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 あの箱庭の中にずっと居られたら幸せだったのにーーー





 蓮子(れんし)は西の対に住んでいる二歳下の姫。

 幼い頃から共に育ったいわゆる筒井筒(つついづつ)の仲。


 帝の二の宮として生を受けた私は、伯父であり後見人である高倉入道(当時は右大臣)の邸で元服までを過ごす事になっていた。

 高倉は将来、私を東宮に押し上げて蓮子を東宮女御にし、実権を握ろうと画策していたから、私と蓮子が仲良く遊ぶ事に好意的だった。

 だから私達は、私の乳兄弟の成雅や、蓮子の乳姉妹の大江も加えて、学問や遊びと毎日一緒に楽しく過ごした。

 幼い頃からの刷り込みもあっただろうけど、私はいつか東宮になって蓮子を女御に迎えるものだと純粋に思い込んでいたし、蓮子や、成雅や大江もまたそうだった。


 小さな小さな箱庭で育った私達にはそれが世界の(ことわり)なのだと信じ切っていた…。



 私の元服と蓮子の裳着(もぎ)が近づいてきたある夏。

 私は蓮子達を船岡にある、私名義の別荘に招待した。


 蓮子は裳着を終えてしまえば大人の仲間入りとなり、親兄弟以外の異性とは御簾越しでしか会えなくなる。

 さらには父帝の退位も間近に迫っている事もあり、私も時を置かず元服して内裏に住まいを移す事になる為、蓮子の入内(じゅだい)までしばらく離れ離れになってしまうのだ。

 そうなる前に、子供時代の最後の思い出に周りを気にする事なく遊び倒そうと思っての事だった。

 別荘には大きな池があり、蓮の花が見頃を迎えていた。


「わぁ…!綺麗!若宮様が話してくれた通りですね!!」


 別荘に着くなり蓮子は汗衫(かざみ)の裾を翻して庭に駆け出し、目を輝かせて池の蓮に見入っていた。

 こんな行儀の悪い事も、裳着の後には絶対出来ない。苦笑しながら蓮子の後を追い隣に立った。


「美しいだろう?これを蓮子に見せたかったんだ。内裏に移ってしまったらそう簡単に来れなくなるからね。」


 東宮という位についてしまったら、外出するのも一苦労。そもそも中々許可が下りないし、いちいちお付の者が大勢付いて、物々しいものになる。

 そしてそれは東宮女御になる蓮子も同様だった。


「そう…ですね…。」


 蓮子は途端に瞳を(かげ)らせ、苦しそうにポツリと呟いた。


「…入内(じゅだい)するのは嫌かい?」


 その時私は、なんだか言いようのない焦りを覚えた。

 もし蓮子に嫌だと、女御にならないと言われてしまったら…一体どうしたら良いんだろう…と。

 そんな私の不安いっぱいの言葉に、蓮子は慌てて私を見上げて首を横に振った。


「違うの!若宮様のお側に居られるようになるのに入内が嫌なはずない!今のは…その…。」


 そこで言いさすと蓮子は俯き、恥ずかしげに袖で顔を覆って小さく呟いた。


「もうすぐ裳着や元服で、一時でも若宮様と会えなくなるのは嫌だなと思って寂しくなっただけなの…。」


 それを聞いた瞬間、思わず蓮子の体を抱き寄せてしまった私は悪くないはずだ。

 頬をすり寄せた蓮子の髪からは涼しげな荷葉の、でもどこか甘い蓮子の匂いがする。


 その時に、それはもう本当に成雅に小馬鹿にされる事確定で、それを甘んじて受け止めなければならないほどに今更ながら…蓮子に恋をしているんだと自覚したんだ。


 幼い頃からずっと一緒に居て本当に今更すぎて自分でも驚く。

 そして腕の中の蓮子が、甘い吐息を吐き、幸せそうに身を委ねてくれている事で、蓮子も私と同じ気持ちでいてくれているんだという事実も知った。

 それから二人で将来を誓い合い、いくつかの甘い約束を交わし、満ち足りた気分で母屋に戻ると、


「やっと通じあったんですね〜?いやぁ、実に長かったデスね〜。」


 と、案の定小馬鹿にした成雅の薄ら笑いと、


「賭けは私の勝ちですね?成雅?」


 と冴え渡る笑みで頷く大江が待っていた。


 ……おい。賭けってなんだ?!


 人の恋模様をダシに賭けをするなんて、なんとヒドイ乳兄弟達なんだ…!

