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R15表現あります
「はぁ…。良かった…。」
二の宮様に連れられて寝殿の隅の部屋に入るなり、私はへたり込んでしまった。
宮中で不穏な話を聞いてから、慌てて堀川様の協力を得て、知り合いの遊女一座に紛れ込んだ。
衣装を借りたり、髪や化粧も別人のように仕立ててもらい、無我夢中で右大将の邸へ来たものの、不安で不安で仕方なかった。
鴛鴦達に何とか私が来た事を知らせたいと、雪うさぎを渡したけれど、果たして気づいてくれただろうか?
人の多い宴の中で上手く二の宮様を救えるだろうか?
必死で抑えても芽を伸ばす不安に絡め取られそうになりながら、冷汗で滑る手で必死で蓬莱を抱え、広間へ足を踏み入れる。
目だけで必死に鴛鴦を探すとすぐに、上座に座っている二人を見つけた。好奇心と顔に描いてある中将と、睨むように見つめてくる二の宮。
何だろう?この格好変かしら?私だって分からないかな?
考えてみれば、鴛鴦達は私が来た理由を知らない。わざわざ付いて来て何だコイツなんて思われているんだろうか?何とか事情を説明したい…。
すぐにでも駆け寄りたい衝動にジリジリしていると、
「さぁ、最高の演奏を頼むわね。うさぎ。」
私にしか聴こえない頭領の呟きに、頭を切り替える。
とにかく鴛鴦に近づく為にはまず、誰もが納得する演奏をして、お褒めの言葉を頂く機会を得ることだ。
演奏の間も、二の宮様の視線はずっと感じていた。
こんなに大勢の前で演奏するのは初めてだったけれど、二の宮様からの無言の圧力が強すぎて、気にする所じゃなかった。
「お前、一体なんでこんな危険な事をしてるんだ。堀川殿はご存知なのか?」
へたり込む私の遥か頭上から二の宮様の溜息が降ってくる。
「それは…宮中で聴いたんです。右大将様が何か薬を使って宮様と姫様を…って。だから助けないとって夢中で。もちろん堀川様もご存知です。」
「それにしたって、お前自身が来なくたっていいだろうに。全く何を考えてるんだ…。」
宮様の棘のある言い方に、じわりじわりと悲しみがすり寄ってくる。
こっちは心配で心配で堪らなかったのに、そんなに迷惑そうにしなくてもいいのに。
宮様が被せてくれた袿からは身に馴染んだ爽やかな梅花香が薫り、目元が熱くなる。この袿を被せてくれた時は、あんなに情熱的に見つめて微笑んでくれたのに…。
「だって、宮様が危ないって思ったら居ても立ってもいられなくて…。誰かに任せるなんて嫌で、私が宮様の助けになりたくて勝手に来ちゃったんです!迷惑だったなら申し訳ありませんでした!」
宮様に怒られた悲しさと、張り詰めていた緊張が緩んだせいで、溢れ出る涙を止めることが出来ない。最後の方は蛙の潰れたような声で怒鳴ってしまい、恥ずかしさのあまり思わず袖で顔を覆った。
ふいに体が温かい熱に包まれる。
身に馴染んだ梅花香に酒精の匂いが微かに混じる。
それは過去に二度経験した、甘く心が痺れるような腕の檻。
「泣くな。お前が心配だったからつい言い過ぎた、すまない。」
耳に押し当てられる熱い唇から体を駆け巡る低く甘い毒。体を捕らえる逞しい腕、髪を撫でる掌が今はひどく幸せに感じられる。
雪のようにしんしんと降り積もってきた想い。
初めは淡雪のように、翌日になれば溶けて消えるようなものだった。けど、二の宮と過ごす時間が増えていくにつれて心の雪も嵩を増して、今や身動きすら難しいほどに積もっている。
私、宮様をお慕いしているんだわ…。
そう実感したらまた涙が溢れてきた。
身分が違い過ぎて、実らないと知っているから気付きたく無かった。でも、目を閉じれば一面輝く雪野原。
自分の想いから目を逸らし続けるのも限界だった。
ぼんやりと、宮様の衣装に化粧が移らないかしらと心配になるが、白い直衣は袿を脱いだ時に寛げたままで、紅の単に頬を寄せる形になっている。単ならまた袿を着れば隠れるし、もうこんなお側に寄り添える機会も無いかもしれない。今はこのままでいさせてもらおう…。
しばらくそうして宮様の胸に顔を預け、涙を乾かしていると、
「…あのじじぃ、やっぱり変な事企んでやがったのか。挙動不審すぎてうんざりしてたんだ。」
二の宮は相変わらず私の耳許に顔を寄せながらぽつりと呟く。
「気づいてらっしゃったんですか!…じゃあ私本当に来なくても良かったですね…。」
預けていた顔を離し、腕の中から抜け出そうとすると、何故か再度抱え直される。
「いや、宴を抜け出そうにも、手段がなくて困っていたんだ。来てくれて助かった。それに…」
ほつれた髪が大きな手に掬い上げられ、耳にかけられる。
「それに…?」
言葉の続きが気になって見上げると、すぐ近くにあった切れ長の瞳に囚われる。
宝髻に結われ、露わになっている耳が撫でられるのを感じながらも、その瞳から目をそらすことができない。
「それに…こうして二人で夜を過ごすなら、お前がいい。」
言葉を理解した途端、甘い疼きが駆け巡り、体中が発火したように熱くなる。もはや何と言っていいか分からず俯くと、再び抱き寄せられ耳に唇を押し当てられる。
「耳、赤いぞ。今日は結い髪だから良く見える。たまにはいいな、こういう格好も…。」
「……っ!」
恋しいと自覚した人と、暗がりで、二人きりで、密着して…もう心臓がはち切れそうだ。
「あの、宮様…!」
「しっ!」
口元に指を当てられて、耳を澄ますと、衣擦れの音が近づいてくるのが分かった。
「人が…!」
「おそらく様子を伺いにきたんだろう。仕方ない…ちょっと協力してくれ。」
そう言うや、体重をかけられ横倒しにされる。入り口の方に背を向け、私に馬乗りになった状態の宮様は、そのまま私に覆い被さってきた。はだけた紅の単の合間から夜目にもそれと分かる肌の様子や、立ち昇る男の薫り。
想いを自覚した私にはあまりに強すぎる甘い毒。
宮様は私を殺そうとしているのか…!
