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広間に現れた遊女一座に、小さなどよめきが起こった。
楽器などを手にする十数人の女達は、世間の遊女とは様相が違っていたからだ。
女達の髪は宝髻に結われ、煌びやかな釵子を飾り、美しく整った顔の眉間と口許に咲く朱の花子が、神秘的な美を創りだしていた。
代表の猫目の女が右大将の前に進み出る。
古代風の衣装に領巾を靡かせ、踊るように優雅に首を垂れる。
「本日は推参をお許しいただき有り難うございます。早速でございますが、舞を一差し御覧にいれましょう。」
妖艶に微笑む猫目の女の他に4人の美しい女が進み出る。一人は琴を抱えて座り、その周りを囲むように猫目と他の3人が佇む。
何が始まるのかと、期待に満ちた静寂が広間を包む。
やがて始まる雅な音色。
脇に控えた女達が和琴や琵琶を奏で、女が奏するのは珍しい竜笛や笙まで加わり一層華やかさを増す。
『柳花苑』
音色に合わせて舞う4人の女。
大輪の花が咲くかの如く艶やかに色とりどりの裙が広がり、空を飛び交う蝶の如くひらひらと領巾がたなびく。
手巻や釵子にあしらわれた鈴が舞に合わせて高く軽やかに鳴り耳を擽る。
それは思いがけず天女の遊びを垣間見てしまったような背徳的な感動と高揚感。
天女達は優雅に舞い、広間の全てを虜にする。貴族達は天女に目を愉しませ、酒に舌を愉しませ、宴は酣を迎えている。
やがて猫目と琴の女以外が踊りの和から外れて行き、曲が終わる。
貴族達の拍手喝采の中、膝をつき首を垂れたまま動かない猫目の女と、沈黙したまま座す琴の女。
拍手が鳴り止み、酩酊した広間に微かな戸惑いが生まれた頃ーーー
低く幽玄なる琴の音。
撫でる指に合わせて美しく揺蕩う音の波。
辺りは静まりかえり、琴の独奏が始まる。
女は撫でるように、やがて神憑りしたかのように一心不乱に音を紡ぐ。
曲の速度は恐ろしく速く、独自に編曲しているのか、何の曲か分かる者は居らず、この世のものではない、神の国の音色を聴くようだった。
十三の徽の間を滑り、飛び跳ね、震え、躊躇うことなく動く指先。髪の釵子が煌き踊り、座していながら舞うようにも見えるその姿は、束の間現世に降り立った女神のように神々しい。
瞳は瞬くことすら許されず、その音に体は酒を呑むことすら忘れるほどに支配される。
そこへ、うずくまったままだった猫目の女が立ち上がり、曲に合わせて踊り出す。
それは先程の優雅な天女ではなく、荒ぶる炎のような舞。領巾は燃え立つように激しくうねり、手巻きの鈴は勢いを掻き立てるように鋭く鳴る。
体から熱を迸らせ、神憑りした巫女のように、朗々と鳴り響く神の音に操られるように猛り踊る。
もはや現世ではない、神の沙庭に迷い込んだような畏れを誰もが抱いていた。
曲が終わる。一瞬の静寂の後、轟く雷鳴のような喝采。
それは単なる遊女に向けられる類の軽いものではなく、畏怖や心酔といった信仰心にも似た感情から捧げられる深い賞賛。
猫目と琴の女は、右大将の元へ跪く。
我に返った右大将は、抑えきれない感情のまま声高に叫ぶ。
「素晴らしい!大変見事な舞に演奏であった!!なんなりと褒美を取らせようぞ!」
そういって、傍に控えていた女房に上等な絹やらを取りに行かせる指示を出す。
と、馨しい薫りが右大将の前を横切り、その方を見やると琴の女がいつの間にか男物の袿に埋れていた。
「そなたへの褒美はこの俺が直々にやろう。」
衣に埋れ表情の見えない女の顎を指で捉え上向かせ、そう告げるのはなんと二の宮。
はだけた直衣から、御身の袿を脱ぎ、琴の女に与えたようだと分かった。
「そなたの琴はまさに神の音色。哀れな俺はそなたに魂を剥ぎ取られてしまった。今夜一晩かけてそなたから魂を取り戻し、代わりに俺からの褒美を取らせねばなるまい。」
二の宮は熱の宿る瞳で女を見据え、妖艶に微笑むと、女の腰を抱き立たせる。
「右大将殿、空き部屋を借りるぞ。今宵はもうこの女の琴の音しか耳に入らぬからな。宰相中将、後を頼む。」
「なっ!み、宮様お待ちを!」
泡を吹かんばかりに驚き叫ぶ右大将を無視して、二の宮は女と共に広間を後にした。
「二の宮様は変わられたなぁ…」
「男色疑惑の次は、好色疑惑か?」
「いやあの演奏を聴けば、手許に置きたくなるのも道理というもの…」
「宮様は笛がお得意だしなぁ…」
「右大将様も姫もお気の毒だが、致し方あるまい…」
開いた口の塞がらない右大将を余所に、貴族達は思い思いに囁き納得し合う。
そこに、いつの間にか広間の中心に立った宰相中将が手を叩き、陽気な声をあげる。
「さぁさぁ皆様!今宵は心行くまで飲みましょう!天女達が注いでくれた酒を飲めば、命も延びる心地がする事でしょう!」
その声を合図に、遊女達は貴族の間へ散らばり酒を注ぎ始める。
見目麗しい女達に酒を注がれご満悦の貴族達。
再び奏でられる雅な楽と共に天女の舞。広間には再び喧騒が戻る。
「そんな…儂の計画が…。薬だってまだ…。」
二の宮が去った方向を見つめ呆然と座り込む右大将に、猫目の女がいざり寄る。
「さぁさぁ右大将様。お飲みくださいましな。」
呆然としているのを良いことに、酒を無理矢理口元へ運ぶ。そこへ宰相中将も戻ってきて傍に座る。
「んふふ。右大将様、今宵の宴は大成功ですねぇ。見てください、皆あのように満足そうになさっている。きっと明日の宮中はこの宴の噂で持ちきりですよ。」
「う、うむ…。」
「二の宮様も自主的にお楽しみになっているようで何より。やはり今日は分別のしっかりなさっている右大将様の宴を選んで良かった。他の邸に行けば、怪しげな薬でも飲まされて姫の寝所に放り込まれるかもしれないですからね。んふふ。」
みるみる青ざめていく右大将に中将はさらに追い打ちをかける。
「あの方は自分の意に添わない事は断固排除しますからねぇ。それこそ国家権力総動員で潰しにきますよ。」
「……!!」
「まぁ、怖いお方なのね。ささ、右大将様もっと…。」
右大将は、呆然としたままひたすらに酒を口に運ぶ。
姫の寝所に押し込む計画が頓挫してドッと疲れが出たのか、放心状態で猫目の女に良いようにされている。
その様子を面白そうに眺め、宰相中将はおもむろに立ち上がった。
「さて、二の宮に頼まれたことだし、情報操作でもしてくるかねぇ。」
「ええ、右大将様の事はお任せくださいまし。」
猫目の女は尚も酒を飲ませながら嫣然と微笑んだ。
ここまで飲ませるからには何か意図があるのだろう。
婀娜っぽい雰囲気を装ってはいるが、隙のない所作や瞳の奥の鋭い輝き、ただの遊女とはとても思えない。
「堀川の猫か…。」
そう呟くと、猫目の女は益々目を細めて意味深に笑う。
「何か分かったら教えてくれ。」
そう言い置いて、中将は貴族達の輪の中へ身を投じた。




