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自動的なマシーン  作者: 森本泉
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 マシーンは狡猾で卑劣な男だった。そして十二歳になるまで私は気づきもしなかった。マシーンは首謀者になることを避けて、共犯者になったのだ。私が赦せない、と思ったのは、マシーンのこの性質による。そして気づきもしなかった自分に憤りも感じた。

 私はテープ起こしやデータ入力の仕事をしている。在宅で出来る仕事と言ったら、何の資格も持っていないおばさんに出来る仕事と言ったら、それくらいだった。

 二時間の講演のテープを文字に起こして二万円の収入になる。しかしそこから手数料や税金を引かれるから実質は一五千円ちょっとくらいだ。

 私は五日程の時間をかけてこの仕事をこなす。依頼の音声は月に三本から六本くらい入ってくる。七本入る月は、時間的にとても厳しい。厳しいが家計は潤う。しかし、自分が辛くなった分、翌月にゆとりが出来るのは果たしてどれだけ意味があるだろうか。

 音声の仕事にインターバルが出た月には、調査会社から送られてくるアンケートの数値をエクセルに入力する内職も行っている。こっちは本当に単純作業なので、一回の仕事が五百円とか千円にしかならない。時間がかかる割に、稼ぎが少ないのだ。

 私がやっているのはこんな仕事だ。家に居て、こんな誰にでも出来る単純な作業を繰り返している。変動はあるが毎月十万円行けばいい方だ。家のローンもマシーンの生活費もパートナーが払ってくれているとはいえ、現状かなり厳しい。これが自業自得でなくて、なんだろうかと思っている。どんなに私がぼんくらでも、そのくらいは考える。

 平穏な家庭と家族を捨ててしまったつけは、現実的なお金となって私に降り注いだのだ。もっと仕事量を増やせれば収入も増えるのは分かっている。思っていることを思っている通りに実現することは、いつだってとても難しかった。

 イヤホンの中から老人の声が鳴り出して、私は音声データを切ったり再生したり、巻き戻したりを続けながら、聞いたままをワープロの画面に起こしていった。とある冒険家の老人の、講演会の記録だった。

 私がワープロに向かって必死で文字を植えていく間、マシーンは静かにテレビの画面を見ていた。

「みなさんはきいろいさるよばれてはらがたちますか。」

 みなさんは黄色い猿と呼ばれて腹が立ちますか。

「おそらくはらをたてるかたはすくなでしょう。」

 恐らく腹が立つ人は少ないでしょう。

「それはわたしたちがじぶんはきいろいさるではないことをしっているからです。

 おなじように、イヌイットのひとたちはじぶんたちがエスキモーとよばれていることをきにしていません。わたしはアラスカでエスキモーのひとたちとくらすなかで、」

 私はアラスカでエスキモーの人達と暮らす中で。

「かれらにたずねました。あなたたちはなまにくくらいとよばれているそうですが、どうかんじていますか。と。いっしょにくらしていたエスキモーのせいねんにたずねたのですね。

 するとかれのこたえはかんけつでした。ああ、そうらしいね。そういってわたしにわらってみせたのです。

 わたしたちはエスキモーがさべつてきなことばだということをしっていますね。どうですか。みなさんしっていましたか。エスキモーということばははくじんがアラスカでもともとくらしていたひとたちに、かってにつけたよびかたなのです。

 かってにつけておきながら、こんどはさべつてきなことばだとしてまたかってにイヌイットとよびかたをかえました。

 はなはだしくかってなおこないです。でもアラスカにすむかれらはそんなことをきにはしません。かれらはただむかしからアラスカでアザラシをつかまえて、そうしてながくくらしてきただけなのですから。」

 私は聴きづらいデータを止めたり、再生したりを繰り返して文字をワープロソフトに打ち込んでいく。出来上がった原稿はメールに添付して、依頼先の会社に納品する。

 パートナーが家を出て行って、でも糧を得なくてはならないし、しかし外に仕事に出るわけにはいかない。取捨選択をするつもりで今の職業を選んだ。

 マシーンを監視する必要がある以上、外に働きに出るわけにはいかなかった。私が危惧していたのはマシーンの家出だ。私が外出している間にマシーンがどうにかして逃げ出そうとするのではないかと、どこかへと脱出を図るのではないかと。そんなことをされたら私の計画が霧散してしまう。

 私は鎖にならなくてはならない。檻にならなくてはならない。鍵でいなくてはならない。私はマシーンを閉じ込める。檻は動くわけにいかない。鍵は外に出るわけにはいかない。私が外に出かけたら檻の意味が無くなってしまうのだ。悩んだ揚句私は家の中で働こうと決めた。

 最初は綱渡りだった。在宅の仕事の斡旋は、その多くがいい加減で低賃金なものか、詐欺だった。

個人情報収集を目的として無意味な作業をさせるサイトが多くあった。私は出来るだけ慎重を期して、信頼できる会社を探した。

 ネットで見つけた住所に電話をかけて、会社が実在することを確かめ、そのうえでウェブの求人広告に誤りがないか、何度も文面を読んだ。そうして見つけ出したのが今仕事をもらっている三つの会社だ。

 給料が振り込まれる講座の暗証番号は、定期的に更新するようにしている。お金が入ってくるとすぐに全額引き出して、口座が悪いことに使われないように心掛けている。

 そういう努力が叶っているのか仕事を始めてから今まで、ともかく詐欺の被害には遭っていない。稼いだお金はその月にすべて無くなってしまうから、詐欺に遭いようもないのだけれど。でも働いた分はどうにか毎月のお金に変わっていた。

 私はその収入で、マシーンのご飯や服を買っている。消耗品を買うのでやっとな生活。これからいったいどうなってしまうんだろうか。


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