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自動的なマシーン  作者: 森本泉
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 あの時私は自分の息子に裏切られたとは思わなかった。私はずっとずっと長い間、いつかこんな日が来るんじゃないかと思って生きてきた。確信していたと言っても、そう遠くない。私は確信して生きていた。そして事実事件は起こった。

 私の心は雪の降る深夜のように静かだった、待っていた日がやっと来たから。ああ、この子は機械になってしまったのだ。

 言われたとおりに動くだけ。自分の頭で考えることをしなくなった、同じアプリで一斉に動き出す自動的なマシーンになってしまったのだ。

 機械にならずに済む子供がいるだろうか。それはあんまりにも難しい。子供は機械になってしまうものだ。必ずなる。私はそう確信していた。だってそんな風に育ててしまうもの。子供とは機械になるようにしつけられている。

 自分の力で動くことの出来ないマシーン。アプリがインストールされるまで、恣意的なことは何もできないマシーンに。

「だってお母さん、こんなのみんなやってるんだぜ」

 と息子は言った。この瞬間マシーンは生まれた。殺したというのなら、私はこの言葉の力を得て自分の息子を殺した。観念的にこの子を殺そう。私が持っていたプランは、これだ。


「仕事はどうだ、ユウ? はかどっているのかい。」

 とパートナーは聞いた。ショッピングモール内のスターバックスで。

 去年までは老舗の喫茶店を待ち合わせに使っていたのだが潰れてしまった。

高齢の店主が倒れたのだそうだ。恋愛時代から二人親しんだお店で、懐かしい場所が消え去ってしまったことはさみしかった。人生の一部が無くなってしまった様な。

「ええ、おかげさまで。」

 私は一番単純なコーヒーを飲みながら言った。使い慣れていない訳ではないがスターバックスの煩雑なメニューは私の好む所ではない。パートナーはいつもラテのショートを頼む。

年齢に逆行して若返っていくようなパートナーに向かい合って私は熱い飲み物を啜った。恋人がいるのかもしれないと考える。彼は快活で、身に着けているものも清潔だった。女性の影を感じる。

「金の事だったら、もっと言ってくれていいんだぞ。なにも遠慮することはない。俺はユウの他人じゃないんだからな。」

 私はまだパートナーから生活費の仕送りをもらっている。私と、マシーンのためのお金だ。

「いつも、恐れ入ります。」

 私はわざと愛想の無い言い方をした。パートナーは苦笑する。

「いい加減よそよそしすぎるだろう。」

 と言って鈍く笑っていた。

 正直助かっている。私の収入はそんなに多くない。離婚をしていないから片親家庭の支援申請をすることも出来ない。

私はマシーンの死を待っている。ただ、肉体的な死を望んでいるわけではない。

ただ、観念的に死んでいくのを待っているのだ。佐藤君がそれを選んだ様に、マシーンが同じ道をたどるのを望んでいる。

 私は信じていた。人は、観念で死ねる、と。自分が死んでしまったと自覚したら、もうそれ以上は生きて行けないのだ、かしこい野生動物みたいに。

私はマシーンがそんな風に死んでくのを期待していた。自分はもう社会的に死んだ者だと悟るのを待っている。だから家の中に閉じ込めた。

 人として駄目になってしまえばいい。まず精神が死を迎えて、それからどんどん肉体的に弱って、次に観念、自分自身の存在を自覚する力を失って、死を受け入れる。そんなふうに自死して行けばいい。パートナーが危惧していたように、社会的に死んでいけばいい。

 しかしそれには時間がかかる。生き続けている。生きているのだからご飯を食べさせないといけないし、彼はネット回線も使っている。家の外に出ないのだからある程度は暇つぶしの手段を与えないと。そう思って使わせている。

 その分の費用を、パートナーが払ってくれていた。私は自分の月十万円前後の収入と、パートナーが振り込んでくれるお金でなんとか日々をやり遂げていた。未来の展望は無かった。

「あなたの方はどうなの?」

 パートナーは私と別れてから仕事を辞めて、今は再就職した三つ目の職場、清掃具のレンタル会社でモップやマットのリースの指揮を執っている。簡単だけれど割は良いそうだ。

「それはうらやましいわ」

 私は素直な感想を言った。在宅で働いている私の金銭効率は恐ろしく悪い。出来高払いなので、不安定でもある。

「でもま、そうね。この年になってやりたいこともほしいものもないから、どうにかやっていけているわ。趣味なんて無いにこしたことないわね。」

「君は昔から服だのバッグだの言う人じゃなかったからね。」

「本はたくさんほしかったけど今は電子書籍があるし、何より図書館によく行くようになったわ。それで充分ね。と、言っても本当にぎりぎりだけど。」

 自業自得なのは分かっているわよ、と私はパートナーに伝えて首をかしげて見せた。

「だから余計なことなんて言わないでくださいね。」

「そんなこと言いやしない。今更ユウに何かを言う資格なんて俺にはないよ。」

 そう話し、パートナーはラテに砂糖を入れずに飲んでいる。太るのが心配になってきたのだそうだ。若いころは悲しくなるくらい痩せていた人だったけれど、さすがに四十も半ばを過ぎて、体の勝手が違ってきている。

「そんなことは言わなくてもいいのよ。」

 私はコーヒーのカップをカウンターに置いて言った。

「あなただけは私のやっていることをいつまでも非難してくれていいんだから。」

「やめてくれよ。それこそ今更だ。こうして、君が元気にやっている事だけ分かれば、それでいいんだ。」

と言う。

「俺はもう何も考えたくない。悩むのでよければ一生分悩んださ。君に何を言ってももう遅い事は分かっている。だから、今になって君に何か文句を言おうなんて、そんな気はないよ。」

 ただ月に一度コーヒー一杯ユウと飲めたらそれでいいんだ。と、言う。

 パートナーは私のユウ、という名前をとても丁寧に発音する。まるでハンカチにくるむようにして。

私はパートナーに未だに深く愛されているらしい。それを感じて周囲が急に冷たく薄くなっていく。カウンター席に隣り合ってそれぞれに話したり仕事している人たちが、高速度で私から逃げ去っていく。いたたまれない。

 この人はずっと私のことを愛してきたしあの別れの時もそれは変わらなかったし、今でも変わっていないらしい。でも私に何が出来るだろう?

 それは私も同じです、と言えばいいのだろうか。言えるはずがない。こんなに真摯に愛されているのに。言えるわけがない。

 私は家庭を壊したかった。守りたい欲求もあった。でも、マシーンの事があってから、どうしても壊さなくてはならないと決意した。壊すことが重要なのだと。重要になるように生きていこうと私は誓った。マシーンが佐藤君を殺した瞬間から。

 いつもと同じようにそれぞれのカップが空になるのを待って私たちは別れる。共有している生活が無い以上別れる方が自然だといつも思っている。


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