28 地上の楽園⑦
【前回のあらすじ】
2nd、新しい依頼を受ける。
セルジオとの取引を終えた2ndはこの後の予定を考えながら無機質な隠し通路を歩き、シャーネが待つ娼館の一室に繋がる梯子の前にたどり着く。
軽い足取りで梯子を上り終えると、天井に張り付いていたベッドが下り、娼婦と一時の快楽に溺れる為の何の変哲のない部屋へと戻っていく。
2ndは閉まっていく隠し通路の入り口から視線を外し、室内に向けると、入り口近くの椅子に腰かけ、今の時代では珍しい紙媒体の本を読んでいたシャーネが本を閉じるところだった。
「結構話し込んでたわね。うまく儲けられた?」
「まぁ、そこそこにな」
「そう、おめでとう。じゃあ―――」
立ち上がったシャーネは2ndの首に腕を絡ませ、唇を合わせるだけの淡い口づけをする。2ndがワザとらしく驚いた表情を作るとシャーネは小さく微笑み、何十という男を魅了し、内に秘めた欲望を駆り立ててきた声音で甘言を呟く。
「―――“する”?」
シャーネの言葉が鼓膜を揺らし、彼女の身体から薫る淫靡な香りが嗅覚を刺激する。
言葉一つ、仕草一つとっても男を魅了するための技術が込められ、それらを巧みに使いこなす娼婦が口にするにはあまりにも飾りの無い直裁的な言葉。
だが―――否、あからさまにこの後の展開を予想させうる言葉だからこそ、2ndの雄としての脳は焼け焦げるような錯覚を覚え、血流がとある一点に集まっていく。
そして2ndは自分の理性がゆっくりと獣欲に汚染されるのを理解していた。
首に回されていたはずのシャーネの細腕は何時の間にか背中に回され、掻き抱くようにしていながらゆっくりと2ndの分身の元へと向かっていく。
抗いがたい快楽の予感と極上の餌が目と鼻の先に居る事実に、2ndの精神は一瞬にして情欲に染まる。欲望の赴くまま、ささくれだった武骨な男の手がシャーネの肢体を撫でていく。
「悪いけど、仕事が立て込んでてな。だからこの続きはまた今度に。その代りチップは弾むからさ」
しかし2ndは太ももを撫で上げつつガーターストッキングに何枚かの紙幣を挟み、シャーネの肩を掴むと優しく引きはがす。
不思議そうに首を傾げるシャーネの頬に軽くキスをし、2ndはすぐに入り口に向かって歩き出す。そうでもしないと折角抑えつけた欲望が暴れだしそうだったのだ。
静止する声が背後から掛かるが、後ろ髪引かれる思いで部屋を出ると、扉の前に立っていたガードマンが預けていた武器を差し出してくる。
「ねぇ、ホントに行っちゃうの?」
「残念ながらね」
装備を整えた2ndが再度点検していると、娼婦としてのプライドを刺激されたのか、眉尻を下げたシャーネが部屋から顔を覗かせながら甘い声音で引き留めようとする。しかし2ndはシャーネを見ることもなく答えると、そのまま娼館の入口へと歩いていく。
受付で偽装用の会計を済ませ、外に出た2ndはバイクに跨りながら腕時計に視線を落とす。
時刻は午前七時をとうに過ぎている。平素であれば佳奈が起きていても可笑しくはない時間だった。予想以上に時間を食っていた事に気付き、2ndは慌ててエンジンを叩き起す。
「まったく、さんざん待たせてツレない人。もう会ってあげないわよ?」
「そう言わないでくれよ。俺も悪いとは思ってるけど、こっちにも色々とあるんだよ。埋め合わせはまた今度するからさ。な?」
「……はぁ。しょうがないわね。埋め合わせ、楽しみにしてるわ」
客と娼婦。
その簡単ながら複雑な関係をより楽しむための睦言のやり取りを交わしつつ、別れを済ませると全速力で佳奈の待っているだろうホテルに向かって走り出す。
一応ホテルには佳奈でも読める書き置きをしてあるが、目覚めた時に一人なのに気づいて不安に思ってはいないだろうか。そんな事を考えながら、2ndは来た道をひたすら全速力で駆け抜けた。
「佳奈、起きてるか〜?」
そしてホテルに戻った2ndが扉から顔を覗かせながら声を掛けるが、返事は返ってこない。だがそっとドアを開けて中に入ると、寝ぼけ眼を小さな手で擦っている幼女の姿があった。
途中で買っておいた朝食をテーブルに置きつつ、佳奈の隣に腰掛ける。
「今起きたのか?」
「……うん。でも、セカンドが居なくなっちゃうから夢見て目が覚めたの。すごく怖かった」
そんな可愛らしいことを言う佳奈に堪らず抱きしめる2nd。
どうにもスキンシップに未だ慣れない佳奈は最初こそビックリしたように目を見開くが、すぐに甘えるように2ndの胸に顔を埋める。
しかし普段ならそのまま抱き締め返すのだが、この時の佳奈は違った。2ndの胸に顔を埋めた瞬間、ピタリと動きを止め、何かを確かめるように鼻をひくつかせる。
「どうした?」
「……ううん、なんでもない」
何かを上書きするように顔を擦り付ける佳奈を不思議そうに見つつ、佳奈が満足するまで好きにさせる事にした2ndだった。
◇ ◇ ◇
セルジオとの取引を終え、帰り道で買った朝食を食べ終えた二人はホテル”イン・デ・ロップ“の一階に設けられているラウンジにいた。
「ーーーでは、今日の19時にブリーフィングを行いますので、その時刻には本社へ来て頂きますようお願い致します」
商業都市だからなのか、やはりパリッと糊のついたスーツを着こなしたセルジオの使いが会釈をして去っていく。
