番外編
これは、狐と翁の双方によって成り立っていた物語である。
翁は米寿を迎えていた。足腰共々弱ってはきたものの、山菜採りなどの食料調達は欠かさず行っていた。
狐は、どうしているのかと言いますと、今から七年程前に山頂で翁に
「いつかは虎のもとへと戻ることにするのじゃ」
そのように告げ、それから一年後に狐は元々自分がいた世界へと帰って行ったそうな。つまり、翁は、また一人で生活をしています。結局は狐と出会う前のような生活状態に戻っただけなのですが。
しかし、今の翁は一昔前とは違っているようです。それほどまでに名も知らぬまま過ごしてきた狐の存在が翁に大きく影響したのでしょう。そして、たまには狐との日々を思い出し懐かしんでいました。
狐は今、無事に虎と出会うことができただろうか、毎日を楽しく過ごせているだろうか、そんなことを考えたりすることもありました。
話は遡り、翁のもとから去った狐はというと...
翁のもとを離れてからというもの、虎に会った際に何と言おうか考えていました。山奥に来てから約五〇年もの歳月が経っていたのですから。もっと言えば、狐のいた世界では約一〇〇年もの間、留守にしていたようなものなのです。
翁の住む世界を『こちらの世界』としたとき、狐の住んでいた世界は『あちらの世界』となります。
『あちらの世界』では、『こちら』よりも時の流れが二倍ほどはやくなっています。
こちらの世界に勢い余って逃げ出してきたは好かったものの、帰った時の言い訳など考えておりませんでした。しかし、嘘をついたところで現状が変化するわけでもありません。
そのため、狐は正直に一〇〇年程留守にしていた理由を話すことを決心したのです。
外と内を隔てるような境界を乗り越えた狐は、光が差し込んでくる方へと駆けて行きました。
そこには奥ゆかしい建物や見慣れた路、行き交う人々がおりました。人々は物作りであったり農耕だったりと様々な面で、翁の住む世界の人々よりも優れているようです。
狐は、速度を落とすことなく村の一番奥にある神社へと走っていきます。そこは、この世界に住む人々にとって唯一の信仰対象でもありました。
やっとのことで狐は神社の鳥居の前まで来ました。そして何らかの言葉のようなものをぼそぼそと呟いた後、鳥居をくぐっていきます。
そこには満開の花々、少し遠くの方まで行けば果実のなった樹木があるといったような豊かな自然が広がっていました。先ほどの人里とは鳥居によって隔てられています。
そのため鳥居の裏側の世界には、ごく一部の者しか来られません。本来ならば無闇矢鱈に鳥居の向こう側の人里へ出て行くことさえも禁忌でした。
ともかく、ひとまず狐は元々の世界へと戻ってくることができたようです。
「やっと着いたのじゃ。虎にも他の者達にも会った際には謝罪しなくてはならぬがの...」
そんなことを言った後、狐はトボトボと歩いていました。
それから間もなくして狐は、地蔵の阿蘇姫と呼ばれる者と出会いました。
「貴方は霽香様ではありませぬか。今まで、どちらに行っておられたのです?皆、一同心配していたのですよ」
「あはは、そうか。それは悪いことをしたのじゃ。妾は外の世界へと行っていたのじゃ...」
そうやって狐は、これまでの出来事を地蔵の阿蘇姫に伝えたのです。
狐こと霽香と、阿蘇姫は昔から色んなことを相談し合う仲でした。しかし、今回のことでは相談も何もないまま外の世界、つまりは翁の住む世界へと飛び出してきてしまったのです。
狐の事情を聴いた地蔵は小さく溜め息を吐いた後、
「まったくもって貴方という人、いや狐様は...」と呆れているようでした。
「だから、そのことも含めて今から謝りに行くのじゃ。長い期間留守にしていたことを」と狐。
「承知いたしました。ならば、私も貴方に同伴させてもらえませんか?霽香様お一人では、心細いと思いますので」
「そうかの、ならばお願いするとしようかの」
そして狐と地蔵は虎もとい他の者達を探し始めます。誰かと会う度に謝罪だったり、久しぶりの会話をしたりしていました。
それから、この界隈を牛耳る大宝大明神様のもとへと訪れました。
