間幕 cookie for you
受験生としてはここからが長く心が折れそうになる時期だと思う。来年の三月に高校受験を控えた俺は、調理室で次の授業の準備をしていた。この時期に主要五科目以外の科目はとても息抜きとなっていい気晴らしになる。
「夏、蝶々結びができねぇ」
なんでそれを俺に伝えるのか疑問である。俺の隣でエプロンの紐を持ったまま頭を悩ませているのは忽那廉。耳にはぎりぎりかからない髪と女が羨むくらいのぱっちり二重の目。その容姿にそぐう小柄な体型。身長もあまり俺とは変わらない。
「貸してみ?」
そう言って後ろに回り紐を受け取れば、俺は慣れた手つきで結んでやる。
「それ夏麻君がやったの?」
不意にそう声をかけられれば出来上がった結び目を指差しながら聞かれる。
「なかなかでしょ?伊達に冬歩にこき使われてないから」
「それ聞いたら冬ちゃん怒るよ?」
紺のエプロンを身に纏っている、黒縁の眼鏡のクラスメイトでもあり冬歩の友人でも有る宮前菜穂はそう続けた。
「これが日の目を見て披露できることなんてここしかないんだからいいんだよ」
「な、終わったのか?俺も見たい!」
俺達の話に興味を持ったのは実際に結ばれている本人だった。
「この状態で脱げるなら見れるぞ」
そう言って取れないようにと結び目を固く結んでやった。
***
今日の調理実習で作るのはクッキーとなっていた。四、五人のグループに分かれてそれぞれ作業に取り掛かる。俺のグループには先程の宮前と廉それと冬歩の三人だ。
「まず粉をふるいにかけるって書いてあるけど、どうやるんだ?」
「廉、知らないのかよ。オーディションと同じ。この粉がいいなってやつを一粒ずつ選んでいくんだよ」
そうボケをかましてやれば、廉はわかったと納得し切った表情をして一粒ずつ菜箸で取ろうと挑戦する。
「夏麻!変なこと教えないでよ!そんなことしてるといつまで経っても出来ないでしょう」
向かいで正しい方法で粉をふるいにかける冬歩に怒られる。廉自身が疑いもせずになんでも信じやすい性格で有るが故できることを俺は密かに楽しんでいる。
「忽那君、ふるいっていうのはこれを使って粉の珠をなくすことをなの」
「え!?箸で選ぶんじゃないの」
「夏君の冗談だよそれ」
宮前がスッと廉の隣にふるい器を置いてやり方を教える。廉ほ素直に箸をその場において宮前から渡されたふるい器を掴み言われた通りに作業を進める。そしてなんとか第一手順完了というところまで進んだ。けれど俺は宮前が蓮に教えている瞬間、机の上にあった冬歩の握り拳がギュッとキツく握られたのを見逃さなかった。
「次は……卵をボウルに割って溶くと」
用意された卵を冬歩は二つ取るとお互いをぶつけ合わせてヒビの入った方を片手で割る。
「冬すげー」
「これでも家で手伝いはしてるからね」
そこからも手際良くもう一つの卵を机で割り解していく。そしてバターと粉砂糖を混ぜて作っておいた生地に卵を流し込みそこから切るようにして再び混ぜ合わせる。その途中にチョコチップを入れて均等になるようにする。そこまでで授業の終わりを告げるチャイムがなる。
「終わっちゃったか。このあとは型抜きだろう?」
「その前に記事をしばらく寝かせなきゃいけないから、ちょうど切りのいいところまでできて良かったよ」
混ぜ込んだ生地にラップをして上に班の名前を書いて冷蔵庫へと宮前が閉まってくれた。そしてその間には冬歩が使っていた器具を全て洗いに行ってくれていた。
「二人ともありがとう、何もしてなかったから僕と夏であとはやるよ。拭いとけばいい?」
「はい、ありがとうございます」
「ま、これくらいしか満足にできそうにないし」
廉から手渡されたタオルを手に一つ一つ拭いていく。それらが終われば洗ったものを元の場所へと戻してひとまず休憩となった。
「二人ともありがとう、先生がお茶飲んでいいって」
いつのまにか準備をしていたのか湯呑みには全て均等に緑茶が注がれており椅子まで準備されていた。
先程作業していた時と同じように腰掛ければ自ずと会話は弾み、あれやこれやと始まりのチャイムまで続いていた。
「早く型抜きしよう!たくさん持ってきたんだ」
ガチャガチャと音を立てながら袋の中から数種類の方を取り出し満足げな表情を廉は浮かべていた。
「ハートとか星もあるけど、おすすめは全国制覇できる日本列島バージョン!」
おそらくそのガチャガチャとなる音の原因を作っていたであろう四十七個に分かれた都道府県はグチャグチャに混ざり合っていた。
「わざわざこの日のために買ったのか?」
「違うよ、妹が日本列島覚えられないって言うから母さんが買ったんだ。一、二回しか作ってないけど」
「わぁ、やっぱり北海道は大きいね」
「富山県いつ見てもサイズが可愛い」
「宮前、その可愛いはおかしいだろう」
そもそもサイズ感ってどこがだ。実物見たら大きすぎるくらいだろう。俺は廉の拡げた型を一つ摘んでみる。確かに多くの種類があれば飽きずに型抜きができそうな気がする。手っ取り早く焼いて食べたい欲が勝り延ばした生地を適当に抜いていく。
「夏、やる気じゃん!目指せ四十七都道府県制覇」
「いや、やらねぇよ?そもそもそんなに生地ないから」
冬歩も宮前も黙々と他の型には目もくれず一つやっては型を変え、また一つやっては型を変えと都道府県を増やしてついには日本列島を制覇してしまった。
「出来たのかよ」
「やったー!これで全国制覇ー」
「それじゃあこれを焼いちゃおうか」
意気揚々と鉄板を持ってこうとする冬歩。しかし俺の中には気がかりなことが一つあった。
「オーブンの予熱は終わってんの?」
「え、夏麻やってくれてないの?」
まさか。そこまで俺は手が回るほど器用ではないし両量も良くない。むしろそれは冬歩の方がいいはずだが、この様子からするとやってないのだろう。
「あ、それ休み時間中にやっておいたから大丈夫だよ」
そう宮前は手を洗い終えてこちらへ戻ってきていた。
「ありがとう、菜穂」
「私も最初気づかなかったけど他の班の人がやってるの目に入ってそういえばって思っただけだから」
それから二人してオーブンに向かいセットが完了したらまた戻ってきた。焼き上がるまでの十五分間に俺達はそれぞれ今日の調理実習のレポートを完成させるべく渡されていたプリントを記入した。それさえ終わってしまえばもうやることなどほとんどない。周りからは誰に渡すや食べるのが楽しみといった声があちらこちらで出回っていた。
誰かに渡す。
そんなこと考えたこともなかった。普段から台所に立つのは四季もしくはまーぼか冬歩の三人だけ。俺がやるのはせいぜい出来たのを運ぶ程度。他に何かをした覚えはない。
誰かに渡す。その誰かを自分の中で決めるならそれは四季がいいと無意識にも思ってしまった。
出来上がったクッキーを宮前が用意してくれた袋にそれぞれ均等に入れる。その袋を見ながら今から渡す四季の様子を考えずにはいられなかった。
今日のデザートにでも四季に渡そう。
日頃の感謝を、沢山のありがとうを込めて。




