03 違反と砂漠と同居人②
「はぁ……」
バスルームから顔を出してからまったく動く気配のなかった少女を何とか連れ出し、小さく縮こまって怯える少女を宥め、やっとの思いで事の顛末を聞き出したセカンドからは自然と大きな溜め息が溢れていた。
改めて目の前にいる少女を観察してみると、少女は日本人らしい顔立ちで年の頃は六歳前後に見える。しかし痩せこけている上に世界的に童顔で知られる日本人な為、もしかしたら十歳を超えているかもしれないなぁ。
などと現実逃避の如く余計な事をつらつらと考えながらソファーに腰掛けているセカンドは、この現状をどう対処するのが正しい事なのかと頭を悩ませていた。
「成る程、だから乗り込んで隠れてた訳ね」
「………は、はぃ」
びくびくと怯えながらもセカンドの呟きに心底申し訳なさそうに“日本語”で返事をする少女。セカンド達残り者やコープ以下の人間が常用している言語は特殊な理由がない限り企業間共通言語である。
ただし新生紀が始まった当初から存在するユニオン等では新生紀以前にその地で使用されていた国の標準語を常用言語としている所もあり、現在では日本列島全域を統治している『極東技術組合』や、前時代の政治体制を引き継いでいる『中華一統共和国』などがそれに当たる。
だから普通であれば日本語を使用する少女と会話が成立する事は無いのだが、運よくセカンドも『極東技術組合』出身だった事もあり、少女の話す言葉を理解するのにそれ程時間は掛からなかった。
………少女があまりに怯えてしまって宥めるのに相当な時間を要した事を除けば、だが。
積み重なる面倒ごとで精神面が疲弊しているのを感じ、思考を放棄しそうになる脳みそをなんとか回転させ、先程の会話で得たものを思い出す。
少女が装甲車に身を隠したのは奴隷商に捕まっていた女性達が嗜好品などを積み込んでいるときだったという。理由は一緒にいた女性が彼女にバスルームへ隠れるように指示したからだとも言っていた。
それを聞いた時は企業間共通語の通じない少女を同じく日本人の容貌をした自分に押し付けたのかとセカンドは思っていたが、当時の様子を聞いた限りではそうでは無い気がしてきていた。
現在、セカンド達が居るのは旧ミャンマー領まで広がったタクラマカン砂漠上。
新生紀以降は『中華一統共和国』が技術不足で喘いでいた旧ミャンマー領のコープを幾つか吸収し、現在は『中華一統共和国』から独立して勢力を拡大させた『東南アジア先進社連合』の統治下にある街が点在する地域となっている。
そして海一つ挟んではいるが、現在の『極東技術組合』と『中華一統共和国』や元『中華一統共和国』所属だった『東南アジア先進社連合』の一部企業の間には、どうやっても埋め切れない確執が出来ている。
その理由はいくつかあるが、新生紀に成ってからの貿易摩擦と企業間戦争が大きかった。
新生紀最初期では大地に残っている汚染物質の除去・除染技術の開発が急務であった。しかし当時の『中華一統共和国』は前時代の名残でまだ除染系の技術が発展しておらず、特に飲料水の確保が最重要の課題となっていた。
そこへ元々飲料水に転用出来る水源の少ない立地と急激な人口の増加などが合わさり、当時巨大なユニオンであった『中華一統共和国』では飲料水の供給が追い付かなく成ってしまったのだ。
対して『極東技術組合』は完全とは言い難いが、軍事産業が弱い代わりに除去技術を確立させつつある状況だった。そこで『中華一統共和国』は『極東技術組合』に除染技術の援助を打診するも、技術組合は技術組合で各都市内で原因不明の疫病が蔓延してしまい、自組織の事で手一杯で余所の援助をしている余裕などは無く、これに応じなかった。
その後も二組織の間では交渉が続いたが、不運な出来事が重なり新生紀初の企業間戦争へと発展してしまったのだ。
多くの餓死者と戦死者を出したこの戦争の影響でお互いに対して除きようのない根深い禍根が残り、『中華一統共和国』から脱退した『東南アジア先進社連合』所属の企業でも、過去の遺恨は受け継がれている所は多い。