 賭けについて言い合う成雅と大江にツッコミをいれる私。そんな中、顔を赤くして可愛く照れまくる蓮子。

 そんな具合に面白可笑しく、なんの気兼ねもせず幸せに過ごした別荘での日々。


 和琴『連理』の片割れ(・・・)を蓮子に贈り、二人で想夫恋や色々な曲を弾いたのもこの時だった。

 大人になってもそんな満ち足りた日がずっと続くと信じ切っていたのに…。



 ****



「……今……何と?」


 写経の途中、耳にした言葉が理解出来ずに手が止まり、筆から滲んだ墨が醜く紙を汚す。そんな事を気にする余裕もなく、のろのろと顔だけを相手に向けて再度聞き返す。


「この度即位されました今上の皇子であらしゃる一の宮様が東宮に立坊あそばしました…。そして…蓮子様の東宮女御入内が決定したそうです…!」


 乳母(めのと)がさめざめとなきながら再度口に乗せた信じられない情報。

 回らない頭で考える。


 乳母はまだこんなにも若いのにボケてしまったのか?それとも何か良くない悪霊にでも取り憑かれて嘘をついているのか?いずれにしろ陰陽師か僧を呼んだ方が良いかもしれない。

 しかし今は……。


 泣き崩れる乳母を放置して私は邸の主である高倉右大臣の元へ向かった。


 お待ちください、まだお支度が、などと追いすがり引き止める女房達を手荒に振り切って、断りもせず一気に御簾内に躍り込んだ。


 目的の人物は昼間だと言うのに烏帽子(えぼし)も被らず直衣(のうし)をだらしなく着崩して、酒を喰らっていた。


「伯父上…!どういう事ですか?!」


 荒い息のまま問いただすと、伯父は濁った目でこちらを見て、苦々しく笑った。


「これは我が君…その様子ではもうお耳に入ったのですね…。堀川の奴めにしてやられました…。……あやつめ!いつも儂の邪魔ばかりしおって…!!今度という今度は許せぬ…!」


 酒の入った盃を床に叩きつけたかと思うと頭を掻き毟りブツブツと怨み言を吐きはじめる。

 そんな伯父を見て、乳母の情報の一部が正しい事を理解する。


 父帝が退位をして、東宮であった私の兄宮が即位した。次の東宮は私だと思っていたら私ではなく、その兄宮の皇子、つまり甥にあたる一の宮が東宮に立坊された。

 一の宮の母は伯父の政敵である左大臣の家系。おそらく政治的な駆け引きに負けたのだろう。


 正直な話、東宮になるという事に関しては不思議と何の執着もない。私は遅くに生まれた皇子で、兄宮とは親子ほども年が離れていたから、甥とも年が近い。子供の頃ならいざ知らず、順当に行けば、後ろ盾もしっかりしている兄の皇子が立坊しない確率の方が低いのではないかと薄々気づいていたこともある。

 しかし、伯父は折に触れて私の立坊が決まっているかのように話していたから、政治的に優位に立つ何かがあるのだろうと思っていたのに…。


「まだだ…。まだ巻き返せる!蓮子があちらの女御より早く皇子を産みさえすればこちらのものだ…!!」


 その言葉に我を忘れて怒鳴る。


「蓮子は!私の妻にすると言っていたではないか?!」


 東宮になれないのは構わない。けれど蓮子を奪われるのだけは我慢ならなかった。

 今まで生きてきた中で一番の怒りを込めて伯父を睨みつける。

 すると伯父は憐れむような嫌な笑顔を貼り付けてこちらを見る。


「我が君…私は『貴方の妻にする』とは一度も申し上げておりません。『東宮の女御にする』と申し上げていたはずです。」


 その言葉に体が凍った。


 思い返してみれば確かに伯父は常に『東宮の女御』という言い回しをしていた。しかし東宮=私だと思わされ続けていたから気にした事が無かった。


 伯父は最初から、私の立坊に失敗した時の事も計算していたという事だ。

 恐らく私の立坊を諦めてやるから娘を女御として入内させろと無理矢理ねじ込んだに違いない。


 怒りに荒れ狂う感情をどう抑えていいか分からない。


 娘をそこらの猫の子のように扱う伯父にも、そんな伯父の言葉を鵜呑みにして深く考えずに育ってきた無知で無力な自分にも。もっと世情を知って、色々考えていればこんな事にはならなかったのかもしれない。


 拳を強く握り締めすぎて、爪が皮膚を傷つけたようだが、そんな事など目の前の非情な現実に比べれば些事であった。


 箱庭でぬくぬくと育てられた自分にはこんな時どうしていいか検討もつかない。こんな政治的能力がなくて、東宮や帝になるつもりだったのかと今更に唖然とする。おそらく伯父は自分の意のままになる人形に仕立てるために意図的に与える知識を選別していたのだろう。


 そしてまさに今、立ち尽くす事しか出来ない木偶人形がここにいる。


 こうなったら蓮子を連れて逃げよう。院になられた父に相談申し上げて助力を願おう。たとえどこか人里離れた場所で侘しい暮らしをする事になっても、蓮子さえ居てくれたら何だって我慢できる。そして蓮子もきっと同じ気持ちでいてくれているはず…。

 そう決意して去ろうとすると、


「そうそう、蓮子ですがね、今上の特別なご高配を賜わって三日後には入内する事になりました。しかしながらこの邸からでは方角が悪いので、知り合いの邸に先程方違えさせました。」


 と、伯父はこちらの考えを読んだかのように残酷な現実を伝えてくる。

 蓮子が既に連れ去られてしまった…!