そこでも狐は一通りの謝罪の言葉を述べました。狐の話が終わると、それに対し大宝大明神様は怒ったりすることなく、ただ頷いて聞いているだけでした。
「そうであったのか、霽香よ。我は無事に戻ってきてくれて、さぞ嬉しいぞ」とだけ言いました。
そうして、大宝大明神様とのやり取りが終わっていく。
それから狐と同伴の地蔵は虎を探すこととした。場所については大宝大明神様が詳細に教えてくださったので、そこへ向かうこととした。
その場所、つまり今頃虎がいると思われる所は狐と虎が互いにライバル視する前に憩いの場としていた所でした。
何故、虎がそのような所にいるのかと言いますと、虎は狐がいなくなった後、自身に負い目のようなものを感じていたのです。
そのため今さらではあったものの、いつか狐が戻ってきてくれた時にライバル関係以前の親友としての状態になれたらと思うようになっていました。
そんな理由で来る日もあくる日も、狐との憩いの場、昔懐かしい所を訪れていたのです。
そのような事情など狐が知ることはありませんでした。なので何も判らぬまま不思議な気持ちで、虎がいると思われる場所に向かっていました。
狐と虎の憩いの場へと到着すると、虎が独り日差しを遮るかのように木陰で昼寝をしているようでした。
地蔵の阿蘇姫に背中を後押しされるかのようにして狐がゆっくりと虎の方へ近づいていきます。
虎は、まだ気づかないようで寝息をほのかに漏らしながらくつろいでいます。
「夷叉河殿、起きてほしいのじゃ。そなたと話がしたいのじゃ」と狐。
聞き覚えのある声が聞こえてきたので虎こと夷叉河は目をぱちりと開けたのです。そして、まだ僅かに重たい瞼を器用に左の前足でこすり、狐の方をじっと見つめます。
「霽香ではないか、いつの間に戻ってきたのだ?あの一言がきっかけとなり、いなくなってしまったのではと心配していたのだ」
そのように虎が狐に対して言いました。
慥に、その虎の一言がきっかけとなり狐が外の世界へと逃げ出してしまったのは言うまでもありませんが、それは単なるきっかけに過ぎないのでした。
虎の言葉を聞き終えた狐は、
「まあ、それもあるのだがの...」と言い、これまで虎に対して言いたくとも言えなかった、いわば隠してきた思いのうちを明かしました。
その全貌を知った虎は、狐がいなかった間の心情を包み隠すことなく伝えました。
虎のことをいつかは越えたいと思ってきた狐は自身の感情に区切りをつけることにしたのです。
虎は狐に追いこされまいと思っていたものの、もうそんな事はどうでもよく感じていました。こうして、無事に長く待ち望んでいた狐との再会が叶ったのですから。
それからというもの、狐は自分にできる最大限のことに全力で取り組むよう努め、虎は狐の弱点や苦手なところを補うようになりました。
最大にして最強のタッグ、究極のペアが誕生したのです。このことにより、これまで以上に二匹は他の動物を含めた者達からの憧れの存在となっていきました。
何度か季節は巡り、今は秋。少し冷たい風が山奥にも吹くようになりました。
翁は山小屋で野草を煮詰めた茶を飲んでいます。その時、ドアの向こう側から聞き覚えのある声が聞こえてきます。
「じい様や、まだ生きておるかの?もし、まだここにおったら扉を開けてほしいのじゃ」
そのように狐らしき、いや狐そのものの声が聞こえてきます。
翁は飲んでいた茶の手を止めてドアを急いで開けることにしました。
そこには狐だけでなく、白光した姝毛並みをもった虎もいました。
今回は、大宝大明神様の特例且つ条件付きの許可もあり、翁に会いに来ることができたのです。
その条件とは狐と虎の二匹で翁に会いに行くというものでした。
何年ぶりかの久しい再会となった狐と翁、そして翁と初めての面会となった虎。
ひとまず翁は、二匹を小屋の中へと招き入れることといたしました。
さて、彼らは、これから一体どのような会話をするのでしょうね。
こうして、狐と虎は翁の山小屋の中へと姿を消していきましたとさ。
おしまい
とても短い短編集ながらに最後まで読んでいただき有り難うございました。
どうか、皆さまも体調には気を付けてください。では、またどこかで......