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 あの雪うさぎ事件の日以来、盛り上がった東宮様と女御様は頻繁に文のやりとりをされるようになり、なぜか縁起を担いで私が文遣いをさせられることとなった。

 担げるような縁起など持ち合わせていないというのに、例によって誰も聞いちゃくれない。


 御前で放心状態になるという失態を犯した手前、彼らに会うのは恥ずかしく、鴛鴦に出くわしてしまったらどうしよう?とビクビクしながら、それこそ挙動不審の小動物のように梨壺通いをする。

 が、東宮様もお忙しく直に御文をお渡しする機会もなかったし、あの二人と会うことも無く、若干拍子抜けだった。


 そうして何日か経ったある日。


 いつものように御使いを終え、梨壺を出る時、ちょうど温明殿の方から雪の中を歩いてくる鴛鴦(おしどり)が見えた。

 人が通る為に多少は雪を掻いてあるが、まだ雪深い中をゆったり歩く二人は、まさしく冬の湖に寄り添う鴛鴦のように見えた。


 二人が鴛鴦と呼ばれる理由は二つある。

 一つは、仲睦まじい鴛鴦のようにいつも一緒に居るから。二の宮と中将は両方とも左大臣様の孫にあたり、幼馴染みでご学友なのだとか。であれば、宮中において宮様の片腕の様な存在として、常に傍に居るのも頷けるが、どうもそればかりでは無いらしい。

 口さがない女房達の噂によると、どうやら二人が恋仲であるらしく、それが二つ目の理由なのだ。なんでも二の宮様は元服の折、持ち上がった結婚話を断ったそうだ。

 その理由がーーー


「女は愛せない」


 …聞いた人間は皆、どう反応していいか分からず、石像よろしく固まった事だろう…。

 心中お察しする。


 それ以来、二の宮はもちろん、中将にさえ浮いた噂は一つもなく、常に寄り添う二人の姿から、相思相愛の鴛鴦夫婦と認定され、今に至るのだそうな。

 玉の輿を狙う女房や、年頃の娘を持つ親は、優良な婿がねが二人減った事を嘆き、一部の女房は禁断の愛だ何だと妄想逞しく、涎を垂らして見守っている。


 そんな宮中で注目の的の二人…。

 会いたくはないが、二の宮様の声はとっても聴きたい…。

 あの低く甘く響く声を…。

 この梨壺に向かっているのだろう二人から、私の姿は目を凝らさねば分からないほどの距離。

 立ち止まっていると変に思われるけど、ここから立ち去りながらでも『耳』を使えば充分声は聴こえる距離…。

 私は足元からじわじわ染みてくる誘惑に浸され…そして、耳にかかる髪を掻き分けた。


「…朝顔が梨壺に…か。」


 あぁ、この声…。

 体中の皮膚という皮膚を駆け巡る甘い痺れ。冬の寒さからではなく総毛立つこの感覚。宰相中将が何か喋っているけど、意図的に除外して音の余韻に浸ろうとする。

 ところが…


「おそらく高倉の差し金だろうが…今度はどんな手で東宮退位を狙ってくるのか…。」


 東宮退位…?!


 それまで私を甘くくすぐっていた声は不穏な言葉とともに急に冷たい氷の塊を押し付けてくる。

 梨壺から優雅に去る女房その1を演じていたのも忘れ、つい振り返って二人を見てしまう。

 風景の一部として認識していた一介の女房が、長い髪を振り子のようにしていきなり振り返ったわけだから遠目にも注意を引く。


 二の宮は目を細めてこちら見やり、うさぎだと認識するや宰相中将を置いてずんずん近づいてくる。


 険しい顔の二の宮と、好奇心と顔に書いたような笑顔を浮かべる宰相中将が一直線にこちらに向かって来るのを見て、今まで感動に震えていた肌はたちまち恐怖に震えだす。

 聡耳に気づかれた?!

 …までは行かないまでも、何か変に思われているのは確実だ。

 何と言って逃れようか。口から飛び出そうな心臓を衵扇で何とか抑えこみ、必死に言い訳を考える。

 と、『耳』に飛び込んでくる微かな悲鳴。

 それは聴き慣れた衛門の君のもの。だとしたら承香殿だろうか。梨壺にいてさえ聴こえるほどの悲鳴ならただ事ではないはず。

 今や目前に迫る鴛鴦と女性としての嗜みをまとめて思考から追いやり、両耳とも全開にして承香殿の方角に集中する。

 衛門の君の助けを呼ぶ声…。

 他の女房達の悲鳴が邪魔して上手く聴こえないが、几帳、燃える、火…。

 断片的に聴こえた声に私の肌は三度震える。


 火事ーーー?!


 雪が積もっているとはいえ、ほぼ全てが木で出来ている内裏にとって火災は何よりも恐ろしい災厄。現にこの内裏は過去何度も火災による焼失を経験している。そして火元の承香殿と我が麗景殿は近い。


 女御様が危ない!!


 私は思わず高欄から身を乗り出し、すぐそこまで来ていた鴛鴦達に叫んだ。


「火事です!承香殿へ急いでくださいっ!!」


 後から考えれば、いきなり何言ってんだと相手にされなくてもおかしくない発言だったと思うのだが、二の宮はその切れ長の瞳を一瞬目を瞠った後、すぐさま雪を蹴って承香殿の方へ駆けていった。

 ニヤニヤしていた宰相中将も一瞬にして雪よりも冷たい空気を纏い、二の宮に続き走っていく。

 急に叫んだ為か立ちくらみが起き、目の前が明滅する。梨壺の奥の方からは異変を感じとったのかザワザワとさざめきだす女房達。


 高欄に縋り付きながら何とか息を整えると、女房達に捕まる前にと急ぎ足で承香殿へ向かった。


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