「うさぎ、この前の大江の喘ぎ声を真似してくれ。」
「えっ…!」
思わず素っ頓狂な声をあげそうになって、宮様に掌で口を塞がれる。
「外の奴に、早く退場してもらうには、俺たちが真っ最中だと分からせればいいだろ?」
宮様はニヤリと笑いながら、私の領巾をさすったり裙と擦り合わせたりして、衣擦れの音を出して演出している。
「で、出来ませんそんなこと…!だって、経験した事も無いのにどうやって…。」
今すぐ空を飛べと言われているかの様な無理難題に、思わず小声で絶叫する。
「仕方ないだろ、協力するから頑張れ。」
耳許でそう低く囁かれたかと思うと、いきなり湿った熱い何かが耳を這う。
「やぁっ…!」
びっくりして思わず顔を背け、鼻に抜けたような変な声を出してしまった口を慌てて両手で塞ぐと、すかさず剥がされ両手とも頭の横で固定されてしまう。
「上手いじゃないか。その調子だ…。」
耳に唇をつけたまま囁かれ、その吐息に腰のあたりが痺れるような感覚を覚える。宮様の唇はそのまま、首筋を這い始める。
「……んっ!あぁっ!」
熱く湿った何かが、宮様の舌だと分かって、初めて得るその感覚に体が反り返る。
舐められたかと思えばきつく吸われ、その度にどこから出るのか、甘ったるい鳴き声が自分から発せられるのも、初心者の私に止める術は全く無かった。
熱に浮かされた時のように視界も思考もボヤけてしまったまま、身を委ねていると、身を捩ったりしたせいではだけてしまった脚元に手が伸びてくる。脚に触れられた瞬間、ボヤけた頭の片隅で光が明滅する。
あぁ、これはいよいよというやつだろうか…。
私だって伊達に宮仕えをしている訳じゃない。
女房仲間達から仕入れる体験談や噂話で、男女の営みの何たるかぐらいは知っている。
溜まった熱を吐き出そうとするかのような宮様の息遣い。捕らえた兎を喰らおうとする捕食者の瞳。
この手を止めなければ、行く所まで行ってしまうのは確実だった。
怖い…。
けれどすっかり毒に侵され、熱く疼くこの身ももどかしい。
体が、本能が、このまま身を委ねてしまいたいと言っている。
けれど委ねてしまえば、諦めなければならないこの恋を断ち切る事はもう出来ないだろうとも感じる。
それでも、たった一夜だけでも、恋しい人と一つになれるなら、それだけでも幸せなんじゃないだろうか?
これが他の誰かだったなら、死に物狂いで抵抗して、急所でも蹴ってとっくに逃げてる所だけど…。
理性と本能のせめぎ合いは、一向に決着を見出せずに堂々巡りを続けている。
ああ一体どうしたらいいの…!?
そうこうしているうちに、内腿に掌が滑り込むのを感じて、思わず体を硬くしてギュッと目を瞑る。
いきなり宮様の手が止まった。かと思うと唇に柔らかい温もりを感じる。
目を開けると、吐息のかかるほどに近くある顔。
驚いて固まる私に困ったように微笑むと、再度触れる唇と唇。
熱を孕んだ瞳で見つめられたのも束の間、二の宮は起き上がって私に背を向け、衣を着始める。
「怖がらせて悪かった…。お陰で外にいた奴等はいなくなったからもう大丈夫だ。帰るまでお前も少し寝ろ。」
背中越しにそう言うと、少し離れた所に横になる二の宮。
あまりの展開に呆然としたまま動けない私は、色々乱れた状態のまま、無意識に自分の唇に触れる。
未遂…?
心の準備が出来ていなかったから、宮様が止まってくれて良かったんだと思う…。
というか!それよりも!
……今のは、口吸い?!
余程惚れあった者同士しかしないという口吸い。
あぁ、お姉様方…。うさぎは色々通り越して難易度の高い体験を先にしてしまいました…。
肝心のあれこれは未遂に終わったものの、大事な何かを捧げたような気持ちでいっぱいになり、動かない体に反して脳裏で盛大にのたうち回る私だった。




