35 ブリーフィング⑦
過去の行いをやり直す事はできない。
例えどんなに高度な射撃技術があろうと、機動殻の操縦技術が優れていようと、放った弾丸を途中で止めることが出来ないように、過去に犯した過ちをやり直す事など決してできないのだ。
後悔先に立たずとは、誰が最初に言ったのだろうか。
誰が言ったにしろ、きっと思いは似たようなものに違いない。
2ndは見慣れない天井を見上げながら、そんなしょうもない事を考えていた。
何故2ndが柄にもない事を考えていたのかと言えば、答えは彼の横にいる。もっと細かく言えば、彼のすぐ隣で横たわっていた。
2ndが人の気配がする方へ顔を向けると、目の前には何度見ても見蕩れてしまいそうな美女の寝顔があった。
瑞々しい唇。
きめ細かく、白魚のような肌。
長い睫毛と頬にかかる艶のあるブルネットの髪。
妖艶な印象を与える口元のホクロや垂れ目は、寝顔だと普段の艶やかな姿を幼く見えさせた。
呼吸に合わせて上下する肩はその美女が生きている事を示し、また2ndが何度も見直しても夢や幻の様に決して消えることの無い現実である事を知らしめている。
「あぁ……やっちまった………」
思わず零れた声は後悔か、諦念か。
目の前で無防備な姿を晒し、惜しげも無く寝顔を晒しているロゼ・マリアを恨めしく思いながら、2ndは静かに両手で顔を覆う。
手で作られた僅かな暗闇に、昨夜の自分が犯した失態が映し出される。
セルジオに参加を請われたブリーフィングのあと、ロゼを誘って酒を飲み、酔った勢いのまま共に手直にあった安宿に飛び込んで行われた情事。
少しの欠落もなく、全ての行動が脳裏にしっかりと描かれる。あまりに情けなさ過ぎて、身悶えする気さえも起きなかった。
2ndは傭兵として活動し始めた頃から―――否、その前からずっと2ndは他人との間に必ず一定の距離を空けてきた。
例え他人から見れば親しい様に見えようとも、最後の一歩は決して踏み出さず、仕事上の付き合いと言う一線を超える事は無かった。
だから普段の、佳奈と出会う前の2ndであればこのような事態にはならなかっただろう。
では何故こんな事になったのかと自問すれば、迷う間もなく佳奈と出会った影響だと断言出来る。
これまで2ndの中で自分と他人の間には大きな隔たりがあった。正確を期すならば、自ら隔たりを作る事で他者を拒絶してきたと言えるだろう。
他者と自分を明確に分ける事で。
他人を言葉を話す機械の様に見なす事で。
命を奪う事に躊躇いをなくしてきた。
決して情に流されず、冷酷なまでに状況を分析し、冷静な判断を下せる精神構造を作り上げてきた。
そうする事で、僅かな判断ミスが命取りになる過酷な世界で生き残ってきた。
ただそれは常に他人を疑い、どんな時も張り詰めた緊張を強い、例え無意識下であっても解かれる事のないものとなっていた。
他人と決して触れ合わず、温もりも安らぎも得ることもできない。
今までの2ndであれば問題は無かった。2ndにとってその状況は至って当たり前のことで、疑問に思うことすら無かったのだから。
だが佳奈と出会い、共に生活する中で知ってしまった。
佳奈の無力だが無邪気で純真な笑顔が、2ndが今まで強固に保ってきた隔たりを崩していた。
そして2ndに教えてしまった。思い出させてしまった。
他人を受け入れた時の安らぎを。
人と心から接した時の温もりを。
十年近くも知ろうとしなかった事で気付くのに時間がかかり、こんな状況に至って初めて悟った2ndは自分の鈍感さに失笑するしかなかった。
今の自分は佳奈を傷つけてしまった事を後悔し、その気まずさをロゼで紛らわそうとしたのだ。自分が情けなさ過ぎて2ndは他人事のように呆れるしかなかった。
だが改めて理解すれば、どうと言うこともない。
また自分の変化を認めた2ndは今の自分の危うさも理解していたが、だからどうしたと鼻で笑う。
全てを受け入れ、どうすれば最善なのかをじっくりと考えて行けばいいのだ。
不便な事の方が多いかもしれないが、今の自分は何者にも縛られない残り者なのだから。
