小さくて白いもの
憔悴し切ったステラを連れて、
担任であるネイル・アルテニーは自分の家に帰ってきた。
今この子を一人にしてはいけない。そう直感で思ったのである。
「お風呂の準備をしてくるわ。入ったら、ゆっくり眠りなさい。明日は学校お休みしてもいいからね」
「……」
グスッ、鼻をすする彼女の頭を撫でて、
その掌にあるものを握らせた。
「……これ、は…?」
「あなたのドラゴンの、鱗よ。…使い魔の遺品は契約者の元に渡るのが普通なの」
「…いひん…」
「…気休めにしかならないだろうけど、大事にしてあげて」
昨日はあったその体温を感じられない冷たい鱗。
馬車にひかれる瞬間、大きくなろうとしたのかあの体には少し似合わない大きさだ。
ネイルがバスルームに消えてから、
ステラはまた涙をこぼした。
「やっぱり、おじいちゃんじゃん…うそつき…」
皆が畏怖するドラゴンが、馬車に引かれて死んだなど誰が想像するだろう。
ステラは鱗をギュッと握りしめ、やはりあのドラゴンは強がっていただけで実はめちゃくちゃ弱かったんだと、内心失礼ながらも思った。
「ステラ、お風呂の用意が…」
できたわよ、と続くはずだった言葉は出なかった。鱗を握りしめたまま、ソファーの上で丸くなっている生徒を見つけてしまったからである。
そっと顔を覗くと、未だに涙を零しながら眠っていた。
「…悲しいわよね」
こんな幼ない頃に、経験するものではないはずだった。
数百年と生きてきて何故今、その終わりが来るのか。
ネイルは恐れていたはずのドラゴンに怒りを覚えた。
小さな手からはみ出た鱗の端を、これでも喰らえとデコピンしてやった。
鱗は思ったよりも固くて、傷一つつかない。ネイルは自分の指にダメージを負っただけ。
( …流石に死んでもドラゴンか。 )
ネイルは自分の指を擦りながら、ステラにかける布団を取りに寝室へと足を運ぶのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
――― …きろ…
「……」
――― …ぉきろ…てら…
「…んっ、んー…?」
――― …おきろ…おきろ…おきろって、
「…言ってんだろうがゴラァ!」
「ぶへっ!」
ステラは突如頬の痛みに襲われて目が覚めた。
何事かとあたりをキョロキョロ見回すと、自分の腹になにか乗っている。
なんだこれは
このちっこい生き物は。
自分の掌に収まりそう。
サイズ的にちょっと太った小鳥ぐらいか。
全身真っ白で羽毛みたいにモフっとしているが、形状は全く鳥ではなかった。
まず耳がある。ピコピコしててちょっと可愛い。
嘴ではなく犬のように伸びた鼻、大きく開いた口元。
端からチラリと見える尖った歯は、噛まれると痛そうだ。
まじまじと観察していると、白い生き物はくりくりした目をキッと釣り上げて怒り始めた。
「オレサマがひさんな目にあったっていうのに、何ゆうちょうに寝てやがる!」
「……?」
「なんだその顔は!一晩しかたってねぇのに、もう自分のつかい魔の顔をわすれたのか!」
「…え」
ゲシゲシッ
その小さなあんよ(足)でステラの腹を蹴りつけてくる生き物は、翼らしきものもバタつかせ暴れ回った。
「くっそー!ちょっとゆだんした!ヘイワボケしてた!くっそー!」
「……」
「かぁぁっ!おもいだしたら腹たつ!むかつく!いきなり“ せいし ”まほう使うか!?おまけにスレイプニルはナシだろ!なぁ!?」
「…まさか、あなた…」
起き上がった自分の膝の上で、今度は小さい生物が寝転がって悔しがった。
体の割に長いしっぽもベシベシ叩きつけてくる。地味に痛い。
しかしステラはそんな痛みも気にせず、その生き物に問うた。
「…ドラゴンさん?」
「はぁ?それ以外なんだってんだよ」
いかにも何言ってんだという顔で、ドラゴンだと名乗った生物はステラを振り返った。
思考が一時停止したステラは混乱した。
わけがわからない。これは夢?夢なのか?
でも、温かいし、触れるし、
ほっぺをつねると痛い。
…夢、じゃ、ない…?
「うおっ」
ステラはスっと両手で小さな生き物を抱き上げると、とりあえず、
「……う、あ、あっ」
「…?」
「…うああああああん!!!」
「!?」
ドラゴンを抱きしめて、泣きわめくことにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ステラの勢いに潰されかけたドラゴンが自力でその腕を抜け出したのは数十分後のこと。
ステラのあまりのでかい泣き声に、自分の寝室で寝ていたネイルは飛び起きてリビングへと顔を出していた。
「…それで、あなたは本当に、あのドラゴンなのですか?」
「そうだ」
「見た目が全然違いますけど」
「あの鱗一枚じゃ、これが限界だった」
「うろこ?」
泣きすぎて鼻水を垂らしまくっていたステラはチーンと鼻をかみながら復唱する。
そんな子供に、ドラゴンは「俺の死体はどうした」と遠慮なく問いかけた。
「……お墓の下に、埋めた。」
「なんだと?それまさか土葬じゃねぇだろうな!?」
「…いいえ、ちゃんと火葬よ」
「そうか…それならいい」
いいのか
ステラはドラゴンの考えていることがさっぱり分からなかった。
だがドラゴンにはステラの考えていることが丸わかりだ。
はぁとため息を一つ吐き、ドラゴンはモフっとした胸をはった。
「いいか、オレはドラゴンだ」
「うん」
「ドラゴンの体には価値がある」
「…かち?」
「そうだ。鱗や牙は高値で売れるし、血には相当な魔力も宿ってるから、何かしらの力が欲しいやつが群がってくるんだよ」
「……」
「まぁ実際、ドラゴンの血は人間が飲むと毒でしかないんだけど…」
そこまで話すと、ドラゴンはネイルへと視線を移した。
「よぉ姉ちゃん、おまえオレのこと、誰に、どこまで話した」
「…え?」
ステラも鼻を抑えながら担任の方へ顔を向けた。
いきなり低い声色になったドラゴンに、ネイルはゾクリと体を震わせる。
「誰にって…貴方のことは、学園の者にしか話していないわ」
「それで?」
「え…」
「小娘がオレを召喚したあの時、既におまえはオレの種族がわかってたはずだ。昨晩小娘から聞いたからな、おまえは召喚を得意分野としてるんだろ?なら当然、魔族や魔物には詳しいよなぁ」
「……なにが、いいたいの、」
ネイルはその先を、言って欲しくはなかった。考えたくなかったのだ。
しかし小さくなったドラゴンは、青ざめる彼女を鼻で笑いながらサラリと言った。
「オレが死んだのはただの事故なんかじゃない。殺されたんだ。」