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すっぽり抜けていた部分です。一番の山場だったのにorz
遠くから足音がする…。
衣擦れの音から鎧を着た武士ではなく、あの忌々しい少納言のようだ…。
人間もやはり窮地に陥ると防衛本能が働くのか、無意識に聡耳を使っていたようで、その音に意識が覚醒する。
次いで感じる寒さと首や身体の痛み。
目を開けると泥で盛大に汚れた自分の装束と古ぼけた板の間が目に入る。
拐かされた当初は粗末な掘っ建て小屋に寝転がされ、再度捕えられた後どうやら今度はどこかの邸の柱に縛り付けられ座らされているようだ。
今日一日で、踏んだり蹴ったりというのはこの事だと身をもって体感した。
意識を失って項垂れていた首も痛いが、後ろ手に縛られた腕も、もはや感覚が麻痺して自分のものではないように思える。
でもまだ何とか生きている…。
船岡宮の御前を辞して、少納言の追っ手から逃れるべく奮闘したが、重い女房装束かつ「運動、何それ美味しいの?」な生活の女が逃げ切れる筈もなかった。
抵抗虚しく捕えられ、厳つい武士の肩に俵のように担がれ移動の最中、腹部の圧迫が苦しくなり気を失ってしまったのだ。
辺りを見回すと薄暗い室内はがらんどうだが、仏間のような造りだった。妻戸や蔀も壊れていて、雨漏りもしているのか床も一部腐りかけている。今は使われていない寺か何かなのだろう。
そうして色々観察している間に足音の主が到着したようだ。
「これはうさぎの君、お目覚めでしたか。」
もしかして助けが来たのかも知れないという可能性にも少し期待していたが、無情にも部屋に入ってきたのは、やはり少納言だった。
「少納言様これはどういう事でしょう…?」
私の中で、この世で一番嫌いな人物の頂点に君臨した少納言を憎しみを込めて睨めつける。
すると少納言は例の如く喉の奥で笑いながら意味深に黙っている。
こいつ本当に嫌いだ…!!
自由になれた暁には少納言を縛り上げて朱雀門にでも縛り付けて一昼夜放置してくれる!!
「私をこんな所まで攫ってきて一体何をするつもりですか?と聞いています。」
怒鳴りたいのを堪えて再度目的を問い質すと、少納言は至極何でもない事のようにさらりとのたまった。
「ええ、貴女にはちょっとここで二の宮と無理心中していただこうと思いまして?」
むりしんじゅう…?無理心中…?
話の流れが読めず固まる。何を言ってるんだコイツは?
「筋書きはこうです。貴女は二の宮の寵愛を失い酷く失望していた。そんな失意の中、東宮から内密の文をもらうのです。『二の宮と共に死んでしまえば二の宮は永遠に貴女のものだ。』とね。我を失くした貴女は、最後の思い出に一晩だけ逢って欲しいと二の宮をこの廃寺へ呼び出す。」
そこまで言うと少納言は脂燭の灯りを持って目の前にしゃがみ、笑顔で私の顔を覗き込む。
「そして寺へ火をかけて二の宮と共に死ぬのです。」
「……は?」
全く意味が分からない。
なんで東宮様が出て来るんだ?
というかそもそも寵愛されてないし、東宮様からそんな文来るわけないし…。
大体そんな事してコイツに何の得があるのだろうか?
そんな私の思考を見透かすように、少納言はこちらへ憐れむような笑みを寄越す。
大事な事なので繰り返し言うが、本当に嫌いだコイツ…!!
「そして二人が死んだ後、行方不明のうさぎの局から東宮の文が見つかるのです。宮中は大騒ぎになるでしょうね?なにせ、東宮がうさぎに二の宮の殺害を依頼したようなものなんですから…。以前から東宮と二の宮の不仲説は囁かれていましたし信憑性もあります。そして東宮は当然この件で廃太子。かわりに我が君…今は船岡宮と呼ばれている御方が立太子なさる!ついでに貴女が犯人という事で堀川の聡目もろとも堀川右大臣にも失脚していただく。…そういう筋書きですよ。」
嬉しそうに微笑む少納言の瞳の中に揺らめく炎。脂燭の灯りが映り込んでいるだけなのだが、それが狂気の炎に見えて背筋に怖気が走った。
こんな状況になって今更だけどその瞳に少納言の本気を見て、事態は思ったより逼迫しているのだと実感した。
…でもちょっと待って…?
少納言の言う筋書きだと、ここに二の宮様が来ない事には話が進まないのではないか?
