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マシーンは十二歳の時から外に出していない。自分で勝手に出歩くことはあるがそれは深夜、私が眠ってからのことだ。
私はどんなに深く眠っていても、眠りの壁の外側からマシーンが出ていく気配が分かる。そして、やがては戻ってくることも分かっている。
我が家は木造建築で廊下を通るとどんなに足音を忍ばせても音が家中に響く。マシーンは私が眠っている部屋の前を普通の足運びで去っていく。
去っていき、そして戻ってくる。もう戻ってこないのなら私に気付かれない方法を考えるだろう。マシーンはそれをしない。きっと深夜のコンビニエンスストアに雑誌を読みに行っている。
手入れしていない髪で、いつも着ているフリースとスウェットのズボンのままで。はだしにスニーカーをつっかけていく。くるぶしの潰れたスニーカーを。
そして、夜がもっと更けるころにまた家に帰ってくるのだ。私はその間、家の中に一人、安心して眠っている。淡い眠りの向こうからマシーンが家に帰ってきた気配を知る。それはとても柔軟で安寧な感覚だった。
マシーンは出ていかない。この家から離れない。一人でまた戻ってくる。マシーンは決して遠くへ行かない。贖罪だからだ。お前には贖罪の責任がある。十二歳のマシーンに私はそう言って諭した。マシーンは頭のいい子だ。すぐに私の言うことを理解した。抵抗しても無駄だと言うことを。
コントロール。制御。私はマシーンをコントロールしている。今の所上手くいっている。そのためにマシーンを虐げて、虐げてきたのだから。
犯罪という言葉が常に頭の中にあった。マシーンは誰でもすることなんだと言った。そんなはずがない。マシーンがやったのは犯罪だ。赦されないことをするのは犯罪者だけで充分。普通の人は、しなくてもよい。
十二歳の彼はまだ犯罪者ではなかった。なぜなら、彼は誰からも裁かれなかったから。私が十七歳の時に起こった、あのいじめ事件の時みたいにはならなかった。あの子を自殺させた四人の女子たちの様には裁かれなかったのだから。
犯罪者は、裁かれて、罪状を与えられて、それから初めて犯罪者を名乗れる。でも誰もマシーンを裁いてくれなかった。だから私は、自分で自分の息子を裁くしかなかった。
簡単にはいかなかったけれど。十二歳の少年は自分のやったことをなかなか理解しなかった。理解より恐怖が勝った。怖かっただろう。急に豹変した母親が、怖かっただろう。でも恐怖は手段だ。子供たちは無自覚に罪に手を染める。だから自覚を促す手段が必要だ。恐怖はそのための、暴力はそのための効果的な方法だった。私の暴力はとても役に立ったと思う。
いくら言葉を重ねるよりも一回殴る方が饒舌に事実を語る。私はマシーンを殴ることによってマシーンに、お前が何をしたのか、それを語り続けた。
朝、顔を洗いに降りてきたとき、私はマシーンを殴る。今日もお前は犯罪者なのだと。理解させるために。殴るたびに私は自分にも言い聞かせる、お前の息子は犯罪者になってしまったよ、罪を犯して機械になってしまったよ、と。
夜トイレを使いに降りてくるときに私はマシーンを殴る。お前は犯罪者のまま一日を終えるのだと。
この行為によって、私は学校、児童家庭課、児童相談書、民生委員など、あらゆる人と場所から非難された。子供を虐待する問題ある親として。あらゆる人と場所に呼び出された。私は耐えた。そして時間をかけて、あらゆる人にマシーンの犯罪を訴えた。
私も自分を支えなくてはならなかった。味方になってくれる人は誰もいなかったから。私はマシーンを閉じこめていたけど、私だって周囲の敵意の真ん中で、ひとりぼっちだった。私は無力だった。何の才能もない上に、誰の力も借りることが出来ないのだもの。断罪しなくてはならない、断罪しなくてはならない。その思いだけが私を支え続けた。
私は教育委員会や子育て相談室から何度も注意を受けた。児童相談所からの出頭の通達も受けた。私は施設や部署に足を運び、理解されなくても自分の思いを訴え続けた。誰に何と言われても、私の頭にあることは一つだった。
マシーンを死ぬまでここに囲っておかなくてはならない。私のプランは細く脆い針のようなもの。すがって立つにはあまりにも脆弱すぎた。けれど私は自分を支え抜いたのだった。
しかし民生委員の命令だけは断ることが出来なかった。マシーンに罪の自覚を促しているある日、私は精神病院に連れて行かれた。
自分の子供に対してこんな仕打ちに出ることは、私が人として異常なのだと、それが民生委員とソーシャルワーカーの川村さんの意見だった。
代理ミュンヒハウゼン症候群と言われた。この難しい名前の病気が私に与えられた。
自分以外の誰かを攻撃することで、自分を攻撃する身代わりにしているのだと。さっぱり分からない。
「あなたは、非常に赦されたがっていらっしゃる。」
と私はその時の医師に言われた。
「あなたが息子さんを虐待していることとあなたに昔起きたことには深い繋がりがあるんですね。」
「なんのことですか。」
私は先生に問い返した。しかし医師は返事をせず、これから、時間をかけてやって行きましょう。もっと訳の分からないことを言っただけだった。