何より佳奈が与えてくれた物は見なかった事にするには大きく、ただで手放すにはあまりにも惜しいのだと、心の底からそう思ってしまっていた。
「ふふ、スッキリとした顔をしてるわ。前も言ったけど、私は今の貴方の方が好きよ」
2ndが長い自問自答を終えると、隣から鈴を転がす様な声がする。目を向ければ、優しげな笑みを称えたロゼがいた。
「そうか? そんな変わったようには思えないんだがな」
自問自答の結果をおくびにも出さずに2ndは言うが、ロゼをクスリと笑うと2ndに身体を預ける。
「自分じゃ分かり難い事もあるわよ」
「そういうもんかね。ちなみにどんな風に変わったと思うんだ?」
「そうねぇ……」
自分の胸板で潰れる柔らかい感触で口元を緩ませないように必死に耐えつつ、2ndは続きを促した。するとロゼは思案顔になりながら考え始める。
答えが出るまで手持ち無沙汰になった2ndはロゼの乱れた髪を直しつつ、空いている方の手をロゼの腰に手を回して抱き寄せる。
より強くなった感触にニマニマと笑みを抑えられなくなった2ndはシーツの下でロゼの背中から生身の左手を下へとゆっくりと滑らせていく。
「イッ?!」
手の甲を遠慮なく抓られ、思わず手を引き上げる。
よく見れば抓られた部分が真っ赤になっていた。
痛みを和らげる様に手を撫で摩っていると、強い視線を感じて胸元に視線を落とせば、ジト目を向けているロゼがいた。
「……なんだよ」
「いえ。散々待たせておいて、いざ手を出すとこうも見境なくスケベな事をしてくるのね、って幻滅しただけよ」
「……そこを突かれると痛いな。それより、俺の何処が変わったんだ?」
手痛い反撃を受けた2ndは形勢が不利だと判断して話題を変えようとするがロゼのジト目は変わらず、呆れた様な溜め息を吐かれるのだった。
気まずくなった2ndは下手な口笛を吹いてそっぽを向き、ロゼに再び大きな溜め息をはかせた。
「ハァ、なんでこんなのを好きになっちゃったのかしら……
まぁいいわ。それでさっきの答えなんだけど、何となくだからハッキリとは言えないわ。でも丸くなったのとは違うんだけど、雰囲気に余裕がある気がするの。佳奈ちゃんに会う前の貴方は、こう、常に張り詰めてて、抜き身のナイフみたいだったわ」
自問自答の答えを言い当てられた事に一瞬ドキリとする2nd。
そしてそんなに変わった様に見えるのであれば付け入れられないように注意が必要か、と考える2ndだったが、2ndに覆いかぶさっているロゼがクスリと上品に笑う。
「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫よ。自惚れてるつもりは無いんだけど、私はずっと貴方のことを見てきたから分かるのであって、付き合いの浅い人には多分分からないわ。
まぁ、私としては貴方に変化を齎したのが私以外の人って言うのは少し嫉妬しちゃうけど、佳奈ちゃんのお陰でこうしていられるんだから感謝しなくちゃね」
ロゼは軽くキスを落とすと立ち上がる。
安っぽいシーツがずり落ちていく中、ショーツしか身に付けていないロゼの裸体が顕になり、真面目な物だった2ndの表情がだらしない物に一瞬にして変わる。
恥ずかしげにすることも無くバスルームに向かっていくロゼの後を追って2ndも立ち上がり、ユニットバスに入ってシャワーの準備をしているロゼに抱きつき双丘い手を伸ばす。
しかし今度もあえなく叩き落とされる。
そして腕の中でロゼがくるりと反転すると、2ndの両頬を抓りあげる。
「言っておくけど、一回抱いた位で調子に乗らないでくれないかしら。私はそんなに安い女じゃないわよ。それに、散々待たせられた恨みも無くなった訳じゃないからね」
「わるひゃったって、はからてひょはなひてくれ」
「だーめ、謝るだけじゃ絶対に許さないわよ。それに仕事迄の時間も無いんだから、続きは今度までお預けよ」
右に左にと引っ張られ、ロゼが満足するまで弄られて漸く解放された2ndは若干涙目になりながら赤くなった頬をさする。
頬への軽いキスのあと説得の機会もなくバスルームから追い出された2ndは汗やら何やらでベタつく身体をそのままにベットに腰掛け、そのまま倒れ込む。