東宮の依頼で私が二の宮様を殺す。
それがこの筋書きの要なのだから。
二の宮様には先程絶縁を言い渡されたばかり。そんな中で私の呼び出しに応じる筈も無い。身が千切れるほど悲しいけど、事ここに至ってはこれで良かったのかも知れない。
「ご大層な筋書きですけどお生憎様。二の宮様はここへは来ないわよ。だって先程絶縁を言い渡されたばかりだもの?」
少納言に一矢報いてやろうと、余裕の笑みを浮かべて言ってやると、遠く一頭の馬の駆ける音と嘶きを聡耳が拾う。
まさか…。いや、そんなはずはない。
きっとコイツの一味か何かの馬の音よ…。
一気に顔色を失くした私を見透かすように覗き込み少納言は囁く。
「果たしてそうでしょうか…?あの日、仁寿殿で私が貴女に触れただけで声を荒らげた二の宮。今までの宮には考えられなかった行動です。あの広間の誰しもが分かりましたよ?あれは悋気だって…。」
「まさか!」
全力で否定するものの、頬に熱が集まるのを止められない。
悋気…では二の宮様も私の事を…?
「あの時私は確信したのですよ。あれだけの執着を見せつけた貴女に危険が迫っているのに、それをあの実直な二の宮が放って置く筈が無いと。貴女は…二の宮の弱点だと…ね。」
どんどん近づいてくる馬の蹄の音。もう少納言の耳でも聞こえる距離まで来てしまった。どうか違っていて欲しいという思いと、一欠片のそうであって欲しいという勝手な想い。
「おや、噂をすれば…お越しになられたようですね?」
少納言はそういって立ち上がると、腰に差していた刀を抜き、横に立ち私の首筋に刃を当てる。やがて荒々しい衣擦れと足音がしたかと思うと、狩衣姿の二の宮様が勇ましく飛び込んできた。
「少納言!!うさぎを放せ!!」
ああ…二の宮様だ…。
来てくれた…いや、来てしまった。
恐怖と狂喜の感情がごちゃまぜにせめぎ合い、処理しきれなくなった想いが頬を伝う。
「うさぎ!今助けるから安心しろ!」
こちらも刀を構えて少納言を凛々しく睨めつける二の宮様だったが、
「二の宮様、刀を捨てて動かないでください。さもなくばこの女の命はありませんよ?」
言うが早いか少納言が私の耳元の髪を一房引っ張りあげ、なんの躊躇いもなく刀で切り取る。
コイツ本当にイカれてる…!!
切り取った髪を、目をみはって驚いている二の宮様に見せつけるようにパラパラと落としながら再び首筋に刃をあてる少納言を見て、二の宮は口惜しそうに刀を前方に投げた。
すると後ろから二人の武士が二の宮を縄で拘束し始める。
「二の宮…様!にげて…!」
涙に咽びながら必死で叫ぶも、二の宮は少納言を睨みつけたまま微動だにしない。やがて縄で手足を縛られ、突き倒されて汚い板の間に転がされてしまった。
少納言はそこまで見届けると、二の宮に歩み寄り憐れむような笑みを浮かべる。
「申し訳ありません二の宮様。貴方に直接の恨みはありませぬが、我が君の御代の為に犠牲になっていただきますね。でも、心底愛しんだ女と共に死ねるなら本望ではありませんか?」
喉の奥で笑いながらそれだけ言うと、武士に火をかける指示を出し始める。
「おい、油はどうした?」
「へぇ、荷台に積んだままですが…。こんなボロ寺燃やすのなんて、ここでちょいと火を付けちまえばそれで良いんじゃないですかね?」
「あの宰相中将が二の宮を独りで寄越すはずがない。追っ手がかかっているはずだから短時間で証拠も残さず燃えきってもらわねばならんのだ。すぐに油を取ってこい。」
少納言の指示に二人の武士はお互い嫌そうに目配せをしあってから渋々一人の武士が動く。
この武士達は良く見ると鎧も草臥れ汚らしい。
少納言に対する態度もどこか不遜で、子飼いの武士ではなく、今回の為だけに金で雇ったならず者なのだろうと思われた。
統率が取れていないならばどこかに付け入る隙があるのではないか…。
そんな事を考えているとまた慌ただしい足音がして、先程の出ていった武士とは違う小綺麗な身なりの従者が駆け込んできた。
