ワールド・スイッチ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
ああ、悪いねえ。家の電話からの着信で、とまどっただろう。多分、ケータイに登録されていないよね? あまりに何回もかけたもんだから、いたずら電話だと思ったんじゃないか?
いや〜、参ったよ。うっかりケータイを水没させちゃってね、今、修理に出しているところなんだ。アプリとかは起動させてないスタンバイの状態だったけど、大丈夫だろうかね?
――立ち上げてみたら、分かるんじゃないか?
おいおいおい、冗談きついよ。
水没した機械の中に、改めて電気を通すような真似したら、やばいって。
たいていの水は不純物。それが電気を通しやすい性質を持っていることは、知っているだろう? そんなものに浸された中で電気を流してごらんよ。
本来なら、電気が通らないように設計されているところにも、容赦なくバリバリ、ビリビリでおじゃんになっちまうって。やぶをつついてヘビを出すような真似は、しない方がいいんだよ。
そうしなかったばっかりに、ひどい目に遭うことって、意外と身近にあるんだから……。
ちょっと注意を促す意味でも話をしておこうか。
今のようにケータイでできるゲームが普及する前、ゲーム機といえばロムカセットを差し込んで遊ぶ、テレビにつなぐ据え置き機か、持ち運びができるサイズの、文字通りの携帯機だった。
僕は受験が近くなっても、ゲームをやらない日はなかったよ。
勉強する前になって、延々と掃除をし、勉強に向かわずに終わる人、近くにいやしなかった? 僕はその掃除がゲームに代わったようなもの。
勉強よりゲームの優先順位を引き上げ、「やらなくちゃいけない」というかりそめの義務感で、本来やらなきゃダメなことから目を背ける、常套手段さ。
加えて、もうひとつ。僕にゲームをさせる要素があった。
当時、やっていたのはストーリー重視のRPGだったんだけど、界隈でもっぱら噂になっていることがあった。
「すべてのアイテムを集め、すべてのイベントをこなしてクリアした後、新しくゲームを始めると、すべての悲劇を覆した上で、真の黒幕を倒せる、トゥルーエンドルートが始まる」と。
ネットもなかった当時、僕たちはどれほどやればその条件を満たせるか分からなかった。
世界をめぐり、初見のアイテム、イベントに出会うたび、クリアして最初から。イベントの順番を研究し、そのたび新しいイベントを見つけ、しかし本流は変えられない。
主人公たちを先へ進めるために、故郷と世話になった国々は滅び、大勢の仲間は命と力を主人公たちに託して、散っていく。
プレイする側にとってはもう予定調和なのに、防ぐ力は何もない。
――世界は変わる。変えられるんだ。
僕は受験期の貴重な時間の多くを、周回プレイにつぎ込んだ。
いまだにトゥルールートを歩んだという話は聞かない。それはルートがないからではなく、先駆者がいないだけのこと。
自分がその一番手になる。その熱意が、僕にゲームを続けさせていた。
その日も、こたつに入り、寝転びながらプレイしていた。
もう何週目になるか分からない、「さいしょから」。勉強する振りをして、レポート用紙に作った攻略フローチャートを手に、臨んだ。
ひとつとしてイベントを見逃さず、数時間後。ついに最初の恩人との別離の時が迫る。
――来い。来い、来い。来い!
もうあと数秒で、恩人は敵が放った必殺の魔法から、主人公をかばって犠牲になってしまう。「変えられる」ことを信じる僕は、その時点で用意できる、最高の魔法防御手段を持つアイテムを、操作可能時期に恩人へ持たせていた。
刹那。僕のあごから垂れ落ちた汗が、ちょうどカセット差込口に、一滴だけ落ち込んだ。
「あっ」と思った時には遅い。極彩色の波に、ゲーム画面が洗われ始めた。それでも音楽は止まらず、イベントは進んでいる。
およそ五秒ほどだったか。画面はぱっと元に戻った。表示されるセリフのタイミングは、ちょうど刺客が魔法を放った時のもの。あとボタンひとつの押し込みで、恩人が死ぬ。
画面上部から主人公へ飛んでくる、炎魔法のエフェクト。その主人公を元居た位置から吹き飛ばし、割り込む恩人。炎に焼かれて、断末魔と共に消える恩人……は、いなかった。
エフェクトは恩人の前で消失し、二度と起こらなかった。
『なにィッ!?』
僕が見たことないセリフを、刺客が紡いだ。
『大丈夫ですか!?』
これまた主人公が、知らないセリフで恩人に駆け寄る。
――なんだよこれ……なんだよこれ!?
