設……ショッピングモールのような集合商店だ。まずはそこでウィンドウショッピングをするつもりだ。何か紗愛の気に入る物が売られているといいんだけど。
施設に入り、小一時間ほど衣服や雑貨を見て回り、そのままの流れで探検家たちがよく訪れるという武具などが並ぶコーナーへと入った。折角だからと見てみることにしたが、やはり俺には仮装の為の衣装にしか見えない。鉄製の鎧や兜、革のグローブやブーツ、毛皮のマントなど色々と取り揃えてあるみたいだ。武器なんかもあるからここで一式は揃うってことなんだろう。
「美菜ちゃんたちが着ていたようなローブも売られているわね」
「そうだな。でも、あっちは王様が用意したものって言ってたから身軽で丈夫でここにあるものよりも高級品なんだろうけどな」
「もう……そういうことは言わないの。ここの商品だって必要としている人たちはいるんだから」
「ははは、それが悪いってことじゃないんだ。もしも俺たちもダンジョン攻略に協力していたら、紗愛にもちゃんとした衣装……装備か、着せてあげられたはずだったんだよなってさ」
「あたしはこれでいいわよ。どれだけ良いものでも、あたしが着たら死装束になっちゃうもの」
「…………そんなことにはさせないさ。紗愛のことは俺がちゃんと守るから」
「何? 愛訝ったらそんなに恥ずかしいこと言っちゃって」
「茶化すなよ」
「あはは! 次いこ、次!」
「はいよー」
そうやって歩き回り、特に買い物をするわけでもなく時間が過ぎていく。あっという間に昼になり、俺たちはフードコートへ向かって昼食を摂ることにした。適当に席に着くと、紗愛を休ませている間に俺が注文して料理を運んでいく。それなりに混雑しているのは、この世界には平日だとか休日だとかっていう区別がないからなのか。どの店にもいえることだが、基本的にはいつ来ても開いているっていうのが常識だ。
俺を雇ってくれたサッサネロ道具店もそうだ。だけど年中無休というわけではない。店主代理が今日は休みだと言えば休みになるし、何か用事があったり急用の場合はその時点で店を閉めることもある。つまりは客の都合に合わせた商売をしていないということだ。元いた世界では珍しいことだけど、探検家なんていう職業の人がいるこっちの世界では当たり前なんだろうな。
「お待たせ」
「ありがと、早く食べよ。お腹空いちゃったわ」
「ああ」
昼食に選んだのは麺料理だ。その中でもパスタとして認識しているもの。ソースはカルボナーラ風味とでもいえるだろうか。コーヒーをホーキと呼ぶように、こちらでは呼び名が違ったりするものがある。それをいちいち追及したりもしないし、覚え直そうとも思わない。この世界で永遠に生きていこうとは考えていないからな。ただ、違う名称というのはここが異世界であることを改めて再認識させられてしまうものだ。
とりあえず、俺たちの前に並んでいるのはラクロバーナだとかいう料理で、発音がややカルボナーラとは違うが味は同じものだ。チーズに卵にコショウ……あとはベーコンか? 材料もまんまカルボナーラだな。そして、これがまた旨いんだ。濃厚だけどくどすぎず、なかなかのボリュームだけど最後まで飽きがこないくらいに食べやすい。俺はそれをペロリと完食してしまった。
「愛訝、また早食いしてない? ちゃんと噛んで食べないと消化しないわよ?」
「大丈夫だって。それに、俺が早いんじゃなくて紗愛が遅いんだろ? ま、美味しそうに食べてる紗愛を見れるから無意識に早食いしちゃってるのかもしれないけどな」
「…………そんなこと言われたら食べづらくなっちゃうじゃない」
「はは、気にせず食べろよ」
それから俺たちは互いの仕事先の話をしたり、向こうの世界での話をして思い出したりしていた。しかし、そんな話題も長くは続かない。どうしても現実からは目を逸らせなくて勇たちやダンジョンのこと、そしてアイヴイザードのことなんかについての話に移行していく。その中で俺も知り得た情報を紗愛に伝えて共有していくことにしたんだ。
「ゾアル王にケルヴィン王……そしてミアメイル姫?」
「そう。それがアイヴイザード王家だ」
「でも、話を聞いた限りでは王国を裏で支配しているのはその司祭って人じゃない?」
「いや、それはないと思う。ケルヴィン王は権力に溺れた王だからこそ操り人形になってるとは思えない。教会のこともあるし、たぶん司祭っていうのはアドバイザー……占い師とかそういう類いの人なんだと俺は思う。当たるも八卦、当たらぬも八卦って言うだろ?」
「それじゃあ、その人の助言を受けて動いてるってことは……よく当たるんだ?」
「だろうね。だから町の中心に教会を建てることも許したんじゃないか? イザードパレスなのに人々が信仰しているのは王ではなく神だっていうんだから面白いよな」