 再びこみ上げる怒りを抑え、努めて平静を装って伯父を見つめる。


「……蓮子にせめて別れの文を遣りたいのですが、誰の邸にいるのです?」

「それはお答え出来ませぬ。万が一何か間違いがあっても困ります故…。それにあの子は、東宮女御になれる事をそれはそれは喜んで出発致しましたよ?」


 衝撃のあまり何も考えられなくなった。


 今、何と言った…?

 蓮子が入内を喜んでいただと?


 胸の内に墨を垂らしたようにどす黒い不快感が広がる。

 私の動揺を見透かし、ほくそ笑んでいるような伯父の醜悪な笑みに吐き気を覚え、今度こそこの部屋から逃れるために踵を返した。


 常に無い荒々しい足音を立てて蓮子の部屋へと急ぐ。


 蓮子が喜んでいた…?そんなはずは無い!蓮子は私と同じ気持ちで居てくれたはずだ!

 蓮子と過ごしてきた日々を、船岡の清廉な蓮の池を思い出し頷く。

 しかしその一方で、池の隅の澱みに浮かぶ塵芥のような仄暗い疑念。

 もしかしたら伯父の言う通り蓮子は次期東宮としての私を好いていただけなのかもしれない…。

 もし私を本当に好いてくれていたなら、入内を知った時点で大江を使って助けを求めてくれたのではないか?


 西の対に辿り着くと、いつもは女房達で賑やかなそこが面影もなく閑散としていて、女主人である蓮子の不在を如実に物語っていた。片付けのために居残っていた女房に仔細を聞いても知らぬ存ぜぬの一点張り。

 蓮子は私に手紙も残していないという。


 これは悪い夢か…?

 物の怪にでも騙されているのだろうか?

 何がいけなかったのだろうか?

 私がもっと早くこの異変に気づいていたら?

 それともあの船岡でいっその事、蓮子と深く結ばれていたなら何か違っていたのだろうか?


 それから…成雅と二人で情報を集めたり、父院へ嘆願の文を出したりしたが、蓮子の行方は知れず。大江も急に宿下がりを言い渡され、蓮子から遠ざけられ何も分からない状態だったし、そもそも伯父に造られた箱庭で育った三人に出来る事など無いに等しかった。



 三日後に蓮子が入内したという報せを、さらにその数ヶ月後、蓮子が儚くなったという訃報を、東宮になれなかった私は異国の物語のように遠い話として耳にしたのだった。


 蓮子の居ないこの現世(うつしよ)に私の居る意味は無くなった。


 私は……私の心は死んだのだ。

 蓮子と共に鳥野辺の煙となったのだ。


 しかし心は死んでも肉体は変わらぬ毎日を迎える。


 肉体がこの生を終えるまでの間、功徳を積む為にと出家をし、あの船岡の別荘を庵とした。

 せめて来世では蓮子と結ばれたいと縋る思いで毎日御仏に祈る。そして時折、蓮子との日々を思い出し和琴を奏でる。


 一つの木の幹から造られた『連理』という銘の二つの和琴。

 後の世まで連理の枝たらんという二人の将来の約束の証として蓮子に一つ贈ったが、その後の行方は知れない。私からの贈り物など入内の際にどこかにやられてしまったに違いない。

『連理』を見ると複雑な気持ちになり、死んだはずの心が乱れる。それでもこの音色を聴くと蓮子が傍に居てくれる気がして爪弾かずにはいられないのだ。


 それが今日思いもよらぬ邂逅をもたらしてくれた。

 あの女房は『連理』の片割れの行方と、なにより私がずっと知りたくて仕方なかった蓮子の心を届けてくれたのだ…。

 必死で逃げて来たのか惨憺たる身なりだったが、彼女は蓮子にとっても私にとっても紛れもなく御仏の遣いであった。




 我に返り御簾内に戻り急いで文を書く。

 それを邸内で一番逞しい従者に託し、駿馬を貸し与える。

 疾風のように走り去る従者を見送ると、別の従者にも指示を出して、参内用の法衣に着替えて牛車に乗り込んだ。


 蓮子と共に死んだはずの心が私に成すべき事を訴えていた。無知で愚かな自分で上手く行くかは分からない。でも動かねばならないと心が必死で肉体を動かすのだ。


 蓮子…どうか私に力を貸して…


 一路京の都を目指して山道をあるまじき速さで駆け抜ける牛車。激しく揺れる車内から暗闇を照らす松明の灯りを一心不乱に見つめながら祈った。



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