従者は少納言に駆け寄り耳元で囁く。
「船岡宮様よりご伝言です。計画を中止せよ。私は今から内裏に出向いて今上に全てをお伝え申し上げる。との事です!」
その言葉に少納言の顔色が変わる。こちらに聞かれないように話しているつもりのようだが、少納言によって先程ざっくり髪を切り取られ、露わになった片耳のお陰もあり内容は見事に筒抜けだった。
「我が君はいつ、何に乗って内裏に向かわれた?!」
「私がここへ出発するのと同時に牛車で出発されましたが…。」
「牛車なら馬で追いつけるな…。お前は邸に戻って我が君のお帰りをお待ちしろ!ここでの事は誰にも言うな!お前がここに居ては我が君に疑いがかかりかねん!」
そう言うと従者を外に追い出しこちらを向く。
「ではお二人とも名残惜しいですが、私は急用が出来ましたのでここでお別れです。二人手を取り合って極楽浄土へ辿り着ける事をお祈り申し上げております。」
そして残った武士に、「急いで確実に燃やせ。残りの金は後で取りに来い。」と言い捨てて慌ただしく部屋を出ていった。
「へぇい」
残った武士は渋々返事をして油を取りに行った武士を探しに出ていった。
それを見送って二の宮様は縛られたまま身体を無理矢理動かして私のすぐそばまで這い寄ってきた。
「うさぎ、すまないこんな事になって…。」
無惨に散らばった髪を悔しげに見つめながら謝ってくれる二の宮様にまた涙が溢れる。
「二の宮様、謝るのは私の方です…。あんなに注意されていたのに少納言に騙されて宮様までこんな危険に晒してしまいました…!それから、あの納殿での事も…!私は宮様に利用されたなんて一度も思った事ないです!私があなたの役に立ちたくて、あなたのお側に居たくて勝手にやっていた事です!ごめんなさい二の宮様…。」
思いの丈を一気に言ってしまってはたと気づく。
あれ、なんかどさくさに紛れて告白まがいの事を言っている…?!
急に恥ずかしくなって、宮様の顔が見れず俯いていると視界にいきなり宮様の顔が現れた。
どうやら座っている私の腿に頭を乗せている、いわゆる膝枕状態なようだ。
「顔も、耳も真っ赤だ…。惜しいな…手が自由であれば思う様撫でてやるところなのに。」
少し照れたような笑顔と耳を蕩かす甘い重低音。
火に焼かれて死ぬ前に恥ずかしさで憤死しそうです…!!
「納殿で別れたあの後、中将に叱られたよ。二人に何があったか知らないが、恋文ひとつ送れないへタレにうさぎの愛を勝ち取る資格はないとな。」
中将様が…?
あの中将様でも怒ることがあるんだと驚いた。
「すまなかった…。その…右大将邸でつい我慢が効かず体に触れてお前を怖がらせてしまったから気まずくて…。そのあと避けられているのも、お前に嫌われてしまったのかと思ったら怖くて自分で文すら書けなかったんだ。その事でお前を不安にさせていたなら本当に悪かった。」
そんな言葉と共に真っ直ぐに見つめられてまた頬に熱が集まる。止められなかった涙が一雫、宮様の頬に落ちる。
「悔しいが少納言の言う事も一理あるな。心底愛しんだ女と一緒に死ねるなら確かに本望だ。」
そう言う二の宮様の顔が持ち上がり、唇と唇が触れた。
愛しんだ女…。宮様も私の事を想っていてくれた…!!
体中を甘い痺れが駆け抜け、火でもついたように熱くなる。
「二の宮様…宮様をお慕いしております。身分が違いすぎて報われないものとずっと隠してまいりました。でも…想いが通じるというのはこんなにも幸せな事なんですね…!」
今すぐ二の宮様に縋り付きたいのに、縛られたままの体がもどかしい。それは宮様も同じ気持ちのようで、
「うさぎ…もっと顔を近づけて欲しい。」
と、蕩けるような笑みで口づけの催促してくる。そんな事したら恥ずかしすぎて心の臓が止まる!
心が通じ合った喜びと恥ずかしさで危機的な現状をすっかり忘れて悶えていた私の耳が梟の鳴き声を拾う。
それは父の使う鳥笛だった。
なんと父が助けに来てくれた!
父が来たという事は、堀川様の指示。きっと助かる!