そんな者達の多い地に非力な日本人の少女が居たらどんな事になるかなど、想像するに難くない。
恐らく少女と一緒に捕まって居た者達も同じ結末を想像し、一縷の望みを持って拙い日本語でこの装甲車に隠れる様に指示したのではないだろうか。そう思い至り、目の前にいる少女の憐れな末路を理解してしまったが故に、セカンドも頭を抱える事になっていた。
「見なかった事にしてほっぽり出すと後味悪いしなぁ。なぁM-2、さっきの輸送車の中で一番近い奴との距離ってどれぐらいあると思う?」
「少々お待ち下さい」
そう言って女の声と同じ文字が映し出されていた液晶が乱れ、衛生写真を元に作られた地図に切り替わる。
「………現在、最も近い位置にいる可能性が高い輸送車は旧シュウェポー付近に都市を持っているコープへ向かっている輸送車だと思われます。
輸送車の移動速度が時速50キロだったと仮定した場合、直線距離にして70km程度の差が生じております。我々が追い着く事は可能でしょうが、次の依頼に支障を来たす可能性は大きいでしょう。
また追加情報を申し上げますと、先日起きた『東南アジア先進社連合』に対する反ユニオン組織主導のテロに対し『東南アジア先進社連合』所属/HKG社保有の特殊警備隊"烏"が出動したとの情報があります。既にテログループは制圧されているようですが、“烏”は未だに統治都市や周辺コープの近くに駐留しているとの事です」
セカンドは液晶に表示された文字を見て、更に頭を抱える事になる。
「よりにもよって、なんでこう言う時に限って“烏”共が出張ってるんだよ。確かHKG内で賞金賭けられてたよね、アレってまだ残ってるの?」
「肯定します。現在もHKG社内では10万ncもの懸賞金が掛けられております」
「うへぇ、最初の頃は1万ncじゃなかったっけ?なんでこんなに値上げしてるんだよ……」
ただでさえ厄介事が目の前に有るにも関わらず、過去の仕事が齎した知りたくも無かった影響を聞いて悲壮感満載に嘆く。
だがセカンドの嘆きは冷たい色をした装甲車の内壁に虚しく反響するだけだった。そんな中でにっちもさっちも行かない状況に疲れた吐息を吐き出し、ただ嘆いていても仕方ないとセカンドは打開策を考える事にした。
「さーて、どうしたもんかねぇ。ちなみにM-2さんはどうしたら良いと思う?」
「私が考えますに、少女を優先した場合は我々の利益が損なわれるのはほぼ間違いありません。ですので我々の利益は損なわず、また彼女にも益のある妥協点を模索するのが妥当かと。もし我々の利益のみを追求するのであれば、少女を途中で廃棄するのが最善の選択となります」
「廃棄ってお前……もう少し言葉選べよ、折角宥めたのにまた怯えちゃうじゃないか」
セカンドがそう言って少女の様子を窺うとつぶらな瞳には涙が浮かんでいた。
共通語で会話をしている為、少女が内容を理解している筈も無いのだが、セカンドの態度でどのような話し合いがされているのか感じ取ったのだろう。
また時間を掛けて宥めなければ成らないのかと考えると、さっきから感じていた頭痛がより強烈になった錯覚を覚えたセカンドはどうしたもんかなと一人首を捻る。
「…あ、あの!!」
セカンドが首を捻っていると少女が意を決っしたのか、潤んだ瞳は真っ直ぐとセカンドを見据えていた。
「こ、これ…み、皆が……く、くれた! い、家に…つ、つれ、てって、…く、くだ、さい」
少女は言葉を詰まらせながらも小さな腕をセカンドに向けて伸ばし、よく見ると震えている小さな手にはお世辞にも綺麗とは言えない布袋が握られていた。
何だろうかと思いながら布袋を受け取ると、少女は一瞬だけ小さく震えるが気にせず中身を確認する。中に入っていたのは形状の違う電子貨幣が数枚、実際に手にしてみるとそれらには様々な金額が記載されていた。
合計は約2000nc。
奴隷商に捕まっていた少女がこんなに大金を持っている筈もなく、少女の言葉からして恐らく一緒に捕まっていた奴隷達が隠し持っていたのを掻き集めてこの少女に渡したのだろう。
