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 冴え冴えとした空に三日月もとうに顔を出している夕月夜。

 私はというと、自分の局の前で仁王立ちしていた。



 昼間は行き交う人の話し声や、衣擦れの音で賑わっている内裏も、夜は雪が音を吸いこみ、無音の闇が広がる。

 特に今宵は両隣りの局の女房が宿直(とのい)の為、なおのこと静か……のはずなのだが。


 空室のはずの両隣りから、聞こえないはずの衣擦れや息遣いがする。しかも一部屋に明らかに三人以上ずついる…。


 ふふ。姉様方、どんなに息を殺しても、私の『聡耳』を誤魔化すことは出来ないのですよ…。


 今朝の後朝事件のお陰で、私は監視されていた。

 先輩女房達は多くが上流貴族の妻。自分の恋愛時代が終わってしまった為、潤いを他者に求めるという厄介な習性がある。その為今回のような面白そうな事があると餌に群がる鯉のように迫ってくるのだ。

 こんな聞き耳立てられてるんじゃ、ますますあの男を一歩たりとも局の中になんて入れられない。入れた瞬間に既成事実は完成し、鯉達は口を忙しなく動かしてあること無いこと喋るだろう…。

 そうなったら最悪だ…!


 という訳で、何としても局への侵入を未然に阻止せんが為、底冷えする中を温石片手にひたすら外で諸悪の根源を待っているのだった。


 寒さで手が悴みかけてきた頃、遠くに衣擦れの音が聴こえてきた。音からしてこちらに向かってきているようだ。


 さぁいよいよか。

 と滾る闘志を剥き出しに暗闇を睨めつけていると、意に反して現れたのは朝の美少年だった。


「うわ、本当に外で待ってる…兄上の言ったとおりだな…」


 お互いに紙燭を持っていて明るいものの、顔の判別がようやく付くかどうかの遠い距離。小さく呟いたその声は朝より一段低く、苦笑交じりの言い方は元服前の童とは思えないほど大人びていて艶っぽかった。

 美少年は、小走りで近くに寄って来ると、先程の呟きよりもぐんと高く可愛らしい声音で囀る。


「うさぎの君、主の元へお越しいただくよう仰せつかって参りましたが…。お話しするまでもなく準備万端のようですので、早速ご案内致しますね。」


 良かった。別の場所ならば、この野次馬達を気にしなくて済む。

 目の前の微笑みに促され、足を踏み出すと、両隣りの局から一斉に抗議の声が漏れ聞こえる。


 お生憎様ですねお姉様方。『聡耳』たる私が盗み聞きなんて容易くさせませんよ。んふふ。


 悔しがる女房達を想像し、少し溜飲を下げた私は、渡りに船とばかりに前を行く可愛らしい影を追ったのだった。


 てっきり昨日のように塗籠あたりに連れて行かれると思っていたら、宣耀殿を通り、さらに歩き、着いた先は桐壺だった。

 桐壺は現在お住まいの女御や更衣は居らず、一部のお偉方の休憩室である直廬(じきろ)として使用されているはず。

 宰相中将もこちらに直廬を許されているのだろうか?

 美少年はとある一室の前で立ち止まる。


「二の宮様、入りますよ〜。」


 二の宮という言葉に思考が停止し、次いで聞こえた声に我が耳を疑いたくなる。


「鈴丸!こんな時間まで一体どこをほっつき歩いてたんだ!」


 苛立ちの中に、安堵の混じった優しい声。何の心構えもなく聴かされたあのしびれるような声に、昨日で慣れたかと思いきや、見事に泡立つ全身を思わず掻き抱いてしまう。


 毒だ…。

 私の『耳』にあの声は甘い毒。


「うさぎ、何故ここに?……なんだ?寒いのか?」


 ニの宮は私の来訪に驚き、すぐに我が身を抱える私の姿に怪訝顔になる。


「いえ…気になさらないでください。」


 ああそれよりも、鈴丸君って宰相中将の弟君じゃないの…。将来有望な美少年と宮中で有名なのに、今に至るまで気づかないなんて女房失格だわ。

 二の宮の登場に驚き、文遣いが実は宰相中将の弟君だったことにも驚き、もはや何に驚いていいのか分からない状況で促されるように室内に入ると、居るはずのんふふ顔がない。

 あれ?中将様は…?