「笑ってなんていられないでしょ? 占いが当たるならこの国はもうすぐ戦争になるかもしれない。あたし嫌よ、これ以上巻き込まれたくないわ」
「…………そうだよな。だけど、もうすぐとは言ってもまだまだ先の話だと思うよ。じゃないとダンジョン攻略だってもっと急いでるはずだ。逆に言えば、王家が慌てだしたら戦争も近いのかもしれないな」
「はぁぁ。お願いだからあたしたちが帰ってからにして欲しいわ」
「うん。俺もそう思うよ」
戦争なんて経験はない。だけど恐ろしいことだってことだけは知ってる。たぶん兵器や科学なんかは用いられない原始的な戦争になるんだろうけど、この世界では誰もが平気で武器を持ち歩いている。兵士だ平民だ貴族だ王族だなんて関係ない。戦えない者は蹂躙されるのみ。強ければ生き、弱ければ死ぬ……そんな弱肉強食の世界で起きる戦争なんて真っ平御免だな。
「そういえば、愛訝は知ってた?」
「ん、何を?」
「勇くんたちが二つ目のダンジョンの攻略を始めたって」
「え!? そうなのか? でも、そんな噂は聞こえて来てないな」
「なんかね、今回のダンジョンはこの島にあるからってことみたいよ。ほら、前回は港に人が押し寄せたじゃない? ああいうことにならないようにって」
「ああ……確かにな。あの日にこの島へ訪れた人はびっくりしただろうな。出迎えが凄すぎて」
「あはは!」
「でもそうか……二つ目の攻略が始まったのか」
「うん。何だか自分たちだけこうしてるのも申し訳ないわね」
「…………いや、そんな風に思わなくていいよ。俺たちは異世界召喚に巻き込まれただけの被害者だろ?」
「そうだけど……あたしはともかく、愛訝は戦うことのできる人なのに」
「戦えないさ」
「え?」
「俺は働くこともできなかったダメダメな奴だぞ? ダンジョンに行ったところで守る人もいなければ戦う理由もない。町に残してきた紗愛が心配でそれどころじゃないさ」
「愛訝……」
「それに、今さらダンジョン攻略に向かっても勝手が分からないから勇たちにいいように使われるだけだしな」
「そうね。まだ愛訝の特別な力も不明なままだもんね」
「うん。もしかしたら、何にもないのかもな。余計な力に振り回されるくらいならその方が気が楽なのかもしれないけど」
「…………あたしも、その方が良かったわ」
美菜がそうだったように、俺の力も前提条件が必要なのかもしれない。魔物を前にした時、仲間が怪我を負った時、罠部屋に閉じ込められた時、宝を手にした時……みたいにな。ダンジョン攻略に参加しない限り発現しない力なんだとしたら、それはもう無いのと同じことだ。それならそれでいい。俺には力がないから協力できないと言い続けられるからな。
そして紗愛の力……これも未だに分からないままだ。一部の女性のみに重なって見える数字で、俺と何らかの関係がある可能性もある。その数字は時折変動し増加はするが減少はしない。ゲームのようなステータスパラメーターが数値として見えているのか、パーソナルデータの可能性は低いと考えていたけどもしかしたらこの数値か? って思わなくもないものもある。だけど、それならば減少しないなんてことはないはずで……。
「あらら? 酒場の店員さんとその彼氏さんじゃない?」
突然だった。俺たちの座るテーブル席に一人の女性がやってきた。その顔に見覚えはない……はず。身なりからして探検家だ。しかし、探検家に知り合いなんていない。唯一の知り合いになりえたルータはもうこの世にはいないからだ。じゃあこの人は? ルータの知り合いか? いや、違うな。この人は紗愛のことを酒場の店員だと言った。つまりは……。
「紗愛、知り合いか?」
「知り合いってほどではないけど、よく来てくれるお客さんよ。愛訝もほら……この間見たでしょ?」
「この間……? あ、罠避け役をケチってダンジョン攻略に失敗したとか話してた?」
「あれれ? やっぱり聞こえてたんだ?」
「あ……ごめん。盗み聞きするつもりはなかったんだけど」
「いいよいいよ。アタシの仲間には声の大きいのがいるからね。それに間違ってもいないし」
「はぁ」
「ねね、ここ座ってい?」
「え?」
「ちょーっとだけ、お話したいなーって。ダメかな?」
「いや……」
その女性探検家は空いていた隣の席に座ると俺たちのデートに介入しようとしてきた。おいおい、確か仲間内ではこんなに軽いノリで話してはいなかったと記憶しているんだが? 無神経にも程がある。俺は紗愛の様子を見た。あー。睨み付けていらっしゃる。名前も知らない探検家の女性を鋭い眼光で睨み、今にも爆発寸前って感じだ。これは俺が何とかしないと。折角のデートが台無しにされる可能性もあるぞ。
「悪いけど、遠慮してくれないか?」