鳥笛には予め決められた暗号があり、聡耳を使って聞き逃さないように注意深く聴く。短い鳴き声と長い鳴き声を組み合わせて送られてくる指示は、「時間を稼げ」だった。
それ以外の指示が無いということは時間さえあれば助かるという事だ。
この部屋はどこもかしこもボロボロで、外から見える隙間が沢山ある。聡目の父であれば、この闇夜でも中の様子を見ることは容易いだろう。
…いつから見られていたかは考えたら憤死するので考えないでおく…。
と、すぐに二人の武士の足音が聴こえてくる。
私は恥ずかしさをかなぐり捨てて宮様に顔を近づけて耳元で囁く。
「父が助けに来ました。『時間を稼げ』だそうですので何とかやってみますので合わせて下さい。」
それだけ言うと、勇気を振り絞って自分から宮様に口づけた。
宮様は最初驚いたように固まったが、やがて調子を合わせるように角度を変えて口づけを深くしてくる。更には舌まで侵入してきて、驚いて思わず声にならない声が漏れ出る。
「おいおい、これから死ぬっていうのに呑気なお貴族さまだなぁ?」
二人掛りで大きな瓶のような物を抱えて帰ってきた武士の一人が下卑びた顔で寄ってくる。
釣れた。
ニヤリと笑いそうになる顔を抑えて、武士を見上げる。
「あら、死ぬ前にイイ思がしたいって思うのは当たり前じゃない?ちょうど良かった、あの煩い少納言も居なくなったし、アタシこの方にもう一度抱かれてから死にたいの。アタシは縛られたままでも良いから、この方の縄を外してくださるかしら?」
起き上がって目を瞠っている宮様を尻目に、首を少し傾けてお願いしてみる。
「そんな事したら逃げられちまうじゃないか。二人とも殺せって命令だから無理だな。」
武士は面白がるように二タニタ笑いながら酒臭い顔を近づけてくる。
「じゃあせめて足の方の縄だけでもいいわ?私とあの方の着物はアナタが脱がせてくれたらきっと上手く出来るんじゃないかしら?」
上目遣いに、誘うように微笑むと、武士は爛々と目を輝かせ始める。
「ははは!面白い女だ!じゃあさっそくあんたの着物から脱がせてやるよ!」
私を守るように背に庇っていた宮様を突き飛ばして早速私の胸元に手を伸ばしてくる。宮様の怪我が心配になるが、図体のデカい武士に遮られて見る事が出来ない。
武士は私の着物を剥ごうとしてくるが縄でこれでもかと縛り付けられているので上手くいかない。
焦れた武士は舌打ちをして後ろにまわり柱の縄を外そうとし始めた。
思った通りコイツは見境なく女を襲う人種のようだ。少納言と話している最中もずっと私を舐め回すように見ていたから分かりやすかった。
「おい!もう止めとけよ!そろそろ始末しちまわないと追っ手がかかるって言われてたろーが!」
「うるせぇ!これだけ静かなんだから馬が来りゃすぐ分かる!大仕事の前に少しぐらい良い思いしたってバチは当たらねぇって。お前も来て手伝えよ!」
もう一人の理性派武士との押し問答が暫く続き、盛りがついた武士がどうやっても止まらないようだと諦めた理性派武士は、こうなったら早く終わらせようと溜息を吐きながらやって来て私の縄を解いていく。
縄を全て解かれた途端、盛った武士が私にのしかかってきた。
「ちょっと!先にあの方の縄を解いてよ?!」
「まぁまぁ、あんなお貴族様より俺との方が楽しめるからよぉ?」
そう言うや腰紐に手が伸びてくる。
「うさぎに触るな!!」
二の宮様の怒声が聞こえるが、盛りのついた武士は止まらない。逃げようにも縛られ続けた身体に力が入らず男に組み敷かれた恐怖に身が凍る。
父はまだなのか?!
腰紐が解かれもうダメだと思った瞬間、
「中将おぉ!!テメェ居るならさっさと助けに来い!!」
聞いただけで息の根も止まるような怒りの込められた恐ろしい宮様の怒声が響き渡る。
その瞬間、複数の妻戸が一斉に破られ、黒装束に身を包んだ男達が飛び込んで来た。
男達はあっという間に二人の武士の身柄を拘束し、二の宮様の縄を解いた。
「いやぁ〜ごめんね!面白そうな、いや、緊迫した展開になんだか入る機会を逸してしまって……宮?首が締まって…うぐほっ…。」
狩衣姿で呑気に入ってきた変態中将の首を瞬時に殺意を込めて締め上げた二の宮様は、起き上がれないでいる私に気づき駆け寄ってくれた。
「うさぎ!大丈夫か?!無茶をさせてすまない…!」
なんやかやで全身ズタボロの私を自分が汚れるのも気にせず抱きしめてくれる。
宮様の梅花香の匂いと温かさに包まれて安堵の涙が零れた。
助かった…。良かった…。
そう思った途端意識が落ちて行くのが分かった。
折角想いが通じたのにこのまま死んだら勿体ないなぁ…そう思いながら…。