 と声に出そうとして、例の美声に遮られる。


「おいうさぎ、文には明日来いと書いただろう?」

「へ?文…?」

「そうだ。俺が昨晩お前に送っただろうが。」

「何のお話で…?」


 宮はその涼やかな眉を寄せて私を見たかと思うとすぐ、戸口の方を睨みつけた。

 見ると、足音を忍ばせながら脱出を図っている鈴丸君。


「鈴丸、昨日の文はどうした?」


 低い声で凄まれて、小さな体がさらに小さく竦む。


「だ、だって兄上が…!」

「呼んだかな?んふふ。」


 絶好の間合いで室内ならぬ罠の中に入ってきた中将に全員の視線が突き刺さる。


「ああ、この身を貫くような熱い視線…堪らないねぇ。」


 うわぁ、変態がいる。変態中将だ。

 盛大に引く私を余所に、慣れているのだろうニの宮は受け流して話を進める。


「中将、俺の文をどうしたんだ?」

「ん?あんまりにも面白みのない文だったから、私が代筆をしてうさぎに届けてもらったよ?」


「「はあ?」」


 氷点下で揃う私と宮の反応に、


「んん〜いいねぇその冷たい反応。ゾクゾクするよ。」


 と、変態中将は恍惚とした表情で自身を掻き抱く。

 変態…以下略。


「じゃあなんでうさぎは此処に居る?明日来るようにと書いたはずだ。」

「えっ!そうなんですか?だいたい、届いたのも今朝で、内容も中将様からの後朝の歌だけみたくなってましたけど。」

「……。」

「はいはい、それは今から説明するから聞いてね二人とも。」


 ジロリと睨みつける私達に対し、諸悪の根源の癖に、まるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるかのような態度が無性に腹立たしい。


「何も知らないうさぎに分かる様に、最初から説明しよう。周りに人、居ないよね?」


 んふふ顔で見つめられ、私は髪を掻き分け『聡耳』で聴く。


「大丈夫です。近くには猫の鼓動一つ聴こえませんわ。」


 満足気に頷き、火桶の周りに各々座るのを見届けると、中将は話しだした。



 ーーー話は半年前に遡る。


 私が出仕する少し前、東宮退位を求める怪文書が清涼殿へ届いたそうだ。

 犯人を特定出来ずにいたのだが、その後なんと、犯人は二の宮ではないかという噂が流れたらしい。


 二の宮と東宮には確執があり、お互いに憎み合っているようだと。


 それは根も葉もない噂で、本人はもちろん東宮様も否定し、堀川のおじ様を始めとするお偉方の圧力のお陰で噂は沈静化した。

 噂の出処を探ろうとするも、そちらも特定出来ない。恐らくその事件がきっかけで私が呼ばれたのだろう。

 結局東宮退位が狙いなのか、二の宮を陥れるのが狙いなのか分からず、霧の中に佇むような状況になってしまったそうだ。


「だが、俺を陥れたところで得になることは何もないから、東宮退位が犯人の狙いだと俺たちは考えている。」


 宮は顎に手をやり目を細める。

 次に何を仕掛けてくるのかと、犯人にされかけた二の宮は特に警戒していた。

 東宮の周りの人の出入りなど注意していたところ、雪うさぎ事件で私と会った。新参者と聞いて、梨壺の女房へ聞き込みをしたところ、遠雷の到来を教えた事が分かり、それ以来怪しんでいたらしい。

 そして昨日のボヤ事件。

 雪の中で二人が話していたのは、最近梨壺のとある女房へ、朝顔の君が熱心に通っているのが怪しいという内容だったそうだ。


 朝顔の君というのは、式部大輔のこと。

 恋人が多すぎて一人一晩ずつ通っても一年に一回会えるか分からないという噂から、最初は七夕の牽牛の君と呼ばれていたが、それでは露骨なので、牽牛子という別名のある朝顔をとって、朝顔の君と呼ばれるようになったそうだ。