ただ小さなクラスタなら2000ncもあればなんとか数ヶ月は暮らせる大金ではあるが、フリーの傭兵を雇うには最低でも5000ncは提示しなければ誰も仕事を受けはしない。
「残念だけど、こんだけじゃ仕事は受けられないな。出来てせいぜい俺が安全な街に降ろしてやるぐらいだろうな」
袋に電子貨幣を戻し、悪いなと少女の頭に手を置き軽く撫でてやる。
幼い少女に残酷な現実を突きつけているが、善意だけで生きていけるほどセカンドが身を置いている世界は優しさに満ちてはいないし、甘くない。
少なくともセカンドはそう思っていた。
セカンドは立ち上がり、如何ともし難い気まずい空気を誤魔化す様にジューサーへ水を取りに行く。その最中に横目で様子を見ると、少女は俯いて小さく震えていた。
家族が居る所に帰る事が出来ない事への悲しみか、はたまた言葉は通じずとも自分に尽くしてくれた人達の思いに応えられなかった悔しさか。
何によって少女がその小さい肩を震わせているのかは本人以外に分からないが、少なくともその原因はセカンドにもあるわけで…
打消しようのない罪悪感が胸を擽り、それを誤魔化すようにジューサーから取り出した水を喉の奥に流し込む。しかしその行動を少女が足に抱きつくと言う形で邪魔をする。
貴重な水を噎せ返りそうになりながら下を見れば少女が赤く腫らした目を向けていた。只でさえバツが悪いセカンドにとって今の状況は居たたまれない所の話では無かった。
どう声を掛ければ良いのかも分からず、少女と視線を合わせていると小刻みに震えている唇が開かれる。
「な、何でも…し、します!!」
「……え?」
つい聞き返してしまったセカンドは少女の言葉を頭の幾度も反芻した後に……
まさか生きている間にこんなセリフを言われる時が来るとは!!だけどもう少し大人で綺麗な女性に言われたかった!!
と、冗談ながらも場違いにも程がある思考をするセカンド。
ただ残念ながら彼には年端も行かない少女に動く食指は無く、セカンドが予想外な事態に混乱する頭でどう説得するべきかを考えているが、その僅かな間が致命傷となる。
「ほ、本当に…な、なん、何でも……します!!へ、変な、こと…され……ても、が、我慢…します!!だ、だから…だから…お願い、します!!」
少女はセカンドを追い詰めるように言葉を紡いだからだ。
「い、いや…だからね――」
「最低ですね」
「なんでぇぇ!?」
変な事を言いだした少女を諭そうとセカンドが慌てて言葉を選んでいると、感情の篭っていない声が車内に響く。しかもそれはセカンドにとって不意打ち以外の何物でも無かった。
「まさかセカンド様がロリコンだったとは、五年近くも一緒におりましたが流石に気づきませんでした」
「お前、今の会話を聞いてどこをどうすればその結論へ至るんだ!?」
「しかも年端もいかない純真無垢な少女に邪な行いを要求するとは変態ここに極まれりですね、セカンド様。いえ、もう鬼畜で最低なロリコン野郎とお呼びした方がよろしいのでしょうか?」
「なんだ!?お前は俺を変態なロリコンに仕立て上げたいのか!!そうなんだな!そうなんだろ!!」
「うるさいですよ鬼畜で最低なロリコン野郎、空気が汚れます。鬼畜で最低なロリコン野郎が吐いた空気を綺麗にする此方の身にもなって下さい」
「俺に息をするなと!?俺に死ねとお前は言うのか!?」
「…………」
「ハイ、シカト戴きましたー!!」
一人状況に付いていけず、セカンドの足にしがみ付いてポカンとしている少女。
そして独り突っ立った状態で涙を流すセカンド。
先に立ち直ったのは年端も行かない少女であり、ズボンを握る小さな手に力が篭る。
「……お、お願い…します!!」
状況がどうなっているのか分かって居なさそうだが、正念場だと直感が告げでもしたのか、最後の念押しとばかりに少女の潤んだ瞳がセカンドを見上げてくる。
狭い装甲車に逃げ場など無く自分の周りには敵しかいない事に気付いたセカンドは俺にいったいどうしろと、と呟きながら現実逃避をしそうになっていた。逃げ場のない状況に立たされたセカンドに出来る事と言えば、照明に明るく照らされた鈍色の天井を仰ぎ見る程度だった。