「さて、佳奈にあったらなんて言おうか……」
昨夜は会議に行くからとローウェンに佳奈を預け、そのまま現状に至っている。
一応ロゼから連絡は行っているだろうが、その前の事も含め、子供を慰める言葉を考えるのにどれだけ時間をかけるのかと呆れる。
しかしながら、ロゼがシャワーを終えるまで佳奈への接し方を真剣に考える2ndだった。
◇ ◇ ◇
交互にシャワーを浴びた2nd達は、2ndの操るバイクで4番入場口へとやってきた。そこには既にローウェンと佳奈が待っていた。
ローウェンは普段と変わらない毅然とした立ち姿だったが、佳奈はそんなローウェンの脚にしがみついて恐る恐ると言った風に2nd達の事を伺っていた。
バツが悪くなりながらゲート付近にいる要員にバイクを預け、2nd達は佳奈達の前に立つ。
「ローウェン、佳奈の面倒を見てもらって悪かったな」
「いえいえ、構いませんよ。佳奈殿はとても大人しく手も掛かりませんでしたし、何より子供は嫌いではありませんしね」
2ndが礼を言えば、ローウェンはにこやかな笑顔で佳奈の頭を撫でる。
その姿を見た2ndは柔和な老紳士の様に見えるローウェンだと、ロリコンに見えないのは何故だろうかと純粋な疑問が浮かぶ。
場違いな思考に囚われる間もなく、2ndの背をロゼが叩かれる。
「それじゃあ、私はローウェンと仕事の準備をしに行くからまた後で会いましょう。
……あと、ちゃんと佳奈ちゃんと仲直りしておきなさいよ」
最後は耳元で呟いたロゼは2ndの頬に軽くキスをするとローウェンの元へと歩いていく。
2ndは頬に残る感触を楽しむ気にもなれず、口元を歪ませながら佳奈と二三言葉を交わした2人を見送った。
視線を佳奈に戻すと自身を隠せる相手が居なくなった佳奈は簡素なワンピースを握りしめ、怯えるように僅かに震えながら俯いていた。
チクリと罪悪感で胸が痛むが、どう声を掛ければいいのか分からない歯痒さに2ndは頭を抱え込みたい衝動にかられる。
取り残された佳奈と2ndの間には気まずい空気が流れ、2人の間にある距離は今の心の距離を表しているようだった。
2ndはポリポリと頬を掻きながら自ら佳奈に歩み寄る。だが佳奈は2ndが近づいても俯いたままで、小さく震え続けている。
どうしたものかと2ndは頭を悩ませるが、兎にも角にも謝らねば始まらないと言葉を探す。
「あぁ…その……なんだ。昨日は少し言い過ぎた。悪かったな」
2ndが佳奈の小さな頭に手を載せるとビクリと大袈裟に感じるぐらいに震え、怯える小動物の様に2ndの事を上目遣いで見上げる。
そして目尻に涙を浮かべながら佳奈は言う。
「ゆ、許して、くれる、の?」
おずおずと顔を上げる佳奈に2ndは困ったような、それでいて自身で考えうる限りの優しい笑みを作ると佳奈と目線を合わせる為にしゃがみ、割れ物を扱うような手付きでゆっくりと佳奈の頭を撫でる。
そして酷く怯えている佳奈を前にした2ndは先程の狼狽が嘘のように、自然と言うべき言葉が思い浮かんだ。
「許すも何も、悪いのは俺だしな。それに言い訳に聞こえるかも知れないが、あの時はそんなに怒ってなかったんだ。ただちょっと注意しようと思っただけで、な。口調も強かったし、言い方もちゃんと考えれば良かった。
怖い思いさせて、ごめんな」
自然と浮かんだ心からの言葉だったからか、それとも今までにないほどに優しげな声音だったからか。いつの間にか佳奈の震えが収まっていた。
それでもまだ瞳には大粒の涙が溜まり、伺うような視線は亡くならなかったが。
「……ホントに?」
「ホントに」
「…ホントにホント?」
「ホントにホントだよ。悪いことをした俺のこと、佳奈は許してくれるか?」
2ndが首を傾げながら問うと佳奈は頷き、涙を孕んだ笑みを浮かべると2ndに抱き着いた。
しゃがみ込んでいた2ndは佳奈の勢いに転びそうになるのをなんとか堪え、佳奈をしっかりと抱きしめながら立ち上がる。
チラリと時刻を確認すれば、予定していた集合時間が迫っていた。
胸に顔を押し当てて泣き続ける佳奈を宥め、2ndは佳奈の温もりを感じながら装甲車を目指して歩き出す。




