へべれけドラゴン
… ―――
どうして、どうして、
ステラは泣きじゃくった。
こんなにも涙を流したのは両親が死んだ時以来だった。
「……ステラ」
担任がステラの肩を抱き寄せる。
頬を伝う涙は止まることをしらない。
目の前には木で作られた拙い小さな十字架、その下には遺骨が眠っている。
ここは森の中だった。
詳しくいえば、街を出てすぐの森の中にある丘の上だ。
ステラはしゃくりあげながら目をこする。
自分の使い魔との思い出は、昨夜の一晩のみ。
この時もステラは駄々を捏ねて、捏ねて、捏ねまくって、ドラゴンに小さくなってもらいそして彼を抱えて眠りについた。
契約が完了すると、体の大きさを変えられる。それはドラゴン自ら暴露していたことなので、これ幸いにとステラは申し出た。
自分以外の体温を感じながら眠ったのは、久しぶりの感覚だった。
これからはいつでも、それこそ自分が死ぬ時まで離れることはないと、そう思っていた。
「うっ、うぅっ、いっしょに、いてくれるってっ、いったのにぃっ」
「……」
あれだ、絶対あれがダメだった。
それは今朝起きてすぐのこと。
ドラゴンがいきなり酒は無いのかと言ってきたのだ。
『お前のわがままを聞いてやったのだから、こちらの要求も飲むべきじゃないか、小娘。』
確かに、とステラは素直に従った。
ドラゴンが酒を飲むなど聞いたこともなかったが、この世は未知で溢れている。先生が知らないことも、ドラゴンを研究してる人だって知らないことはあるはずだ。
それになにより本人がお酒という存在を知っているのだから、大丈夫だろう。
ステラは特に何も考えずに行動に移した。生前父が飲んでいた物を思い出し、ステラは戸棚の奥にしまっていた深緑の瓶を取り出す。
『これ?』
『おぉーー!そうじゃそうじゃ!でかした小娘!』
『!!』
ドラゴンに喜んでもらえた!
いい子じゃと褒められる度、ステラは嬉しくなった。
自分の爪で器用にキュポンッとコルクを抜いたドラゴンは、これまた器用に両の手で瓶を抱えてガブ飲みし始めた。
わずか10歳のステラがその飲み物の味も危険性も知るはずはなく、ニコニコとドラゴンが瓶を空ける様を見守っていた。
そうして五本目の瓶が空いた頃、
『あ、お買い物いかなきゃ』
時計の針は15時を指していた。
『ドラゴンさん、何が食べたい?』
『ふぁ?にゃんれもよい、…ゲプッ』
『んーじゃあ、エルフェンスープにしよう。』
エルフェンとは白い大粒の豆のことを指す。
この国ではポピュラーな食べ物だ。
煮ると甘みが出て美味しい。なおかつ料理への多様性も、食べ応えもあるとても便利な食材だ。ステラはこの豆が大好きだった。
『じゃあドラゴンさん、お留守番よろしくお願いします』
『なぬ?こにょこうきなわしがおりゅすびゃんらと!?』
『いやなの?』
『いやじゃ!』
『一緒にくる?』
『む、いかたしかない』
致し方ないとすら言えないへべれけドラゴンを連れて、ステラは街にでた。
市場は人が多いので、フラフラ飛ぶと危ないかもしれないとステラはドラゴンを抱っこする。
すれ違う人達がこちらをチラチラ見てくる。
その視線を感じながら、ステラは市場に着くとさっさと買い物を済ませた。
酒!酒!と叫ぶドラゴンの要求は、流石にのめなかった。
なんせステラは子供である。当然誰も酒など売ってくれるはずがない。
へんげはできんのか!
ドラゴンが喚くが、それは高等部にならないと教わらない魔術だった。
首をふるステラに、ドラゴンが頬らしき部分を膨らませた。
そんなこと出来るんだ。
ステラが心の中で何気に感心していると、ドラゴンが『できるわ!』と叫んだ。
え、なぜわかった。
目をぱちくりさせるステラに、へべれけドラゴンはほえた。
『おみゃえとわしは!くしゃりでちゅながっておりゅのじゃじょ!わしゅれちゃか!』
『あー、あれかー』
『よっちぇおみゃえの考えもわきゃる』
『なら私もドラゴンさんの考えてること分かるの?』
『ふん、わしは、まほうでぼうぎょしちぇるからむりじゃ』
『えーずるい』
『クェックェックェッ、くやしいなりゃ、もっろしゅぎょーしろー』
『むぅ』
今度はステラが頬をふくらませた。
ドラゴンはステラの腕を抜け出し、パタパタと頭上を飛び始める。見るからにフラフラだが。
ずっと抱かれているのは窮屈だったらしい。もう市場からは抜けていたので別にいいかと放置していたその時だった。
コロン
後ろから赤い果物が、ステラの傍を通り過ぎた。
『あぁ、大変!』
この道は下り坂だった。
後ろを振り返ると、籠の中をぶちまけってしまった女性が慌てて散らかった物を拾っている。
転がり落ちる果物にまで気を配れなかったのかこちらには見向きもしない。坂を転がり落ちるそれには気づいていないらしい。
ステラは慌ててその果物を追った。
しかし
『わしにまかしぇよ!』
ドラゴンは頭上でそう言うと、あっという間に急降下していった。
明らかにステラが走るより早いスピードだ。
あれならすぐに追いつくだろう。
ステラはホッと胸を撫で下ろし、ドラゴンが果物を持って帰ってくるのを待った。
だが予想外のことが起きてしまった。
ドラゴンが果物をその足でがしっと捕まえた時、右の通りから一台の馬車がやってきたのだ。
『!! ドラゴンさん!危ない!』
『…!!』
ステラは走った。
けれどそれは一瞬だった。
――― ぐしゃ
そう音を立てたのは、果物だったのか
それとも彼の体から発せられた物だったのか
あまりにも残酷なその光景を、思い出したくはないはずなのに
『来るなステラ!』
最後にはっきりとした口調で初めて自分の名を呼んだドラゴンのことが、ステラはどうしても忘れられなくなった。