 そんな朝顔の君が熱心に通う梨壺の女房、大江は病の親を気遣って頻繁に里下がりをしているという。

 気になり見張らせた所、とある邸に何度も通っていることが分かった。

 その邸というのが、先右大臣である高倉入道邸。


「高倉入道…ですか。」


 私は思わず眉を潜めた。5年前、東宮立坊争いに敗れ、出家した男。世間の噂には疎い私だったけれど、その名前は記憶していた。

 今上の弟宮で今は船岡宮と呼ばれるお方の外戚である高倉は、東宮立坊にその船岡宮を推していたが、実際立太子なさったのは堀川様の外戚の今東宮だった。

 負けじと今度は、船岡宮と娶せる予定だった自分の娘を桐壺東宮女御として強引に入内させるも、女御は病を得て、時を経ずお隠れになってしまった。

 その後、船岡宮も桐壺女御の死を嘆きご出家なさり、手駒を無くした高倉も失意のうちに出家し表舞台からは姿を消していたのだが…。


「私達は高倉入道が暗躍していると考えている。方法は定かではないが狙いは東宮退位。」


 いつになく真剣な顔の中将に、私も真面目に頷き返す。


「そこで、うさぎに朝顔と大江の密会を盗聴してほしいんだ。もちろんこの事は昨夜、堀川殿へ報告し、『うさぎが許せば。』と、許可も頂いている。」


 盗聴…しかも堀川様公認の仕事。

 男女の密会を盗み聴くなんて、いくら馬に蹴られても足りないぐらい無粋な話だ。けれど、東宮様や麗景殿女御様達みんなの為にやらねばならない事。


「分かりました…。私でお役に立てるのならば。」

「ありがとう…。」


 大輪の八重桜が咲き誇り、不覚にも胸が高鳴る。…のもつかの間、ガラリと表情がかわり、いつもの婀娜っぽいんふふ顔。


「じゃ、早速二の宮と一緒に張り込み開始ー!」

「「はぁ?!」」


 またもや高い所で揃う宮と私の声。


「兄上、これからの二人の関係について説明しておりませぬ。」


 それまで黙って聞いていた鈴丸君が可愛らしく中将の袖を引っ張る。


「ああ、そうだったね。んふふ。二人はこれから対外的に恋仲を演じてもらうよ。」

「「はぁあっ?!」」

「二人とも息ぴったりだねぇ。これなら素晴らしい恋仲になれそうだね。」


 檜扇をヒラヒラさせて呑気な感想を述べる変態中将に殺意が湧き出る。


「おいコラ。どーゆー事かきっちり説明しろ。」


 圧し殺した美声は無駄に私の耳を刺激する。いやもう、集中出来ないんで、あなたも喋らないでもらっていいですかね?


「うさぎが毎晩、こちらの方をウロウロするのは変に思われるだろう?だからその理由を作る。」


 そ・こ・で!

 扇をパチリと閉じ、得意のんふふ顔で二の宮様と私を見比べる。


「二の宮がうさぎを大層気に入り、毎晩この桐壺へ召している事にするのだよ。」


 毎晩召すって…。耳やら顔やら至る所がたちまち熱くなってくる。空いた口が塞がらず、餌を待つ鯉のようになっていると、美声の主がキレる。


「なんで俺がそんな恥ずかしい役をやらなきゃならないんだ!中将でいいだろうが?!」


 ち・ち・ち

 と閉じた扇を左右に振りながら、哀れむ様な目を向ける中将。


「私は宮中に直盧を持っていないし、恋仲であればうさぎの局へ通うのが普通だ。」


 最もな指摘に「うっ。」なんてベタに餅を詰まらせたような声を出す二の宮。

 そんな宮を、中将はズビシッと扇で指し示す。


「したがってこの役は、何をしてもバッチリ許される、やんごとない身分の二の宮にしか出来ないのだよ!」


 情けなく咳き込む相手に中将は更にたたみかける。


「まぁ、いくら二品親王だからって、後宮で女を呼びつけて侍らすのは、いささかやり過ぎかもしれないけど?そこはすでに今上に話をつけてある。それに二の宮もいい加減男色の噂を払拭しないと結婚出来なくなるよ?」

「うぅ……。」


 外堀を埋められた挙句、頑丈に固められ手も足も出ず地に伏した二の宮様は、横目で私に訴える。


『お前何とか言え。』


 …何だろう。声に出さないけれど確実に伝わってくるこの威圧感。

 天に二物も三物も与えられてる完璧人間の癖に、この危機をしがない一女房に任せるなんてヒドイ。

 しかし、このまま放っておいては私にとっても良くないのは確かだ。


「あの…」


 意を決して抵抗を試みようとするも、


「うさぎも、婿がね探しをするように堀川殿に言われてるらしいね?あの二の宮が執着する女房ともなれば、うさぎ自身の評価も上がるよ。この件が終われば、二の宮を振ったと噂にすればいい。そうすればその後は寄って集って来る婿の選びたい放題じゃないか。何よりもこれは、今上と堀川殿の決定事項だ。」

「うぐ…。」


 ダメだ。私も餅が喉に詰まった。


 二人揃って撃沈した様を中将は満足気に見下ろし、おもむろに檜扇を振りかざす。


「さぁ!いざ梨壺へ!」

「さすが兄上ですぅ。」


 満面の笑みで拍手をくれる鈴丸君の可愛さに、心の傷をさらに深く抉られたような心地がした。



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