「はぁ分かったよ、仕方ねーなー」
セカンドはどう足掻いても覆せそうに無いこの状況に、自分の負けを示すように力無く両手を挙げるしかなかった。
「君の依頼を受けるとするよ。ただし、俺は間借りなりにも傭兵だかんな? 無料でやってたら俺が他の奴等に馬鹿にされちまう。だからさっきの金は貰うし、足りない分は俺の仕事を手伝って払ってもらう。OK?」
「………お、おー、けー」
「んで、今の俺には外せない仕事があるから、お前を家に返すのはその後な。邪魔したりしたら問答無用で外にほっぽり出すから、そのつもりでいろよ?」
「…お、オーケー!!」
セカンドの言葉を聞いて少女の表情はパッーと花が咲いたような笑顔になる。
自分も甘いなぁと思いながらも、痩せ細ってはいるが少女のこの明るい笑顔を見れたのなら良いかとも思ってしまうのだった。恐らくは捕まっていた人達もこの笑顔にやられてしまったのだろうとセカンドの直感が言っていた。
「……はぁ、これで文句ねーよなM-2」
「はい、十分ですセカンド様」
「ただしこう言うのはコレっきりだぞ、いいな」
「承知しております」
声のみの返事を聞きながら少女の頭を撫で、溜め息を吐く。
セカンド達が乗る装甲車の内部には防犯の意味を込めて高性能の動体センサーが取り付けられており、資料中でしか知らないが人間はおろか車内に乗り込んだ蟻すら感知する。
そんな車内に少女一人が潜んでいても直ぐに分からない筈が無く、センサーを管理している女の声がコープへ向かっていた輸送車に少女を移動させられる間に報告する事は可能であった。
わざと報告のタイミングを遅らせなければ、という前提での話ではあるが。
「さて、これから一緒に生活するんだからお互い自己紹介ぐらいしましょうぜ」
思考を切り替え、目線を少女の高さに合わせながらセカンドは優しくはにかんだ。
「俺は名前は"second"、フリーの単独傭兵だ。
そんでもってさっきからガヤガヤ言ってたのが、この装甲車全般の管理・操縦兼火器使用、機動殼の運用アシストとかを担当してる“独立思考ポット”の“M―ew2000.p02"。俺は面倒臭いからM-2って呼んでる」
「ど、どくりつ、しこう?ひと、じゃ、ない…の?」
少女の言った事でキョトンとした間抜け面を晒すセカンド。そして久方ぶりのやり取りになるセカンドはふっと笑うと装甲車の壁に触れる。
そこは一見すると凹凸の無いただの金属壁であったが、セカンドが力を込めて押し込むとカチャリとスイッチが押される音がする。すると天井の一部が開き、天井からは固定具に収まった人の頭程ある黒い樽型の塊が降りて来る。
「M-2は人じゃなくて……AIって呼んで良いのかな?まぁ勝手に喋る機械だよ」
「ご紹介に預かりました独立思考ポットの“Medusa-ew2000.prototype02"です。
先程管理者であるセカンド様が仰った通り、この装甲車"Little Castle"の運転、管理、兵器使用、並びに機動殼全般のメンテナンス及び運用アシスト、戦闘補佐等を行っております。お気軽にM-2とでもお呼び下さい」
「よ、よろ…しく、おねがい、します?」
黒の塊は側面に付けられた採光窓の様な細長い部分を点滅させながら機械的な女性の声を発し、少女はそんな金属塊を訝しむ様に眺めながら徐に頭を下げるのだった。
「んじゃ、こっちの自己紹介も済んだ事だし、君の名前を聞かせてくれるかな?」
セカンドが目の位置を少女の目線に合わせて膝を折り、詰まりながらも一生懸命に喋ろうとしている少女の言葉を待つ事にした。
「わ、私、の……名前は…柊佳奈!!」
こうして少女と傭兵が出会い、可笑しな組み合わせの旅が始まったのである。
《ぅゎょぅι゛ょっょぃ》平安時代の哲学剣士、ミヤモト・マサシの言葉である。
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