僕は心の中で叫ぶ。それは非難ではなく、歓喜。
――これだ、これを待っていたんだよ。
計画をくじかれた刺客は、正面から主人公たちを引き裂こうと、襲い掛かって来た。
このタイミングでは、初めて見るボス戦。本来のシナリオならば、恩人の死に際の一撃で、どうにか退かせて、長い因縁が始まる宿敵だ。
道中、幾度も現れて、主人公たちの大切なものを奪い続けていく、怨敵。
最終的に主人公たちは、恩人が遺した技を多くの人から学び、受け継いでいく。そしてクライマックスで、ついに完成させた技を叩きつけて打倒する。
『あの時、俺をかばったりしなかったら、あの人はお前に勝っていた……だから、俺がこの技でお前を倒すことで、ようやく……それを……!』
勝利を収めた主人公の、涙まじりの告白。一週目では演出の妙もあって、これまでの主人公たちの苦労が、わっとあふれ出てきて、僕も涙ぐんでしまった。
あの時とは、主人公たちのレベルが違う。
ずっと低い。彼らだけじゃ奴にはかなわない。でも、今回はいないはずの恩人がいる。自分で操作できる。
数ターン、守りに徹して様子を見た。
行動、ステータス、ほぼ最終局面に同じ。そう、同じなんだ。
数えきれない周回で、そのパターン、見切っている。
初見だったらレベル差もあり、あえなくやられてしまうだろうが……。
――やれる! 戦えるぞ!
恩人以外は、まさに薄氷の上を行くがごとし。つつかれただけで、致命傷の嵐だ。
だが、恩人の持つ技の特性をすべて理解していれば、守り切れるし、攻められる。まさに経験者向けだ。
行動パターンが変わる。相手の体力が残り少ない証拠だ。ここから回復体勢に入るはず。
「ここは一挙に」と恩人最大の必殺技を入力。イベントでも戦闘でも活躍し、本流で主人公が受け継ぎ、完成させた大技だ。
――これが、本家本元。お前に食らわせたかった技だ!
すっかり僕は、ゲームとシンクロしていた。
表示される、とてつもない量のダメージ。ボス特有の足元から消えていくエフェクト。戦闘終了のファンファーレ。
それは世界が変わったことを、示す証だった。
倒れ伏した刺客は、最後に黒幕の存在を示唆する捨て台詞を吐き、息絶える。
主人公たちは一息をつくが、更なる激闘の予感を前に、恩人に「更に自分たちを鍛えてください」と申し出る。それに対し、恩人は「構わないが、世界を知ることも大切。黒幕の存在も気になるしな」と告げ、本流と同じく諸国をめぐる旅が始まった……。
それからの展開も、暗躍するのが例の刺客ではなく、黒幕の手先となる。「名もなき者」として世界の各地、本流で犠牲になった人々の前へ現れ、亡き者にしようとしてきた。
しかし、こちらには恩人が。そして世界と本流の知識がある。恩人を助けた時のようにして、犠牲者の死因を片っ端から潰していった。
ゲーム内容へも反映される。助かった人々がことごとく、黒幕に対して断片的な情報を握っていたのは、いささかご都合主義だったが、新世界を目にした僕にはささいなこと。
そこから待つ、怒涛の展開。本流は歴史の裏で戦った、知られざる英雄たちの話に終始したが、明かされた黒幕の正体は、主人公たちだけで対抗できるスケールの相手じゃなかった。
しかし、今までの積み重ねが生きてくる。本流では犠牲になった人と人がつながりあい、僕が頭の中で描いていたオールスターが結集。世界の命運をかけた総力戦が始まる。
各地で黒幕の軍勢と激突する、主人公たちと、死の運命を覆した者たちと、それに付き従う人々。
その各戦場を「操作したかった」と本流で幾度も思い、叶わなかった人たちを動かすことで切り拓き、勝利をもたらしていく快感。
止まらない。止めたくない。
電源を切ってしまったら、この奇跡が消えてしまう気がして、僕はテレビの電源だけを切り、本体はつけっぱなしにする。
そして試験三日前。
ついに僕は黒幕の打倒を達成する。本流の不満をすべて解消した、口から砂糖を吐くかと思うほど、あまあま、ベタベタなエンドだったが、僕は大満足だった。
だって、最後の一枚絵で満面の笑顔を浮かべる人々。本流だったなら、その9割方がこの世のものでなくなっていたのだから。
これこそが、僕の望んだ結末。
――良かった、良かった、良かったなあ。
僕は別の意味で、涙した。
その年の受験、僕は見事に失敗した。
もう基本的な加減乗除くらいしかできなくなっていて、公式も何もかも吹き飛んでいた。
親にさんざんどやされてね、浪人生活と相成ったわけなんだが……どういうことか、知識がなかなか出てこない。それどころか、覚えたことを三秒で忘れる。冗談抜きで。
僕は全力で取り組んでも、小学校高学年レベルの勉強しか、できなくなっていたんだ。おかげで親にはゲームを禁止されるどころか、処分までされてしまった。
通わされた予備校でも、聞いて三秒でノートできないことは、すべて埒外。模試もえんぴつ転がしだったから、ズタボロ。
なんとかじりじりと知識を思い出し、ようやく戻った時には、次の年の入試二日前。死に物狂いで、どうにか学校に受かったよ。
最初に話したろ? 電気を通しちゃいけないもののこと。
どうやらあの汗が落ちた時、ゲームの中だけでなく、僕の頭の通しちゃいけないところに電気が通っちまったんだろう。そんでゲームにも伝わった……。
だって、あのゲームの展開は、僕がずっと頭の中で描いていた、理想だったんだから。