歩き去っていく使いの後ろ姿を見送った2ndの手には、第1種企業間契約書の内容が記載された端末が握られていた。
内容は多少細かくなってはいるものの、セルジオと話し合ったとおりであった。また佳奈の護衛として三人の護衛が付き、その内の1人は女性であるらしく、娘を持つセルジオが気を利かせたのだろう。
ただ情報が漏れるのを警戒しているのか、それとなく会話を誘導してみても使いが詳しい依頼内容を話すことはなかった。そこからもセルジオの―――否、コルネオカンパニーの今回の依頼に対する姿勢が伺える。
一先ず契約内容に不備が無いことを確認した2ndは端末を仕舞い、現在水の補給を受けているだろうM-2の元へ無線を繋げる。
「そっちに契約書を送ったから分かってると思うが、セルジオから依頼を受けることになった。そこで強化外骨格を使うから銃と弾薬をすぐに出せるように準備しといてくれ」
『承知致しました。それと給水の件、恙無く終了し毒物等の混入も確認されませんでした』
「りょーかい。じゃあ準備の方よろしく」
2ndが無線機を切ると、ちょうど手洗いで席を外していた佳奈が戻ってくるところであった。ラウンジに入って来ようとする佳奈を立ち上がって迎えると背中を押してホテルの外へ向かう。
佳奈には既に依頼を受けることを伝えており、それに伴って空いた時間をグラウンドエデンの散策に費やすことになっていた。
バイクは使わず、ホテル周辺の出店や嗜好品を取り扱っている店を冷やかしながら会おうと約束したロゼと合流する予定だ。
当初ロゼと合流する旨を伝えると若干嫌そうな表情を作った佳奈だったが、依頼を受けるのに必要である事を説明すると渋々ながら了承し、追撃とばかりに落ち合う前にデザートの美味いレストランに行くと伝えるとロゼの事も忘れて満面の笑みを浮かべるのだった。
食い物に釣られてしまう現金な佳奈を連れ、商店街風になっている区画でフロントマックス社では買えない生活用品や嗜好品、佳奈のための可愛らしい服を買い込んでいく二人。
特に問題もなく終始和やかな雰囲気でウィンドウショッピングを楽しみ、早めの夕食を終えてそろそろロゼと合流しようかという時だった。
不意に佳奈が足を止め、怯えたような表情を浮かべながらある一点を凝視する。
2ndが佳奈が視線を向けている方を見ると、商店と商店の間にある薄暗い路地に佳奈とそれ程歳の変わらない少年がいた。
しかも何かをやらかしたのか、それともたまたま目を付けられただけなのか。薄汚い浮浪者然とした男に過激なまでの暴行を受けていた。
周囲にいる人間はさも日常風景であるかのように彼らを一瞥するだけで、足を止めること無く歩き去っていく。
そんな薄情な周囲の人々を見て、ハッとしたように佳奈が2ndを仰ぎ見る。
「セカンド! 助けないとあの子が―――「駄目だ」
佳奈の言わんとする事を察した2ndは被せるように拒絶する。それでも佳奈は言い募ろうとするが、言葉を発することができなかった。
自身を見下ろす2ndの表情が何時ものように飄々としたものではなく、無機質で感情を一切感じさせないものだったからだ。
一度としてそんな顔を向けられたことのなかった佳奈は、有無を言わさない迫力押されたが、それでも佳奈は意を決して言葉を紡ぐ。
「で、でも! あのままじゃあの子が死んじゃうかもしれないよ!!」
「………」
必死に訴える佳奈に無言で返し、2ndは表情を変えることなく佳奈と目線を合わせるように片膝を着く。
屈んだ事により顔が近くなり、2ndの威圧感に気圧された佳奈はそっと息を呑む。
「いいか、よく聞け佳奈。お前が住んでた所だとああいう風な奴が居たら助けが来るんだろうが、ここじゃあ誰も助けないし、それが当たり前だ。今、お前はそういう世界にいるんだ。
この間、シャルロットを助けたけど、アレはあくまで俺達に被害が及びそうだったから助けただけで今回は違う。分かるよな?」
威圧感を持って、言含めるような2ndに佳奈は躊躇いながらも頷く。
「必要がないのであれば俺は人助けをする気は無い。それにお前を助けた時に言ったが、俺の言うこと聞けないなら俺はお前を放り出す。そう言う約束をしたのは勿論、覚えてるよな。
もしあの子供を助けて欲しかったら、俺は代わりにお前を此処に置いていく。お前を助けたのは一応善意だが、依頼の一環でもある。契約―――約束を守れないのなら、どうなろうが俺の知ったことじゃない。いいな?」
こくこくと声も出せずただ頷くだけとなった佳奈の目を真っ直ぐ見つめ返し、2ndはひたすらに無感情のまま言葉を紡いていく。
そして最後に力を込めて問えば、幼い少女は唇を噛み締めながら頷き、申し訳なさそうに暴力に晒されている少年を一瞥して俯いた。
「分かったら行くぞ。もうすぐロゼ達と落ち合う時間だ」
一人身を翻して歩き出した2ndに遅れて佳奈が続く。
歩き出した二人の距離はあの一幕があってからも変わらない。
しかし二人の心の距離は、見かけの距離より遥かに離れていた。
それは下唇を噛みながら怯えているようにも見える佳奈の姿であったり、無表情ながらどことなく苛立たしげな2ndの姿のせいだろう。
何より和気藹々とした会話もなく、ただ黙々と歩く二人の姿がそれを如実に著していた。




