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自動的なマシーン  作者: 森本泉
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 臆病な人なのだ。どんなに怒りに駆られていても、自分以外の人間に本気で暴力を振るうことなんて出来ない。妻が吹っ飛ぶほど強く殴るなど出来ない。だから私は猫を抱えて立っていた。

「お前は本当にあいつの親なのか。」

 夫の声は新聞紙が乾いて風にペりぺりと音を立てているようだった。そんな風にさせたのは自分だとよく分かっていた。分かっていても私はこの男と戦わなくてはならないの。私が戦うことを止めたらこの男はマシーンを解放してしまう。

「こういうことが起きたら親が一番に自分の子供の味方になってやるものだ。」

 と彼は両目を隠しながら言った。干からびてしまった顔面を何かから守るようなしぐさだった。

「そうよ。あんたが悪いのよ。あんたがそんな風にばっかり考えているから。あの子の味方になろうなんてそんなことを。

そんなあほなことばっかり考えているんだから。あんたみたいなあほがたくさんいるから、あの子は加害者になったのよ。人に何をしてもへっちゃらな人間になってしまったのよ。あんたのせいで。

 あんたはあほよ。自分の息子が何をしたのか。こんなに話してもまだ理解していない。あの子はね、人を殺したのよ。」

「いい加減その滅多な口をどうにかしろ!」

 また彼は私の頬を打った。私はなお、倒れはしなかった。大分手加減されていた。息子を殴ることに慣れてしまった私には、この上夫を殴ることになんの抵抗もない。きっと彼はそんな風に思っている。

「あんたの息子は人殺しよ。」

 私は頬がひりひりするのを我慢して言い返した。

「あの子は人なんて殺していない!」

 と怒号を飛ばす。

「だからあんたはあほなのよ。考えたことはないの? やられたのが自分の子供たったらって。同じことを言えるの? そんな風に相手の味方になっていられるの?」

「今はそんな話をしているんじゃない。」

「いいえ。今私とあんたは最初からそんな話をしているの。どうして分からないの。本当にあほね。

あほとあほを二人きりになんてさせておけません。出て行って。

気に入らないんなら出て行って。

いいのよ、父親は子育てしなくても。子供のことなんて知らん顔していれば。仕事ですからって。そう言えばみんなが赦してくれるんだからそれでいいじゃない。何が不満なのよ。」

 三度彼は私を殴った。三度目の殴打はもっとも力が込められていた。それでも私は、倒れなかった。もう何も感じない。どんなに殴られても痛みを感じない。そのくらいには私も殴られていた。この二人の男達から。

「出て行って。私とあの子を置いてこの家から出て行って。今すぐに。

でなければあの子を今すぐ動けなくさせるわ。自力で動けなくさてやるわ。私はなんとも思やしないのよ。分からないの?」

 私は猫を掴んで頭の上に振り上げた。この猫は、まだ結婚する前に私が彼にプレゼントした旅行のお土産なのだ。

二匹の猫がうっとりと目を瞑ったまま寄り添っているデザインになっている。私はこの猫で、死なない程度にマシーンの頭を殴り続けた。

置物の中は空洞になっていて、私程度が力を込めて殴っても致命傷にはならない。

 猫を掴んだ私を見たまま彼は椅子に倒れこんだ。本当に疲れた顔をしていた。そして

「わかったよ。」

 そして、

「どうしてこんなことに。」

と言った。このときの会話が最後になった。この人と、同じ家で言葉を交わした、最後の瞬間になった。

彼が私に抱いていた妻としての、親としての姿をこれ以上ない形で私は裏切った。

夫は家を出て行き、その後の一年二人一切の連絡を交わさなかった。

 離婚はしなかった。私たちが籍を抜かなかったのは、彼の居場所が分からなくて離婚のしようがなかったからでしかない。私自身は離婚したつもりになって一年を生きた。

彼の気持ちはどうだっただろう。籍を残しておくことで、自分の息子への影響力を維持しておきたい。そういう意図があったのだろうか。いつか機会をみて私の元からマシーンを切り離すつもりなのだろうか。


私は顔を見るとマシーンを殴った。私の両手はそれ用にあつらえたみたいだった。マシーンのこめかみやほっぺたを殴るのに適している。

それが正しい使い方だと思っていた。私の手はこの動きをするために生えてきたのだとそう思えた。殴るたびにそう感じていた。私の手のひらはマシーンの顔に良くフィットする。私はマシーンの顔を見ると虫唾が走った。なんとしてもこの子を赦すことは出来ないと思っていた。

小学生のうちは私が殴るたびに泣いた。私は抵抗するマシーンを何度でも殴って、それから部屋に閉じ込めた。食事を与えないことも良くあった。

マシーンはやせ細った。でもこめかみを良く殴っていたから体に痕が残ることは無かった。外に出ないから人に見とがめられることもなかった。

自覚させなくては。私はそればかり考えた。マシーンがしたことをマシーン自身に理解させなくてはならない。私は必ずそれをさせよう。というか、私にしかその役目は出来ないと思っている。マシーンがやったことは酷い。

一年後に別れた夫は再び連絡を取ってきた。でもマシーンのことは何も話さなかった。

 やあ、久しぶり。元気にしている? と、まるで昔の恋人に電話を掛けたみたいに、まるでふと思いつみたいに、何もかも無かったことにしたみたいに、電話してきたのだった。

 それ以来五年間、私たちは月に一回会ってお互いの近況を尋ねあっている。もう夫とは呼べない人なのだけど、縁が切れてしまったわけでもないので、私は彼をパートナー、そう思っている。


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