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稲荷神社の妖達  作者: 朝凪
能力編
64/93

求めていた安寧の生活

今から二百年ほど前。

場所は尾張、一つの家というのも見窄らしい小屋に家族三人が暮らしておりました。母親と兄と妹。その兄弟は父親も違えばお互いに妾の子でした。そんな母親は懲りずにまたも違う男に手を出します。


「母さん、もうやめてよ。僕頑張って働くからさ」


見窄らしい家でも気品のある女になろうと母親が化粧するところを必死になって兄は止めます。化粧をするということは男に会いに行くという意味なのだと知っていたからです。


「……っち。煩いね。ほら、あんた達のご飯だよ。これ食べてさっさと寝てな」


兄の言葉など耳にも届かずに母親はさっさと家を出て行ってしまいました。母親の手からばら撒かれた米粒を一粒一粒拾い、近くの井戸から持ってきた水の中に入れて火にかけてなんとか食べられる形に持っていきます。


「にぃに?」


六つ年の離れた、まだ四歳の妹はこの異様なことにまだ気がついてはいません。


「ごめんね、もう少ししたら美味しいものお腹いっぱい食べさせてあげるから今日はこれで我慢してくれ」


兄は出来た米を半分以上も妹に渡します。


「にぃに、あーん」


そうとも知らずに妹は何も考えず、スプーンに山盛りにされた米を兄に渡してきます。兄はそれを断ることが出来ずにありがとうと呟いてから口にしました。

なんとしても妹だけは守ろうと決意を新たにしながら。

それからも母親の横暴さは日に日に増していたように見えます。たまに上機嫌になりながら、味噌や野菜を持って帰ってきたり端切れ布を持ってきたりとしていました。機嫌が悪ければ、数少ないお皿を割り出したり壁を殴ったりとしていました。それを止めに入る兄はその反動的体に傷を作ることも少なくありませんでした。しかし、兄からしてみればこれが妹に向かわないだけ良かったと安堵していました。

それから五年後のある日、事は起きました。

深夜寝ていると外が煩く騒ぎ出したのです。他の家とは離れているとはいえあまり騒ぎを起こしては近所迷惑になります。寝ていた体を兄は起こして外の様子を伺います。そして、その目に映ったのは母親と知らない男による喧嘩でした。喧嘩と言っても一方的な物で、無様に地面に這いつくばる母親とそれを虫のように扱い蹴飛ばす男。話の内容まではわからないもののその異常な光景に兄は妹を叩き起こしました。


「おい!起きろ!」


「……ん?にぃに?」


寝ぼけ眼で妹は体を起こしました。


「今すぐ逃げるぞ!」


「どうして?」


「理由は後だ、とにかく準備を」


荷物を揃えて裏口から出ようとした時に表から月明かりが入ってきた。


「おうおう。こりゃ随分と上玉じゃねぇか」


服と髪は所々乱れて、足には引っ掻き傷まである。


「……ったくよ。一緒に娘売るって話で色々と金も払ってやったつーのによ、いざとなったら家族もろとも一緒に逃げようとしやがって。素直にこの娘渡してればあの女も死ぬ事はなかったのによ」


「死……ぬ?」


その言葉が理解できなかったが、少し先に地面に這いつくばったままぴくりとも動かない母親を見て事を理解した。

こいつはつい先ほど母親のことを殺したのだ。


「男の方もなかなかだ。そこらへんに売り渡せば女ほどじゃねぇが金になりそうだな」


このままならこいつによって兄弟は売り飛ばされます。そんなことを考えた母親にも腹立たしい兄は近くにあった貧弱な木の枝で交戦しようと試みます。けれどその木の枝は男の手によってパキッと折られてしまいました。


「これ以上手間かけさせるんじゃねぇよ!」


そう叫びながら飛んできた拳は兄の左頬に当たり少し先の壁へと吹き飛ばされてしまいます。


「にぃに!」


そう叫びながらこちらにやって来ようとする妹の腕を掴み男は引き寄せます。


「残念ながらこれであんたら兄妹は永遠にさようならだ」


その言葉は分かったのか、妹は涙を浮かべながら「にぃに」とこちらに呼びかけます。兄もその声に励まされるようにして体を起こし、なんとかして妹を取り戻そうと力を振り絞り殴りにかかります。けれども齢十五。鍛錬を積んでいたわけではない兄はその男にはまるで歯が立たずまたも投げ飛ばされてしまいます。


「また起き上がられるのも面倒だ。妹の方は貰ってくぜ。悪く思うなら俺じゃなくて母親の方だな」


「にぃに!にぃに!」


妹自身も抵抗はしますが、兄よりも年下な上に女の力ではビクともしません。無我夢中になりながら妹は自らを押しつけている腕に思いっきり噛みつきました。その瞬間、男は妹のことを手放します。兄はこの家に唯一ある包丁を手を取り相手の頸動脈目掛けて首を切ります。その刃は無事に狙い通りのところを貫き、時代劇宛らの血飛沫で男は間もなくして死にました。そして、兄妹はその足で母親のところに行きました。もうここにはいられない。本能ながらそう悟り、金目のものは無いかと探しました。あったのは数枚の銅貨と妙に綺麗な帯飾り、そして手持ち鏡だけでした。兄はそれだけ持つと母親に手を合わせました。埋葬までしている余裕はないもうすぐ日の入り。せめてもと妹に頼みお猪口に水を入れて母親の元におきます。


「どうか安らかに」


それから持てるだけの荷物を持って兄妹はその見窄らしい家を出て行きました。

仕事もなく住むところもない兄妹は必死になりながら生きていました。そして程なくして彼シレネに出会います。そこで兄妹は、安寧な生活と何百年と生きられるという契約でシレネのもとで働くことになります。代償として自らの名前を差すことになりした。

そしてその妹の本当の名前は。


「──蘭」

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